上巻
1、 迷惑な少年
安政7年(1860年)3月3日、江戸幕府の大老である井伊直弼が江戸城桜田門で、水戸藩士らによって暗殺された。それが俗に言う、桜田門外の変である。
その事件から1か月後の出来事である。
東海道五十三次の2番目の宿場町である、川崎宿から少し離れた多摩川の河川敷にある桜の木の下で、町人たちが宴会を開いていた。
その一角で大小2本の刀を持ったショートヘアの女の子が大きな口を開けて俵むすびを食べていた。
それが私、宮本かえで、16歳。
家は二刀流の道場をやっていて、私も門下生に混ざって二刀流の稽古を受けていた。
ご先祖様は言うまでもなく二刀流の生みの親である宮本武蔵で、父さんはそこの道場の師匠である。
今日は朝の稽古を早めに切り上げて、私は母さんと一緒に食事とお弁当の準備、父さんはゴザを持って門下生たちと一緒に花見の場所取りをしていた。
私が俵むすびと一緒に大根の煮付けを食べていたら、背中に物干竿の刀を背負った女の子が私の肩をポンっと軽く叩いてきた。
私は驚いて一瞬振り向いたら、そこにいたのは幼なじみの佐々木つばきだった。彼女の家は燕返しの道場をやっていて、ご先祖様は佐々木小次郎なのである。
「お嬢さん、この俵結びと大根の煮つけ、美味しい?」
「つばき、来ていたの?」
つばきは顔をニヤつかせて私に声をかけたので、私も反射的に返事をしてしまった。
「あら、つばきちゃん、こんにちは」
「おばさん、こんにちは」
「つばきちゃんもよかったら、何か食べる?お団子もあるわよ」
「せっかくですが、さきほど食べてきたばかりなので、遠慮させて頂きます」
「じゃあ、せめてお団子だけでも」
「それでは、お言葉に甘えて頂きます」
つばきは漆塗りのお皿の上に置いてある、団子をおいしそうに食べ始めた。
「お母さん、私の分の団子はあるんでしょ?」
「大丈夫よ、まだたくさんあるから」
私は団子が無くなることを恐れて確認したら、母さんは重箱の中身を私に見せた。
安心した私を見て、母さんは「あんたも食べる?」と言ったので、私が「食べる!」と返事したら、大きめの団子を2つ私の皿に載せてきた。
団子を食べ終えて、立ち上がろうとした瞬間、後ろから両手で私の顔に目隠しをしてきた人がやってきた。
私はてっきり、つばきだと思っていたので「つばき、つまんないいたずらは、やめてくれる?」と言ってしまった。
つばきは「私じゃないよ」と言ったので、私は「じゃあ、誰がやったって言うのよ」言い返した。
他にこんな低レベルないたずらをする人って言えば……。「あ、アンナでしょ?」と思わず大きいを出してしまった。
「大当たり!」
アンナはフランスから来た金髪の白人で、背中にロングソードを背負っていた。
両親は船で日本に向かう途中、嵐の中遭難してしまい、アンナだけが竹柴(今の竹芝)に漂着していたのであった。
当時の服はボロボロで、手元には両親から渡されたロングソードだけが残っていた。
そこからいろんな場所を転々とし、日本語を学びながら、お仕事や剣術も覚えていき、その後は禅昌寺という寺に引き取られて、今の生活をするようになった。
アンナは家でも外でも日本語を使っていたせいか、母国語であるフランス語と両方話せるようになった。
「アンナちゃん、こんにちは。今日は和尚様と一緒?」
「おばさん、こんにちは。和尚様はさっきまでいたけど、先に家に帰りました」
「お団子余っているけど、良かったら食べる?」
母さんは重箱に余っている団子をアンナに差し出した。
「それでは、せっかくなので、ごちそうになります」
アンナはそう言って、きな粉をまぶした団子とあんこの入った団子を食べ始めた。
「美味しい!」
アンナは幸せそうな顔をしてお皿の団子を平らげたら、物足りないのか3個目を食べ始めた。
私だって2個で我慢したのに、アンナは3個。
黙って見ていることに耐えきれなくなり、アンナと一緒に手を伸ばそうとしたら、母さんが私の手を強く叩いた。
「いったーい!」
「あんたはさっき食べたでしょ?」
「だからと言って、叩くことはないでしょ!」
「あんたは食べ始めると、重箱を空にするからダメ!」
「1個くらい、いいじゃない! ケチ!」
「はーい、ケチで結構ですよ。遠慮知らずのかえでだけには言われたくありません」
母さんはそう言って、重箱の蓋を閉めて、風呂敷で包んでしまった。
太陽が傾きかけ、禅昌寺が七つ半(夕方5時)を知らせる鐘を鳴らしたので、私たちが片付けに入ろうとしたとたん、おばさんが迎えにやってきた。
「つばきー、ここにいたんだね。そろそろ帰るわよ」
「うん」
「あ、宮本さん。娘がお世話になりました」
「いいえ、私どもは何もしておりませんので」
「それでは、私どもはこの辺で失礼します。かえでちゃん、明日もつばきのことをよろしくね」
おばさんはそう言って、つばきを連れていなくなってしまった。
「おばさん、お団子ごちそうさまでした」
「いいえ、お粗末様でした」
「かえで、また明日ね」
アンナも一言お礼を言って手を振ったあと、いなくなってしまった。
帰り道、6歳くらいの男の子が一人細い路地から走ってきて、私にぶつかってきた。
「いったーい」
私は男の子にぶつかった衝撃で、お尻を打って転んでしまった。
「あぶねーじゃねーか。気をつけろよ、ばーか」
「おい、坊主。人にぶつかって言うことはそれだけか」
男の子はそう言って走り去ろうとしたので、父さんは男の子の腕をつかんで引き留めた。
「おじさん、放せよ」
「なら、このお姉ちゃんに『ごめんなさい』は?それと、盗んだものを返してあげなさい」
「俺、何も盗んでいないよ」
「言っておくが、おじさんの目はふし穴じゃないぞ。ぶつかった直後、お姉ちゃんの懐から財布を盗んだを見えたからな」
「本当に盗んでないよ」
「なら、今から調べるけど、いいか?」
「それだけは勘弁してくれ」
「いいや、勘弁ならん」
父さんは門下生と一緒に男の子の懐を探りはじめた。
すると、私の財布が出てきたので、びっくり。
「おい、坊主。これでもまだしらを切るのか?」
「ごめんなさい……」
男の子は一言謝ったあと、私に財布を返した。
「かえで、一応念のために財布の中身を確認しろ」
私は財布の中身を確認をしたら、特に抜き取られた形跡がなかったことを報告した。
さらに父さんは他の人の財布が出てきたことに驚いたので、一度家に連れて事情を聞き出すことにした。
「まずは坊主の名前を聞こうじゃないか」
父さんは厳しい表情で、男の子からいろいろと聞き出し始めた。
「俺の名前は龍之介。この先にある長屋に住んでいるんだよ」
「この先って言うと、砂子あたりか?」
龍之介と名乗る男の子は黙って首を縦に振った。
「もう一つ聞くけど、人さまの財布を盗んだ理由を聞かせてくれないか?」
「……」
しかし、父さんの質問に対し、龍之介は返事をしなかった。
「なぜ返事をしない?人さまのお金を盗んだ以上、何か理由でもあるんだろ」
父さんは少しいらだった感じで問い詰めた。
「お金がなかったから……」
龍之介は一言ボソっと答えた。
「お金がないって、君には両親がいるだろ」
「両親はとっくに死んだ」
「食事はどうしているんだ?」
「近所から分けてもらったり、親の残した金で、どうにかしてきたけれど、それも限界が来ていたから……」
「それで盗みに入ったのか」
龍之介は再び、首を縦に振って返事をした。
「だからと言って人さまのお金を盗むのはよくない。それはわかっているだろ。過去に誰かのお金を盗んだことはあるのか?」
「あります」
「そのお金はどうしたんだ?」
「生活費に全部当てた」
「そうか。働いてお金を稼ぐという方法は思いつかなかったのか?」
「俺を雇ってくれる場所なんてないよ」
「じゃあ、お前は何が得意なんだ?」
「得意と言うと?」
「何ができるのかと聞いているんだ」
「手品だよ」
「手品とは?」
「ちょっとうまく説明できないから、実際に見てもらった方が早いかもしれない。おじさん、悪いんだけど、ちょっとだけ筆を1本貸してくれる?」
龍之介はそう言って父さんから筆を1本借りて、しばらく眺め始めた。
「じゃあ、やるから見てくれる?」
龍之介は父さんから借りた筆を一瞬に消してしまった。
「おい、筆はどこへやった」
父さんはびっくりして、部屋中を探し回った。
龍之介は少し顔をニヤつかせて、再び筆を出して、父さんに見せた。
「どこにあった?」
しかし、父さんの問いかけに龍之介は何も言わなかった。
「おーい、母さーん、かえでー! ちょっと来てくれー!」
父さんは自分の部屋に母さんと私を呼んだ。
「あなた、どうしたの?」
「お父さん、何?」
「おい、さっきの術を見せてくれないか?」
龍之介は父さんの筆を持ったとたん、一瞬に消してしまった。
「うそ!どうなっているの?」
私はびっくりして筆を探し回り、母さんも「筆が煙のように消えた」と言い出す始末。
龍之介は再び筆を出して見せたら、私も母さんもびっくりしてしまった。
「なあ龍之介、一つ聞きたいけど、今まで得意の手品というやらで人さまの財布を盗んだのか?」
龍之介は黙って首を縦に振った。
「とにかく、やってしまったものはしょうがないとしても、これからはきちんと働いた方がいい。人さまから金を盗んで生活をするわけにはいかないだろ」
龍之介は父さんに言われた言葉に対し、黙って返事をするばかりであった。
「今夜は遅いし、うちに泊まって、明日朝になったら家まで送るついでに仕事でも探しましょうか。かえでも付き合ってくれるよね」
「うん」
龍之介は母さんの言葉に一言返事をした。
そのあと、母さんは龍之介を風呂に入れて、客間に案内し、布団を敷いて寝かした。
次の朝、私と母さんは龍之介を連れて仕事探しをすることにした。
最初に向かったのはお茶の駿河屋だった。
母さんは引き戸を開けるなり、「ごめんくださーい」と大きい声で店の人を呼んだ。
出てきたのは前掛け姿の小吉さんだった。
「あ、どうも宮本さん、こんにちは。今日はどんなお茶をお求めですか?」
「実は今日、お茶を買いに来たのではなく、この子のお仕事を探しに来たのです。小吉さん、よかったらこの子を雇ってもらえませんか?」
「そうしたいのは山々なんだけど、あいにく子どもに任せられるような仕事はないんだよ」
「そうなんですね。分かりました」
「力になれなくて、すまないな」
「こちらこそ無理を言って、すみませんでした」
母さんは小吉さんにおじぎをしたあと、私と龍之介を連れて、次の働き口を探しだした。
和菓子屋さん、甘味処、呉服問屋など手あたり次第探したけど、子どもを雇ってくれる場所はどこにもなかった。
「困ったものね」
「ねえお母さん、龍之介君って手品が得意だから、そっちで仕事を探してみたら?」
「そうねえ」
母さんは一瞬考えた。
その時、数人のチンピラが龍之介を囲むようにやってきた。
「おいガキ、この間俺の財布を盗んだだろ」
「知らないよ」
「しらを切るなよ」
チンピラの一人が龍之介の懐を調べ始めた。
「あなたたち、いったい何なの?」
母さんはチンピラから龍之介を引き離そうとした。
「おい女、お前もこのガキの仲間か?」
「仲間ってわけじゃないけど……」
「なら引っ込んでいろ!」
チンピラはそう言って、母さんを強く突き飛ばした。
「母さん、大丈夫?」
私は頭に血がのぼってしまい、刀を2本抜こうとした瞬間、母さんに止められてしまった。
「かえでやめなさい!」
母さんはとっさに私の抜刀を抑えた。
「母さん、なんで止めるの?」
「刀を抜いたら、父さんに言うわよ!」
「なんだか知らねえけど、今がチャンスだ。やっちまおうぜ」
チンピラたちはそう言って私たちに襲い掛かってきた。
その時、見慣れない格好した女の子が私たちを助けに入ってきた。
女の子は素早い動きで刀を抜いて、峰打ちでチンピラたちをやっつけていった。
「チクショー、覚えていろ!」
チンピラたちはそう言い残して、走り去っていった。
「あなたたち、大丈夫?けがはない?」
女の子はそう言って、近寄ってきた。
「助けて頂いて、ありがとうございます。あの、よかったらお名前だけでも……」
「私は雪村つばめ。ただの芸人で、ここでは『お雪』で通しているんだよ」
「そうなんだね。ちょっと気になったけど、なんでただの芸人が刀を背負っているの?」
「私、もともと甲賀のくノ一だったんだけど、両親が死んだとたん、仲間たちは各地にバラバラに散ったんだよ。背負っている刀も父の形見なの」
「そうだったんだね。今は1人?」
「ううん、今は弟と新しい仲間も一緒なんだよ」
「どんな芸をしているの?」
「手品かな」
「実は、お雪ちゃんにちょっと相談があるんだけど……」
「相談って言うと?」
「この子をあなたたちの仲間に入れてもらいたいんですけど……」
「この子は?」
お雪さんは龍之介の顔をじろじろ見つめ始めた。
「ねえ、あんた名前なんていうの?」
「俺、龍之介」
「龍之介君、何か特技でもあるの?」
「手品だよ」
「何ができるの?」
「お姉ちゃん、手ぬぐい持っていたら貸してほしいんだけど」
「あ、いいよ」
お雪さんは懐から手ぬぐいを取り出して龍之介に渡した。
「じゃあ、今から手品をやるね」
龍之介は借りた手ぬぐいをお団子のように、くるくると回して両手で押さえ込むような感じで握った。
しばらくして手を放したら、手ぬぐいが煙のように無くなっていたので、見ていた私たちは驚いてしまった。
「あんた、なかなかやるじゃない」
お雪さんは感心したような顔で龍之介の手品を見ていた。
「じゃあ悪いけど、手ぬぐいを返してくれる?」
龍之介は両手をぎゅーっと押しつぶすような感じで握っていたら、今度は消えたはずの手ぬぐいが出てきて、お雪さんに返した。
「改めて聞くけど、龍之介君を私らの一座に入れようとした理由を聞かせてくれる?」
お雪さんは険しい表情で、お母さんから聞き出した。
「実は龍之介君……、両親を亡くして生活に困っているみたいなの。それで、昨日も娘の財布をすろうとしていたから……」
「それで、この子の仕事を探していたんだね」
「そうなの」
「もしかして、さっきのチンピラに絡まれていたのも、すりが原因だったの?」
「そうみたい……」
「『お役人様に自主してきなさい』って言いたいところだけど、二度と泥棒のまねをしないって約束をしてくれるなら、今回のことは聞いてなかったことにするよ」
「二度とスリはやりません」
「いい返事だ。じゃあ、私たちと一緒にお仕事をやってみる?」
「うん」
「よし、住む場所も私たちと一緒がいいかもしれないね」
「家はどこ?」
「家はここから少し離れた砂子長屋だよ」
「俺の家もそこだよ」
「じゃあ、一緒に暮らさなくていい代わりに、稽古や打ち合わせがある時には私たちの部屋に来てね」
「わかった」
「じゃあ、行こうか」
「うん」
「じゃあ、そろそろ失礼します」
お雪さんはそう言って、龍之介を連れていき、そのまま帰ってしまった。
私が母さんと帰ろうとした時、つばきとアンナがやってきた。
「おばさん、こんにちは」
「あら、つばきちゃんとアンナちゃん、こんにちは。もしかして、かえでを迎えに来たの?」
「そう言うわけではありませんが、おばさんとかえでさんが一緒にいたので……」
「よかったら、おばさん外れようか」
「いえ、大丈夫です。一緒にいたから何を話していたのかなと思っただけなんです」
つばきは少し遠慮がちに言った。
「差し支えなかったら、何を話していたのか教えてもらえませんか?」
今度はアンナが聞き出してきた。
「実は昨日、花見の帰りにかえでがスリの被害にあったの」
「この話、本当なんですか?」
つばきはとっさに大きな声を出して反応してしまった。
「一応、家に連れて帰って事情を聞きだしたら、お金がなくて生活に困っているみたいだったので、私が今日新しい働き口を見つけて紹介してあげたの」
「その犯人って何歳なんですか?」
つばきは興味深そうな顔をして母さんから聞き出した。
「その犯人、6歳なの」
「6歳で盗みをやったら、親泣きますよ」
「その子の両親、すでに亡くなっていたみたいで……」
「それで、生活に困っていたからスリをやり始めたんですね」
「さっきも、それが原因でチンピラに絡まれていたんだけど、見知らぬ女性に助けられて、そのまま引きとられていなくなったの」
「そんなことってあるのですね」
「そうみたいなの」
つばきは驚いた表情で母さんの話を聞いていた。
「ってことは寝る時以外は、そのお雪さんって人の部屋で手品の稽古をしたり、一緒に打ち合わせをするって感じなんですね」
さらにつばきは、母さんの言葉を理解したような顔をして返事をした。
「明日かえでさんとアンナさんと一緒に、その長屋に行ってお雪さんと龍之介君を訪ねてみます。2人とも大丈夫だよね」
私とアンナは、つばきに言われるままに首を縦に振って返事をした。
「じゃあ明日、巳の刻(午前10時)に禅昌寺で待ち合わせね。それではおばさん、失礼します」
つばきとアンナはそう言い残していなくなり、そのあと私は母さんと一緒に家に帰ることにした。
家に着いて自分の部屋に戻ったあと、刀を置いてくつろいでいたら、つばきが私の部屋にやってきた。
「つばき、どうしたの?会うのは明日のはずじゃ?」
「さっきのおばさんの話が気になって……」
「もしかして、龍之介君のこと?」
「実はさっき別れたあと、私とアンナが家に帰る前に長屋へ立ち寄ろうとしたの。そしたら、数人のチンピラが役人と思われる人と何か話をしていたのが聞こえたの」
「どんな会話だったか覚えてる?」
「そこまでは分からないけど、何かしらの形で攻撃するのは確かだったよ」
「それが本当なら、今から動いてみない?」
「そうしたいけど、私らには門限があるから……」
「そうだよね……」
「じゃあ、そろそろ帰るね」
「うん、また明日」
私たちが家でくつろいでいるころ、龍之介はお雪さんの家で新しい手品の稽古をしていた。
砂子長屋に住んでいるほとんどが、両親を亡くした子供たちがばかりなのである。
大家さんのお菊さんもまだ20代で、常に子供たちにはとても優しかった。
その日もお雪さんたちが手品の稽古をしていても、お菊さんは特にうるさく注意をすることもなく、黙ってその光景を眺めていた。
「じゃあ今日は日が暮れるし、この辺で終わりにしましょうか」
「ありがとうございました」
龍之介はお雪さんに一言お礼を言って、自分の部屋に戻って行った。
それと入れ替わるかのように、弟の拝次郎さんが外出から戻ってきた。
「あ、拝次郎。おかえり」
「ただいま、姉さん。さっき長屋の入口でチンピラらしき人がうろついていたけど……」
「もしかして、昼間会った人かも」
「姉さん、知っているの?」
「昼間、和菓子屋の近くで龍之介君がチンピラに絡まれていたのを私が助けてあげたの。もしかしたら、その仕返しかもしれない」
「姉さん、あとをつけられていたんだよ」
「うかつだった」
お雪さんは右手の親指を噛んで悔しがっていた。
「さっき龍之介という少年がチンピラに絡まれていたと言っていたけど、その原因って何なの?」
「その龍之介君、チンピラから財布をすったみたいで……」
「それ本当なの?」
「それに二度とスリをやらないと約束をしてくれたから……」
「そんなの当てにならないよ。そう言うのって、またやるかもしれないんだから。ちなみに龍之介君ってどこに住んでいるんだ?」
「私たちと同じ長屋なの」
「部屋はどこだか分かる?」
「わからない」
「とにかく、大家さんを通して出ていってもらおう。トバッチリはごめんだからな」
拝次郎さんはそう言って、大家さんの家に行って龍之介を立ち退いてもらおうとした。
「ちょっと大家さんの家に行ってくる」
「だめよ」
「どうしてだ?」
「今、出ていったらチンピラに絡まれるよ」
「俺たちは関係ない!」
その時だった。引き戸がピシャリと開く音がして、数人のチンピラがやってきた。
「おい、ここに6歳くらいのガキはいねえか?」
「失礼だけど、あなたたちは誰なんですか?」
「俺たちか?須田組と言って、金貸しをやっているんだよ。その俺が組長の須田源次郎だ」
「言っておきますが、僕たちはあなたたちからお金など1銭も借りていません!」
「俺たちに用があるのはガキだけど、ここにはいないみたいだな」
チンピラたちが出ていこうとした瞬間、源次郎はお雪さんに目を向けた。
「おいそこの女、さっき会ったよな?」
「会ったけど、それが何か?」
「お前、ガキの居場所知っているか?」
「知らないわよ」
「嘘をつくな、俺の目はふし穴じゃないんだぜ。お前がガキと一緒にこの長屋に入ったのを見た人がいるんだ。正直に吐け!」
「確かに子供を連れて入ったけど、誰かと見間違えてない?」
「なら、嘘か本当か一部屋ずつ調べてもいいんだぜ。おい、調べるから来い」
「へい」
源次郎は子分を連れて、一部屋ずつ見て回って行ったが、龍之介の姿は見当たらなかった。
そして最後の部屋の引き戸を勢いつけて開けたが、龍之介の姿は見当たらなかった。
「この部屋のどこかにいるはずだ。みんな、くまなく探せ!」
源次郎はそう言って子分と一緒に龍之介の部屋をくまなく探した。
「ちくしょう、見つからなかった」
「親分、もしかしたら、さっきの女の部屋か大家の部屋に隠れた可能性が高いですぜ」
子分の1人が他を探そうと言い出した。
「待って、今夜は遅い。明日出直すぞ」
源次郎たちはそう言って、長屋をあとにしていなくなってしまった。
一方、龍之介はと言うと、大家さんの家に身をかくまってもらっていた。
「トラブルに巻き込んでしまってごめんなさい」
「大丈夫だけど、何かあったの?」
「実はチンピラたちの財布をすってしまったのです」
「それで、あんな騒ぎになったのね」
「本当にごめんなさい」
「なんで、あんなことをしたの?」
「俺、両親を亡くして生活に困っていて、仕方なしにやってしまったんだよ。その結果、長屋のみんなや、大家さんを巻き込んでしまった。だから、今夜この長屋を出て他で生活をするよ」
「当てはあるの?」
「まだない」
「それに働き口はどうするの?」
「働き口なら、お雪さんと一緒に手品をやることになったよ。でも、それもできなくなった。お雪さんたちはこの長屋の住人。俺が一緒にいたら、お雪さんたちまでがチンピラに襲われる。だから、今夜出ることにするよ」
「じゃあ、一か所だけ当てがあるの。ここから少し離れた久根崎と言う場所に誰も使われてない古い寺があるの。そこなら長屋よりも広くて、チンピラの目には届かないはずだと思うの。それにこの近くには親切な農家があるから、食べ物なら少しくらい譲ってもらえるかもしれないよ」
「本当ですか!? ありがとうございます」
龍之介は大家さんに深く頭を下げてお礼を言った。
「長屋の子供たちと、引っ越し先の農家には私の方から挨拶しておくね」
「ありがとうございます。明日の早朝に大八車を借りてくるから、それに荷物を載せて寺まで向かうよ」
「何時ごろ出発する?」
「卯の刻(朝6時)。だから今夜はもう寝かせてもらうし、お雪さんには申し訳ないけど、先に行かせてもらうよ」
「じゃあ、お雪さんたちが起きたら、きちんと事情を説明しておくね」
「本当にありがとう。それじゃあ、お休みさない」
こうして、龍之介の夜逃げならぬ朝逃げが始まろうとしていた。
2、 寺での新しい生活
翌朝、龍之介と大家さんは卯の刻(朝6時)より少し前に起きて、大八車に布団や着替え、食器などを載せて、久根崎の寺へ向かおうとしていた。
「荷物はこれで全部?」
「うん」
「じゃあ、行きましょうか」
龍之介が大家さんと一緒に久根崎の寺に向かっているころ、お雪さんたちは起きて着替えたあと、玄関の周りを掃除していたら、大家さんが起きてこないことに不審に思っていた。
気になったお雪さんは大家さんの家に向かい、そうっと引き戸を開けてみると、誰もいなかったので驚いてしまった。
「大家さん?」
お雪さんは少し小さな声で呼んでみたけど、誰も返事がなかった。
「おかしい。どこへ行ったのかしら?」
お雪さんは、その場で考え込んでいた。
「いたいた。姉さん、大家さんの家で何をやっていたの?」
拝次郎さんは気になってお雪さんのところへやってきた。
「朝から大家さんがいないの」
「本当に!?」
拝次郎さんは大家さんの部屋の中をすみずみまで見渡したが、やはり大家さんの姿は見当たらなかった。
「本当にいないなあ。どこへ行ったんだ?」
拝次郎さんは首をかしげながら少し考えていた。
「そうよね」
「食事の買い出しとか?」
「朝市の可能性も高いわね」
「確かに……」
「それにしても、大家さんはどこへ行ったんだ?」
お雪さんと拝次郎さんが立ち止まって考えていたら、子供たちも目が覚めて表にやってきた。
「あ、みんなおはよう」
その時、お雪さんは何か違和感を覚え始めていた。
そう、龍之介の姿がいなかったことである。
お雪さんは龍之介の部屋に行って中を覗いてみたら、誰もいないだけでなく、荷物も綺麗になくなっていたことに驚いていた。
「拝次郎、龍之介君がここを出て、他へ移り住んだかもしれない」
「じゃあ、大家さんが朝からいないってことは、龍之介君の引っ越しを手伝った可能性が高いかもしれない。とにかく大家さんが戻ってきたら、詳しい事情を聞こう」
「そうだね」
こうしてお雪さんは、拝次郎さんと一緒に大家さんが戻ってくるのを待つことにした。
その一方、大家さんと龍之介は久根崎にある寺へと向かっていた。
境内の中に入ってみると草が生い茂り、中はほこりまみれだった。
部屋数は少ないもの、一部屋あたりの面積が結構広かったり、食器棚や箱膳(食事するお膳)などの生活用具がそろっていたので、生活するにはそれほど不自由ではなかった。
大家さんは残っている人たちに事情を説明するため、一度長屋へ戻ることにした。
寺に残った龍之介は桶と雑巾を用意して、井戸で水をくみ、お堂と部屋の中を隅々まで拭いていき、そのあと鎌を取り出して、境内の草むしりを始めた。
長屋へ戻った大家さんは、お雪さんたちを自分の家に呼んで、お話をすることにした。
「今朝、私と龍之介君がいなくなったことに、驚いた人が多かったかもしれないけど、龍之介君は早朝から荷物を持って、この長屋から出ていきました。しかし、これは私が追い出したのではなく、龍之介君が自分の意思で出ていくと宣言したのです。その理由は彼が生活に困っているばかりにスリをやってしまったことなんですが、そのすった相手が貸金をやっている須田組の組長、須田源次郎とその一味だったのです。一味はすでに龍之介君がこの長屋に住んでいることを知ったので、これ以上いるとみんなを巻き込むからという理由で、いなくなりました」
それを聞いた子供たちは素直に納得したり、驚いた表情を見せるなど、反応はそれぞれ。
「龍之介君って、今どちらにいますか?」
お雪さんは少し驚いた表情を見せながら質問した。
「龍之介君は久根崎にある誰もいない寺で生活をすることにしたそうです」
「そうなんですね。私たちも龍之介君と同じ寺に住まわせてもらっていいですか?」
「それは構いませんが、あなたたちが龍之介君のトラブルに巻き込まれてもいいと言うなら、私は反対はしません。」
「その覚悟は出来ています。では、明日の卯の刻(朝の6時)に出発します」
「では、私も同行させて頂きます。近所の農家にご挨拶をしたいと思っていますので」
「それでは、よろしくお願いいたします」
お雪さんは大家さんに頭を下げて、お礼を言った。
その翌朝、お雪さんたちは大八車を借りてきて荷物を積み込み、大家さんと一緒に龍之介がいる久根崎の寺へと向かった。
寺へ着くとすでに草が刈られており、外も中もキレイに掃除されていたので、大家さんとお雪さんたちはそれを見てびっくりしていた。
その時、玄関から龍之介がやってきてみんなを出迎えた。
「やあ、みんなも来たんだね」
「これ、全部1人でやったの?」
「ううん、近くの農家の人が手伝いにやってきたんだよ」
龍之介はそう言って、手伝いに来た農家の人を紹介したので、大家さんもあいさつを始めた。
「こんにちは、砂子長屋で大家をやっています、お菊と申します。これから子供たちがお世話になりますので、どうかよろしくお願いいたします」
「こちらこそ初めまして。この近くで百姓をやっている吉右衛門と申します。ほんのわずかばかりですが、うちの畑でとれた野菜なので、よかったら食べてください」
吉右衛門さんはそう言って大根やかぶ、白菜などの野菜を用意してくれた。
「ご丁寧にありがとうございます。ほら、みんなもお礼を言いなさい」
大家さんは自分がお礼を言ったあと、子供たちにもお礼を言わせた。
「食べるものに困ったら、いつでも言いに来てください」
「ありがとうございます」
大家さんが再びお礼を言ったあと、吉右衛門さんは自分の畑に戻って作業を始めた。
「じゃあ、私もそろそろ長屋へ戻るね」
「もう帰っちゃうのですか?」
「だって、ここにいてもすることないから」
その時、1人の子供が泣きそうな顔をしたので、大家さんは仕方なしに荷物運びの手伝いをして、一休みをしたあと、改めて帰ることにした。
「じゃあ、何かあったら長屋を訪ねてね」
大家さんはそう言い残して、長屋へ戻って行った。
大家さんが長屋へ戻っているころ、私は龍之介のことが気になったので、つばきとアンナを連れて砂子長屋へと向かう途中の出来事である。
私が能面をつけて歩いていたら、つばきとアンナが急に離れてしまった。
「お願いだから、近寄らないでくれる?」
アンナは迷惑そうな顔をして私に言ってきた。
「ところで、なんでお面なんかつけてきたの?」
つばきも呆れて、私に聞いてきた。
「チンピラたちに顔を見られたから、これで顔を隠しておこうと思ったの」
「あんた、こんなものをつけて歩いたら余計に目立つわよ」
「そう?」
「って言うか、今すぐこのお面を置いてきて。この姿で一緒にいられると、私たちが変質者の仲間だと思われるからいやなの」
「別にいいじゃん。お面くらい」
「つべこべ言わずに、いますぐ置いてきなさーい!」
つばきは我慢の限界がきたのか、部屋に能面を戻してくるよう、大声で怒鳴るような感じで言ってきた。
私はダッシュで部屋に戻り、能面を置いてきたあと、再びつばきとアンナと一緒に長屋へと向かうことにした。
「お願いだから二度とあんなお面、着けてこないでよね。一緒にいるとこっちまで恥ずかしくなるから」
つばきは少し不機嫌そうな顔をして私に言ってきた。
「しかし、よくこんなバカなことを思いついたわよ」
アンナも呆れた顔をして私に言ってきた。
「つばき、まだ怒っている?」
「別に怒ってないけど、なんていうか少しは一緒にいる人の立場も考えて欲しいよ」
「ごめん、もうあんなマネはしないから」
「一つ聞くけど、あれでチンピラから逃れられると思ったの?」
「素顔を見せるよりマシかなって思ったから」
「あんなお面つけていたら余計に目立つし、みんなに注目されるって分からない?」
つばきはイライラしながら、私の耳にタコができるほど文句をぶつけ通す始末。
「つばき、かえで反省しているみたいだし、この辺で許してあげたら?」
「アンナ、一度甘やかすと、ろくな人間になれないわよ」
アンナがつばきをなだめるように言ったけど、つばきは聞く耳などまったく持っていなかった。
「かえでに言っておく、次私たちの前であんなお面を着けてきたら、絶好にするから覚悟してちょうだい」
「はーい」
「つばき、それ言い過ぎだよ」
「アンナはかえでに甘いわよ」
長屋へ着くまでの間、私たちの間に重たくてどんよりした空気が流れ込んでいた。
長屋へ着いて、私たちは大家さんに会って、龍之介の部屋の場所を聞き出すことにした。
「ごめんくださーい、大家さんはいらっしゃいますか?」
私は少し緊張した状態で、ゆっくりと引き戸を開けながら、大家さんに声をかけた。
「はーい、どちら様でしょう」
大家さんは少し急ぎ足で玄関にやってきた。
「こんにちは、実は私たち龍之介君を訪ねて来たのですが、どちらにいらっしゃいますか?」
「龍之介君なら、昨日久根崎にある古い寺に引っ越しました」
「そうなんですね。やはり原因は先日会ったチンピラと関係しているのですか?」
「そうなの。実はそのチンピラがこの長屋へやってきたので……」
「ようするに龍之介君っていう人が、かえでの言っていたチンピラのトラブルに巻き込まれたってことですよね」
今度は今まで黙っていたつばきが口をはさんできた。
「正しくは龍之介君がそのチンピラの財布をすったのが始まりだったの」
「もう一つ気になったのですが、龍之介君がスリをやった理由ってなんだかご存知ですか?」
「実は龍之介君は、早くにも両親を亡くしてお金に困っていたのです」
「働くっていう方法は思いつかなかったのですか?」
「それも考えてみたのですが、龍之介君を雇ってくれる場所がなかったので……」
「それで、見ず知らず人の財布を盗んだのはいいが、その相手がチンピラで、この長屋まであとをつけられていたってわけなんですね」
「そうなの。でも今はお雪さんっていう一緒の長屋に住んでいた人の手品師一座で働くことになったのです」
「それなら一安心ですね」
つばきは納得した顔で大家さんの話を聞いていた時、私は少し違和感を覚え始めていた。
「そういえば、お雪さんたちはどちらにいますか?」
「実はお雪さんたちも一緒に久根崎の寺まで向かったのです」
「なんでですか?」
「理由はいくつかあるのですが、一つは龍之介君が同じ一座に入ったこと。もう一つはお雪さんが龍之介君がチンピラに絡まれている所を助けてしまい、自分も狙われる対象になってしまったのです」
「そうだったのですね。わかりました、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ」
こうして、私たちは久根崎の寺に向かい始めた。
私たちが寺に向かっているころ、龍之介たちはお雪さんたちと一緒に手品の稽古をしたり、近所の農家の手伝いをしていた。
「いやあ、お雪ちゃんや龍之介君たちが来てくれたおかげで、本当に助かったよ」
「とんでもございません。私たちは当然のことをしたまでなんです」
モンペ姿のお雪さんは泥だらけの顔で返事をした。
「これ少ないけど、よかったら持って行って食べてくれないか」
吉右衛門さんは顔をにこやかにして、大根や白菜などを差し出した。
「いいのですか?」
「ほんのばかりの気持ちだよ」
「ありがとうございます」
お雪さんは吉右衛門さんに深く頭を下げてお礼を言ったあと、そのまま龍之介たちを連れて帰った。
その一方、源次郎たちはアジトで次の作戦を立てていた。
「親分、あのガキどうしますか?」
子分の1人が、源次郎に相談を持ち掛けてきた。
「このまま放っておくわけにもいきませんよね」
さらに別の子分も意見してきた。
「当たり前だ。早いうちにあのガキをとっつかまえて締め上げるまでだ。あのガキは砂子長屋にいるのは確かだ。これから長屋へ行ってガキを捕まえに行くぞ」
「しかし親分、あのガキには女の用心棒がいるんで、少し慎重に動いた方がいいのでは……」
「女の用心棒って言ってもよ、所詮はガキだ。ちょっと脅せば大人しくなるにきまってらぁ」
「そうですよね」
「わかったなら、早く準備しろ」
「へいっ」
子分たちはすぐに出かける準備を始めて、砂子長屋へと向かった。
長屋へ着いた源次郎たちは片っ端から引き戸を開けて、一軒ずつ探していった。
「親分、どこを探しても見つからなかったです」
「そんなはずはない。もう一度くまなく探せ!」
「お言葉ですが、もうこの長屋にはいないのでは?」
「なぜ、そんなことがわかるんだ?」
「家財道具がきれいになくなっていたので、もしかしたら他へ引っ越した可能性が高いと思ったんですよ」
「よし、ここの大家に聞こう。何かわかるはずだ」
源次郎たちは大家さんの部屋に行って、龍之介たちがどこへ引っ越したのか聞き出すことにした。
「おい、入るぞ」
源次郎たちはそう言って大家さんの部屋に土足で入っていった。
「あなたたちはいったい誰なんですか?」
「俺たちはだな、須田組と言って金貸しをやっているんだよ。そして俺がその組長、須田源次郎だ」
「その須田さんが私に何の用で来たのですか?」
「お前、知っているんだろ」
「何をですか?」
「とぼけなくてもいいんだよ。あのガキのこと」
「本当に何も知らないわよ」
「じゃあ、質問変えようか」
「この長屋に6歳の男の子が住んでいなかったか?」
「いえ、そこまでは見ていませんでした」
「間違いねえな?」
源次郎は大家さんに顔を近づけて、威嚇しながら確認をした。
「私は毎朝卯の刻(朝の6時)に目が覚めて、簡単な身支度を済ませたあと、外に出て水撒きをするのですが、その時には子供たちが外に出て私に挨拶をしてくるはずなのに、誰一人出てこないことに不審に思ったので、部屋の中を見たら、すでにもぬけの殻になっていたので驚きました」
「親分、他を当たりますか?」
その時、子分の1人が他へ行くよう、促してきた。
「そうだな。よし、他へ行くぞ。世話になったな」
源次郎はそう言い残して、子分を連れていなくなってしまった。
長屋を出て少し経った時、源次郎たちはふとあることに気がついた。
「親分、もしかしたら大家のヤツ、俺たちに本当のことを隠しているんじゃないっすか?」
「だとすると、今までのは全部芝居だというのか?」
「可能性は高いです。よく考えてください。親分の財布を盗んだガキだけじゃなくて、親分に手を出した女までがいないっておかしくないですか?」
「それもそうだな」
「もう一度吐かせますか?」
「まて。どうせ戻ったところで、しゃべるわけがない。あのガキを見つけ次第、住みかを探るまでだ。とりあえず、一度アジトへ戻るぞ。これ以上探し回っても時間の無駄だ」
源次郎たちは一度作戦を立て直すためにアジトへと戻っていった。
その頃私たちは大家さんに教えられた久根崎の寺を尋ねることにした。
「久根崎の寺って、ここしかないよね?」
「たぶん、ここで合っているはずだと思うんだけど……」
つばきは私の問いかけに自信のない返事をした。
「とりあえず中へ入ってみようよ」
アンナは問答無用で境内の中へと入っていった。
「結構大きな寺なんだね」
私は感心したように言った。
その時、お雪さんが私たちの所へやってきた。
「こんにちは、あなたは確か先日和菓子屋さんの前でお会いしましたよね」
お雪さんは顔をにこやかにして、私に声をかけてきた。
「はい、大家さんに聞いてここへやってきました」
「立ち話もなんだし、中へ入ってよ。あ、そういえば後ろの二人とは初めてだよね」
お雪さんはつばきとアンナの方に目を向けて確認をした。
「初めまして、私は佐々木つばきです」
「私はアンナ・フルニエです」
つばきとアンナは軽くにこやかな表情を見せて挨拶をした。
「改めて、私は宮本かえでです」
「私も改めて挨拶をするけど、名前は雪村つばめで、元々は甲賀のくノ一だったんだけど、今は手品師をやっているの。よかったら見てくれる?一応、ここではお雪で通しているから」
「是非、見せてください」
お雪さんは私たちを寺の本堂の方へ案内した。
中へ入ると、龍之介を始めとする数人の子供たちが真剣な顔で練習に励んでいた。
「今、ちょうど稽古をしていたところなんだよ。よかったら練習風景を見る?」
「是非見せて欲しいです」
私は期待のまなざしでお雪さんにお願いをした。
「今、どんな仕掛けの練習をされているのですか?」
今度はつばきが興味津々なまなざしで聞き出した。
「今、箱の中に入ってる人間に刃物を刺す仕掛けの練習しているの」
お雪さんは緊張して見ている私たちに説明を始めた。
「中の人って大丈夫なんですか?」
つばきは少し震えた表情をしてお雪さんに聞いた。
「ハハハハハ大丈夫よ。刃物も偽物だし、あらかじめ刺す場所が決まっているから、けがをすることはないよ」
「私、この仕掛けならフランスにいた時に見たことがある」
アンナは顔をニヤつかせながら、この光景を見ていた。
「アンナ、この仕掛け知っているの?」
私は少し驚いた表情でアンナに聞いた。
「フランスにいた時、この手品を何度も見たことがあったよ」
「本当に!?」
「うん。他にもいろんな仕掛けを見てきたよ」
「どんな仕掛けがあるの?教えてよ」
私がテンションを上げてアンナに聞き出そうとしたら、つばきが「せっかく練習しているところを見せてもらっているんだから、少しは静かに見ようよ」と注意をしてきた。
「あ、ごめん」
私はとっさに謝った。
「次から気をつけます」
アンナも少し申し訳なさそうな顔をして謝った。
そのあと、私たちはしばらく子供たちの手品の芸を見ていた。
「すごーい! ねえ、2人とも見て。西洋の帽子に黒と赤の布を被せたら、中から白い鳩が出てきたよ」
私は驚きと感動で、つばきとアンナに言った。
「本当だ! どんな仕掛けになっているの?」
つばきも驚いた表情で子供たちの手品を見ていた。
「子供であんな芸が出来るなんて、すごいよ」
アンナも子どもの手品を見て驚いていた。
手品が終わって拍手をしたあと、私は龍之介の所に近寄ってきた。
「こんにちは、ここにいたんだね」
龍之介は少し怯えた表情を見せて、逃げる態勢になった。
「どうしたの?」
私は少し疑問に感じながら龍之介に近寄ろうとした。
その時だった。龍之介はダッシュで奥の部屋と逃げていった。
「あ、龍之介君、待って」
私は走って龍之介のあとを追い、つばきとアンナもそのあとを追いかけた。
奥の部屋のかどに追い詰められて、龍之介の体は少し震えていた。
「どうしたの?なんで逃げたの?」
「この間の仕返しにきたんだろ」
「仕返し?なんのこと?」
「花見の帰りにお前の財布を盗んだから、仕返しにきたんだろ。この刀で俺を斬ってくれよ」
「ちょっと落ち着いてよ。そんなことをするために来たんじゃないの。今朝長屋へ立ち寄ったら、大家さんがここにいるって言っていたから、様子を見に来ただけなの」
「そんなことを言って、あのチンピラやお役人様にも言うんだろ」
「誰にも言わないって約束をするから」
「かえで、この辺にしておきなさい」
つばきは私を後ろに行かせて、今度は自分が龍之介から話を聞き出そうとした。
「こんにちは、お姉ちゃんはつばきって言うの」
つばきは背負っている物干竿の刀を床に置いて、腰を低くして龍之介の目線に合わせた。
「つばき?」
「そう、それでさっき龍之介君と話していたのが、かえでと言って、そして後ろにいる金髪のお姉ちゃんがアンナって言うの。2人ともお姉ちゃんのお友達で、ちっとも怖くないよ」
つばきは顔をにこやかにして話を進めた。
「そういえば、さっきかえでお姉ちゃんのお財布を盗んだって聞こえたけど、なんで盗んだの?」
「お役人様やチンピラに言わないって約束してくれる?」
「大丈夫よ。ここにいるお姉ちゃんたち、みんな口が固いから」
「本当に?」
「おねえちゃんたちは龍之介君の味方だから、おっかないチンピラやお役人様には言わないって約束をするよ。だからお財布を盗んだ理由を教えてくれる?」
つばきは優しい表情で、龍之介から話を聞き出そうとした。
「実は俺、早くにも両親を亡くしたんだよ。生活に必要なお金がないから働き口を探したけど、誰も俺を雇ってくれなくて……」
「それで、かえでお姉ちゃんの財布を盗んだのね」
龍之介は黙って首を縦に振った。
「そのお金はどうしたの?」
「かえでお姉ちゃんのお父さんにばれて、一銭も取らなかったよ。もちろん、ちゃんと謝ったよ」
「ちなみに盗んだ財布は、かえでお姉ちゃんのだけだった?」
今度は首を横に振った。
「知らない大人たちの財布も……。その中にチンピラの財布もあった……」
「そのお金はどうしたの?」
「生活費に当てた」
「そうなんだね。龍之介君、あなたがやってきたはとても悪いことなんだよ。それに人さまのお金を盗んで生活をしても、天国にいるお父さんやお母さんは喜ばないよ」
「だから、反省して働くことにしたんだよ」
「それで、手品師の一座に入ったんだね」
「それだけじゃない。近くに農家があるから、お百姓さんのお手伝いもしているんだよ」
「それを聞いて安心した」
つばきは立ち上がって、物干竿の刀を背負って後ろにさがり、それと入れ替わるようにアンナが前に出てきた。
「ねえ龍之介君、もう人のお金を盗まないって、お姉ちゃんたちの前で約束できる?」
「うん、約束するよ」
「絶対だよ」
「うん」
それを聞いたアンナは顔をにこやかにして龍之介の頭を軽く撫でた。
その時だった。お雪さんが私たちのところにやってきた。
「あ、ここにいたんだね」
「お雪さん、どうされたのですか?」
私はお雪さんに確認するような感じで聞き出した。
「急にあなたたちがいなくなったから、ちょっとびっくりしたの」
「ごめんなさい」
龍之介は少し申し訳なさそうな顔をして謝った。
「なんで急にいなくなったの?」
「実はかえでお姉ちゃんの顔を見てびっくりしたから……」
「なんでびっくりしたの?」
「実は花見の帰りに、かえでお姉ちゃんの財布を盗んだことを仕返しに来たのかと思って……」
「ちゃんと返して謝ったんでしょ?」
「うん……」
龍之介はお雪さんの前で終始うつむいたままでいた。
「あの、そのことなら大丈夫です。財布もお金も無事だったし、それに本人も反省していましたので……」
私もお雪さんの前で自分の財布が無事であることを伝えた。
「じゃあ、練習に戻ろうか」
「うん」
お雪さんと龍之介は本堂へ戻り、再び練習の続きを始めた。
「門限もあるし、私たちもそろそろ帰ろうか」
つばきは私たちに帰るよう促したあと、本堂で練習しているお雪さんに一言挨拶をして帰ることにした。
「あの、私たちそろそろ帰らせて頂きますので」
寺を出で少し経ったあとの帰り道、長屋の近くを通ったらチンピラたちが何か悪だくみをしていた。
しかし離れた場所で見ていたので、その時のチンピラたちがどんな会話をしていたのかは知るよしもなかった。
私はチンピラたちの会話が気になり、近寄ろうとした瞬間、つばきが私の右腕をつかんで止めてきた。
「かえで、へたに関わりを持たない方がいいって」
「ちょっと気になったから……」
「いいから帰るわよ」
つばきは私の手首をつかんで家に帰ろうとした。
「じゃあ私、向こうだから」
「うん、また明日ね」
アンナも私とつばきと別れて、走るような感じで帰っていった。
3、 龍之介の女装生活
龍之介たちが久根崎の寺に引っ越してから2週間が経とうとしていた。
特に大きな変化もなく、手品の稽古や近所の農家の手伝いに励む生活を過ごしていた。
その日もみんなで畑の手伝いを終えて、お雪さんたちは本堂へ子供たちを呼び集めた。
「みんな、お疲れ。みんなにちょっとだけお知らせがあるの」
お雪さんは少しあらたまった感じで話し出そうとした。
「お雪さん、お知らせってなんですか?」
6歳くらいの女の子が気になってお雪さんに聞き出した。
「実はみんなに大事なお話をしようと思っているの」
そのとたん、子供たちはざわつき始めた。
「みんな、ちょっとだけ静かにしてくれる?」
しかし、子供たちは静かにならなかったので、少しだけ声を荒げて注意をした。
子どもたちが静かになったころを見計らって、お雪さんはもう一度話を始めた。
「すでに何人かの人は知っているかもしれないけど、龍之介君の生活はチンピラに狙われるようになったの。このままだといずれはばれてしまうから龍之介君にはしばらく変装してもらうことにしたの」
「あの、ちなみにどんな変装をさせるのですか?」
龍之介は少し不安そうな顔をして聞き出した。
「それなんだけど、龍之介君にはしばらくの間、女の子として生活をしてもらおうと思っている」
「女の子って言うと、俺に女の服を着せるのですか?」
「もちろん、そうよ」
「それって、遠回しに俺に女装させるってことですよね」
「そうよ。そうしないとチンピラに捕まっちゃうし、私たちが住んでいる場所もばれるわよ」
「もう一つ気になったけど、しゃべり方も女の子みたいにするのですか?」
「当たり前よ。そうしないとばれるでしょ」
龍之介の中では少しずつ不安が募ってきた。
「皆さんにお願いがあります。着なくなった女の子の着物がありましたら、私のところまで用意してください。私も何着か用意いたします」
お雪さんがそう言ったあと、ざわつきが広がった。
それもそのはずである。自分が着古した服などを他人に譲るとなれば抵抗を感じる人が増えてくる。特に女の子はなおさらだ。好きでもない男の子に自分のリサイクル品を譲るとなれば、当然嫌がる人が続出するに決まっている。「キモイ」、「やだあ」と言った声があとを絶たなかった。さすがのお雪さんも、こうなってしまえばお手上げとなってしまう。
「みんなの気持ちもわかるけど、これも龍之介君を助けると思って協力してほしいの」
「なら、男の子の服でいいと思います。なんで女の子の服にするのかよくわかりません」
1人の女の子は不満そうな顔をして、お雪さんに文句をぶつけてきた。
「男の子の服だと、すぐにばれるからなの」
「それなら、女の子の服でも同じだと思いませんか?」
ああ言えばこう言う。その時、今まで黙っていた拝次郎さんが口を挟んできた。
「お前たち、さっきから黙って聞いていりゃ好き勝手に不満をぶつけてばっかじゃねえか。少しは協力しようって思わねえのかよ」
拝次郎さんは声を荒げて言ってきた。
「だって、男の子が女の子の服を着るなんておかしいじゃん」
「じゃあ聞くけどよお、先日来た侍の格好をしたお姉ちゃんたちを見てどう思った?キモイって思ったか?」
拝次郎さんは女の子に顔を近づけて聞き出した。
「いえ、思っていません」
「女の子が侍の格好をしても何も感じねえのに、男の子が女の子の服を着るとなったら不満の声が出るのはおかしいよな」
「だって……」
「だってなんだ?きちんと言ってくれないか?」
「普通は男の子が女の子の服を着るなんて、おかしいじゃん」
「女の子が侍の格好をしている時には何も思わないのに、男の子が女の子の服を着るとなったとたん、『おかしい』とか『キモイ』という声が出る理由を聞かせてほしいんだけど……」
「……」
女の子はとうとう何も言い返せなくなってしまった。
「おい、さっきまでの威勢はどうした?なんで何も言ってこないんだ?ちゃんと質問に答えてほしいんだけど」
「男の子が女の子の服を着るなんて不自然だし、今までだってそんな話は聞いたことがなかったから……」
「俺から言わせれば、女の子が侍の格好をする方がよほど不自然だ」
「女の子は可愛いからいいけど、男の子が着るとキモイから……」
「じゃあ、いいことを教えてあげるよ。君の言っていることは世間では偏見って言うんだよ。しかも龍之介君が何もしてないうちからキモイって決めつけるのは、おかしいよな」
さらに拝次郎さんは、みんなの前で厳しいことを言い出した。
「龍之介君が変装で着る服なんだけど、出来ればみんなで協力をしてもらいたい。しかし、これは強制ではない。もし、どうしても協力できない人間に関しては、今後はお前たちが困ったとき何一つ手助けはしない。それでいいよな?服に関しては何も『譲れ』とは言わない。騒ぎが収まるまでの間だけ借りる形でもいい」
そのとたん、女の子たちから再び不満の声が高まってきた。
「はい、そこ不満があるなら手を挙げて言ってくれないか?」
「では、質問いいですか?」
「なんだ、答えてみろ」
「貸すのは構いません。もし汚れたり、破けが出たら弁償してくれるのですか?」
「もちろん、その時はきちんと新しい服を買ってあげるよ」
「それなら、私たちの服を借りて着るより新しい服を買ってあげるのはどうですか?」
「そうしたいのは山々だが、こっちもそんなにお金を持っていないんだよ」
「それなら私、着ない服が何着かあるので、それを貸します」
その時、別の女の子が協力に賛成するような言い方をしてきた。
「すまない、本当に感謝する」
拝次郎さんは協力してくれた女の子にお礼を言った。
翌日、女の子は自分が着なくなった服を数着用意して拝次郎さんに渡した。
「本当にすまない。」
さらにお雪さんも自分がくノ一の時、変装で使っていた服やカツラ、化粧などを用意した。
「姉さんもありがとう」
拝次郎さんは龍之介を呼んで、着替えをやらせた。
「これ、女の服だよね?本当に着替えるの?」
「そうだ。今日からしばらく、お前には女の子になってもらう」
「ええ! 嫌だよ」
「つべこべ言うな。これもお前がチンピラのお金を盗んだのがいけないんだろ。自業自得だ」
龍之介は用意された服に着替えたあと、お雪さんに化粧をしてもらい、最後にカツラを被った。
「あら、可愛い」
お雪さんはそう言って、みんなを呼び集めた。
みんなは物珍しそうに女の子になった龍之介の姿をずっと眺めて、「本当に龍之介君なの?かわいい!」とか「お人形さんみたい」など感想を言い合っていた。
「一つ気になったけど、外に出る時もこの姿なの?」
龍之介はお雪さんに確認するように言った。
「当たり前でしょ。もしチンピラに見つかったらどうする?それとも、おとなしくお役人様に自主する?」
「……」
「自首したら一生牢屋に閉じ込められるわよ。どうする?」
「牢屋は嫌です……」
「ならこの格好でいなさい」
「あと一つ気になったけど、隣の農家の手伝いする時や、お風呂の時はどうしたらいいの?」
「その時は例外よ」
「あ、そうそう。名前なんだけど、この姿になった時の龍之介君の名前ってどうする?」
お雪さんが何かを思いついたかのように名前のことを持ち掛けた。
「名前だったら、このままでいいよ」
「女の子が龍之介だなんて、おかしいでしょ」
「ねえ、お千代ってどう?」
1人の女の子が名前を考えてくれた。
「可愛い名前じゃない」
他の人も賛成したので、龍之介はしばらく「お千代」っていう名前で通すことにした。
その日から歩き方や仕草など、お雪さんを始めとする女の子たちによって徹底して指導が始まった。
「お千代ちゃん、座るときはあぐらをかかない」とか「歩くときは内股にする」など小うるさく言われ、さらにしゃべり方まで矯正されていた。
「お雪さん、この生活いつまで続くの?俺、そろそろ限界なんだけど」
「お千代ちゃん、女の子が下品な言い方をしない。それに自分を指すときには『俺」じゃなくて『私または、あたし』って教えたでしょ?」
またしてもお雪さんによる小うるさい指摘が入って、龍之介は少しウンザリしていた。
その一方で源次郎たちは外で龍之介の居場所を見つけるため、子分たちを連れて、いろんな場所で聞き込みをしていた。
最初に訪れたのは宿屋であった。
「おい、ちょっといいか」
源次郎は宿屋の主人に声をかけた。
「なんでございましょう」
「ここ何日か前に5歳か6歳くらいの男の子が来なかったか?」
「いえ、見ておりませんが……」
「間違いねえだろうな」
「本当です。ご覧の通り、客のほとんどが大人ばかりなので」
「隠していると、あんたのためにならんぞ」
「間違いございません」
「なら調べるぞ」
源次郎たちはそう言って部屋の隅々まで調べていったが、龍之介の姿は見つからなかった。
「親分、もしかしたら主人の部屋にいるかもしれねっすよ」
「可能性はあるな」
「よし、主人の部屋へ行くぞ」
源次郎は子分に主人の部屋へ行くよう促した。
「おい、主人。お前の部屋へ案内しろ」
「それは困ります。手前どもの部屋は客人にお見せできませんので」
「ということは、れいのガキをかくまっているってことだな」
「そういうわけではありません」
「なら、今すぐ案内しろ。でないと代官を呼ぶぞ!」
源次郎たちはそう言って主人に自分の部屋を案内させた。
中へ入ると、女将さんがお茶を飲んでくつろいでいた。
「あなたたちは、いったい誰なんですか?」
女将さんは驚いた表情で源次郎たちを見ていた。
「おい女将、この部屋に5歳か6歳の男の子が来ていねえか?」
「いえ、この宿屋にはおりません」
「押し入れに隠してねえか、調べさせてもらうぞ」
源次郎たちは問答無用で押し入れや庭などを調べていったが、まったく見つからなかった。
「親分、他を当たりますか?」
「そうだな。おい、世話になったな。もし見かけたら須田組を尋ねろ。俺はそこの組長で、須田源次郎だ」
源次郎はそう言い残して、子分を連れて宿屋をあとにした。
「親分、他に行ってない場所と言えば……」
「久根崎の周辺か……」
「しかし、あの周辺は家などほとんどありませんよ」
「逆の言い方をすれば、ああいう場所に身を潜めている可能性が高いってことだよな」
「じゃあ行ってみますか?」
「そうだな。よし、行ってみるか」
源次郎たちが向かった時にはすでに日没前だった。
「おい、あそこに百姓がいるから聞いてみるか」
「そうだな」
源次郎たちは吉右衛門さんの所へ行き、龍之介の居場所を聞き出すことにした。
「おい、そこの百姓。この辺に5歳か6歳の男の子を見なかったか?」
「はて、見ていないなあ。なんせ、この辺は人が少ないから」
「間違いないだろうな」
「ここ数年、ずっと畑の仕事に励んでいたので……」
「ちょっと家の中を調べさせてくれないか?」
「それは構いませんが……」
「ちょっとばかり調べるぞ」
源次郎たちは容赦なしに部屋の隅々まで調べたが、やはり見つからなかった。
「ここにもいませんね」
「そうだな」
「どうします?」
「今夜は暗くなっちまった。明日もう一度出直すぞ」
源次郎たちは今一度、確認をするかのように吉右衛門さんに聞き出した。
「おい百姓、この辺で住んでいるのはお前だけか?」
「あとは少し離れた場所で、八十吉と言う人が住んでいる。もしかしたら何かわかるかもしれねえ」
「わかった。そいつを尋ねればわかるんだな」
「そこまではわかりません」
吉右衛門さんは少し震えた声で返事をした。
「よし、明日また出直すぞ」
その時、源次郎たちが吉右衛門さんの家を出たところを拝次郎さんは目撃したのであった。
「あいつら、ついにここまで来たのか……」
拝次郎さんはすぐにお雪さんたちに報告をした。
「姉さん、連中がついにこの近くまで来ましたよ」
「連中って、もしかしてあの時のチンピラ?」
「うん。龍之介君を探しにここまで来たんだよ」
「だとすると、うかつに目立つような行動は出来ないわね」
お雪さんは右手の親指を噛みながら、悔しそうな顔をしていた。
「だとしたら、私たちも変装する必要があるかもしれない」
「まて、俺たちまでが変装すると余計に目立ってしまう」
「でも……」
「ここは少し様子を見よう」
お雪さんは拝次郎さんの言葉に今一つ納得出来ない顔をしていた。
「わかった、そうしましょ」
お雪さんは無理やり自分に納得させた。
その時、お千代の姿になっていた龍之介がやってきた。
「お雪さん、今の話って本当なの?」
「今の話って言うと?」
「この間のチンピラが来たっていう話」
お千代は険しい表情になって、お雪さんに聞き出した。
「昨日、兄さんが言うには、あのチンピラが吉右衛門さんの家に来たらしいのよ。ただ問題は吉右衛門さんがあのチンピラに話したかどうかだよね」
「じゃあ、私が行って確認してくる」
「だめよ。お千代ちゃんは家にいてちょうだい。ここは私が行って確認してくる」
お雪さんはお千代にそう言って吉右衛門さんの家に向かった。
まだ誰も来ていない。そう思ったお雪さんは1人吉右衛門さんの家に入った。
「ごめんくださーい」
「やあ、お雪さんじゃないか。どうしたんだい?」
吉右衛門さんは穏やかな表情でお雪さんに応じた。
「実はつかぬことをお伺いしたいのですが……」
「それで伺いたいこととは何かね?」
「実は弟からチンピラ数人がこちらにやってきたと聞いたのですが……」
「ああ、来たよ。龍之介君のことをうるさく聞いてきたから、知らないふりをしたよ」
「そうなんですね。ありがとうございます」
「いやあ、礼には及ばぬよ。わしもあのチンピラは迷惑だと思っているから」
「それと龍之介君のことですが、しばらくわけあって手伝いには来られなくなりました」
「別に構わんよ。落ち着いたら、またここで手伝ってもらえればいいから」
吉右衛門さんはキセル(昔のタバコ)を取り出して、一服し始めた。
「一応それだけです」
「そうかい、じゃあ何かあったら来てくれよな」
「ありがとうございます。それとチンピラが来ても私たちが寺にいることは黙っておいてください」
「ああ、わかっておる」
「それでは失礼します」
お雪さんはそう言い残して寺に戻った。
その一方、何も知らない私たちは母さんから渡された饅頭の入った木箱が包まれている風呂敷を抱えて、龍之介のいる寺へと向かった。
本堂の中を覗いてみると、見慣れない女の子がいたので、私は少しだけびっくりした。
何なの今の子、可愛い。
しかし、その時の私は龍之介の変装とはまったく知るよしもなかった。
私は玄関の扉を開けてお雪さんを大声で呼んだ。
「ごめんくださーい」
「はーい」
すると部屋の奥からお雪さんが出てきた。
「あら、かえでちゃんたち、こんにちは」
「お雪さん、こんにちは。これ母からの差し入れなんです。よかったら皆さんで召し上がってください」
私は風呂敷をほどいて、饅頭の入った木箱を差し出した。
「まあ、ご丁寧にありがとう」
お雪さんは饅頭の入った木箱を抱えて、私たちを部屋の奥へと案内した。
「今、お茶を入れてきますからね」
「そんな気を使わなくていいです」
お雪さんはそう言ったあと、台所へ向かい、私たちに出すお茶を用意し始めた。
お雪さんがお茶を入れている間、私は外にいた赤い着物を着た女の子のことが気になって仕方がなかった。
「かえで、どうしたの?」
「……」
「かえで?」
「……」
つばきは、ずっと外を見ている私に声をかけていたが、反応がなかったので、右の手のひらを顔の前で上下させた。
「あ、何?どうしたの?」
「『どうしたの?』じゃないわよ。さっきから声をかけているのに」
「あ、ごめん。ちょっと気になったことがあって……」
「気になったこと?」
「うん」
「それで、気になったことって何?」
「実はさっき外に赤い着物を着た見たことのない女の子がいたの」
「見たことのない女の子?」
つばきとアンナは私と一緒に縁側に出て、赤い着物の女の子を探し始めた。
「いないじゃない」
つばきは私に不満をぶつけるような感じで言ってきた。
「もしかしたら、近所の女の子じゃない?」
アンナも便乗するような感じで言ってきた。
「でも化粧していたわよ」
私は納得いかない顔をして言い返した。
「その女の子って、もしかしたら普段からおめかしをするのが好きなんでしょ」
つばきは少し冷たい感じで私に言った。
「お茶が出来上がりましたよ」
その時、お雪さんが私たちにお茶を運んできた。
「ありがとうございます」
私は出されたお茶を一口飲みながら、お雪さんに赤い着物の女の子について聞き出した。
「あの、一つお伺いしてもいいですか?」
「なんでしょう」
「さっき庭にいた赤い着物を着た女の子は誰なんですか?」
「すぐにわかりますよ」
お雪さんはクスクスと笑いならら、私に返事をした。
「すぐにわかるって言われても……。いったい誰なんですか?」
「かえでちゃんたちが知っている人ですよ」
私たちがお雪さんと一緒にお話をしているころ、玄関から赤い着物を着た女の子がやってきた。
「お千代ちゃん、かえでちゃんたちだよ」
「こんにちは、お千代と申します」
お千代は私たちに行儀よくおじぎをして、挨拶をしてきた。
「こんにちは。初めまして、宮本かえでだよ。よろしくね」
私はにこやかな表情で、お千代に返事をした。
「こんにちは、始めまして」
お千代は少し緊張した表情で、私たちの前で挨拶をした。
「お千代ちゃん、こんにちは。佐々木つばきだよ」
つばきも顔をにこやかにして挨拶をした。
「お千代ちゃん、こんにちは。アンナ・フルニエだよ。よかったら仲良くしてね」
アンナも便乗してお千代に挨拶をした。
「こちらこそ、よろしくです」
「お千代ちゃん、そろそろ種明かしをしたら?」
横にいたお雪さんがお千代に正体を明かすよう言った。
お千代はカツラを外し、化粧を落として素顔を見せた。
「龍之介君!」
私は思わず大きな声を上げてしまった。
「なんで女の子の格好をしているの?」
つばきも納得のいかない顔をして聞き出した。
「私、龍之介君が化けていたなんて知らなかった」
アンナもびっくりした顔で反応していた。
「みんな落ち着いて、私からちゃんと説明をするから」
お雪さんはみんなを落ち着かせてから、説明を始めた。
「みんなは、なんで龍之介君が女装してお千代って名前で暮らしていることに疑問に感じていたかもしれないけど、これには理由があるのです。実はこの間、れいのチンピラたちがこの近くに住んでいる農家の吉右衛門さんの家を尋ねて龍之介君の居場所を聞いてきたのですが、吉右衛門さんは何とか隠し通したって感じでした。しかし、連中がここへやってくるのも時間の問題だったので、龍之介君には申し訳ないけど、しばらくし女装してお千代って名前で暮らしてもらおうと思ったのです」
「そうなんですね。例えばなんだけど、お奉行様に訴状を出すっていうわけにはいかないのですか?」
私はお雪さんにお奉行様に訴状出すことを提案した。
「それも考えたけど、チンピラの背後にはお代官様がいるし、それに何よりも龍之介君には財布を盗んだ前科もあるから、簡単には動いてくれそうにないんだよ」
「難しいですね」
その時、隣にいたつばきが難しい表情で考えていた。
「つばき、どうしたの?さっきから難しい顔をして」
「龍之介君が女装するのは構わないとしても、それがいつまで持つかだよね」
「どういうこと?」
「かえで、まだわからないの?龍之介君の女装だって、いつかはチンピラにばれると思うよ」
「確かに言えているわね」
お雪さんは、つばきの意見に納得していた。
「でもさ、何もしないでいるよりかはマシなんじゃない?」
今度はアンナまでが口を挟んできた。
「でも今、それを考えても始まらないし、少し様子を見てもいいんじゃない?」
「確かにそうだよね」
お雪さんは私の意見に少し納得したような顔をして返事をした。
元の姿に戻った龍之介は私たちの所にやってきた。
「ねえ龍之介君、このまま騒ぎが収まるまで、女の子としていられる?」
お雪さんは少しあらたまった感じで、龍之介に確認をするような言い方をした。
「うん、大丈夫だよ」
「本当に?」
「これからしばらく『お千代ちゃん』として生きていくんだよ」
「それくらいの覚悟は出来ているよ」
「どこへ行くにしても『お千代ちゃん』って呼ばれるんだよ。それでもいい?」
「うん。ただ、一つだけ気になったことがあるんだけど……」
「何?」
「途中で変装がばれないかってこと」
「それなら大丈夫だよ。私元くノ一だから、その経験を活かして可愛くするし、髪型もカツラだってばれないように工夫してあげるから」
「ありがとう」
「私、幼少期の時に着ていた服があったはずだから、次来た時に貸すよ」
私はふと何かを思いついたようにお雪さんに言い出した。
「ありがとう。その気持ちだけ受け取っておくね。服なら私たちのお古で間に合っているから」
「そうなんだ」
「折角だけど、また今度にしてくれる?」
「うん」
それを聞いた私は少しだけテンションが下がってしまった。
「かえで、あんまり長居をすると迷惑だし、私たちにも門限があるから、そろそろ帰ろうか」
つばきは私とアンナに帰るよう、促してきた。
「そうだね」
「お雪さん、私たちそろそろ失礼させてもらいますね」
「いえ、なんのお構いも出来なくて、すみませんでした」
私たちはお雪さんに見送られながら、家に帰って行った。
4、 最初の刺客が現れる。
5月もそろそろ終わりを告げようとしたある日のことである。
その日は朝から雨が降っていて、お千代の姿になれた龍之介は寺に置いてあった番傘を借りて、お雪さんのおつかいを頼まれて、砂子にある飾り職人がいる店へと向かった。
雨はうっとうしいほどジトジトと降っていて、足元が悪い中を1人で歩いていった。
飾り職人の店に着くと、お千代は傘をたたんで入口で雨水を切ったあと、中に入った。
「ごめんくださーい」
しかし、声が小さかったせいなのか、誰も反応がなかった。
今度は大きめの声で「ごめんくださーい」と店の人を呼んだ。
すると、店の奥から「はーい」という若い男性の声が聞こえてきた。
「へい、いらっしゃい」
「こんにちは。今日はお雪さんの用で来ました」
「お雪さん……。ああ、もしかして雪村つばめさんのこと?」
「そうです。実は頼まれていた髪飾りを引き取りに来たのですが……」
「はい、ただいまご用意します」
若い男性は店の奥から小さな木箱を用意して、お千代の前で木箱のふたを開けて見せた。
「こちらで間違いないですね」
「はい」
若い男性はそのまま髪飾りの入った木箱をお千代に手渡した。
「ありがとうございます。あのお代は?」
「お代なら先日お雪さんからちょうだいしたので、結構でございます」
「わかりました、ありがとうございます」
お千代がそう言って店を出ようとした瞬間、若い男性が「ちょっと待ってほしいんだけど……」と言って引き留めた。
「まだ何か?」
「いやあ、用っていうほどではありませんが、この辺でスリの被害が出ているみたいだから、気を付けた方がいいですよ」
「そうなんですか」
「下手人(犯人)はお嬢ちゃんと同じくらいの年齢で、まだ捕まっていないみたいなんだよ」
「そうなんですね」
「ああ。それに手前(私)も以前、財布を盗まれてしまったので……」
その時、お千代は罪悪感を覚え、胸が少し苦しくなっていた。
「その下手人(犯人)も早く捕まるといいですね」
「そうだな。お嬢ちゃん、この辺歩くときは充分気を付けてね」
「ありがとうございます」
「そういえば、お嬢ちゃんはどちらから来たの?」
「私は久根崎から来ました」
「随分と寂しい場所から来たんですね。気を付けて帰ってください」
お千代はそのまま番傘を広げて店をあとにした。
お千代が店を出て少し経ったあと、源次郎の一味が店の中へ入ってきた。
「おい、何か情報が入ったか?」
「お雪っていう女が、久根崎にいることが判明しました」
「お雪っていうと?」
「おそらく旦那に刀を向けた女と同一人物の可能性が高いですよ」
「言われてみれば……」
「親分、もう一度久根崎に行ってみますか?」
子分の1人が久根崎に向かうことを勧めた。
「まて、今俺たちが行くと警戒されてしまう。代わりを行かせよう」
「代わりと言いますと?」
「俺に考えがある。旦那、世話になったな。これは俺からの情報提供料だ」
「ありがとうございます」
源次郎は店の入口に小判を一枚置いていなくなっていった。
店を出て数分したあと、源次郎たちは団子屋のある方角へと向かった。
店の中では背の高い浪人侍が、お茶を飲みながら団子を食べてくつろいでいた。
「待たせてすまなかったな」
源次郎は肩にかかった雨水を手ぬぐいで拭きながら団子を食べている浪人侍に一声かけた。
「なに、気にすることはないよ。俺もそんなに待っていないから」
浪人侍は団子の串をくわえながら軽く返事をした。
「親分、こちらの人は?」
子分は初めて会う浪人侍に少しびっくりしたような顔をして、源次郎に聞いた。
「まだ紹介がまだだったな。こちらは杉田良之助と言ってな、見てのとおり浪人侍だ。剣の腕もなかなかだよ」
「よろしくな」
「へいっ、こちらこそ」
「お前たちも団子食うか?」
「手前どもはそんなに空腹ではありませんので」
「ならターゲットの場所を教えろ」
良之助は店の人にお金を渡したあと、源次郎たちと一緒に久根崎へと向かった。
「源次郎、随分と寂しそうな場所だな」
良之助は源次郎に不満をぶつけるような顔をして呟いた。
「この辺にいるのは確かでございます」
「間違いないだろうな」
「それを言われると自信がないのですが……、ただ何と申しますか……、こういう人の少ない場所でしたら身を隠すにはちょうどいいかなと思いまして……」
「それはお前の感想だろ。俺が聞いているのはここにターゲットがいるかどうかの問題だ」
「失礼しました」
「おい、そこに百姓の家があるから中へ入るぞ」
良之助は源次郎たちを連れて吉右衛門さんの家に入った。
引き戸を勢いよく開けて、良之助は吉右衛門さんに近寄って、龍之介の居場所を聞き出した。
「おい、もう一度聞きたいんだが、ガキの居場所を教えろ」
源次郎は顔を近寄らせて、改めて問い詰めた。
「わしは本当に何もしらん」
「間違いねえだろうな」
「おい、本当のことを言え」
源次郎が聞いたあと、良之助も便乗して聞き出した。
「知らないものは知らない」
「なら仕方がねえな」
良之助は刀を抜いて吉右衛門さんの顔に向けた。
「こんな物騒なものを向けらても、知らなものは知らない」
「本当のことを言わないと斬るぞ」
「斬りたかったら斬れ。何度も言うが、知らないものは知らない」
「どうやら、本当に知らないみたいだぜ」
良之助は少し諦めた感じで言った。
「世話になったな」
良之助は源次郎たちを連れて、次の場所へと向かうことになった。
「おい、源次郎の旦那、他に当てがあるのか?」
良之助は少し不機嫌な表情で源次郎に言った。
「実はもう一軒ありまして……」
「よし、そこへ案内しろ」
その時、後ろからお千代の姿が見えてきた。
お千代は源次郎たちの姿を見て、一瞬驚いた表情になった。
源次郎はお千代の気配に気がついて後ろを振り向いた。
「お嬢ちゃん、ちょうどいいところへやってきた。おじちゃんたち、人を探しているんだけど……。年や背丈もお嬢ちゃんと同じくらいくらいで……」
「いえ、見たことがありませんわ」
「男の子で、紺色の服を着ていたんだけど……」
「私、この近くに住んでいるのですが、見たことがありません」
「そうかい。しばらくこの辺を探しているから何か思いついたことがあったら教えてくれ」
源次郎たちはそう言い残して、八十吉の家に向かった。
八十吉の家に向かった源次郎たちは、誰もいないことに驚いていた。
「おい源次郎、誰もいないじゃないか」
「先日ここに来た時には八十吉という者がいたのですが、あいにくいないみたいで……」
「雨なのに出かけたというのか?」
「そこまで把握しておりません」
「なら、中で待たせてもらうぞ」
良之助は傘をたたんで中へ入ってみると、中央に囲炉裏だけがあって、あとはガラーンとしていた。
「何もない部屋じゃないか。仕方がないからここで休ませてもらうぞ。お前たちも少し休め」
良之助は腰の刀を抜いて、そのまま横になったあと、源次郎たちも囲炉裏の近くで眠ってしまった。
しばらくすると、カゴを抱えた八十吉が戻ってきた。
「おやあ、お前たち人の家で何をしてる?」
八十吉は良之助や源次郎たちが休んでいることに、驚いた表情を見せながら起こしてしまった。
「おい、誰だ?俺を起こした奴は?」
良之助は少し眠い目をこすりながら起き上がり、周りを確認した。
「お侍さん、目を覚ましましたか?」
八十吉は優しく良之助に声をかけた。
「お前は誰なんだ?」
「あっしはここの家の主で八十吉と言います。お侍さんたちは、どういったご用件で来られたのですか?」
「実は人を探しているんだが……」
「人と言いますと?」
「5歳か6歳の男の子で、背丈はこれくらいだ」
良之助は手を腰の部分に当てながら言った。
「これくらいの背丈の子供は見たことがないですね。今日もお代官様の所に野菜を届けてきたばかりなので……」
「今日でなくてもいい。別の日に会ったことはないか?」
「この辺では見たことはないですね」
「あと、この近くに人が住んでいる場所はないか?」
「さあ、どうでしょう」
「寺とか神社とか……」
「見たことがないです」
「正直に言うんだ。でないと斬るぞ」
良之助は吉右衛門さんの時と同様に刀を向けて威嚇をしてみたが、八十吉は何も言わなかった。
「八十吉の旦那、本当は知っているんでしょ?正直に吐いた方がいいですぜ」
今度は源次郎も耳元でささやくような感じで言ってきた。
「斬りたかったら斬れ。知らないものは知らない」
「よし、わかった」
良之助は問答無用で八十吉を斬りつけてしまった。
「良之助、何も斬ることはなかったのでは……」
「人に嘘をつくからこうなった。俺は閻魔様に代わって成敗をしたまでだ」
源次郎は良之助の言葉にこれ以上、何も言えなくなってしまった。
その頃、お千代は近くで源次郎たちに会ったことを、お雪さんに話していた。
「えー! 会ったの?それで、なんて答えたの?」
「知らないと答えた」
「でも、安心出来ないわね」
「ここへ来るのも時間の問題だと思うよ」
お雪さんの表情は少しずつ険しくなっていた。
「そうなった時に備えて、お千代ちゃんには今日から少しの間だけ、かえでちゃん、つばきちゃん、アンナちゃんのいずれかの家に泊まってもらうことにしよう」
「でも、手品はどうするの?」
「それどころじゃないでしょ。お千代ちゃんは3人の家のどれかに避難しなさい」
「わかった」
「わかったら今から荷物をまとめて、避難する準備をしてちょうだい」
お千代はお雪さんに言われて自分の部屋に向かい、荷物をまとめ始めた。
ちょうどその時、吉右衛門さんが血相変えて、お雪さんの所へやってきた。
「お雪ちゃん、驚かないで聞いて欲しいんだけど……」
吉右衛門さんは少し息を切らせながら、お雪さんに言いかけようとした。
「どうされたのですか?」
「実は少し離れた所に住んでいる八十吉が、何者かによって斬られていたみたいなんだよ」
「なんですって!?」
「今、お役人さんが来て調べているところだよ」
「吉右衛門さん、最近この近くで怪しそうな人を見かけませんでしたか?正直におっしゃってもらいたいんですけど」
吉右衛門さんは少し間をあけてからしゃべりだした。
「実はチンピラと浪人侍がやってきて、龍之介君の居場所を聞き出してきたんだよ。しかしワシはしゃべったら申し訳ないと思って、ずっと隠し通してきたんだよ」
「それで何かされませんでしたか?」
「浪人侍が刀を向けてきたけど、特に斬られることもなく去っていったよ」
「もうじきここへやってくるわね。吉右衛門さん、情報をありがとうございます」
「いやあ、ワシに出来るのはここまでだから。じゃあ、そろそろ帰らせてもらうよ」
吉右衛門さんはそう言い残して、家に帰っていった。
そのあと吉右衛門さんと入れ替わるかのように、私たちが寺の中へと入ってきた。
「お雪さん、こんにちは」
「かえでちゃんたちこんにちは。調度いいところへ来てくれたわね」
「どうされたのですか?」
お雪さんは一瞬、私たちから少し目をそらすような感じで話を始めた。
「実はあなたたち3人にお願いがあるの」
「そのお願いとは何ですか?」
お雪さんは険しい表情で、重たい口を開けて言葉を切り出した。
「実はお千代ちゃんをあなたたちの家に預かってほしいの」
「そうしたいのは山々なんだけど、あいにく私のところは門下生が多いから……」
その時、つばきが私の横っ腹を数回ひじでつついた。
「つばき、どうしたの?」
「少しは空気を読みなさいよ」
お雪さんは困った表情で私の顔を見つめていた。
「お雪さん、私の家は寺で、和尚様と2人きりだから気兼ねしなくても大丈夫ですよ」
今度はアンナが横から口をはさんできた。
「アンナちゃん、大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ」
「じゃあ、お願いをしてもいい?」
「任せてください」
アンナは何のためらいもなしに、すんなりと返事をしてしまった。
「お雪さん、龍之介君を一時的に私たちが世話をするのは構いませんので、よかったらその理由を教えてくれますか?」
私は再びお雪さんになぜそうなったのかを聞き出すことにした。
「実はあなたたちが来る数分前、隣の吉右衛門さんから近くに住んでいる八十吉さんが殺害されたと言う情報が入ってきたんだけど、犯人はおそらくチンピラと浪人侍だと思うの。この寺にも、もうじきやってくると思うから、その間だけ3人の家にかくまってほしいのです。無理を承知した上でのお願いです」
お雪さんは涙目で訴えかけるような感じで私たちに言ってきた。そして最後は頭を下げる始末。
私とつばきは家が道場で、門下生も同居しているから部屋は余分にあるので、本音としてはかくまってあげたい所だったが、自分で判断が出来ない以上、やはり両親の許可が必要となった。
困った表情をしていた私とつばきを見たアンナは何のためらいもなく、お千代を寺でかくまうと言い出した。
「よろしくお願いします」
お千代は大きな風呂敷を抱えて、小さくボソっとアンナに呟くように言って、出発しようとした。
「よろしくね」
アンナもにこやかな表情を見せて返事をした。
「では、お千代のことをよろしくお願いいたします」
お雪さんは私たちにおじぎをして、玄関で見送ってくれた。
その直後だった。
良之助はついにお雪さんたちがいる寺に入ろうとしていた。
「おい、源次郎の旦那。この寺、気にならなかったか?」
良之助は源次郎に確認を取るかのように言ってきた。
「と、言いますと?」
源次郎の頭は、まだわかっていないようであった。
「まだわからないのか。あの寺にお前さんが探しているガキがいるかもしれないんだぜ」
「またまたあ、ご冗談を。こんな古びた寺にガキが住んでいるなんて、おかしいですよ」
「中に入って調べたか?」
「中に入るまでもありませんよ。こんな古びた寺なんて、せいぜいいるのは幽霊だけですよ」
「では、幽霊かどうか調べてみるか?」
良之助は問答無用で寺の中へ入ると、今度は玄関の引き戸を勢いよく開けて、そのまま土足で部屋の中へ入っていった。
「何かご用ですか?」
お雪さんは良之助を見るなり、一声かけた。
「ちょい聞くが、ここに5歳か6歳くらいの子供はいないか?」
「他に特徴はありませんか?」
「男の子だ」
「そう言われても……」
お雪さんが少しオドオドした感じで返事をした瞬間、「何かお困りごとでもあるのですか?」と源次郎が顔をニヤつかせながらやってきた。
「あなたはあの時の……」
「そうですよ。あの時はすっかり世話になったな。俺はお前さんの居場所を探すのに苦労しましたよ。さあ、おとなしくガキを引き渡してもらいましょうか」
「あいにく、あなたの探している人はここにはいません」
「なら、どこにいるのですか?」
「知りませんよ」
お雪さんは震えながら返事をした。
「お嬢さん、さっきから震えているみたいだけど……」
「本当に知らないわよ」
「お前ら、この寺を隅々まで探せ」
源次郎は子分たちに境内や部屋の隅々まで探すよう命令をした。
何も知らない拝次郎さんは、外出から戻ってくるなり源次郎たちの姿を見て驚いていた。
「姉さん、これはどういうこと?」
「連中がやってきて、いきなり『ガキはどこにいるんだ?』と言ってきて部屋の中を荒らしてきたの」
「そういえば、龍之介君はどこにいるんだ?」
お雪さんは拝次郎さんの耳元でそっとささやくように、アンナの家でかくまってもらっていることを話した。
「そのことは連中は知っているのか?」
「まだわからない」
「わかった。連中がいなくなるまで黙っておこう」
「それと、もう一つ悪い知らせがあるの」
「何?」
「実は八十吉さんが、あの連中に殺されたの」
「なんだって!」
拝次郎さんは悔しそうな顔をしながら、源次郎たちの姿を恨めしそうに見ていた。
「姉さん、俺思うんだけど、龍之介君って俺たちの疫病神じゃないのか?そうでもなきゃ、連中に襲われることもなく、八十吉さんだって殺されることはなかった」
「それはちょっと間違っているわ」
「だって龍之介君が連中の財布を盗んだから、こうなったんだろ。姉さんだってそうだ。龍之介君がスリをやっているとわかっておきながら、俺たちと同居させた」
「じゃあ、何?拝次郎は龍之介君をそのままお役人様に引き渡せばいいって思っているの?」
「だって、そうじゃないか。俺たちは関係ないのに、こんなトラブルに巻き込まれて、本当にいい迷惑だよ」
その時、お雪さんは拝次郎さんの頬を強く叩いた。
「勘違いしないで。龍之介君はもう他人じゃなくて家族なんだから、守ってあげて当たり前じゃない!」
拝次郎さんはお雪さんに頬を強く叩かれたのがショックだったのか、しばらく頬を抑えながら呆然としていた。
「お嬢さんたち、お取込み中のところ申し訳ないんだけど、ガキの居場所を正直に話してくれないか?そうでないと、こちらにいるお嬢ちゃんを人質として預からせてもらうよ」
源次郎とその子分は4歳くらい女の子を捕まえてお雪さんの前に現れた。
「花代ちゃん!」
「お姉ちゃん、助けて!」
お雪さんは自分の部屋にある刀を取り出して、源次郎を斬りつけようとした。
「おっと、そんなことをしていいのかな。俺様に刀を向けるとどうなるか、わかっているんだろ?さあ一思いに斬れよ」
お雪さんが斬ろうとした瞬間、子分は小刀を取り出して花代ちゃんの首に突き付けた。
「さあ、どうする?この刀で俺たちと勝負するか、それとも本当のことを話してスッキリするか。どちらかにしろ」
「知らないわよ。私がちょっと外に出ている間にいなくなったんだから」
「本当のことを話せよ。でないと、このガキの首に刃物がグサっといくぜ」
「卑怯よ!こんなことをしても知らないものは知らないんだから!」
「じゃあ、聞くけどよ。さっきここにいる男に耳元でなにかささやていたな。何を言っていたんだ?」
「あんたには関係ないわよ」
「よし、やれ」
子分が花代ちゃんの首を斬りつけようとした瞬間、良之助が「待て、やめろ」と止めに入った。
「どうしたのです?」
「とりあえず、このガキを連れてアジトへ戻るぞ」
「わかりました。おいお前ら、このガキを返してほしかったら須田組まで俺の財布を盗んだガキを連れてこい。でないと、このガキの命はないからな」
源次郎たちはそう言い残して帰っていった。
あれから数分が経ち、2人は部屋で黙って座ったままでいた。
「やっぱ、龍之介君は疫病神だったんだよ」
「拝次郎、まだ言うの?」
「だってそうじゃないか。八十吉さんが殺されたのも、花代ちゃんが人質にされたのも、みんな龍之介君が来てからじゃないか。それでも姉さんは龍之介君をかばい通すの?」
「そうじゃないけど……」
「もし、このまま龍之介君と同居すると言うのであれば、悪いけど一座から抜けるし、姉さんとの縁も切らせてもらうよ」
拝次郎さんは自分のストレスが限界にきていたので、これ以上は何も言わず部屋へ戻って行った。
翌日、お雪さんはアンナのいる禅昌寺へ向かい、お千代の様子を見に行くことにした。
「こんにちは、お千代ちゃんいる?」
お雪さんは境内を掃除しているアンナに声をかけた。
「お雪さん、こんにちは。今部屋にいるから一緒に来てくれないかな」
アンナはお雪さんを連れて2階の部屋へと案内した。
中へ入ると、お千代の姿になっていた龍之介が本を読んでいた。
「お千代ちゃん、こんにちは」
「お雪さん、こんにちは」
「元気そうだね。こっちの暮らしには慣れた?」
「うん。アンナちゃんと和尚様から親切にしてもらっているよ」
「それならよかった。でもずっとその親切に甘えたらだめだよ。空いている時間には手品の練習もするんだよ」
「うん、わかっているって」
「それで、今日ここに来たのは2人に大事な話があるの」
お雪さんは険しい表情を見せて話を続けた。
「実は昨日、花代ちゃんがチンピラに連れていかれていたの。それだけじゃない。近所に住んでいる八十吉さんまで殺されたの」
「それって、みんな私のせいだわ。私、あのチンピラのアジトへ行ってくる」
お千代は急に立ち上がって出かける準備をした。
「待って、あなた1人で行ったところで何になるの?」
お雪さんは出かけようとしたお千代を引き留めた。
「だって、私のせいで八十吉さんが殺されたり、花代ちゃんがチンピラにさらわれたんでしょ?」
「確かにそうだけど……」
「だったら私がチンピラの場所へ行けば、すべて丸く収まるんでしょ?」
お千代が行こうとした瞬間、アンナはお千代の右腕をつかんで引き留めた。
「待ちなさい。あなたが行ったところで、あのチンピラが大人しく花代ちゃんを返してくれると思ってるの?」
「……」
お千代はアンナの言葉に何も言い返せなくなった。
「少し落ち着いて。これは連中があなたをおびき寄せるための罠なの。あなたが連中のアジトへ行けば、あなたまで捕虜にされちゃうよ。それでもいいの?」
「それで、花代ちゃんが解放してくれるなら……」
「お千代ちゃん、まだわかっていないみたいだね。連中の目的は人質を増やすことなんだよ。あなたが行ったところで、このまま花代ちゃんを返してくれるわけがないでしょ?少し冷静になって考えてちょうだい」
お千代はアンナに言われ、少し考えこんだ。
「ねえ、花代ちゃんを連れ戻したい気持ちはわかるけど、ここは一つ私たちに任せてくれない?」
「アンナちゃんたちに?」
「余計なおせっかいなのは承知だけど、ここは私たちにやらせてよ」
「私たちっていうと……、もしかして、かえでちゃんやつばきちゃんたちのこと?」
「そう。ああ見えてもあの2人結構強いんだよ」
「でも、ここはお役人様に頼んだ方がいいのでは……」
「ああ! もしかして私たちのこと信用してないでしょ?へこむなあ」
「そういうわけじゃないけど……」
「じゃあ、決まりだね」
アンナが話をまとめた瞬間、お雪さんも便乗するかのように仲間に加わることになり、花代ちゃんの救出作戦に一歩踏み出そうとしていた。
5、 新たな事件
翌日のことであった。私とつばき、そしてお雪さんがアンナやお千代のいる禅昌寺に集まり、作戦を立てようとしていた。
目の前のお茶を飲みながらみんなは「うーんうーん」とうなってばかりで、話がいっこうにまとまる気配がなかった。
「すべての原因は私なんだし、これから須田組へ行ってくるよ」
「場所わかるの?」
お雪さんは表情を曇らせながらお千代に言った。
「誰かに聞けばわかると思うから」
「あなたが行ったところで、本当に花代ちゃんが戻ってくると思っているの?」
「だって、私がスリをやったのがすべての始まりだったから……」
「気持ちはわかるけど、焦ったところでどうすることもできないよ」
アンナも横から意見を出してきた。
「でも……」
お千代は自分のやってきたことに対して責任を感じていたのか、自分の力で助けようと考えていた。
「お千代ちゃん、落ち着いて。確かにあなたがしてことは決して褒められることではない。だからと言って、全部責任を背負うのも褒められることではないよ」
今度はつばきまでが、口を挟んできた。
「ここはみんなで何か作戦を立てようよ」
「うん……」
お千代はつばきに言われて、仕方なしに首を縦に振って返事をした。
「敵って、どれくらいいるの?」
私は残ったお茶を飲み干したあと、お雪さんに確認を取るような感じで聞いた。
「3人か4人くらいだったかな」
お雪さんは指折り数えながら、私に返事をした。
「3人か4人なら私1人で楽勝よ」
「待って、敵はもっといるかもしれないよ」
つばきが私の安直な考えにストップをかけてきた。
「それに先日来たチンピラの中には浪人侍がいて、かなり手ごわそうだったよ」
今度はお雪さんまでが、便乗するような感じで私に言ってきた。
「なら、その前に偵察をする必要があるわね」
アンナが私たちに提案をしてきた。
「どうやって偵察をするの?」
つばきはアンナの提案に疑問を感じながら聞き出した。
「だったら私に考えがあるわ。私、元くノ一だし、町娘に変装して行けばいいのよ」
お雪さんは自信たっぷりに私たちに言ってきた。
「変装用の服ってあるの?それに私、金髪だから目立っちゃいそう」
アンナは少しだけ心配そうな顔をお雪さんに見せた。
「その点は大丈夫よ。ちゃんとカツラもあるから」
「ありがとう」
「一度、みんなで久根崎の寺に行こうか」
お雪さんは一度、私たちに久根崎の寺に戻るよう言い出した。
久々に戻ったお千代はテンション高めになって、寺の境内を眺めていた。
「少し離れただけだったのに、何だか懐かしいものを感じるわ」
お雪さんはお千代ちゃんが懐かしがっているのを見て、クスクスと笑っていた。
そのあと、私たちはお雪さんの部屋に案内されて、着物に着替えてメイクをして、最後にカツラを被った。
私が青、つばきとお千代が赤、アンナは黄色、お雪さんは紫色の着物を選んで街に出てアジトの場所を探し始めた。
「お千代ちゃん、場所わかる?」
「場所ってどこの?」
「だから、須田組の場所よ」
「あ、そうだった」
「知っているの?」
「ううん、知らない」
私はお千代がてっきり須田組の場所を知っていると思ったので、知らないと聞いた時には、思わずずっこける始末になってしまった。
こまったなあ。そう思って歩くこと数分、私たちの目の前に現れたのは源次郎と良之助の2人の姿であった。
私たちはそっと、ばれないように尾行してあとをつけて歩くことにした。
しばらく尾行を続けていくと入口に<須田組>と大きく書かれた看板が見えてきた。
入口の前で子分たちが何やら話し合っていたが、どんな会話をしていたのかは、その時は知らなかった。
「どうする?中に入る?」
私はみんなに確認を取ることにした。
「どうするって言われても、正面から堂々と入るのは難しいよ」
つばきは気難しい表情をしながら返事をした。
「それに何かきっかけってあるの?」
今度はアンナまでが口を挟んできた。
「ねえ、私に考えがあるんだけど、借金の交渉するふりをして中に入れてもらうのはどうかな」
「お金を借りるだけなのに、中を見させてもらう人っている?ますます怪しまれるよ」
私の提案に、つばきがあきれ顔で突っ込みを入れてきた。
「じゃあ、そこで働かせてもらうのはどう?」
今度はアンナが提案をしてきた。
「大勢で行ったところで、どんな仕事をやらせてもらえるの?」
そこでも、つばきは少々納得のいかない顔をしていた。
「とりあえず、中に入ってみようよ」
お雪さんは私たちを連れて入口の引き戸をあけた。
「こんにちは」
「へい、いらっしゃい。お嬢ちゃんたちが大勢で見えるなんて珍しいねえ」
番頭さんは私たちを見るなり、にこやかな表情で出迎えてくれた。
「あの、私たちここで働かせて頂きたいので、雇ってもらえないかしら?」
「気持ちはわかるけど、あいにく人が間に合っているから他を当たってくれないか」
番頭さんはお雪さんの演技ににこやかに対応していた。
「そうなんですね」
「一つ聞きたいけど、なんでここで働きたいと思ったのかな?」
「私たち生活に困っているのです。金貸しなら高い給料が頂けると思ったので……」
「だけどね、ここは怖いおじさんたちがいるんだよ。それでも働きたい?」
「……」
お雪さんは一瞬考えた。
「もう一度考えを改めた方がいいよ」
「あの、よかったら中を見させてもらっていいですか?」
「中を見るにしても、ここはご覧の通り、何もない部屋なんで……」
「中を見られたら、都合の悪いものでもあるのですか?」
「そうじゃないけど……。じゃあ少しだけだよ」
番頭さんはしぶしぶと、私たちを中へ案内していった。
「これで、気が済んだかい?」
「あの、さきほど地下へ通じる階段があったのですが……」
「そこは関係者以外はだめなんだよ。勘弁してくれないか?」
「そこに見られてはいけないものがあるのですね」
「そうじゃないけど……」
番頭さんはお雪さんに問い詰められて、困った表情になり、答えられなくなってしまった。
その時だった。
「お嬢ちゃんたち、おいたが過ぎたようですね。今日のところはお引き取りになってもらえませんか?」
後ろから源次郎の声が聞こえた。
町娘の姿になっていた私たちは何も出来なかったので、一度戻ることにした。
久根崎の寺に戻り、私たちは一度元の姿に戻ることにした。
「ねえ、地下に入れないって、なんかおかしいと思わない?」
私はお雪さんに尋ねてみた。
「おかしいって、そこに花代ちゃんがいるってこと?」
「わからないけど、その可能性が高いと思うの」
「私もかえでと同じ考えだけど、あの番頭さん、かたくなに何か隠し通していたって感じに思えたの。そうでもなければ、すんなり案内してくれたはずよ」
つばきも私の考えに便乗してきた。
「とにかく、あの地下に何か見られたら都合の悪いものがあるのは確かだよ。もう一度、確かめに行こうよ」
「でもさ、正面から行ったところで見せてくれるわけがないし、それにあのチンピラだって、どれくらいの人数かわからないよ。チンピラだけじゃない。浪人侍のような人だっているかもしれないし……」
「確かにそうだよね……」
私はつばきの反論に対して、何も言い返せなかった。
「とにかく今日は遅いし、私たちも門限があるから、一度帰って明日出直そうよ」
「そうだね」
私たちはお雪さんと別れて、一度家に帰ることにした。
その帰り道のことであった。
砂子長屋の前を通ったら、女性の叫び声が聞こえたので、近づいてみると、源次郎と良之助とその子分たちの姿が見えた。
「やめて!」
「いいかから、おとなしくついてこい!」
よーく見ると、女性の姿は大家さんだった。
「大家さん!」
アンナはとっさに源次郎たちから大家さんを引き離そうとした。
「なんだ、お前ら」
良之助は迫力のある眼力でアンナを睨み付けた。
「お嬢ちゃん、俺たちに何の用かな」
今度は源次郎がやってきた。
「大家さんを放してあげてくれる?」
アンナは源次郎から大家さんを引き放そうとした。
「おい、なんのまねだ」
「決まっているでしょ、大家さんを引き放そうとしているんだよ」
「お前、この女のなんだと言うんだ?」
「私はこの人の知り合いよ。この人が何をしたっていうのよ」
「れいのガキの居場所を聞き出そうとしているんだよ。この間、俺たちが来た時、『知らない』と言っていたみたいだけど、どうやら知ってそうな顔をしているから、ちょいと俺たちのアジトで聞き出そうするだけだ」
「アンナちゃん、私なら大丈夫だから」
大家さんはアンナの前で強がっていたけど、大丈夫ではないのは確かだった。
しかし、アンナは殺意むき出しになっていて、源次郎たちを斬ろうとしていたので、私とつばきで必死で抑えた。
「かえで、つばき、放して」
「アンナ落ち着いて。今、斬ったら花代ちゃんが助からないよ」
私はアンナを抑えながら説得した。
「それに今斬ったらお役人様に捕まっちゃうよ」
つばきも必死にアンナを説得をしていた。
「私なら大丈夫よ、一応外国人だし、お役人様に捕まることはないから」
「そういう問題じゃないでしょ。仮に治外法権がないから捕まらないとしても、和尚様が悲しむよ。まずは作戦立て直そうよ」
「うん……」
アンナは、つばきに説得されて、しぶしぶ納得していた。
「大家さん、申し訳ございません、必ず助けに行きますので、それまでご辛抱ください」
大家さんは私に言われて、そのまま源次郎たちに連れていかれてしまった。
アンナは何も出来なかった自分に腹を立ててしまい、そのまま悔しがっていた。
「アンナ、ごめん……」
つばきは申し訳なさそうな顔して、ただ一言謝っただけだった。
「ううん、それでよかったかもしれない……」
「なんで?」
「私、このまま暴走していたら、皆殺しをしていたかもしれない」
「そっか……」
「明日、お雪さんたちにきちんと報告しよ」
「うん……」
「じゃあ、帰ろうか」
つばきはアンナと別れたあと、私を連れて家に帰っていった。
翌日、私たちは朝食を済ませるなり、3人でお雪さんのところへと向かい、昨日大家さんが源次郎たちにさらわれたことを話した。
「えー! 大家さんが!」
お雪さんは話を聞くなり、大げさなリアクションを見せた。
「とにかく落ち着いて。花代ちゃんも大家さんも私たちが責任をもって助けるから」
私はお雪さんを一度落ち着かせようとしていた。
「待って、私が行く。ことの元凶はすべて私なんだから」
お千代は立ち上がってメイクを落として、いつもの服に着替えて龍之介の姿に戻った。
「あなたが行ったところで、どうにかなるわけじゃないでしょ?」
お雪さんは源次郎のアジトへ行こうとする龍之介を止めた。
「龍之介君、気持ちはわかるけど、正直あなたが行ったところで戦力にならないの」
私は控えめな言い方で、龍之介を引き留めようとした。
「連中の目当ては俺なんだろ。だったら俺が行くよ。そうすれば花代ちゃんも大家さんも助かるんだろ」
「バカなことを考えないで。もし、花代ちゃんと大家さんが戻らなかったらどうするの?」
「その時は、お奉行様に直訴するよ」
「それでお奉行様が動くと思ったの?」
「訴状を持って行けば動いてくれると思う……」
「あなた、連中の財布を盗んだんでしょ?」
「それはきちんと償うよ」
「あなた、考えが甘過ぎよ。そんなことをしたら逆にあなたが、財布を盗んだ罪で捕まるわ。まずは私が訴状を書いてお奉行様に直訴するから、あなたは普段通りお千代ちゃんの姿でいてくれる?」
お雪さんは感情を高ぶりながら言ったあと、自分の部屋に戻り、訴状を書き始めた。
そのころ、源次郎たちは地下牢にいる花代ちゃんと大家さんから龍之介の居場所を聞き出そうとしていた。
「おい、いい加減に白状したらどうだ?本当は知っているんだろ?あのガキの居場所」
「知らないわよ」
「なら、せめてガキの名前を教えろ。それぐらいならわかるだろ。あんた長屋の大家なんだし」
「龍之介……」
大家さんは小さく、ボソっと呟いた。
「聞こえなかったなあ。なんて言ったんだ?」
源次郎はいらだった感じで大家さんに聞き返した。
「……」
「大家さん、もっと大きい声で言ってくれる?」
さらに源次郎は声を荒げて大家さんに言った。
「龍之介……」
「ああ、龍之介と言うんだね。ありがとよ」
今度は花代ちゃんの方へ目を向けて、問い詰めた。
「なあ、そこのおチビちゃんよお、お前は知っているよな」
「何が?」
「とぼけなくてもいいんだよ。お前、あの龍之介とやらと一緒に住んでいるんだろ?」
「住んでいないわ」
「そうか。なら仕方がないな。では聞くが、なんで長屋から久根崎の寺に引っ越しんだ?俺には長屋から逃げたのではないかと思っているんだけどな」
「違うわ、大家さんがそっちの方が大勢で騒いでも迷惑にならないと言ったからみんなで引っ越したの」
「その大勢の中に龍之介君もいたんだろ」
「いないわ」
「じゃあ、龍之介君だけ別の場所へ引っ越したと言うのか?」
「そうよ」
「それも不自然じゃないか。長屋では一緒だったのが、寺へ引っ越すとなったとたん、龍之介君だけ別の場所へ引っ越すなんて、不自然でしょうがないよな」
「そんなことを言われても困ります」
大家さんが助け舟を出すように口を挟んできた。
「では、大家さんなら龍之介君がどこへ引っ越したのかわかるよな」
「わかりません」
「どうしてだ?」
「私が朝起きて、龍之介君の部屋に行ったら、もぬけの殻になっていたので」
「ということは、夜のうちか早朝に荷物をまとめてトンズラしたってことか」
「はい……」
「おい、本当のことを言え!」
「本当よ! 私、その時間寝ていたし、起きていた時には部屋の中がきれいになくなっていたから」
その時、良之助が大家さんと花代ちゃんの前に現れた。
「おい、源次郎の旦那、この2人吐いたか?」
「それが、なかなか口を割らないものでして……」
良之助は何も言わず、2人に近づいた。
「おい、そこの女2人、名前なんて言うんだ?」
「それを聞いてどうするって言うのよ」
大家さんが口答えをした瞬間、良之助はさやから刀を抜いて、剣先を大家さんの顔に近づけた。
「質問に答えろ。でないなと、このきれいな顔に傷が入るぞ」
「お菊です」
「お菊か。よし、わかった。おい、そこのちっこいの。名前なんて言うんだ?」
「私は花代」
「お菊に花代か。ではお菊に聞くけど、源次郎の話によれば砂子長屋で大家をやっているそうではないか。その長屋に龍之介というガキが住んでいたのも間違いねえよな?」
「間違いないけど、それが何か?」
「その龍之介がスリをやっていたのは知っているよな?」
「はい」
「ところが、源次郎が長屋へ来た時には部屋はもぬけの殻になっていた。どこへ行ったかわかるか?」
「何度も言うように私はわかりません」
「ほう、この期に及んでしらを切るというのか。ならいいだろう。おいちっこいの、花代って言ったな。お前は龍之介と同じ長屋にいたのに、なぜ久根崎の寺に引っ越した?それもガキだけでいっせいにだ。不自然だろ」
良之助は目線を花代の方に向けた。
「私たちがいつも、騒いでいるから大家さんが寺を紹介してくれたの」
「じゃあ、聞くけどそのガキたちのグループに龍之介はいたか?」
「いなかったわ」
「じゃあ、どこへ行ったんだ?」
「知らないわよ」
その時、再び良之助が刀を抜いて脅しに入った。
「おい2人のうち、どっちから先に斬られたい?」
大家さんと花代ちゃんは一瞬、ビクっとした表情をした。
「斬られるのがいやなら、本当のことを言え!」
「だから、さっきから本当のことを言っているじゃない!」
大家さんは必死に抵抗をするような言い方をしていた。
「不自然すぎねえか?龍之介ならまだしも、長屋のガキがいっせいに寺に引っ越すなんてよ」
「知らないものは知らないわ!」
今度は花代も言い返してきた。
「2人してしらを切るならいいだろう。俺が寺に行って一人残らず聞き出して来るまでだ」
良之助はそう言い残していなくなっていった。
次の日、私たちが久根崎の寺に着いたら、ちょうど入口で訴状を持ったお雪さんとすれ違った。
「お雪さん、こんにちは。これからお出かけですか?」
「ええ、これからお奉行様の所へ行こうと思ったのです。これ以上連中の好き勝手にさせたくないので」
「そうですよね。それでしたら私たちも一緒に行きますよ」
私はお雪さんと一緒に行こうと言い出した時だった。後ろから良之助の姿が現れた。
「あなたは?」
お雪さんは少し震えた感じで声をかけた。
「俺は杉田良之助だ。おい、龍之介というガキが知らねえか?」
「知らないわよ」
「人の財布を盗む悪党だ。おい、寺の中を調べさせてもらうぞ」
良之助はそう言って、寺の中を隅々まで調べていった。
「クソ、いねえじゃねえか」
良之助が声を荒げて言ったあと、お千代の姿になった龍之介に目を向けた。
「おまえ、見ない顔だが新入りか?」
「はい、住むところがなくて、ここで居候しています」
「なるほど。一応聞いておくが、お嬢ちゃんくらいの年齢のボウズを見なかった?」
「知りません」
「よし、わかった。ここにいる連中は全員しらを切っていることがわかった。これから一人残らず、斬ることにする。ガキたち、すぐに楽にしてやるから待っていろ」
良之助が刀を抜いて子供たちを斬ろうとした瞬間、お雪さんは「待って」と言って止めに入った。
「どうした、本当のことを言う気になったか?」
良之助はそう言って顔を少しニヤつかせながら、お雪さんに近寄ってきた。
「本当のことを言ってあげる。その代わり、この子達には手を出さないでちょうだい」
「いいだろう。その代わり、嘘の情報を流したら一人残らず斬るぞ」
「ええ、いいわよ」
お雪さんは観念してお千代が龍之介だということを話そうとしていたので、今度はアンナが止めに入った。
「私が相手になるわよ」
「ほう、西洋人のお嬢ちゃんが相手か。この西洋の刀で俺と勝負をするつもりか?」
「相手になるから刀を抜きなさい」
「いいだろう」
良之助は刀を抜いてアンナに切りかかろうとした。
「まって、ここだと子供たちが見ているから、この先の林の中で勝負よ」
アンナは良之助を寺の先にある林まで誘導したあと、私たちもあとに続くようについていった。
「ほう、ここをお前の墓場として選んだわけなんだな」
「良之助、覚悟なさない」
アンナは背中のロングソードを抜き取り、構えに入ると、剣と剣のかわす音が聞こえ始めた。
カーン!、キーン!凄まじい音が耳に伝わって来る。
お互い譲るつもりはなかった。
ここまで来たら、誰も止めることは出来ない。私もつばきもアンナを見守ることしか出来なかった。
「金髪の嬢ちゃん、なかなかやるじゃねえかよ」
「あなたもね」
その時だった。良之助が一瞬の隙を見せたので、アンナはそれを見逃さず、胴体をめがけて斬ってしまった。
良之助は「うわー!」と大きな声をあげたあと、口から血を吐き、倒れてしまった。
「私、人を斬っちゃった」
アンナは少し息を切らしながら言った。
「仕方ないよ。そうでもしないと、こっちが斬られていたんだから」
つばきは声を低めてアンナに言った。
アンナの剣を持つ手は少し震えていた。
「私、お役人様に捕まるのかな」
「大丈夫、捕まらないよ」
私は短くそう言った。
「この死体を見たところで、誰かに斬られた程度で済むはずよ」
つばきも安心させるような言い方をした。
「まだ気にしているの?」
「そうじゃないけど……」
私の問いにアンナは歯切れの悪い返事をした。
「私、この訴状をお奉行所に持って行くから、つばきちゃんたちは悪いけど、子供たちのことをお願い」
「お雪さんたちだけで大丈夫なの?」
私は少し心配そうなまなざしで言った。
「大丈夫よ、これでも元甲賀のくノ一だし、自分の身は自分で守れるから。それより私の留守中にチンピラの一味がやってきて子供たちを狙うかもしれないから、そうなった時に備えて、そばにいてほしいの」
「わかりました」
私は短く返事をした。
「じゃあ少しの間、留守をお願いね」
お雪さんは、そう言って拝次郎さんと一緒に奉行所へ向かい、私たちは子供たちの相手をすることになった。
その一方、源次郎は良之助の戻りが遅いことに少し気が立っていた。
「おい、良之助の戻りが遅いではないか。どうなっているんだ」
「親分、もう少し待ってはいかがですか?」
「もう少しってどれくらいなんだ」
「どれくらいって言われても……」
「だったら、いい加減なこと言うな!」
源次郎は床を強く叩きながら子分たちに八つ当たりをするような言い方をした。
「それでしたら、自分が行って調べてきましょうか」
源次郎たちの前に現れたのは、まだ20代のチャラい感じの男性で、腰に長めの刀を身に着けてやってきた。
「おお、あなたは確か……、土浦藩主の甥御様……」
「そう、土屋一成。見てのとおり、俺がこんな性格だから親に勘当されてきたんだよ。それにもう幕府の部外者になったわけなんだから、そんなにかしこまらなくてもいいよ」
「そうか」
「それより、良之助の戻りが遅いことにいらだっているみたいだけど、俺が思うには誰かに斬られた可能性が高いと思うんだよ」
「その誰かとは?」
「それは行ってみないとわからない。良之助がどの辺に行ったかわかるか?」
「久根崎の方です」
「よし、わかった。そこへ行けば何か手がかりがつかめるってわけなんだな」
「たぶん……」
「んじゃあ、これから行って調べてくるよ」
「一成様、お1人で大丈夫なんですか?」
「おい、源次郎。もう俺は幕府の関係者じゃねえんだよ。だから、お供なんて必要ない。わかった?」
「では、お気をつけて……。あ、ちょっと待ってください」
「どうした、まだ言付けがあるのか?」
「へい、先日この近くでスリの騒ぎがあって……」
「そういえば、あったなあ。5歳だか6歳のガキが財布を盗んだって話だろ。そいつの居場所も聞き出してくれりゃいいのか?」
「出来たらお願いしたいんだけど……」
「オーケー、んじゃ、行ってくるよ」
土屋一成と名乗る男は軽い感じで返事をして、久根崎の寺の方角へと歩いて行った。
6、 お奉行様へのお願い
土屋一成が久根崎へ向かっているころ、お雪さんたちは訴状を持ってお奉行様の所へ向かっていた。
「姉さん、お奉行様たち、俺たちの願い事を聞いてくれるかな」
「どういうこと?」
拝次郎さんはお雪さんに険しい表情で尋ねた。
「お奉行様、俺たちのような庶民の話をきちんと聞いてくれるのかなって思ったんだよ」
「もしかして、お奉行様が金持ちしか相手にしないとでも思ったの?」
「なんとなく……」
「心配しなくても大丈夫よ。お奉行様は誰にでもきちんと話を聞いてくれるから」
「それなら、いいんだけど……」
拝次郎さんは不安そうな顔で返事をした。
奉行所に着いた2人は門番に訴状を提示し、お奉行様への面会をお願いした。
「私たち、至急お奉行様に立ち会わせ頂きたいのです」
「この訴状の内容に間違いないな?」
「はい」
「では、中へ案内するから入れ」
お雪さんと拝次郎さんは近くにいたお役人様に中を案内されて、お奉行様のいる部屋に通された。
「失礼します。お奉行様、訴状をお持ちの方をお連れいたしました」
「よし、中へ通せ」
お雪さんと拝次郎さんは、お奉行様に訴状を提出した。
「お奉行様にお願いがございます。まずはこちらの訴状をお読みになって頂きたいと思います」
「まずは名を名乗れ」
「大変失礼しました。私は雪村つばめでですが、『お雪』で通されております」
「私は弟の雪村拝次郎で、『拝次郎』で通されております」
「では、おぬしたちが用意された訴状を読ませてもらうとしようか」
お奉行様はお雪さんが用意した訴状を読み通した。
待つこと数分、お奉行様は読み終えてお雪さんに目を向けた。
「では、改めて伺うことにしよう。今回ここへ来られた目的は須田組にさらわれた花代という娘と砂子長屋の大家である、お菊という女を助け出してほしいということなんだな」
「はい、間違いございません。彼らのしていることはきわめて悪質で、罪のない2人を監禁してしまったのです」
「なるほど。何か心当たりはないかね?」
「実を申し上げますと、砂子長屋に同居していた龍之介という少年が生活のためにやむを得ずスリをやってしまったのです。しかし、私からの叱責を受け改心をし、今はきちんと真人間として暮らしています」
「なるほど、その盗んだ財布の中に須田組の組長のもあったということなんだね」
「はい。本人は働いて返すとおっしゃっています」
「そうか」
「私としては、関係のない人間を監禁するのは、いささか感心できないと思っています」
「よし、わかった。一度須田組のことを調べる必要がある。それが済んだら、捕まえる準備に入らせてもらうよ」
「よろしくお願いいたします」
「済まぬが、今日のところは下がってくれぬか」
お奉行様は立ち上がって、出かける準備に入った。
「それでは、私どもは一度失礼させていただきます」
奉行所を出た2人は近くの団子屋で一休みをすることになった。
「あのお奉行様、本当に信用して大丈夫?」
拝次郎さんは少し心配そうにお雪さんに言った。
「どうしてそう思ったの?」
「あのお奉行様、何だかやる気がなさそうだったよ」
「拝次郎は気にしすぎ。ちゃんと訴状を読んで納得していたじゃない。団子食べないなら、私が代わりに食べるわよ」
「あ、これ僕の分なんだから」
お茶を飲んで一休みして帰ろうとした、その時だった。
正面から真っ黒なオーラを放った源次郎たちがやってきた。
「お嬢ちゃんたち奇遇だね。こんな所で何をしていたのかな」
源次郎はニヤつかせた表情でお雪さんに近寄ってきた。
「ここでお団子を食べてくつろいでいただけよ。それの何が悪い?」
「本当にそれだけ?もしかしなくても、お奉行様に俺たちのことを言わなかったか?」
「言ったら何だって言うのよ」
源次郎はお雪さんの右腕をつかみ、自分のアジトへと連れていこうとした。
その時、拝次郎さんは源次郎の腕をつかんで、引き放そうとした。
「お前は誰なんだ?」
「姉さんに手を出すな!」
「姉さん……、そうするとお前はこの女の弟になるのか」
「今すぐこの汚い手を放せ!」
「ほう、この俺とやると言うのか」
その時、後ろからアンナがやってきてロングソードを抜き取り、源次郎の顔に突き付け、「斬られたくなかったら早く消えな」と言ってきた。
源次郎たちは一度子分たちを連れていなくなった。
「心配だから来ちゃいました」
「来てくれてありがとう。そういえばお留守番はどうしたの?」
「かえでちゃんとつばきちゃんに頼んでいます」
「それならよかった。お土産の大福もちも買ったことだし、帰りましょうか」
お雪さんは拝次郎さんとアンナを連れて久根崎の寺に戻っていった。
その一方、久根崎の寺では私とつばきが、子供たちの前で剣さばきの披露をしていたら、みんなが習いたいと言い出した。
「二刀流を習いたい子はこっちにきてー」
「燕返しは私のところね」
私のところに3人、つばきのところに4人集まった。しかし、縁側で1人お千代の姿になっていた龍之介だけが座っていた。
「お千代ちゃんもよかったら、一緒に稽古を受けてみる?」
私は気になったので、顔をにこやかにしてお千代に声をかけてみた。
「私は見ているだけにするよ」
「じゃあ、気が向いたら声をかけてよ」
私が子供たちのところへ戻ろうとした瞬間、お千代が私の左の袖をつかんできた。
「どうしたの?」
「ちょっとだけいい?」
「うん」
「私も、お雪さんと一緒に奉行所へ行けばよかった」
「もしかして財布を盗んだことをまだ気にしているの?」
「……」
どうやら気にしているみたいだった。
「私はもう気にしていないよ」
「いや、かえでちゃんのじゃない。あのチンピラの財布のこと。あいつら、まだ根に持っている」
「そんなの気にしない。そんなに根に持っているなら、なんでお役人様や奉行所に行かないのってならない?」
「確かに」
「それって、後ろめたさがある証拠よ。そう思わない?」
「うん……」
「だから、この話はもう終わり。どうする?一緒に稽古を受けてみる?」
「受けてみる」
私がお千代と縁側で話をしていたら、今度はつばきがやってきた。
「いないと思ったら、ここにいたんだね」
「ごめん、お千代ちゃんと少しだけ話をしていたの」
「そうだったんだ。お千代ちゃん、もしかしてまだ財布を盗んだことを気にしてる?」
つばきは顔をにこやかにして、お千代に声をかけた。
「私、落ち着いたらここを出て他で暮らすことにするよ」
「どこで暮らすの?」
つばきは急に声のトーンを下げてお千代に聞いた。
「まだわからない」
「じゃあ聞くけど、なんで他で暮らそうと思ったの?」
「みんなと一緒にいたら、迷惑をかけると思ったから」
「それって、単純に逃げているだけよ。砂子長屋を出て、久根崎の寺を出て、今度はどこへ暮らすと言うの?それに大家さんや花代ちゃんはどうするの?誰のために捕まったかわかる?」
つばきの声はだんだん荒げていた。しかし、つばきの言っていることが全部事実だったので、お千代は何も言い返せなかった。
「つばき、この辺にしておいてあげたら?」
「かえでは黙ってちょうだい! この甘えん坊さんに少し喝を入れないとダメみたい。お千代ちゃん、こっちを向いて歯を食いしばってちょうだい!」
その瞬間、かえではお千代の頬を平手で強く叩いた。お千代はつばきに叩かれたのがショックだったのか、左手で頬をしばらく押さえていた。
「つばき、ちょっとやり過ぎよ」
「かえではこの子に甘いのよ。こういう甘えん坊さんにはこれくらいのムチが必要なのよ。お千代ちゃんは責任を背負っているのではなく、自分が犯した罪から逃げようとしているのよ」
「そんなことない!」
今まで黙っていたお千代がつばきに反論した。
「本当に『そんなことない』なら盗んだ財布を返すとか、お奉行様やお役人様に自主するってことをしていたはずよ。長屋を出て寺に移り住んだり、女の子に変装して生活を始めたのが動かぬ証拠じゃない!」
「寺への移住は大家さんに勧められたことで、女装はお雪さんに勧められたことなんだよ」
「そうやって責任転嫁すれば楽かもしれないけど、それってすごくカッコ悪いよ」
「私も何度かお奉行様に自主しようとした。だけど、そのたびにお雪さんに止められて、できなくなったの」
「それって、単純に人のせいにしているだけだよね。その気になればお雪さんの反対を振り払ってでも自主しに行けたはずよ」
「うん……」
「あとこれだけは言っておくね。このトラブルに私たちを巻き込んだ責任は重たいわよ」
つばきは鬼のような目つきで、お千代に注意を促した。
そのあと、しばらく縁側では沈黙が続いていて、他の子供たちもこの光景をしばらく見ていた。
「ごめんね、嫌なところを見せちゃって……」
つばきは縁側にいる子供たちに一言謝っていた。
ドンヨリとした重たい空気が続いたあと、お雪さんと拝次郎さん、アンナが戻ってきた。
「ただいまー、お留守番ありがとう……。ってどうしたの?」
お土産を抱えたお雪さんたちが、縁側で沈黙の状態で集まっていた私とつばき、子供たちを見て驚いていた。
「みんな、どうしたの?」
「あ、お雪さん、お帰りなさい。実はこれには事情がありまして……」
つばきは今までのことをすべて包み隠さずお雪さんに話しだした。
「そういうことがあったのですね……」
「私がつい感情的になってしまって……、本当にすみません」
「龍之介君だけならまだしも、他の子供たちにまで同じ気持ちを味あわせるのは感心できないなあ」
「本当にすみません」
「ま、いいわ。嫌な話はこの辺にして、お土産も買ってきたことだし、みんなで食べよ」
お雪さんは人数分の大福もちを用意して、子供たちに差し出した。
私は大福もちを見るなり、「わーい、おいしそう」と言って思わず手を伸ばしてしまった。すると横にいたつばきが私の手を強く叩いた。
「いったーい、何するのよ」
「少しは遠慮しなさいよ。私らよりもまずば子供たちでしょ?」
子供たちは食べたいのをずっと我慢していた。お雪さんは「お客さんが先なんだから、みんなは我慢してちょうだい」と強めに言った。
「あの、私たちはあとでも構いませんので、よかったら子供たちを優先にしてください」
「でも、つばきちゃんたちはお客さんだから、先に取ってくれる?」
「そういうことでしたら、お先に頂きまーす!」
「かえで、私たちは一番最後」
またしてもつばきの平手が私の手に飛んできた
「つばき、こう何回も私の手を叩かなくてもいいと思います」
「もう、かえではいやしいんだから。ねえ、君たち先に取っていいんだよ」
子供たちは口々に「ありがとう」と言って大福もちを取っていった。
しかし、お雪さんは数を間違えたのか、私たちの分が足りなかったことに気づいてしまった。
大福もちは残り2個。さあ、どうする。その時つばきはお雪さんと拝次郎さんが取っていないことに気がついて、「よかったら2人にどうぞ」と言って譲った。
「でも、つばきちゃんたちの分が……」
お雪さんは少し遠慮がちに答えたけど、つばきは「私たちは遠慮させて頂きます。それにお腹がすいたら途中でなにか食べていきますので、私たちにお構いなく食べてください」と2人に勧めた。
「そういうことでしたら、遠慮なく」
お雪さんと拝次郎さん、そして子供たちは私たちの前でおいしそうに大福もちを食べていた。
私がおいしそうな顔をして見ていたら、つばきが耳元で「あとで団子をおごるから、今は我慢してくれる?」とささやいた。
その瞬間、私のテンションは少しだけ上がった。
「本当にかえでったら、わかりやすいんだから」
つばきは苦笑いをしながら私に言った。
横にいたアンナも終始クスクスと笑っていたので、私としては少々不満気味であった。
「それでは私たち門限があるので、そろそろ失礼させてもらいます」
つばきはお雪さんと拝次郎さんにおじぎをして、私とアンナを連れて家に帰ることにした。
久根崎の寺を出て数分後のことであった。
「つばきー、あの大福もち食べたかったー」
私は大福もちが食べられなかったことに対して悔しかったのか、つばきにぼやいていた。
「かえで、まだ気にしているの?仕方がないでしょ?ああいう場合、私たちは遠慮しなくちゃいけないんだから」
「だって、私も食べたかったんもん……」
私が不満をぶつけていたら、アンナが「かえで、子供たちの顔見なかった?すごく食べたそうな顔をしてたよ。そこに私たちが先に食べたらどうする?」と言ってきた。
「子供たちが食べられなくなる」
「そうでしょ?そうなったら、子供たちに一生恨まれるよ。それにかえでの方が年上なんだし、少しは遠慮しなきゃだめじゃない」
アンナは私に発破をかけるような言い方をした。しかし食べ物の恨みは怖かったのか、私は諦めのつかない顔をしていた。それに気がついたつばきは「アンナ、この辺にしてあげてよ」と止めに入った。
「つばき、かえでにはもう少し厳しくした方がいいよ」
「そうだよね。でも、あんまり厳しく言い過ぎるもの考え物よ。それに帰りに団子をおごるって約束もしたし。アンナにもおごるからさ」
しかし、アンナは少し納得のいかない顔をしていた。
「まだ納得いかない?」
つばきはアンナの方に目を向けて機嫌を伺った。
「そうじゃないけど……」
「かえでは昔から遠慮知らずなところがあったんだけど、あれでも昔に比べたらだいぶマシになった方なんだよ」
「そうなんだ……」
「あそこに団子屋があるから、ちょっとだけ一休みをしてから家に帰ろうか」
私たちは団子屋に立ち寄って、長椅子でくつろいでいたら、またしても源次郎たちが近くで立ち止まって何か話をしていた。
何を話していたのかは、その時はわからなかったけど、また何か悪だくみをしていたのは確かだった。
「つばき、どうする?尾行する?」
私はつばきに確認を取るような感じで言った。
「そうしたいのは山々だけど、もうじき門限になるし、とりあえず今日のところは家に帰って、明日お雪さんたちに報告をしよ」
「そうだね」
つばきは3人分のお金を払ったあと、店を出て私たちと一緒に家に帰ることした。
「つばき、ごちそうさまです」
私がつばきにお礼を言ったら、アンナも「つばき、今度何かおごるからね」と言ってきた。
「2人とも本当に気にしなくていいからね」
その頃、土屋一成は久根崎にある農村地帯を次々と回って行き、良之助を探していた。
「クッソー、見つからねえじゃねえかよ。ったく良之助のやつどこへ行きやがった」
土屋一成はブツブツと不満をこぼしながら、歩き回っていた。
ちょうどその時、一軒の農家を見かけたので、土屋一成はそこで聞き込みをすることにした。
「ちょっと聞きてえんだけど、この辺で見た目が30歳くらいで、黒い服を着た侍を見なかったか?」
「いや、見てないなあ」
年老いた百姓は考えながら返事をした。
「本当に見ていなかったか?」
「ああ、見てない」
「そっか、押し掛けて悪かったな」
土屋一成が行こうとした瞬間、1人の若い女性が「あの、待ってください」と言って引き留めてきた。
「どうした?」
「お探しになっていたお侍さんでしたら、あの先にある林の中へ向かったのを見ました」
「1人でか?」
「侍の格好した金色の髪をした女の子も一緒でした」
「よし、わかった。ありがとう」
土屋一成は女性に一言お礼を言ったあと、林の中へと向かった。
中を歩いていると、やはり良之助の死体があった。
「クソッ、死んでいやがった。一緒にいたのは金髪の女の子って言ったいたよな。どんなやつなんだ?」
土屋一成はその場で考え始めた。
「とにかく考えても始まらないから、源次郎に報告しておこう」
そう言って、源次郎のアジトへと戻った。
「源次郎の旦那、戻りました」
「おお、お疲れ。どうだったか?」
「一応、見つかったけど、良之助は死んでいました」
「なんだと! 死んでいた!?」
源次郎は驚きのあまり、手に持っていたお茶をこぼしてしまった。
「あちちち……、お茶をこぼしてしまったよ。おい、誰か布きんを持ってこい」
源次郎は子分に布きんを持ってこさせ、膝にこぼしたお茶を拭いていた。
「源次郎の旦那、どうします?」
「どうするって何が?」
「お役人様に話しておきますか?」
「そうだな……」
源次郎は少し考え始めていた。
「一応、話しておこう。それで、斬った相手は誰だかわかるか?」
「近くの人に聞いたら、金色の髪の女の子だそうで……」
「金色の髪って言ったら、外国人の可能性が高い。そうなると、少々厄介だな」
「どうしてです?」
「お前は何も知らんのか?日本はいろんな国と不平等条約を結び、治外法権を無くしているんだよ」
「治外法権がないって言うと、斬った相手が外国人だったらお役人様は動いてくれないってことじゃないか」
「そうだ。だから気を付けて動けよ」
「了解。それではこうしましょうか。俺が直々にその金髪の女の子を斬るって言うのはどうです?」
「それなら、問題なさそうだ。ただ気をつけろよ」
「どうしてです?相手はガキかもしれないんっすよ」
「良之助を斬ったんだ。油断だけはするなよ」
源次郎はそう念を押すような感じで土屋一成に言った。
「とにかく、ガキでも『油断だけはするなって』ことでいいんだよな」
「そういうことだ」
「明日の早朝、金髪のガキを斬りに行ってくるよ」
「何度も言うが、油断だけはするな。一応俺の子分もつけておくよ」
「そんなの俺1人で充分ですよ」
「助太刀もいるかもしれない。そうなったら、いくらお前でも無理だろう」
土屋一成は一瞬考えた。
「そういうことなら、一応共を頼む」
翌日の昼下がりのことであった。土屋一成は源次郎の子分と一緒に宿場町周辺でアンナたちの居場所を探し回っていた。
「土屋の旦那、金髪の女はこの辺にいるのですか?」
共の1人が土屋一成に確認を取るように言ってきた。
「定かではないが、この辺にいるのは確かだ。とにかく見つけてくれないか?」
「へいっ、承知した」
こうしてアンナたちの居場所を探し続けていたが、結局は見つからなかった。
「何か手がかりがあればいいんだが……」
土屋一成がついにやけを起こしたのか、軒下や井戸の中などを探し回る始末。そんな中、共の1人が龍之介のことを思い出していた。
「土屋の旦那、金髪の女もいいけど、財布を盗んだガキはどうします?」
「そんなの後回しでもいい。って言うか財布を盗まれたなら役人に言えば済むはずだ。それより、あの金髪の女を見つけることが先決だ」
結局の所、最後に向かったのは久根崎だった。何もない草原地帯で共の1人が「ここへ来てもなんの手がかりもありませんよ」と言ってきた。
そんな時、別の共の1人が「土屋の旦那、あそこの寺なんてどうです?」と指を差しながら言ってきた。
「あんなボロい寺なんかに人がいるわけねえだろ」
「でも調べてみる価値があると思いますよ」
「やめておけ。あんな所にいるのは幽霊だけだ。俺は幽霊だけは苦手なんだよ。とにかく帰るぞ」
その時だった。寺から私たちが出たところを土屋一成たちがしっかりと見ていた。
「土屋の旦那、ガキたちの中に金髪の女がいるけど、どうしますか?」
「先回りをして、待ちぶせをして斬るぞ」
「了解」
土屋一成たちは先回りをして、木の陰に隠れて待ちぶせをしていた。
私たちが近くに来た時、土屋一成たちは指で合図をしたあと、ゆっくりと出てきた。
「よう、お嬢ちゃんたち、これからお帰りですか?」
「あなたたちは誰なの?」
つばきは、土屋一成たちを見るなり驚いていた。
「俺たちは良之助の仇討ちに来たんだよ。おい金髪の女、俺と勝負をしろ」
「勝負って、どうするの?」
「酒飲みとか将棋でもやるとでも思ったのか?」
アンナは土屋一成の迫力に少し震えていた。
「嬢ちゃん、震えているけど大丈夫か?」
「ええ、大丈夫よ」
「なら俺とサシで勝負だ」
土屋一成は刀を抜くなり、アンナに勝負を仕掛けた。アンナも背中からロングソードを取り出して構えに入った。
「お前ら、絶対に手を出すなよ」
「かえでとつばき、一対一でやるから手を出さないでね」
土屋一成とアンナはそう言って勝負に入った。
「この西洋の刀で良之助を斬ったんだな。なら、俺はこの刀でお前を斬る!」
土屋一成はそう言ったあと、斬りかかってきた。
アンナはとっさにかわして、土屋一成を斬る態勢に入った。
「なかなかやるじゃねえかよ。でも、俺は良之助のようにはいかないからな」
「悪いけど、私だって簡単には斬られないわよ」
「上等だ」
カーン、キーン、剣のはじく音がだんだんと激しくなる。
2人はいっこうに譲るつもりはなかった。
「じゃあ、そろそろ決着と行きましょうか。お嬢ちゃん」
土屋一成はそう言ってアンナをめがけて刀を振り上げた。しかし、アンナはその隙を狙って肩から胴体へと斬りかかった。土屋一成はそのまま血を流し、倒れてしまった。
共の人たちは土屋一成に近寄って口々に「土屋の旦那」と言って声をかけたが、反応がなかった。
「おのれ金髪の女、よくも土屋様を」
共の1人が刀を抜き取って切りかかろうとしたが、別の人が「待て、いったん引いて源次郎の旦那に報告だ」と言って止めた。
「よしわかった。いったん引くぞ」
共の人たちはそのまま立ち去ってしまった。
「今の人たちって、もしかして大家さんや花代ちゃんをさらったチンピラの一味だったの?」
私はつばきに確認を取るような感じで聞いてきた。
「可能性は高いわね。日が暮れるし、とりあえず一度家に戻ろう」
家に着いたのは門限ギリギだった。門下生の1人が心配そうな顔して私のところへやってきた。
「お嬢様、今日は帰りが遅いようでしたけど、お友達と寄り道をされていたのですか?」
「いえ、そうではありません……。実はチンピラたちが私たちの所へやってきて……」
「チンピラって、以前お嬢様や女将さんの前に現れたという人のことですか?」
「はい……」
「それは災難でしたね。でも、ああいう連中にはなるべく関りを持たない方がいいと思います。師匠も女将さんも心配されていますので、一度顔だけでも出してあげてください」
私は門下生と一緒に父さんと母さんのいる部屋に向かった。
その後、帰りが遅くなった理由を話したら言うまでもなく両親からの雷を受けてしまった。
門下生が助け舟を出した瞬間、母さんが「これは私たち家族の問題です。あなたは口を出さないでちょうだい!」とピシャリとシャッターをおろすような感じで言ってきたので、何も言い返せなくなってしまった。
「すまないが、君は引き下がってくれないか?」
「わかりました。失礼します」
門下生が部屋を出ていったあとも、父さんと母さんによる説教が延々と続き、終わったのは夜遅くだった。
私は自分の部屋に戻って刀を置いたあと、1人寂しく食事を済ませて、布団に入って寝ることにした。
布団に入ったあとも、父さんと母さんの説教が耳に残っていて、なかなか眠ることができなかった。
7、 龍之介捕まる。
その日の夜の出来事のことであった。土屋一成の共が源次郎のところへ報告に入った。
「失礼します、土屋の旦那が金髪の女に斬られてしまいました」
「なんだと!?」
「自分も命カラガラで逃げてきたので」
「そんなに強かったのか?」
「ただのガキだと思って甘く見ていました」
源次郎は少し考えていた。
「おい、それともう一人、財布を盗んだガキの件はどうした?」
「そちらも合わせて捜索しております」
「よし、すまないが明日も捜索を頼むぞ」
「了解しました」
共がいなくなったあと、源次郎は目の前の酒を一気に飲み干していった。
「おーい、酒がなくなったー、新しいのを用意しろ!」
源次郎は大声で女中を呼び、新しい酒を持ってこさせた。
その間も源次郎は1人部屋で酒を飲みながら、次の作戦を立てていた。
「俺の財布を盗んだガキ、どこへ行きやがった」
源次郎は1人ブツブツと呟きながら、つまみと一緒に酒を飲み続けていた時のことだった。
「失礼します。ご堪能中のところ申し訳ございません」
その時、身軽そうな男性が天井からやってきたので、源次郎は少し驚いた表情を見せた。
「誰なんだ、お前は?」
「自分は伊賀忍者の生き残りで、半蔵と申します。先ほどお探しなっていた人が見つからなくて、困っているようでしたが……」
「うん、俺の財布を盗んだ犯人が見つからなくて困っていたところだ」
「しかし、特徴がないと見つかりませんので……」
「特徴は5歳か6歳くらいの男の子だ。青っぽい着物を着ている」
「例えばなんですが、髪型や顔の特徴などがお分かりになれば助かるのですが……」
「ちょっと待っていろ」
源次郎はそう言って、部屋の奥から筆と半紙、墨汁などを用意してきて、顔や髪型の特徴を描き始めた。
「一応こんな感じだ。ただ俺も正直絵に関しては自信がないから勘弁してほしい」
源次郎はそう言いながらお酒を飲み続けた。
「どうだい?お前も飲むか?」
「いえ、自分は遠慮させて頂きます。とりあえずこの似顔絵にそっくりな子どもをさらってくればいいのですね」
「そうだ。出来るか?」
「一応やってみますが、出来るかどうかの自信は正直わかりません」
「似顔絵を渡したんだ。絶対に見つけて来い」
「わかりました。それでは失礼します」
半蔵は懐に似顔絵をしまい込み、今度はふすまから静かに出ていった。
そのころ地下牢にいる花代ちゃんと大家さんは出された食事を済ませて、冷たい床の上に座り込んでいた。
「大家さん、私たちこのまま牢屋の中で暮らすようになるの?」
「わからない」
「ねえ、あの人たちに本当のことを話した方がいいんじゃない?」
「本当のことと言うと?」
「龍之介君のこと」
「花代ちゃん、それは間違っても言っちゃだめよ」
「どうして?」
「今、それを話したら龍之介君は殺されるかもしれないんだよ」
「大家さんはこのまま牢屋の中で暮らしていくつもりなの?私はもう限界だよ」
「そうだよね。でもいい?誰かを踏み台にして自分だけ助かるような考えは持たない方がいいわよ」
「うん……」
その時、花代ちゃんの目から涙がこぼれ始めた。
「ごめんね。そんなにきつく言うつもりはなかったの」
大家さんは泣いている花代ちゃんをそっと抱きしめてあげた。
「私こそわがままを言ってごめんね」
しばらく泣いていたら、源次郎の子分がやってきた。
「お前ら騒がしいぞ。少し静かにしてくれないか」
「すみません、静かにしておきます」
大家さんはとっさに子分に謝った。
「ところでよお、お前らあのガキの居場所を吐く気になったか?」
「何のこと?」
「とぼけなくてもいいんだよ。知っているんだろ。正直に吐けよ。そうすれば、お前らをここから解放してやるよ」
「その気なんてあるわけないのに」
「そんなことはないぜ。その証拠に牢屋の鍵がここにある」
子分はそう言って大家さんの前で牢屋の鍵を見せつけた。その瞬間、大家さんは子分から牢屋の鍵を奪い取ろうとした。
「おーっと、これはお前らがガキの居場所を白状したら渡してやるよ」
「何回も言ったでしょ!本当に知らないって!」
「まだしらを切るのか?おい、こっちのチビは知っているよな?」
「知らないわよ。財布を盗んだ子どもなんて」
花代ちゃんも必死に抵抗した。
「まあいい。お前ら2人してつまらん意地を張っていろ。大人しく吐けばいいものを」
子分はそう言って、笑いながら去っていった。
花代ちゃんと大家さんから見た子分の笑い顔は、まるで悪魔そのものだった。
許せない。いつかこの牢屋から出てやる。という強い思いがこもり、それと同時に源次郎とその子分に対する怒りと憎しみも芽生え始めてきた。
翌朝、半蔵は岡っ引きに成りすませて、源次郎から渡された似顔絵をもとに龍之介を探し始めた。
最初に向かったのは駿河屋だった。
「ちょいと聞きたいが、この似顔絵の子どもを見たことがないか?」
小吉さんは半蔵が用意した似顔絵をまじまじと見つめていた。
「心当たりでもあるのか?」
「見たことがある」
「どちらで?」
「侍の格好した女の子と一緒にやってきて、『仕事がないか』と尋ねて来たんだよ」
「その話、本当か?」
「ああ。この子が何かやったのかね?」
小吉さんは少し首をかしげながら、半蔵に聞いた。
「実を言うとな、少し前に人さまの財布を盗んだので、ちょいと調べていたんですよ」
半蔵は十手を首の後ろに当てながら答えていた。
「そんなことがあったんですね」
「ちなみ侍の格好した女の子と一緒に来たのは、いつ頃かわかるか?」
小吉は一瞬考え始めた。
「記憶は曖昧だが、確か数日前だったような気がしたよ」
「それで、そのあとどっちへ向かったか知っているか?」
「あの先の米問屋の方角へ行ったのは確かだったような……」
「ありがとうな」
半蔵はそう言って、今度は米問屋の方へ向かい、同じように聞き込みをしていった。
しかし、肝心な今住んでいる場所を聞き取ることが出来なかったため、一度アジトへ戻り、源次郎に報告することした。
「なるほど。やはりガキの住んでいる場所までは知らなかったか……」
「どうします?」
「お前、今岡っ引きになっているな。よし、この姿で地下牢にいる2人の女に吐かせろ」
「承知した」
半蔵はそう言って、この姿で地下牢へ向かい、花代ちゃんと大家さんに龍之介の居場所を聞き出そうとした。
「何度来ても知らないものは知らないよ」
大家さんはとっさに半蔵に抵抗した。
「おっと、俺はまだ何も聞いちゃいないよ」
「あなたは誰なの?」
「俺か?岡っ引きだよ」
半蔵は十手を見せつけながら、大家さんの前で答えた。
「お役人様が私に何の用なの?」
「実はこの似顔絵の子どもを探しているんだよ。知っているよな?さっき砂子長屋に立ち寄った時、このガキがお宅に上がり込んでお話をされたのを証言してくれた人がいたんだよ。話の内容までは知らないが、何か相談をされていたのは間違いないよな?」
「ただの世間話よ」
「ほう?ただの世間話ねえ。どんな会話をしていたんだ?」
「覚えてないわよ」
「例えば、夜逃げとか?」
「そんなんじゃないわよ!」
「ならどんなお話をされたのか、教えてくれないかな」
「だから、覚えてないって言っているでしょ!」
「そりゃあ失敬。では質問を変えるが、あんた世間話をした次の日にガキと一緒に大八車に荷物を積んでお出かけをされたそうじゃないか。どちらへ行かれたのですか?まさか、それもお忘れになったのですか?」
「大八車?なんのことですか?」
「とぼけても無駄ですよ。きちんと白状してください。あなたの行動を見ていた人がいたのですよ」
「誰かの間違いじゃないですか?」
「そんなことはありませんよ。たまたま目を覚ました近所の人が、『砂子長屋の大家さんが子供と一緒に大八車で引っ越されていたのを見ました』と証言されていたのです。もう逃げられませんよ」
半蔵は大家さんの顔に十手を当てながら言った。
さすがの大家さんもこれ以上は何も言えなくなってしまった。
「お役人さん、大家さんはこの時間、寝ていました」
今度は花代が助け舟を出してきた。
「ほう、寝ていたんだ。では、子どもと一緒に大八車を引いたのは誰だと言うんだ?証言によれば大家さんだと聞いたけどな」
「明け方だったので、顔までは確認出来なかったと思います」
「お嬢ちゃん、なかなか面白いこと言うじゃねえかよ。じゃあ、おじさんからいいことを教えてあげるよ。そうやって嘘をついていたら閻魔様に舌を抜かれるよ」
花代ちゃんもお手上げなのか、これ以上は何も言えなくなってしまった。
「そろそろ、本当のことを話されたらどうです?こうやってつまらん意地を張ってもお互いのためになりゃあしませんよ」
「言ったでしょ。私は何も知らないって」
「このまましらを切っていたら、嘘を証言をした罪と犯罪を手助けした罪で、市中引き回しになってしまうぞ」
「なら本当のことを言います」
「ほう、やっと言う気になったか」
「その代わり、お願いを聞いてもらってもいいですか?」
「その願いとはなんだ?」
「私が本当のことを話したら、この子を牢屋から出してあげてください。この子は何も悪くないのです」
「いいだろう。約束をしよう」
「おっしゃった通り、私はその日の明け方、似顔絵の子供と一緒に大八車で久根崎にある古い寺へ向かいました。その時、似顔絵の子供は私と約束をしたのです。二度と他人様の財布を盗まないと」
「ちなみに寺にいるのはそのガキだけか?」
「同じ長屋にいる数人の子供たちも一緒に引っ越して、同居しています」
「わかった。これだけの情報があれば上等だ。じゃあ約束通りこのガキを解放してやるよ」
半蔵は源次郎から預かった鍵で牢屋の扉を開けて、花代ちゃんだけを解放した。その時、半蔵は耳元で「このことを誰かにしゃべったら、たたじゃおかねえからな」と小さくささやいた。
花代ちゃんは久根崎の寺に戻る途中、草原地帯で立ち止まり、しゃべるかどうか迷っていた。
しゃべったら何かされる。かといってしゃべらずに黙っていたら龍之介が捕まってしまう。
途方に暮れていたら、後ろから拝次郎さんがやってきた。
「あれ、花代ちゃんだよね」
花代ちゃんは一瞬後ろを振り向いた。
「やっぱり花代ちゃんだ。牢屋に入っていたはずだけど……」
花代ちゃんは拝次郎さんの顔を見るなり、緊張の糸がほぐれたのか、泣き出してしまった。
「どうしたの?」
しばらくして泣き止んだあと、花代ちゃんは拝次郎さんに今までのことをすべて話すことにした。
「なるほど、そういうことがあったんだね。ちゃんと話してくれてありがとう」
拝次郎さんはそう言って手ぬぐいを取り出し、花代ちゃんの涙を拭いた。
「早くしないと、十手を持ったこわいおじちゃんがやってくるよ」
「そうだね。じゃあ、急ごうか」
拝次郎さんはそう言って、花代ちゃんの手を引いて久根崎の寺へ向かって走っていった。
寺に戻ると、お雪さんが子供たちと一緒に食事の準備を始めていた。
「あ、お帰り……。あれ、花代ちゃんも一緒なの?」
お雪さんは花代ちゃんの顔を見るなり、驚いた表情をしていた。
「姉さん、今はもっと大事な話があるんだよ」
「大事な話って言うと?」
「もうじきチンピラの一味が、ここにやってくるみたいなんだよ」
「わかった。まずは食事をしながらゆっくり聞かせてもらおうかしら」
拝次郎さんは出されたご飯を食べながら、今までのことをすべて話した。
花代ちゃんが釈放されたこと、牢屋で大家さんが岡っ引きに変装した半蔵に全部話したことなど、すべてお雪さんに話した。
「牢屋に十手を持った人がやってきて、大家さんが本当のことを話したら、花代ちゃんだけを解放すると言ってきたんだね」
「それでね、十手を持ったおじちゃん、耳元で『このことを誰かにしゃべったら、たたじゃおかねえからな。』と言ってきたの」
「ちょっと気になったけど、誰かにしゃべられることを警戒しているなら、なんで牢屋から出したのかなあ。それに十手を持っていたってことはお役人様だよね。お役人様がそんな口を利くのかなあ」
お雪さんは納得のいかない顔をして花代ちゃんの話を聞いていた。
「とにかく、遅かれ早かれ連中がやってくることは確かだ。どうせ十手を持っていた人もチンピラの一味の変装に違いない。龍之介君をさらいに来るのは確かだ。とりあえず用心しておこう」
拝次郎さんがそう言ったとたん、お千代の姿でいた龍之介がやってきた。
「今の話って本当なの?」
「ええ、そうよ」
お雪さんは少し声を低めながら返事をした。
「だったら私が捕まるよ。もとはと言えば私がチンピラの財布を盗んだのが原因だったから」
「あなたは捕まる必要はない。私たちでどうにかするから」
お雪さんは落ち着いた表情でお千代に説得をした。
「そのせいで、大家さんや花代ちゃんに迷惑をかけちゃったから」
「そう思っているなら、バカな考えはやめなさい」
そう言った直後、半蔵と源次郎、数人の子分がやってきた。
「ごめんください。もしかして何か取り込み中だったかな」
源次郎は顔をニヤつかせながら、お雪さんの前にやってきた。
「あなたたち、何の用で来たの?」
お雪さんは顔をこわばれながら、源次郎に言った。
「何の用?決まっているだろ。俺の財布を盗んだ悪党がここにいるって言う情報が入ってな、立ち寄らせてもらったんだよ。さあ、いるなら連れてきな。でないと俺の子分がここにいるガキども一人残らず斬っていくぞ」
源次郎は顔をニヤリとさせながら脅していった。
「脅すなんて卑怯じゃない」
「そうだ、俺は卑怯なやり方が好きなんだよ。ガキたちが斬れる前に財布を盗んだ例のガキをここに連れてこい。言っておくが隠れても無駄だぞ」
子供たちはこの光景をずっと怯えた状態で見ていた。
「あ、そうそう。杉田良之助と土屋一成を斬った金髪の西洋人はここにはいないのか」
今度はアンナのことを探そうとした。
「いないわよ」
「残念だなあ。大切な仲間を斬ってくれたから、一言挨拶をさせてもらおうと思ったけど、いないなら仕方がないか。じゃあ、その西洋人の家は知っているよな」
「それも知らないわよ」
「無理を言って悪かったな。じゃあ、この件は半蔵に調べさせるとして、まずは俺の財布を盗んだ犯人を見つけなければならない。なんせ、俺の財布の中には20両という大金が入っていたからな。もちろん、今頃は使い果たされたに違いない。まあ返せとは言わない。その代わり、財布を盗んだ悪党はお奉行様の裁きを受けてもらうことにするよ」
源次郎は終始顔をニヤつかせながら、お雪さんに言った。
「なら、私が代わりにお奉行様の裁きを受けます」
「いい覚悟じゃねえかよ。でもよ、お奉行様の裁きとなったら本人でないとだめみたいなんだよ」
「私の刀、あなたに預けます。早く私の体を縛ってください」
お雪さんは源次郎に自分の刀を預け、縛られる態勢に入った。
「あんた、人の話を聞いてる?さっき言ったよな。こういうのは本人じゃないとだめなんだよ。頼むから同じことを何度も言わせないでくれ。それとこの刀は返すよ」
源次郎はお雪さんに刀を渡したあと、再び龍之介の居場所を探そうとした。
その時、半蔵はお千代の姿に違和感を感じて近寄った。
「ちょい聞くが、他は化粧してないのに、なんでお前だけが化粧しているんだ?」
「それはこれから出かけようとしていたから……」
「ほう、どちらにですか?」
「それはちょっとこの近所まで……」
「近所へ出かけるのに化粧する理由ってあるのか?」
「見た目って、とても大事だから……」
「では、その近所ってどこなんだ?」
「だから、駿河屋さんに」
「なら俺もついて行っていいか?」
「1人で行けますので……」
「お前、出かけるって嘘だろ」
半蔵は目をギロっとさせながらお千代を見つめた。
そして懐から似顔絵を取り出し、お千代の顔と見比べた。
「正直に答えろ。お前は財布を盗んだ犯人だろ」
「違います」
「うまく女に化けたつもりだが、俺の目はごまかされないぞ。俺は元伊賀忍者なんだからな」
それを聞いたお千代はもう隠すのに限界が来てしまい、カツラを外し、化粧を落とした。
「やっぱり、お前だったのか。源次郎の旦那、やっぱりこの女の正体が犯人でした」
「半蔵、でかした。よし、このガキの体を縛れ」
「一つお願いを聞いてもらってもいいですか?」
「なんだ、言ってみろ」
「僕が捕まったら、大家さんを解放してくれますよね」
「もちろんだ。約束をしよう」
体を縛られた龍之介は源次郎に大家さんの解放をお願いをした。
お雪さんや拝次郎さんはどうすることも出来なかったため、龍之介が連れていかれるのを黙って見ていた。
アジトへ戻った源次郎たちは龍之介をそのまま牢屋の中へ入れたのだが、肝心の大家さんはそのまま解放されなかった。
「おい、約束が違うじゃねえかよ」
龍之介は源次郎に強く抗議をした。
「ん?なんのことだ?」
「とぼけるな。俺を牢屋に入れたら大家さんを解放するって約束したじゃねえかよ」
「はて、そんな約束をしたかな」
源次郎はとぼけた顔をして返事をしていた。
「さっき俺を捕まえた時、そういう約束をしてたじゃねえかよ。だから、俺はお前に捕まってやったんじゃねえかよ」
「あ、そうだったな。実を言うとな、あれから考えたんだよ。お前の大家さん、君の犯罪に協力したから、そのまま出さずに入れておこうと思ったんだよ」
「大家さんが何をしたんだ。言ってみろ!」
「坊主、なかなか威勢がいいじゃねえかよ。お前の大家さん、君の逃亡を手助けしたじゃないか」
しかしこれ以上は何も言い返せなくなってしまった。
「お願い、私は一生このままでもいいから、この子をだけでも出してあげて」
その時、隣で大家さんが大声で訴えかけた。
「お前は黙ってろ。いいか、このガキは人さまの財布をかっぱらった罪人なんだよ。しかも女装して身を隠していたんだからな」
「あの子は充分に反省したわよ。だから、早く出してあげて」
「なら選びな。あのガキに代わって俺の20両を払うか。それともそのまま2人してお奉行様の裁きを受けるか」
「……」
大家さんは一瞬考えた。
「どうした、早く答えろよ」
「なら私が龍之介君の分まで罪を償います」
「ってことはお前が俺の20両を返してくれると言うのだな」
「もろんよ」
「大家さん、こんなチンピラに大金を払う必要なんてないよ」
「黙れ坊主。今はテメーの大家さんと話をしているんだ。横から口を出すな!」
龍之介が横から口を出すと、源次郎はシャッターをおろすような感じで、大声で怒鳴ってきた。
「とにかく、どの方法がいいのか2人で考えておけ」
源次郎はそう言い残して、いなくなってしまった。
その一方で私たちが久根崎の寺に向かったら、お雪さんたちが下を向いたままションボリしていた。「こんにちは……、どうされたのですか!?」
私は下を向いて落ち込んでいるお雪さんを見てビックリした。
「あ、かえでちゃん、こんにちは」
「何があったのか、聞かせてもらえませんか?」
「そういえば、お千代ちゃんの姿が見えませんね。どうされたのですか?」
今度はつばきが横から口をはさんできた。
「では、その件についてきちんと話をしますので」
お雪さんは私たちを奥の部屋に案内し、源次郎たちが来てからのことをすべて話した。
「驚かないで聞いて欲しいんだけど、実は龍之介君、チンピラの一味に捕まったの」
「えー!?」
私は思わず大きい声を上げてしまった。
「かえで、少し静かにしてくれる?」
「あ、ごめん」
横にいたつばきが私に注意をした。
「最初は龍之介君がお千代ちゃんに化けていたから、誰も気がつかなかったけど、一緒にいた岡っ引きらしき人が1人だけ化粧しているのは不自然だと言って、龍之介君の変装を見抜いちゃったの。そのあと、龍之介君は『自分が捕まる代わりに大家さんを解放しろ』と言ってチンピラたちに捕まっていったの」
「じゃあ、大家さんは無事解放されたのですか?」
今度はアンナが口を挟んできた。
「そこまではわからない」
「とにかく長屋へ行けばすべてわかるはずよ。それと龍之介君も助けてあげようよ」
すでに私の頭の中は龍之介を助けることでいっぱいだった。
「かえで、落ち着きなさい」
私が立ち上がった瞬間、つばきは再び私に注意をした。
「だって龍之介君、捕まったんでしょ?だったら、今すぐ助けてあげようよ」
「気持ちはわかるけど、今私たちが助けたところでどうなるの?ちゃんと作戦を立ててからにしようよ」
「作戦ってどんなの?」
「だからそれをみんなで考えるんでしょ」
「うん……」
「気持ちはわかるけどさ、私たちがチンピラから強引に助けたら、今度は私たちが悪者にされちゃうよ」
「そうだよね」
私はつばきの言葉に黙って従うより他はなかった。
「夜中にこっそり助け出すのはどう?」
今まで黙っていたアンナはボソっと一言提案した。
「どうやって?言っておくけど、私やつばきは門限もあるし、夜の外出も禁止になっているから無理よ」
私はアンナの提案に反対をした。
「ねえ、昼間にこっそり助けられる方法はないの?」
次にアンナはお雪さんに目を向けた。
「私に振られても……」
お雪さんは困った顔して返事をした。
「そう言えば先日、お奉行様に訴状を出したんでしょ?あれからどうなったの?動いてくれているの?」
私はふと何かを思い出したかのようにお雪さんに聞き出した。
「私に言われても……」
「だって、訴状を出してからだいぶ日数が経っているから……」
「かえで、お雪さんが困っているからこの辺にしてあげなさい」
私がお雪さんに問い詰めたら、つばきが止めに入ってきた。
「とにかく、一度帰って考え直そうよ。大家さんも龍之介君も簡単には殺されないから」
つばきは私とアンナの方に目線を向けて言った。
「そうだね」
私は渋々つばきに返事をした。
「私もまだ具体的にどうするか決めてないから、一度帰って考えをまとめてくるよ」
アンナもお茶を飲み干したあと、つばきに言った。
ここで話し合っても始まらない。そう思って私たちは一度家に戻って、考えをまとめることにした。
帰り道、私たちは砂子長屋に立ち寄って大家さんの家に向かったが、まだ戻っていなかったので、長屋の住人に聞いてみることにした。
「こんにちは、突然お邪魔してすみません。ちょっとお聞きしたことがあるのですが……」
私は一番奥に住んでいる40代の女性に聞いてみることにした。
「子供の侍だなんて珍しい。それもみんな女の子。それで、どうしたんだい?」
「実はお尋ねしたいことがあるのですが、大家さんは今日お戻りになりましたか?」
「いやあ、どうでしょう。私、少し前まで外で立ち話をしていたから」
「そうなんですね」
「大家さんが、どうかされたの?」
「実は先日、チンピラの一味に連れ去られたのですが……、もしかしたら、もう戻っているかなと思って……」
「そんなことがあったのね」
「おい、お嬢ちゃんたち、大家さんなら連中に捕まってから一度も戻ってきてねえよ」
その時、となりの部屋から60代後半と思われる男性がやってきて私たちに言ってきた。
「戻ってないって、どういうことですか?」
私は気になって年配の男性に聞き出すことにした。
「いやあ俺に言われても困るけどよ、大家さん先日チンピラの一味に捕まってから、まだ帰ってこないんだよ」
どういうこと?龍之介の話に寄れば、自分が捕まったら大家さんは解放されるはずだったのに……。
私の頭の中はますます混乱してきた。
「かえで、アンナ、一度帰って出直そう。私たちも門限あるし」
「そうだね」
私たちは長屋の住人にお礼を言って家に帰ることにした。
家に帰って食事と風呂を済ませたあと、布団の中で龍之介と大家さんを助け出す方法を考えていた。
下手に動いてもこっちが不利になる……。「ああもう、分からなくなってきたー!」
その時、部屋のふすまが開いて、「かえで、うるさい!いま何時だと思っているの。少し静かにしなさい!」と母さんが大声で怒鳴ってきた。
私は蚊の羽音のように小さく「ごめんなさい」と言って謝ったあと、母さんは何も言わずふすまをピシャリと強く閉めて、いなくなっていった。
しばらくは眠れなかったが、そのあと急に眠気が襲ってきて、私は深い眠りに入った。
下巻に続く