二人で
走るよりは緩やかに、でも可能な限り早足で。
カタルナの耽溺から無事抜け出して、カザリたちはその円周部を移動していた。
カタルナほどに木々の密集も、異様な緑の匂いも無い。その点だけでもカザリにとっては過ごしやすさを感じてしまう程であったが、
(さすがに・・・あれから一度も止まらずに走りっぱなしはきついっ・・・・)
大熊をシュセンジュと呼ばれる謎の樹木に捕らえてからの事。
初めこそ大熊に対する恐怖ですぐにでも姿の見えない所へ行きたいと衝動的に行動していた。が、そんなものは体力の限界が近づくと跡形も無く砕けて、少し休みたいと心が傾く。
ただ、そんな事を果たして許してくれるかとカザリが躊躇してしまう程に、前を行くアレンは鬼気迫るものを感じさせて、
「・・・・・・・・・・。」
「はぁっ・・・・はっ・・・はぁ・・・!」
まるで息の上がっていない様も相まって、どう声を掛けたものかとカザリは思案気味に、思考を停止させていた。
(・・・まぁ、あれで捕まえられてるか分かんないって言ってたもんね)
もし、もう一度アレと出会ってしまったのなら逃げる事は出来ない。そう確信に至るだけの理由をカザリは目の当たりにしてしまっている。
異様と表せられるほどの執着、そして殺意。それらが伴った巨躯を躍動させる様は悪夢と言って他に言いようがない。
よって一分、一秒でも距離を稼いでおきたいという行動は理解できるのだが・・・・
「・・・あ・・・あのっ」
「ん? なに?」
カザリの声に息が乱れた様子も見せずアレンが振り返る。
汗すら流れた形跡もない様子に、若干の怖さを感じながら、
「えっと・・・これって、どこに向かってるんですか?」
気になったいた事。
大熊から逃げて、どこへと向かっているのかという疑問を口にした。
「あぁ、一応はエリィナ村に戻ってるところだよ」
「・・・あれ、いいんですか?」
「あの大熊に追いかけらているとして・・・今も毒で苦しんでいる人たちがいる。 折角、シュメイランの花を見つけられたんだから、それを届けてから対策を練るのでもいいかと思って」
まぁ、もしもがあれば先生がいるしね、と。
「アレンさんて、あの人をすごく信頼してるんですね・・・」
「・・・そりゃ、ね。 先生はいい加減な所があるけど、それでも命の恩人だから」
え・・・? 、とカザリの動きが止まる。
そして、今どこに居るのかすらも完全に忘れ、理解が出来ないとぐるぐると思考を巡らせて、
「・・・・何かの冗談ですよね?」
「悩み抜いて出たのがそれなんだね・・・」
先の緊張感は霧散して、さしものアレンも呆れ気味に返す。
「まぁ、カザリさんは先生に会って間もないし無理もないか」
「・・・その『いつか良さが分かるよ』風に言われても無理なものは無理ですからね?」
と、ほんの数分、足を止めている所に
ズシン、と。
少し離れた場所を震源にして地響きのような音が木霊した。
「これって・・」
「カザリ、経路を変更するよ」
そして、それが何の音であるかを理解したアレンの判断は早く、
「このコートを着て。 ここからエルタを抜けて行く」
逃げるための算段を付けて、即行動に移していくのであった。
▽▽▽
「はぁー・・・・」
白い息を吐いて、それが暗闇に霧散していく様を横目に見流す。
アレンから差し出された白毛のコートは生地が分厚く、着心地が良い。緑衣の上着も保温効果が云々など(レノの談によると)があるらしいのだが、カザリ的にはこれ以上ない程に快適だった。
そうして心に余裕を持たせる事が出来たからなのか。一切の光が指していない極寒のエルタの針海の最中であってもカザリは落ち着いて—――寧ろ、早足での移動が無くなった分、幾分かの元気を取り戻していた。
「アレンさん、あの・・・」
だから、細橋・・・というより綱渡りみたいな道を行きながら、カザリは気になる事を尋ねるだけの勇気を手にしていた。
「さっきの音って、熊が逃げ出したって事でしょうか・・?」
「多分、ね」
確証はないんだけど、と語尾を濁して、
「音の方向がカタルナ方面からだった。 何をすればあんな音が鳴るのか分かんないけど・・・」
「・・・・・・。」
先を行くアレンの顔は見えない。が、不思議とカザリは眉を寄せて渋面を作っているアレンを想像できた。
「・・・最善は村に薬草を届ける事、ですよね」
少し、遠慮がちにカザリが言葉にする。
「判断するための材料な手に入らない中でアレンさんの決断は間違いないと・・思います。 私みたいな役立たずも連れてるんですし、それに・・・」
「・・・・・。」
それに・・・、と続けようとして、一瞬嫌な顔を思い出す。
「・・・・・。」
そうして少し口ごもり、
「村にはレノ・・・さん、もいる事ですし、何とかしてくれますよ。 ・・・多分」
何でもいいから言葉にしなくては、という切迫感が思ってもいない事をカザリに言わせる。
口が裂けても言いたくは無かったレノへの世辞(?)を口にして、今度はカザリが苦々しい思いで顔をしかめて、
「・・・ぷっ」
気遣われたアレンは思わずと吹き出して、
「・・・カザリも先生の頼もしさに気づいたのかい?」
「・・・・・・・・言葉の綾です」
というか冗談でも止めて下さい、とカザリは更に深く顔に皺を寄せた。
アレンは振り返らないまま、しかしカザリの表情を読んでいるのか「はははは」と揶揄うように笑って、
「ありがとう。 不安がない訳じゃなかったから・・・吹っ切れた」
そして、今度はちゃんとカザリの方を振り返って、
「それじゃ、頑張った分は先生にも頑張ってもらおう」
「・・はい。 というか、今までの超過分も存分に頑張っちゃってもらいましょう!」
ははははは、と僅かなランプの光が揺れるだけのエルタに笑い声が響く。
そうして、一仕切り笑って改めて細字をゆっくりと歩いていき、
「そう言えば・・・・ここは水が流れてないんですね」
舌が回るようになってきなんだから、と歩きながら気になる事を聞いてみる。
「ん? あぁ、雪解け水の事か。 あれは一度見ると忘れようがないもんね」
進む速度は変わらず、前を向いたままアレンが疑問に応じてくれるようで、「純粋に土地の高さで流れにくいてのもあるんだけどね」と前置きして、
「あれだけ大量の雪解け水は、この山嶺中から流れ込んできていてね。 春季にはこのケルマ大森林を横断するように期間限定の大河を作り出す—――その大きな川が流れ込むのがエルタの針海」
ふんふん、とカザリは頷き返す。
「それで、このエルタの特徴に掛かってくるんだけど・・・カザリ、ここの特徴を端的に言うとどうなる?」
「・・・急に質問形式」
「あぁいや・・・・ボクが話してるだけだと退屈じゃないかなって」
「ん・・・んー」
思わぬ言葉の返しに戸惑いを覚えつつ、カザリは少し考えて、
「・・・・・・・木が、多い・・・って事ですよね?」
「そうそう」
何か別のことを聞いているのかと思って自信なさげに言った答えに正解を貰う。ホッと一安心するカザリを、
「それじゃもう一つ。 そのエルタに流れ込む雪解け水ですが、初めはどんな風に流れていくと思いますか?」
「へ!?」
次いで二問目。
更には想像で補うしか無いような質問に、突発的にカザリが処理しきれるはずも無く、
「・・・・・・・・・・すい、ません・・」
「あ、謝る事ではないよ?」
その悲痛な声色にアレンも慌ててフォローを入れて「えっとね・・」と、カザリからは後ろ姿ながら困った顔をしているのが分かるような身振り手振りで、
「・・・分かりやすそうな例え話。 ではないかも、しれないんだけど・・」
「は、はい」
その見慣れない(カザリにとっては)挙動のアレンに不思議な親近感を覚えながら、カザリは頷く。
「川で網を渡しておいて、それを引き上げるじゃない・・・?」
「はい」
「水は引っ掛からずに流れていくけど、それ以外・・・魚とか木の枝なんかは網に引っ掛かってくるよね・・?」
「・・・はい」
「それと・・・同じ、というか」
「・・・・・・・・・・・そう、なんですね?」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
これで説明は終わりらしい。
「えっと・・・」
「なんか・・・ごめんね」
あ、いえ・・・・、と視線を外すカザリ。
あまりに居た堪れないので、アレンが言おうとせんとする内容を理解すべく、無い頭を巡らせてみて、
「・・・・この密集した木が例え話の網・・・の役割になるって事ですよね?」
「! そうそう!」
「んー・・・分かんないんですけど、ただの雪解け水なのに網―――木々に挟まるものがあるんですか?」
そうカザリが言うと「ん?」とアレンは振り返り、真っすぐにカザリを見据えて
「あ・・・そうか。 まず、そこから外と違うのか」
「・・・?」
話が噛み合っていない所が何であるのかを理解したらしく独り言を呟く。
そして、アレンは
「多分、カザリが知っている雪解けっていうのは緩やかに起こるものなんだろうけど」
「ここでは違うんですか?」
そもそも緩やかじゃない雪解けというのもよく分からないではあるけれど、と思うカザリではある。
それをアレンは「うん」と肯定して、
「一度に大量の水が集まって・・・こう、間欠泉みたいに噴き出るんだよね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ・・なる、ほど」
もう何度もレノから森の環境や人々の生活状況などを聞いて驚いていた訳で、幾分かの耐性を手に入れる事に成功したカザリは、
「・・・・はぁ?」
いや何その謎の現象は、と耐えられず戸惑いの声を上げた。
「まぁ、ボクらも何でそんな事が起きるのかはよく分かってないんだけどね。 春季の初めごろに山脈と森の境目の岩肌や地面から滲み出て、やがては勢いよく湧き上がっているんだ」
「・・・・・なるほ、ど・・?」
もう細かい事は考えないでおこう・・・、と取りえずは飲み込む姿勢で臨むことにした。
「そうして流れ出た雪解けの水は勢いよく周囲の物を巻き込んで流れ出し・・・多量の土砂を含んだ濁流となるんだ。 そして、それがエルタに辿り着くと密集した木々に引っ掛かって堆積していく」
そうすると、とアレンは立ち止まって暗闇の向こうへ右腕を伸ばして、
「見えないけど、こっから上流の方へ行くと土や倒木で出来た壁がある。 先生風に言わせると自然の止水ダム・・・・なんだとか?」
「・・・? ダム、ですか?」
「うん、まぁ。 偶に先生は変な言葉を作り出すから・・・水を塞き止める仕組みの事だと思うよ」
ま、という訳で、とまたアレンは歩き出し、
「これがエルタの針海で水が入り込んでいない場所がある事の説明。 ・・・ちょっとは分かったかな?」
そのアレンの返答を、カザリは「はい」と鷹揚に頷いて、
「理解しようが無い・・って思い知りました」
気の抜けたように笑った。
それを聞いてアレンも「うん、確かに」と同じく笑ったのだった。
そして—―――――ビキッ、と。
小さな異音。
二人は気づかず、
ビキ、ビキビキビキビキバキッバキバキバキバキっっ!!!!
「―――え?」
気が付いた時には、迫った濁流に二人は飲み込まれていた。
よろしくお願いします。




