息を止める
「・・・・ご、ほっ・・」
ごほっ、ごほっ、と。
飲んでしまった水が肺の方にまで入ってしまったのか、体が勝手に異物を排除しようと激しく咳き込む。そうして呼吸も整わない内に、カザリの意識は少しずつ光を帯びていく。
「ここ・・・?」
どこだろう、と言いかけて痛みが走る。
咄嗟に押さえたのは左の二の腕。触れた右手を見れば鮮血が滲んでいて、冷えて白くなった手のひらには余計に鮮やかに色が広がっていく。
いつ怪我をしたんだろう・・? 、と首を傾げてみると、
「いたっ・・!」
今度は動かした首が痛む。
そっと人差し指で痛みの箇所を触れると、すーっと一線を引いた傷が出来ていた。刃物で出来る綺麗な切り傷ではない。皮が弾けるように皺が寄っているのは、木のささくれに触ってしまった時のような生々しい跡をカザリに連想させた。
(・・・・木?)
と、そこまで考えてはっと辺りを見回す。
(私たちはエルタの針海を進んでいて・・・それで、たしか・・・・)
薄暗い、少しばかりの光を頼りに目を凝らし・・・幾重にも並び立つ木々を、頭上に重く圧し掛かる分厚い屋根を見た。
次いで下―――足元は土の感触も混じっているが、所々に闇よりも黒々とした木の音が突き出ているのが見えていた。
そして、また頭上を見上げて、
(・・・・違う。 あれは重なった葉っぱ・・・光を求めるあまりに育ち過ぎてしまった、歪な木の・・・・)
そこまで思考を巡らせて、やっと熱を上げてきた頭の中が一気に冷えた。
即ち、自分が何故、この森の中に居るのかという事に―――
「・・・・っ!」
慌てて立ち上がる。
「アレンさん! アレンさんっ!」
立ち上がって全身が重たい事に気づく。
アレンから貸し出された白のコートはすっかり水を吸い込んで、髪も首や頬に張り付いて酷く不快だ。付け加えて、体が完全に冷え切っている事にも遅きに意識が向く。
体の疲れも相まって体調は最悪といって差し支えない。
「アレンさーん! アレンさーーーん!!」
しかし、そんなのは些事に等しいと、心が焦って暗い最中を走り始める。
(声が届いてない・・? それとも返事が出来ない状態・・!?)
カザリが考えるのは最悪の状況。
大水に飲み込まれて、一緒に流されただろうアレンはカザリが目覚めた時に近くには居なかった。もし、何かの偶然で彼だけが遠くに流されてしまい、水に浸かったまま意識を取り戻せなかったとすれば・・・。
(・・・お願い、お願い! 返事をして・・!)
危険な場所だと再三に渡って警告されていたが、もうそんな事を言っている場合ではないと何度も何度も大声でアレンを呼ぶ。
しかし、答える声は無い。
風に揺れる葉、奥から流れる水、カザリの上げる飛沫。今、この場にあるのはその音たちだけ。
その事がカザリの余裕を奪っていき、くるぶしまで沈んでいる足の重さなどはとうに気にならなくなって、
「・・っ!」
走り、急ぐ足に予期せぬ何かが当たる。
薄暗い中で走り回った結果として順当な有様に、受け身もそこそこで派手に転んだカザリが「こんな時に何なのっ!」と振り返た。
「・・え?」
そして見つけるのは、ピクリとも動かないアレンの姿で、
「アレンさん!?」
一も二も無く倒れた彼に駆け寄る。
触れた肌は白のコート、その下の緑衣の上からでも分かるくらいに冷たく、上向きの顔は見るからに死者のように白く生気を感じられなかった。
「アレンさん! アレンさん!!」
耳元すぐで名前を呼ぶ。
体を揺すってみるが反応が薄い。呻くような声が漏れるだけで、目を開いてはくれない。
(冷たすぎる・・・・こんなの)
と、そこで触れている手が違う感触を伝えてくる。
それは水よりも重く手のひらを伝って、走りながらに薄れた血がまた滲んで・・・また滴ってカザリの手を汚していく。
「・・・・・。」
一瞬、カザリの全てが固まって、緩々と視線を持ち上げる。
碌に視界が利かない中、アレンの冷え切った体に動転して気が付けていなかった。いや、何も見えてすらいなかった。
アレンの体には虫が地面を這うような無数の切り傷が走っており、そこから全身を染める程の血が流れ出てしまっているのだ。
このままでは死ぬ。それはカザリの眼をしても明らかだった。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
アレンの顔色が白いのは、体が冷え切っているだけではないのだと理解できてう。
そして、
(死なせない・・・・・絶対に、死なせない・・!)
無理やりにアレンの体を起こす。
上半身を浮かし、そこに生まれた隙間にカザリは体を滑り込ませる。力の入っていない人間の体は思っているよりも重たく、カザリもそのまま倒れ込みそうになってしまう。
足場も悪く、ズルズルと靴底も滑っていく中、カザリはそれでも伸びきったアレンの腕を肩に回させて移動を試みる。
「・・・たすけ、て! みせます・・・からっ!」
ぐっと足に力を籠め、一歩また一歩と踏みしめて、
「あっ・・!」
支えられずにバランスを崩し、二人して倒れてしまう。
「くそ・・!」とめげずに立ち上がろうとするカザリは、
「いっっっ・・・!?」
左足に生じた強烈な痛みで動きを止めた。
「なにが・・・・・え?」
言いながらに痛みの箇所を見やってカザリが唖然とする。
エリィナ村で過ごす中で貰った薄手のズボンにが派手に破れており、そこから鮮血が溢れてきていた。特にふくらはぎは深々と抉られて、それを見るだけでもアレンを背負って移動しようとするのは無謀だと確信させられる有様だった。
「・・・・そ、んな」
ついさっき、走ってアレンを探した時には痛みなど感じなかった。
必死になり過ぎて気が付かなった・・?
それとも今、アレンを担いで転んだ時に・・・?
(・・・・そんな事はどうでもいい)
現状を正しく理解しなければいけない、とカザリは冷静になろうと息を吐く。
現状――――即ち、エルタの針海の端まで流されてしまっただろうアレンとカザリの二人は両名ともに行動不能。その最中でも足元を流れる冷たい水によって体温は下がり続けているし、そもそもアレンは一刻を争う状態にいる。
何をどう考えた所で、絶体絶命と言うほかに無い。
(・・・・・どうする。 どうすれば、いいの・・?)
一切の比喩も無く、絶望に片足を掴まれている気分だとカザリは思う。
ただ、それでも考える事だけは止めない。
もうそれ自体が現実から逃避する行動になりつつあっても、最後まで諦める事は出来ないのだと、そう思って、
「・・・・・・うそ、だ」
そう、思っていたのに、カザリの心が砕けた。
暗く冷たい水の流れていく森に、僅かな光すらも遮ってしまう大きな影が現れる。
カザリとアレンの目の前に、あの大熊が立っていた。
少し書けたので出します。
よろしくお願いします。




