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まだ、明日になる前に  作者: 桃柿モノ木
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『魔法とは』

 ありったけの声を振り絞って絶叫している獲物を前にして、ソレは口の中に涎が溜まっていくのを感じていた。

 再三に渡って逃げ出され、後ろ足を欠損してしまう始末となった事の顛末。

 その結実が大熊―――名もないソレを喜びの絶頂へと誘っていく。


 「Gruuuuuuuuugaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!」


 幾重にも割れた喉から、しゃがれた雄たけびを上げる。

 ソレの鼻腔を満たす死の匂いに、未だ食めずにいる獲物の血肉を、小気味よく砕ける骨の感触を思い起こして興奮気味に鼻息を荒くする。

 もう、ソレは勝利の美酒に酔いしれる事を(いと)わない。

 一歩の距離を縮める事にさえ気を張らなければならない状況にあったのに、もう過去のことだと言わんばかりに雑多に近づく。

 大きく一歩、二歩と縮めて、


 「ぅああああ、ああああああああああああ!!!」


 獲物が芋虫のように地面を這っている。

 一回りも小さな体の方が大切そうに大柄な方を抱えて無理やりに後ずさりしていく。しかし、そんな事でソレとの距離を離せるはずもない。

 大柄な方を見捨てて逃げるのなら多少は変わってくるが、そんな素振りも見られない。ただ大声を上げ続けているだけ。

 如何にもやかましく、それでいてソレの趣向に沿って見苦しい。

 今までの溜飲が下がるようだ。


 「Groooouuuuuuuuuu............」


 そして、最後の一歩。

 ソレは獲物を絶対に逃げられない距離に収める。


 「Grrrrrrrrrrrrrrrrrrrr......」


 叫び声が止む。

 ソレの落す影に飲み込まれて獲物(カザリ)が昏く熟れた瞳を持ち上げてくる。

 そうして、ソレは正に“その時„が来たのだと堪らず涎が垂れていき、


 「・・・・あ」


 獲物の最後の言葉をソレは聞いた―――。


                    ▽▽▽


 「・・・・あ」


 カザリが呼気のような声を零す。

 もう半分は無意識に、逃れられない死を前にして諦めよりも先に体が拒否するように反応した。

 忘我とも遠い。

 しっかりと意識ばかり明瞭で、血管が裂けてしまう程に絶望が体の中を渦巻いて占領している感覚。

 まるで、窒息と同じだ。

 内側、体の至る所から綿が生えてきて、静かに確かに息が詰まっていくよう。

 だからこそ、これは悲劇だ。正気を失う事さえ許されない―――それはつまり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 「・・・・ぅ、あ・・・」


 喉が渇く。

 辺りは水気と冷気で溢れているのに内臓が熱くて堪らない。頭などはもう破裂しそうになっている。

 ・・・それでもカザリ・キリシアは現状の把握を止められない。


 (・・・あ、なんで・・?)


 ギラリと並んだ歪な牙。

 分厚く赤い舌。

 その奥、真っ暗な洞穴でも開いたような口腔から悪臭が吹き付ける。

 先に叫び声を上げた時と変わらず頭は常に熱を持って、いつまた恐怖に呑まれてしまうか分からない。ただ、それでもカザリはこの状況を、大熊の動向を静かに見つめていた。


 (・・・わたし、なんで)


 今、丸のみにされるだろう―――その瞬間にカザリは、それでも大口の内側を覗き込んで、


 (なんで・・・なんで、この光景を知ってるの・・?)


 カザリの芯の所。

 そこが急に冷え切っていく感覚に、嫌な予感諸共に恐怖が上書きされる。

 ある訳がない。あるはずのない。あり得ない記憶に、カザリの根底が揺らぐ。


 (なん・・・でも、だって)


 ――それは衝撃と痛みの後、雪が舞う中。


 (・・・・・・・・・いや)


 呻く声、鉄の匂い、何かが近くで燃えている。


 (・・・・ちがう)


 体が動かない。柔い感触を頬に感じる。でも不思議と冷たさを感じない。


 (・・・・ちがう、違う)


 視界はぼやけて、段々と耳も遠くなっていく。周囲が霧の掛かるように溶けて、


 (・・・・そんな事、ない)


 ズンと、骨に響く自揺れを感じた。


 (・・・ダメ、違う・・ちがう)


 曖昧に映る世界に真っ黒で大きな塊が現れる。


 (ちがうちがうちがうちがう、違う!)


 全容の知れない何かは、しかし妙に不揃いな突起を―――まるで牙のように見える何かを並べて近づいてきて・・・・。


 (これは違う!!!)


 指一本すら動かせない血()()()()()()()はそのまま、


 「あ」


 ()()()()

 カザリは目の前の光景を、いつか見た何かと重ねて見てしまった。


 「あ、あ、あっ、あっああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?!」


 一度は冷めたはずの神経に劇毒が流し込まれる。

 死を冷静に静観できてしまっていた理性は蒸発し、カザリは自らの機能の全てを暴走させるしか自分を肯定できなくなった。

 血管は燃え上がり逆流せんばかりに流れを速め、知覚するための感覚は全身に出鱈目な痛覚、冷感、衝撃を誤認して脳に処理を送り込む。

 しからば、涎が飛び散るのも気にせず頭を振って絶叫し、支えていたアレンを落っことす。狂乱というにも生易しいほどに、死ぬ際の恐怖よりも全身を滾らせてカザリは壊れていく。


 (ヤダヤダヤダヤダ嘘嘘うそうそうそ!!!)


 カザリは『死ぬ』ことを極度に恐れている。

 それは生物として当たり前の感情で、当たり前に未知の経験だ。自身の終焉、これ以上に先が無いのだと確信する感覚は絶望に等しいし、恐れは有り触れた反応である。

 しかし、カザリの恐怖の源泉は今に限って死に寄っていない。


 (なんで何でナンデなんで!?)


 頭が割れそうになる最中で、カザリが思い浮かべているのは先に過った幻覚のような何かだった。

 判然とせず、暗い視界の中で蠢いていた巨大な黒色。浮遊感と共に暗闇に投げ込まれ、耳に残るのはゴリゴリと何かが削れて折れる音。

 それが確かな記憶だとはまだ言い切れない。そも夢だったとしても不思議ではない。

 ただそれでも幻想はカザリを苛んで離さない。

 自分が既に死んでいるかもしれない、だという希薄な感覚が纏わりついて締め上げていく。


 (そんなことない・・絶対に違う、違うちがうちがうちがうちがう!!)


 そして、煮え立つ脳内をそのままにして―――ついに大熊がカザリを噛み砕こうと開いた口を閉め始める。

 ギチギチと肉の引き締まる音と共に並んだ牙が迫ってくる。さながらギロチンを思わせる光景にカザリは更に狂乱へと呑まれて、


 「あ」


 理性が(ほつ)れて、


 「ああああ」


 心が砕けて、


 「あああああああ」


 その視界が真っ黒に塗りつぶされて―――


 「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 ―――その声が、世界を裏返した。


                    ▽▽▽


 魔法とは何か。

 魔法を知らない者の多くは『見た事もないような何かを引き起こす摩訶不思議な物』という風に語る。

 例えば、手の平に火の玉を生み出して打ち出せるのだとか。

 例えば、木の葉のごとく身軽に中空を自由に飛んでみせるのだとか。

 例えば、死んだ人間を触れただけで生き返らせることが出来るのだとか。

 しかし、残念なことにそれらはあくまで噂でしか無く、魔法の実態とはかけ離れた内容だ。

 魔法が引き起こす事象の全ては摂理によって記録されているモノの再現。即ち、現実離れしたような事は起こせない。

 手の平に火の玉でも生み出そうとするならば、手のひらばかりか全身が火の海に呑まれる。

 空を飛ぼうとするのなら、周囲を根こそぎ吹き飛ばすような強風で吹き飛ばされる。

 死人を生き返そうとするなら―――それ以上の死体を積み上げることになる。

 一つ『A』という事象を起こすとすれば、その不都合を埋め合わせるべく別の事象が発生する。

 火の玉についてもう少し掘り下げると『拳と同じ大きさの火の玉を生み出したい』としたなら『それだけの大きさの熱量を人体の近くに発生してることにする』と変換され、『火種がない/人体が発火している事にすればよい』『動機がない/自らに火を放った事にすればよい』『事象の終息は? /人体の消失までが妥当』――――と、なる。

 

 願いがあったとして、それは『曲解』され『誇張』され『歪曲』されて出力されるのだ。


 魔法が発露されるまでの過程で摂理によって見聞される影響とも言おうか。

 過ぎた事を望めば、魔法は自らを簡単に蝕んで破滅させる。諸刃の剣とすらも言えない。その系譜に関わること自体が凶兆に触れていると同義だ。

 レノに語らせるのなら『その事実を認めるのに魔法使いは千年の時間が必要だった。 救いのない話だと思わんか?』とでも自虐的に笑うだろう。

 それ程までに、魔法などという代物に関わる事は自らの命を引き換えに―――否、差し出すことに変わりない。


 ただ、そんな壊れた結果ばかりを生み出していく魔法という奇跡の紛い物が千年もの間、人間の文化圏を冒していたことにも理由がある。


 とある魔法使い曰く『魔法とは、人と世界とを繋ぐ言葉だ』

 曰く『それは繊細で、さながら恋人に囁くがごとく聖心を持って、駒鳥のように歌わねばならない』

 曰く『自らと世界。 その関係を明らかにし、接点を生み出すことが魔法だ』

 曰く『あれは世界を誘因する手法の一つだ』

 

 「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 曰く、


 「死にたくない!!!!!」


 『正しい入力でもって世界はいくらでも塗り替えられる。 自らが望むがままに』


 「しにたくないぃいぃいぃいいいいいい!!!!!!!」


 カザリの絶叫が世界を統べる意思の琴線に触れる。

 剥き出しの欲。恥も外聞もない有様に――周囲の空気が凍る。

 それはうねり、収束して膨大な冷気を生み、冬の再来を知らせる暴風が森の中を駆ける。

 発光は一瞬で―――故に、逃げる隙など許さない。


 「Grouaa!?!?」


 肉が潰れて、血が噴き出す。

 しかし、それはカザリのものでは無い。

 

 「―――――――――――。」


 カザリの眼前まで迫り、今食おうとしていた大熊が宙に浮いている。

 否、カタルナの針葉樹を突き抜けんばかりに高所で肢体を投げ打って制止している。

 大熊を制止させているのは巨大な氷柱。地面から突き出した冷たく鋭利な剣たち。

 それらが大熊の腹に突き刺さり、その臓腑をずたずたに引き裂いている。

 喀血は一度だけ。

 その全てでもって、事象は完結する。


 揺るがない有利に酔いしれた大熊は、かつての魔女狩りがごとく磔に、哀れにも腹を貫かれて絶命した。

続きです。

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