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影は斬られる  作者: 鈴藤美咲
呪塗り
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冷の荒野〈3〉

 無謀な挑みだったのか。茶太郎は“呪塗り”が放った仕掛けによって地中に堕とされてしまった。

 勝てる見込みがないと諦めたのだろうか。茶太郎は抵抗の素振りを見せずに沈んでいった。


 茶太郎の中で、何が起きたーー。



 ***



 寒さに震え、白い息を吐く。踏みしめる、凍り付いた土の感触。見上げると、蒼の朧月。

 冷たい夜だ。帰宅したら即、温湯に浸かろう。熱燗の肴はぶり大根がよく似合う。


 はて、私は此処でなにをしていた。何を、何を……。


 ーーだから言っただろう、一人で太刀打ちできないと。


 何だと。貴様は私に何を言ったのだ。


 ーーちっ、何もかもきれいさっぱり忘れていやがる。


 理解に苦しむ。忘れている、忘れているとはどういうことだ。

 哀れ、哀れ、哀れ。

 私は、私は、私は、私は……。


「自力では思い出せっこねえよ、茶太郎」


 私のことか、私の名は……。随分と気が抜ける名だ。


「なんだよ、がっがりしやがって。とっとと、こいつを填めろ」


 指輪を、か。


「嫌がるなよ。頼むから、填めてくれ」


 この男は、私を救おうとしている。これ以上困らせるのは止めよう。

 ……。ああ、何ということだ。指輪を填めた瞬間、胸の奥でつっかえていた圧迫感がするりと熔けた。


 “陽咲き”に、また救われたーー。



 ***



 茶太郎は、白く凍り付いた息を吐きながら月夜を仰いだ。

「お奉行様、心より御礼申し上げます」

 指輪は茶太郎の記憶を復元させるという役目を果たすと粉微塵に砕けた。茶太郎は溢れて零れる涙を止ませ、後回しにしていた感謝の意を奉行に寄せるのであった。


「焦ったぞ、こりごりだからな」

 喝なのは解る。それも、全てを凝縮させてのだ。鼻を啜りながら涙を堪える奉行が何とも痛々しい。


 ーーははは、ふははは……。


 “呪塗り”が狂い笑いをしている。しんみりとしていたところを喝破されて腹立たしい。茶太郎はすっと、つま先を一歩前へとずらす。


「待て、茶太郎。奴はおまえが仕掛けに嵌っていると見えている」

「なんですと。ですなら、お奉行様はーー」

「説明は後でゆっくりとしてやる。どれ、こんなショボいのはな。このように」


「よっ」と、奉行は威勢よく掛け声をする。


『は……。』


 “呪塗り”を間近で見る。月の光に照らされるのが似合わないが、奴の驚いたさまが見事に間抜けで滑稽だ。


『あ、ああ。悍ましい、悍ましい、悍ましい。何故だ、何故だ、何故だ。堕ちてない、堕ちてない、堕ちてない、堕ちてない。こやつ、こやつ、こやつ、こやつ。こおお、やああ、つううぅ……。』


 “呪塗り”は汚く叫んでいた。見えていることが受け入れられないと、足踏みしていた。


「ああ、私は堕ちた。堕ちて、堕ちて、底に達するまで堕ちた」

 隣にいた奉行がいなかった。しかし、足元に目を凝らすと「しゅるり」と、影が地面を這って遠退いていた。なるほど。と、茶太郎は頷くをすると“呪塗り”を睨みつける。


『だああ、かああ、らああ。なんで、はっきりとしているのだよおお。おまえ、まともじゃねええっ』


 聞き捨てならないことを言いやがる。茶太郎は「ぴくり」と、鼻腔を膨らませて藍染めの麻袋に手を添える。


 月明かりは煌々と。時を熟成させるに荒っぽい賭けをして、奉行の手を煩わせてしまったことは猛烈に反省している。救われたこの身体で“呪塗り”に今一度挑む。月の光を浴びて、茶太郎は士気を高めるのであった。


 いざ、尋常に。


 仕掛けに嵌って、悟った。呪いを塗るのを生業にしてる奴に、清きを求めるのは意味がない。的確な手法で確実な効果をもたらす、絶対に外れない外さない。


 ーー爆、影炎……。


 茶太郎の影は、青白く燃え盛る。そして、ひとつふたつと炎の球体が宙に浮上していく。


『はあ、はあ。空気を煤くらせただけじゃないか。びびって損したぜ』

 “呪塗り”は怯んだが、触れて燃え尽きる球体が落下すると踏みつけるを繰り返した。あとひとつと、踏み潰す。


 “呪塗り”の動作が鈍くなる。粘着物に藻掻いているようなさまで、茶太郎を「ぎろり」と、凝視して。


「塗りの感触、何かを彷彿しているだろう」


 茶太郎の、口の突きに“呪塗り”は「はっ」と、顔を強張らせての反応をした。


『塗った、塗ったと。いやいやいやいや、知らない知らない知らない知らない。しいい、らああ、なああ、いいいいっ』

「そうか、それは残念だ。それだけ鈍い感覚なら、極寒も平気なのだな」

『それは、流石に。わはは、そういえばそういえばだ。化けだった、化けは寒さを感じない。土は実に最高。一体化したいほどにだ』


「わかった。だったら其処で夜を明かせ」


 茶太郎は翻した。すると“呪塗り”は「けっ」と、にやける。


『ははは、やっぱりだ。土が凍った、抜けた抜けた抜けた』

 脚が動く。と、汚い笑いをする“呪塗り”は踵を地面に押し付ける。


 しかし、だった。


 ーー助けてくれい、腐った土の臭いはきつい。ああ、口の中に入って気持ち悪い。


「泥に浸かったままで、月を見上げとけ」


 茶太郎は振り返らなかったーー。


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