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クライスト令嬢の憂鬱

「ああ、アリー。お前はなんて愛らしいんだ」


「アリー、私達のアリー。貴女はいつ見ても、とびきりの美人ね」


「あはは……ありがとう、お父様、お母様」


アレクサンドラ・クライストは王国グランメールの最大の港町、リストフィアの豪族デン・クライストの愛娘であり、もうすぐ齢9歳になる、立派な商家の一人娘である。


その花のような美貌はリストフィア中で知られており、まるで伝説上の女神のようであると、皆がアレクサンドラを褒めたたえた。


曰く、その象牙の肌はふくよかさを強調し、混じり気ない黒髪と黒い瞳はこの国では窮めて珍しくまさに憧れで、低く丸い鼻は守りたくなるかわいらしさで、突出して小さくふっくらとした唇に彩られた口はとびきりセクシーだというのだ。おまけに背が低く、短足で、胸は慎ましく、でっぷりと太った体型が理想だという。


皆が皆、語彙の限りを尽くしてアレクサンドラをそのように持て囃したが、アレクサンドラにはそれが理解できなかった。当然である。アレクサンドラにはこの世界とは全く違う美醜観を持った世界の、前世の記憶があるのだから。







「お似合いですよ、お嬢様」


「やはり体型を隠しなどせず、このように華やかなお召し物の方がお似合いだわ。きっと殿方も釘付けになることでしょう」


ああ、この時がきてしまった。アレクサンドラは深く息を吐いて重々しい態度で鏡を見る。それはアレクサンドラにとって最も憂鬱な瞬間だった。


着せられたドレスの色は広大な海に囲まれたこの国で最も高貴な深みを持ちつつ鮮やかなコバルトブルー。

胸の形にピッタリと合わせたハートカットネックから伸びる寸胴のような胴体部分に至るまでたっぷりと小ぶりの真珠や銀糸やダイヤモンドがちりばめられ、しかし下品にならないように一流のデザイナーが細やかにたゆたう海の流れのように一つ一つ手作業で配置している。


更に目線を落とすと、何重にも重ねられたチュールレイヤードのスカート部分も繋げてきらきらと飾られていて、正面から見ると重ねたチュールごとに段々とその密度が下がり、最終的には深いブルーのフリルが豪華に広がる品のあるドレスだった。しかし背中はぱっくりと腰の少し上まで開いていて、宝石をちりばめたチュールがフィッシュテールスカートのようにカットされている為、背面は全体的にきらきらしている。


うん。天才のデザインだ。最高に綺麗で、色気と気品の調和した、絶妙なバランスのドレス。


私の嫌うジャラジャラと派手な装飾もなく、色味もまとまっていて、シンプルかつ目を引くものに仕上がっている。これにパールかシルバーのネックレスにイヤリングをつければ完璧だろう。チョーカーなんかも映えそうだ。


____着ている本人が、私でさえなければ。


アレクサンドラは二度、ため息をついた。家族や使用人や領内の皆に持て囃されるまま、出来上がったまるまると肥ったちんちくりんの不細工。それがアレクサンドラにとっての自分だった。自己責任だというのは分かっている。

だって前世の私はこんな風に褒められたことなんてなかったし、蝶よ花よと甘やかされるのは正直気分が良かった。だから、こんな白豚になってしまったのだ。


痩せようと思ったことだってあった。運動しようと思ったこともあって。しかしアレクサンドラは元来、そういった事の苦手な性分だったし、その上この「世界の基準で」美しいとされるアレクサンドラがそのような事をして喜ぶ人など誰もいない。

自身の願望を洩らせば、何かと心配され、熱を図られ、そうして自分がいかに美しいかということを長々と語られるのが常であった。


「それで諦めちゃう私がいちばん悪いんだけど……」


「いかがしましたか?私のドレスは不満でしたでしょうか」


ぽつり、と零した独り言に目敏く反応したのは品のいいスーツを纏った初老の男性だった。当然だ。彼こそが国一番のドレスデザイナーで、このドレスを用意してくれた張本人なのだから。

国内最大級の商家で大富豪であるクライスト家の一人娘、それも絶世の美女のドレスをデザインしたのだ、固唾を飲んでその反応を見守っていたことだろう。


「いいえ、とても気に入りました。貴方のドレスは最高です。色もデザインも、すごく好み」


「もったいないお言葉。クライスト嬢の美しさには、地味なくらいのドレスです」


謙遜しながらも、ほっと安心した様子の男性__カルロ・スカーレットはうっとりとアレクサンドラを見た。上から下へと視線を滑らせ、大きく頷く。満足の出来なのだろう。


明後日は、アレクサンドラの誕生日だ。派手好きの父は毎年、この日の夜にアレクサンドラの誕生日パーティを開いた。クライスト家のような豪商に、取引相手、馴染みの客、貴族や大地主に至るまで人脈と贅の限りを尽くして国内外から客人を招く。食えない人だ、そのような社交の場を用意して、私の将来の結婚相手や商売敵を吟味してるに違いない。


父は愚かな商売人ではなかった。

この世界は前世に比べて早熟と言えど、まだ9歳の少女に生誕パーティを言い訳に社交をさせる親などデンくらいのものだろう。お陰で毎年パーティの後になると密会の誘いや婚約の申し出が絶えない。

娘の美貌で国中を手玉に取るのだ、父としては笑いが止まらないことだろう。私にとっては、この年齢で女として利用される日など憂鬱な事この上ないのだが。


「アリー、招待客のリストだよ。目を通しておきなさい」


「はい、お父様」


良家の令嬢というのは、親と触れ合える時間が少ない。しっかり着飾って、決められた時間にしか会いに行けないし、食事だって別々だ。美しい娘を溺愛する両親であったが、それでもアレクサンドラはそれなりに寂しい日々を送っていた。憂鬱ではあるが、両親の役に立ち合いアレクサンドラはただの一度だってデンに逆らった事はない。


招待客リストの最後の用紙。そこには16歳から23歳までの未婚の男性が顔写真と共にまとめられていた。家柄、職、収入に現状まで、やたらと詳細に、数人分書かれている。暗に、気になる男に目を付けておけ、と言っているのだ。


グランメールは大きな島国だ。作物は育ちにくいが、宝石類を中心に資源が豊富で、地理的にも貿易に適している。だから商家が力を持ちやすい。貴族の称号は両種のみならず騎士達の収入源にもなっており、一部の王辺貴族以外は財ある家の令嬢を嫁に迎える事でその地位を守っている。だから、正直な話、私の結婚相手は選び放題なのだ。


「7歳以上年上、ねえ」


私は恋愛に関して年齢差を気にしない方だ。というか、むしろ歳上が好みまである。あまり離れていると子供扱いされそうではあるけれど、私は高い教育を受けているし、この国では賢すぎると結婚に不利になってしまうから、むしろ歳上の方が余裕があって受け入れてくれそうだ。


____問題は。


「きゃあ、リンハルト様のお名前があるわ!」


「ゲオルグ様も!美男子ばかりで羨ましい!」


「名前を存じ上げない殿方も居るわ……でも美男子!あんな方もいらっしゃるのね!」


遠巻きに双眼鏡を用意してまで手元のリストを覗き見しているメイドが飛び上がってはしゃいでいる。煩わしいが、私は(精神的に)大人なので許すことにする。


半目でメイド達を眺めながら、もう一度リストに並ぶ顔ぶれを見た。うん。全っ然好みじゃない。

揃いも揃って、丸々と太った男ばかり。笑顔ばかりは素敵だが、たっぷりの脂肪に潰されんばかりに目は細まってしまってるし、鼻は見事な団子鼻。歯並びもガタガタだし、皆一様に顔にしみや大きなほくろを持っている。勿論、眉毛は手入れのての字も見当たらないゲジ眉。


そう、この世界の美醜観はおかしい。前世では考えられないような欠点だらけの容姿が美しいとされる。私がこの世界では傾国の美少女扱いなのと同じように、私にとってのイケメンは、この世界の不細工なのだ。


顔写真つきでリストアップされているのはこの国では有名な家柄の美男子(この世界基準)ばかりだ。父の配慮を感じるが、こう同じような容姿の殿方ばかりを並べられると胸焼けしそうなのでやめていただきたい。爽やかなイケメンが見たい。シュッとした男性と知り合いたい。


「はあ……」


ぺし、と力なくリストを放った。お父様、この中から好ましい男性を選ぶのは難しそうです。せめてもう少し、ほんの少しでいいから不細工寄りな殿方の写真も混ぜてください。

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