夜闇に紛れて
「ふっ・・・わぁー・・・・」
反射的に出た欠伸を野放しにして、レノはどんちゃん騒ぎの過ぎ去ったエリィナ村の中をゆっくりと歩いていた。
歩くごとに料理や酒気の僅かな香りが鼻を掠めて、同時に肌には熱気の失せた冷えた風が撫でていく。
祭りの後の寂しさ。
騒がしかった宴会の会場。即興の演奏で人が集まっていた古株。焼けた木組みだけが残った焚火の跡。
その場に居なかったレノは想像することしか叶わない。が、それでも想像するばかりの光景を思えば名残惜しいという感傷が心に爪を立てる。
楽しかった瞬間には戻れないのだと、ここに居た誰もがその感覚を共有していたからこその物が無しさがあった。
ただ――――
「転がる酒瓶に洗い忘れた大皿の山・・・・」
それらに対して感じる物が無しさは別の方向を向いているもので。
「流石に風情は無いかな」
そんな、現実味の強い暗がりを歩きながら、レノはふと足を止める。
明かりが無い道の向こうに薄っすらと人影を見たからだ。
「・・・こんな時間にどうしたんだレイラ」
月明りすらも無い夜でも金色の髪は目立つ。
加えて何年も一緒に暮らしているとなれば一目で分かってしまう。
「ちょっと話がしたくって」
「話って・・・家にはカザリも戻ってるんだろ。 それでもわざわざ待ってたのか?」
言うとレイラは「うん」と頷く。
「どうしても今日中に話しておかないといけなくって、それで待ってた」
後ろ手に手を組んで悪戯っぽく微笑む。
レイラが何かしら隠し事をしている時の仕草を見てレノは、
「・・・・・なんだか悪い予感がしてきたな」
レイラだって年頃の女の子だ。隠し事くらいはいくらでもある。
それを父親としても当然のものとして受け入れていたレノではあるが、今伝えられようとしている話はそのどれとも種別の違うように思えてならなくて、
「レイラ、それはいい話か? それとも・・・・」
「・・・・・。」
レイラは何も言わずに佇んでいる。
それがレノの危険信号を刺激してやまず、頭の中がすっと冷たくなって眩暈を覚えさせた。
ついでにとキリキリと痛み始める胃の辺りをさすりながら、
「聞かないと、いけないよな・・?」
「うん」
きっと後悔するから、と。
さらっと激白してくる愛娘の優しさに気絶しそうな思いになるレノ。
そうして今一度、強く目を瞑って息を整えて、
「・・・よし、聞こうじゃ―――」
ないか、と続く前に正面からの衝撃にレノは言葉を詰まらせた。
一瞬の隙―――レイラは助走をつけてレノの腕の中に飛び込んできたのだ。
それはさながら、いつかの再演。
アレンとレノが遠征から帰ってきた時と同じで。
「――――。」
倒れ込みそうになるのをレノが一歩足を下げるのも、支えてくれると確信してレイラが勢いよく走ってくるのも。
小さく、何かが弾けるような音がするのも。
全て完璧に再現されていた。
ただ、飛び込んだレイラはさっとレノの腕の中から身を翻して、
「どう? 思い出した、レノ」
悪戯な笑みは凍り付いて、冷たい無表情の張り付いた顔。
心から嫌悪する存在に対したようにレイラが反応する。
「あぁ」
そうして名前を呼ばれた男は――レイラに押し付けられた封をした記憶を解凍する魔法石の欠片を払いのけながら応じる。
そこにはもはや人間と呼べる何かは存在しておらず。
「お陰で全て上手くいったよ、レイラ」
獣欲を滾らせて嗤う魔法使いが、ただ一人立っていた。
▽▽▽
「カザリが来てから八日・・・いやもう九日か。 不測の事態があったにしても予測していた日数とはずれてしまったな」
長い指を口元に当てて思慮する。
「他の奴らとも親交を持たせて留め置かせる計画も完全に崩れてる。 それもカザリが思っていたよりも人間不信を拗らせていたからだが・・・ま、その分の不足はアレンも補ってくれた。 良しとしよう」
口元を薄く開いて酷薄に笑う。
「というかアレンには助けられっぱなしだったな。 シュメイランを探しに出たのを止めるで無く同行する選択をしたのが偉い。 あれが無ければ住人に犠牲が出てしまっていた―――損失が軽微だったのは行幸だ」
あるはずもない長い髪を梳くような動作。癖にでもなっているかのように指を動かす。
「それもこれも全部、レイラのお陰だ。 最初にカザリの心象を掌握してくれたからこそ他からのフォローが利いたんだし、何よりオレが自由に動ける余裕があった」
そして、まるで心からの親愛を吐露しているかのように空虚な言葉を吐きさらす。
・・・・そんな、レイラにとって醜悪そのものと言える魔法使いとしてのレノを前に、
「そういうあなたは全くの役立たずだったわね、レノ」
父ではなく、一人の共犯者としてレイラは語る。
「おや、痛い所を突くね」
「当然でしょ。 村に連れてきた時からカザリに敵愾心を抱かせるような事して、やる気がないのかと思ったのだけど」
はっはっはっ、とレノがわざとらしく笑う。
「あれは仕方ない。 元々、予測では村に連れ帰るルートは選択肢もほぼ一択、少しでも逸れたなら全滅必死の極悪仕様だ。 生きて帰ってこられただけ御の字」
「そんなのは前提でしょ。 裸のまま簀巻き・・・普通に私なら縁を切って村を出てく」
「それも言ったろ、過剰な抵抗をされたもんだから丁重に―――」
「抵抗が出来ないよう拘束した?」
「・・・・・。 まぁ、もう少し穏便な手立てがあったかもしれんが。 それ以外で目立ったミスは無かったはずだろ?」
レノが言うとカザリは恭しく首を振って否定する。
「カザリに対する事なら幾らでもあるから言わないけど・・・遠征からカザリを連れ帰ってからの彼女に対する態度が融和的すぎ。 他の人たちに何かしらの意図があるって察知されたのをフォローするの大変だったんだから」
「・・・・・・・・・・。」
「アレンなんて『先生がカザリを許してあげるとは思わなかったよ』とか言って。 それを無闇に人に話すもんだから余計に苦労させられたし」
他にも、とレイラはじっとレノを見つめて、
「包糸館で会話を成立させたり、拒否感バリバリのカザリにやる気出してもらったり・・・遠征の後、皆が倒れて動けなくなるのは事前に知りたかったよ」
「オレとしてもその情報は共有できれば良かったんだがな。 カザリの精神が自発的に村に帰属するためにはオレが何も知らず、思惑なんてものも無く、ごく自然体で接する事が必須だった」
まぁそれに、とレノは視線を受け止めて、
「先読みとは言っているけどな、オレの眼は未来を見通している訳じゃない。 レノ・クラフトを支点にして『現在』ではない『いつか』を観測できているに過ぎない」
加えると、と。
「この霞のかかった眼ではどこまでを見渡せているのかすらも分からん。 カザリが生存している事による影響を読み切れなかったのがいい証拠だな」
「・・・・・・。」
レイラがため息を吐く。
「同情してくれるのかい?」
「・・・そんな事はしない。 私にはあなたが言っている事が半分も分からなし、父さんじゃないあなたを理解したいとも思わない」
「そんな毛嫌いしないでおくれよ。 それにレノ・クラフトは多重人格者じゃないんだがね」
「でも私の父さんじゃない。 私にはそれだけで十分」
嫌われているなぁ、とレノはオーバーに肩をすくめて見せる。そのおどけた態度が相手の不快感を呷るものだとは分かって、しかし小さな仕返しだと内心で舌を出す。
そして、このどうしようもない幼稚さこそがレノ・クラフトその人なのだという証左なのだと―――果たして伝わったかは知らないが、レイラはまた大きくため息を吐いて、
「それで・・・・結局、あの子は何者なの?」
「カザリの事か?」
分かってるでしょ、と睨むレイラにレノは「はて?」と惚けて返す。
「カザリ・キリシアはただの魔法使いだ。 彼女の言の通りに出自は特殊だが、その一点に関してはそれ以上の説明が無いな」
「それなら契約を結んで協力関係に持ち込まなかったのは何故? 私たちと結んだようにしなかったのは?」
「そりゃ単純に感情の問題。 カザリの魔法使いに対する嫌悪は根深く強靭、素直に協力の打診をしても一時的な関係で終わってしまうのが目に見えてる」
そうなれば彼女はこの村に居たいだなんて思わなかっただろうさ、と。
続けるレノにレイラが「なら、それは何故?」と聴く。
「彼女との関係がすぐに終わってしまう事を危惧するのはどうしてなの」
「随分と気にするじゃないか。 レイラがそこまで入れ込むだなんて珍しい」
「・・・いいから、教えて」
後悔、哀切。
レイラの表情から読み取れる感情をレノは二重に驚きながら、
「・・以前、魔法使いについて少し説明したのを覚えてるか?」
「・・? たしか、肉体は消滅している・・とかだけは覚えてるけど」
「そう」とレノは頷く。
「魔法使いの不死性はそもそも肉体を持たず、全く違うルールで存在を構築している事による。 説明を省いて端的に言うなら『ルールそのものに人間が成った』のが魔法使いだ」
つまり、と。
「世界、即ち摂理と同化――しいてはそれ自体に成り代わる事が人から魔法使いへと成るための方法で、そこで成り代わった規範っていうのが各々の権威・・・・・要は得意な魔法を決めるんだ」
「・・・・・・。」
レノは手を振って「理解しなくていい」と注釈して
「知って欲しいのは魔法使いにも得手不得手があるって事。 そして、オレがカザリ・キリシアに執着している理由は、あるはずの得意不得意があいつには恐らく無いって事だ」
「・・・・・それって珍しい事なの?」
「珍しいなんてものじゃない。 あり得ない、だ」
まず前提として、とレノの眼が変わる。
「魔法使いってのは生まれ落ちた瞬間には得意とする魔法ってのが決まる。 逆に言えば行使するのが苦手な分野も決まってしまうのと同じで・・・魔法使いは何でも出来る万能の存在じゃない」
寧ろ、と。
「生物として最低限の要素すらも満たせずに欠陥を抱えている。 幾重にも命令式を張り巡らさなければ呼吸すらも真面に行えなくなる者もいるくらいに、存在そのものが破損している・・・・しかし、カザリは違う」
レノは上気した声で続ける。
「触れただけで魔法道具に刻んだ魔法式を破壊して無力化。 願っただけで魔法を発動させて巨大な生物を排除してしまう・・・それも周辺を侵食して異界化させるほどの強度でだ」
「魔法は通常、摂理によって発生と同時に崩され始める。 それこそ巨大な氷柱なんて生もうとしたなら一瞬で砕けるのが関の山だ」
「それがどうしたことか・・・・その無茶を通すために空間を歪め異界化させるための結晶魔法、そして周囲の気温を下げるための再生魔法、事象を任意の方向へと指向させる収束魔法。 一種までならいざ知らず、三種の魔法を同時に編纂し紡ぎあげただなんて笑い話にもならん」
「マナの出力も尋常じゃない。 魔法使いは自分の身体をマナに変換して魔法を行使しているが、規模が明らかに三十人では足りない」
「恐らく、カザリ・キリシアが望む限りで世界の方が変革していく。 魔法の法則だなんてものは二の次、意志だけで事象が完結してしまってる・・・・本当に素晴らしい」
レノが目を瞑る。
噛みしめるように言葉を切り、ゆっくりと視線をレイラへと向けて
「これでオレの願いは成就する。 救われるんだ、ようやくな」
「・・・それはカザリを犠牲にして?」
弱々しく尋ねるレイラに「あぁ」とレノは肯首する。
「だからこそカザリには生きていくための居場所を用意し、理由も作ってやったんだ。 魔法使いとして、このエリィナ村で生きていきたいという願いを」
でなければ、と。
「ここまでお膳立てして、ただの個人に執着するものか」
「・・・・・・。」
言って、しかしレイラは何も語らない。
語るべき言葉を持たない。
それを知るレノは「お前には思いがけない重荷を背負わせてしまったね」と薄く笑う。
「お前は何も縛られる必要はない。 オレの目的を知らず、あいつが村に馴染めるようにと優しくしただけ・・・ただそれだけだろう?」
言って、レノは俯いて固まっているレイラを柔く撫でる。
拒否も無く、成されるがままの愛娘の反応に苦笑して、
「だから、何もしらないままカザリとは仲良くしてやってくれ。 ・・・オレが言う必要もないだろうがな」
「・・・最低」
短い抗議の声に、レノは笑みを深める。
普段のレノであるのなら気づけたはずの娘の失望を見落として、ただ一心、祈りすら捧げるように虚空を見つめて
「大丈夫だ。 今度こそオレは――――」
言葉は途切れ、紡がれることなく野放しに。
誰もその真意を問う者は無く、夜の緞帳の元に溶けていく。
空が白む気配は、まだ遠い。
▽▽▽
魔法使いと人。
その両者を隔てる要素で最も代表的なものは肉体の有無だろう。
四方に数百メートルの削刻式の魔法陣に、熟練の魔法使い三十名が半日の詠唱をもって行われる儀式は対象者の存在に働きかけ、副作用として肉体を消滅させる。それによってその者は人間としての―――生物としての定義を脱却し永劫の不死を手に入れる。
有体に言えば幽霊に近しい存在となるのだ。
であれば、幽霊である魔法使いが物に触れたり、もとの人間と接することが可能なのか、と疑問は浮かぶだろうが・・・。
魔法使いが高濃度のマナによって構成されているのだとか。
凝集したマナは摂理との伝達役としての責を超えて現実に負荷を負わせるのだとか。
人間として生きた残渣が影響しているだなどと、大変に面倒な説明が必要になるため今回は割愛する。
単に、物理的にも悪さをしてくる幽霊だとだけ分かってもらえたらと思う。
その行動の全てが悪意の有無に関わらず他者へ悪影響をもたらすというのもそれらしいというか。
寧ろ、そこらの悪霊よりも厄介な性質をしている点も救いようが無い。
・・・そんな生物ですらない魔法使いと人間様との差異はまだある。
それが人間性の破損だ。
魔法使いは元人間。それまでの記憶、人間的な性質、肉体をそのままに摂理を繋がる事で不死を得た存在。摂理によって生存を保証、確約される無謬の存在。
それ故に傷を与えられたとしても治癒力を大きく超えて身体は元に戻り、加齢による変質すらも否定されている―――しかし、魔法使いは人間性を持つことだけは許されていない。
例えば、貧困と病理によって喘ぐ人民を救おうと魔法使いとなった明君が―――圧政を布き、暴税によって私腹を肥やす暗君に変貌したり。
理知と道徳を重んじる名家の子息が、気まぐれに人民を処刑し、放埓に狂ったり。
人格、記憶の変革。気質の混濁は有り触れて、魔法使いは長く生きるだけ元の人格を冒されていく。
それを・・・
「魔法使いは昨日に捕らわれている、だなんて言われる」
レノ・クラフトは柔くレイラの髪を梳き流しながら独り言のように呟く。
「いくら高尚な願いを胸にしても捻じ曲がる。 感性が置き換わっていく・・・ともすれば、頼りの記憶さえも書き換えられてしまう」
冷たく暗い夜の空を見上げて、
「『明日には行きたくない』『まだ失いたくない』 ・・・・過去の喪失こそが魔法使いにとっての死にあたる」
息を吐いて、
「意識は明瞭に・・・だからこそ欠けていく自分を観測してしまう。 記憶でも肉体機能でも、積み重なっていく損失は狂気に変わるんだ」
そうしてレノは視線を下げて、
「明日は希望であり絶望だ。 自分の願いの成就が先か、自分を失うのが先か。 魔法使いはそういう追いかけっこを続けて、それを命と自称する」
見上げるレイラを目が合った。
レノは「だから」と、
「オレもオレの願いのために全てを費やすよ。 それが少女の人生を犠牲にするものでも、さらに多くの命を必要とする道であっても」
突風が吹き、音がさらわれる。
レイラには届かない言葉は、
「必ず・・・お前たちを救ってみせる」
レノの内にのみ反響するだけだった。
これにて一章は終わりです。
執筆期間だけは立派になりましたが、なんと中身の伴わない・・・・。
お付き合い頂きありがとうございます。ここで一旦は完結としようと思います。
てか、このペースで行ったら何十年かかんねん・・・って話なので。
初手から失敗したなぁ、とか。
でも読んで頂いてるなぁ、とか。
思うところは色々ですが、今までありがとうございました。切りだけは良い所まで書けて良かったです。




