逃げても無駄だそうです、はい・・・
この世界における全ての現象は、摂理と呼ばれる既定の元に発生している。
言うなればルールという訳だ。
ただ、背くことの出来ない絶対の、と言葉が先んじる類の。
繰り返しになるが、この世界における全ての物理的、精神的、または霊的な現象は例外なく摂理を元にして起こっている。
言い方を変えれば、摂理があってこそ事象は発現する。
そこに逆行する余地などはなく、頬を撫でていく風も、水が流れ落ちていくのにも、それこそ自身が生まれたのにも。誰一人、何一つも例外なく摂理によって施かれた予定調和だ。
自分の中に生まれた感情であっても、またその例外からは逃れられない。
しかし、世の中は絶対の法則である摂理の完全な統治下にある訳ではない。
その最たるものが魔法だ。
魔法は今から数世紀前に発見された、ある種で宗教的と表現できる技術系統の一つだ。
その魔法とは、摂理の規定した内の現象を任意に発生させるといったもので、正確に言えば摂理との関係性は寧ろ従属に近しい。
では、何をもって摂理の統治から逃れていると言えるのか。
それを説明するためには、魔法を使うために必要な因子である『マナ』と『魔法式』について触れる必要がある。
まず、マナについて―――
(あの・・・レノさん?)
・・・・まず、マナについてだが。
これを端的に言ってしまうならば、摂理から発信される現象発露の命令信号を対象の物質に伝達する役割を持っている概念物質、だ。
言い方が迂遠で、ややこしい事この上ないのは自省するところではあるが、一口に説明をしたならばこうなってしまう。
世界に溢れる事象の全ては、摂理によって前もって決定されたものであるとは先に言った通りだ。
それを踏まえて、予定されている因果から起こるとされる事象―――ここではリンゴが地面に落ちたという出来事があったとする。
地面へと叩きつけられたリンゴは、その衝撃に耐えるか、または中身を飛び散らせることになるのが予測される事象の範疇だ。その結末へと至るためには勿論、リンゴそのものの耐久力や落ちた高さなどで変わっていく。
その他には、落ちる地面が柔らかい土なのかとか、実は斜面であったりとか。
落ちていくリンゴの結末を紐解く程度の事なのに、思考するためには多くの因子を考慮しなければならない。
しかし、摂理にとっての視点で言うならば、因果も結末も全ては逆転しているのだ。
リンゴが砕けたから、リンゴは木に成っていて。
リンゴが落ちたから、リンゴは重く熟していた。
結果も、要因も、因子も、過程も。全てが反転して、矛盾していて、破綻している。
そうした逆転を解消するために必要なのが、双方に起こる事象を伝えるマナというものなのだ。
因果関係を正しく調律し、現象として発露させる。それがマナの持つ役割となる。
(聞こえてますか? ・・・・聞こえてますよね?)
では、次に魔法式についてだ。
魔法式とは、マナに干渉する為の手立て、だ。
・・・これでは逆に言葉足らずに過ぎるが、言うなれば魔法式とは摂理から落とされる命令文を騙っただけの文法なのだ。
マナは、摂理から発信される物理現象を発露する命令に従って、世界に改編を働きかけている。
その命令が発行されて、また実行されるまでに一切のタイムラグも存在しない。あらかじめ起こる事象が決定されていることも関係しているが、何より摂理が発している命令は無駄なく、矛盾なくマナへと電波されることが一番の理由だ。
魔法使いも人間も、今現在において人語を用いた伝音的な方法が最も効率がいい意思伝達の手段として用いられている。
それを優に超える伝達方法が、あくまで概念の範疇で存在している。
魔法の始祖。
偉大なる始まりの魔法使いは、そのマナへと伝播されている『命令文』を発見した。
観測も不可能で、考えるだけでも不合理極まりない理論だ。しかし、その狂気を越えた信条でもって克服し、人間が理解できるように体系化したのが魔法式だ。
つまりは魔法式とは、摂理から発せられる命令書を偽造し、摂理の絶対性の威を借る偽物なのだ。
さて、何をもって魔法は摂理の統治から逃れているかという問いに戻ろ―――
(聞こえてますよね!? お願いしますから一人にしないでくださいよぉ!)
ガクガクガクガクガクガクガクガクユサユサユサユサユサユサユサユサ・・・・・
・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
すぅ、はぁ・・・。
世界を統治する摂理という概念は、その絶対性においては比較の意味を持たない。世界がどの航路を行き、どの結末を辿るのが最適かを判断し、資源ある限りをもって世界の生存を選択し続ける。ただそのためだけにある機構は、その不壊性または硬度を不解限度と表される。それは魔法における現存可能な時間を示す指標になったり、摂理そのものに対しての有毒さを意味する指数としても用いられ、その指数が良好であるかが魔法の優勢さの表れである。また、摂理を絶対不解限界といい、改編不可能な存在として定義し、その他の魔法を三つの規格で分類している。特に改編が容易で、摂理に対する防御性が皆無といっていいほど脆弱なものを容律。逆に改編が難しく、摂理には及ばないまでも高い不解性を持つ堅律。そして、その中域を示すのが中律となる。そうした魔法に対する硬度を表す指標とはまた違うものではあるが、類似した概念として位相深度がある。これ自体は通常の魔法に使うものではなく、魔法使いとして生まれ直した際に発現する権位に対応した概念だ。魔法使いが手に入れる唯一、自由に限度無く使用できるアジレスと呼ばれる権能は、摂理から剥落した、またははく奪することに成功した規律であると考えられている。魔法使い一人につき一つ。自身と同化してしまった世界を規定する原理は、魔法使いを生き永らえさせるために必要なものではあるが、同時に人としての枠を損壊させてしまう原因にもなって―――。
(戻ってくださいっ!!)
・・・・・にもなって。
(お義父さん!!!)
「誰がお義父さんだ死にたいかお前あぁぁぁあああ!?!?!?」
額を割らんばかりに、全身全力で叫び散らして魔法使いは現実へと帰還する。
機能を停止させていた感性は、本人の意思に関係なく正常に働き、可能な限りの情報を統制して知覚させてくる。
怒号を飲み込んでしまいそうな轟音を立てる川の流れ、少し湿り気のある空気。
視線の端に広がる木々の奥からは低く囁くような鳥の声が聞こえ、足元の不安感は不揃いの石ころを踏んでいるからだ。
そして、自分が身に着けている防寒具の重さも思い出して。
自分が今、どこにいるのかを正確に知ってしまった。
(・・・いやだぁ、めんどくさい、かえりたい)
現実から逃走を図ること十分程。
徹底して感覚器官の機能を排斥して、もう戻らないと覚悟して思考の海に投身したというのに、レノ・クラフトは戻ることを余儀なくされた。
それこそ、これ以上に無く潔く現実から自己を切り離したというのに、たった一声で叩き起こされてしまった。溢れる虚脱感もひとしおだ。
「・・・あの、レノさん」
控え目な声に、困惑と不安を一緒に混ぜて、アレン・メイズが立ち尽くしている。
最近では頼もしくなったと感じさせる一面もあったりしたのだが。
取り繕う余裕もなくなって、若干涙目になっている青年は『頼もしい』と表すのは躊躇われてしまう。
その情けない姿に、先ほどの失言を怒る気も霧散してしまって、深く深く溜息を吐いた。
「はぁぁぁぁぁ・・・・・・・」
肺に残った息を全て吐き出して、億劫に思ったが、また空気を吸い込む。
そして、
「・・・・・戻すなよぉ」
「そういう訳にはいかないでしょ・・・」
青年の声と勝るとも劣らない、そんな情けのない声を吐き出して、二人して横たわる厄介ごとを見た。
状況はさして変わらず、知らないうちに居なくなってたとか気が利く展開もない。
裸の少女は、寝るには向かない石ころの上に寝そべったまま、呑気で平和な寝息を立てている。
「「・・・・・・・・・・・はぁ」」
▽▽▽
改めて言う事ではないが、ここケルマ大森林は何の装備もせずに生き延びられるような場所ではない。
あらゆる奇跡を費やしてみせた所で、一日を超えることも難しい。
それほど人など無力脆弱、体のいい森の養分という訳だ。
ここでの絶対の法則があるとすれば、それは間違いなく森の運営を永続させる事、だろう。
生物の生と死は、森にとっての資源の運用以上に意味はない。
それ故に、ここでは命の重さは考慮されることなく、使いつぶされる運命にある。
「・・・・すー・・・・すー」
「呼吸してますね・・・・」
「しちゃってるなぁ・・・・・・」
だからこそ、肌に傷一つもなく人が裸で寝こけてるなんて状況は、信じがたい異常事態なのだ。
「レノさん・・・」
「はいはい・・・・分かったって」
相方である青年から急かすように促され、仕方がないと少女の形をした何かを正面から見据える。
見れば見るほどに極普通の少女に見えるソレは、呼吸のたびに動く腹や胸の動きから、どうしようもなく生物的な生理現象を繰り返しているようにしか観測できない。
それ以上でも、それ以下でもなく。過剰も、不足も一切なく。
『彼女は人間の女性だ』以外の結論は、紐解くことが出来ない。
「はぁ・・・」
短く息を吐く。
ダメもとで敢行した現実逃避は、相方によって阻止され抵抗は無駄となった。
無駄で、無意味。それが分かってしまったのなら、逃げることが叶わないのは明白だ。
だとすれば、レノに残された選択肢で抗う方法は、たった一つをもって他にない。
じゃぁ、始めるか、と仕方なしに、埋没するために使用していた思考の炉に火をくべる。
(息してるってことは・・・人間でいう腹部に膨張が可能な器官をもってるってことか? いや、そもそも動物である可能性を破棄していいのか? ていうか、植物の変異種だと仮定したところで何故この河原にいる? これだけの水量ならどんな所にだって流されても仕方ないことだし。 でも、あの肌は何の色素で表せてるんだ? 人間の体から直接剥ぎ取ったって言われた方がまだ納得でき――いや――でも―――しかし―――)
仮定、検証、否定、再試行。
頭蓋の内側に嫌な熱が溜まるような幻覚を覚えつつ、しらみつぶしに可能性を振るいに掛けていく。
(疑問の原点・・・それは目の前にあるのがヒトの形をしていること)
(生物云々の前に、アレは人間じゃない。 それは確実だ)
(でも、人の形をしてるってことは何を意味してる? その因子を持った何か?)
(生物である事は・・・・・否定できないが、あり得ない。 純粋に擬態しただけの生物だとして人に擬態するメリットが皆無だ)
(では、他の生物を捕食するための罠とはどうだろう)
(・・・それもまた人の形をする意味がない。 人である必要があるのだと仮定すると?)
(・・・捕食しやすい以外に候補が浮かばない。 いや、そもそも人の容姿を初めからしていたとすればどうだろうか?)
(元々が人を模倣していた・・・・それでいて生物ではないのだとしたら?)
(人の形をして・・・・・生き物じゃない?)
と、そこまで考えて。
うあぁぁぁ・・・・・・・と、脱力と溜息が混じった声と共に崩れ落ちそうになった。
(・・・・結論として、それ以外は考えられない)
アレを発見した時から既に嫌な予感はしていたが、至極当然に予感は現実となって追いついてきた。
だから逃げたというのに、と後悔したところでもう遅い。
(ホント・・・どうしたもんかな)
若干、逃避を交えて意味もなく状況を俯瞰していると、隣から少し焦った風の声が掛かる。
「あの・・レノさん、あの子の正体が分かったんですか?」
「あぁ・・・いや、まぁ」
正体は突き止めた。
しかし、どう説明したものかと曖昧な肯定で誤魔化して、途方に暮れそうになる。
ただ一言、『面倒くさい』と純粋な欲求が、行動理念に上書きを掛けるほど大きく膨れ上がってるのを自覚する。
本当に碌でもない感情だとは思う。しかし、どちらの道を選ぶかがレノの必要労務状況を変化させうるとなれば、至上命題と言っても過言ではない。
そして、どちらが超過勤務を求められる事になるかは明白なので、取るべき選択は一つ限りだ。
(・・・・・正直に伝えるか・・)
まぁ、それでもアレンという青年への誠意というか、信頼というか。
それを裏切ってしまうことは選べないのである。
観念したとか、諦めたとか、それっぽい言葉が脳裏をちら付くが、全力で無視した。
「アレン、あのな―――」
「・・・大丈夫です。 準備は出来てます」
「―――はい?」
一瞬何を言われているのか分からず、咄嗟に疑問形になった返事を返す。
背負ったバックの留め金に指を掛けて、アレンはいざとなれば荷物を放り捨てて逃げれる態勢となっている。
彼がこの森への遠征に加わるようになったのは、ここ数年の内だ。
経験の浅さは自分でも自覚する所なのだろう、それを補うための努力は真面目な性格と相まって、結果として表れていた。
年若いにも関わらず、レノと二人での遠征を認めたのもそうした彼の在り方に起因している。
だから、危険度の判断できない状況下であっても、己の出来る事の選択肢を狭めないために。
今すぐに逃げろと、命令が飛んできても直ぐに対応できるようにしているという訳だ。
「・・・・・アレン」
思わず名前を呼び、胸中の感動を言葉に乗せてしまう前に、瞼を閉じて視界を暗くした。
そして、口角が上がってしまうのを知覚しながら、相方の肩に手をポンと置く。
「いい判断だ。 このまま静かに後退していくぞ」
これは不可抗力です未知との遭遇時には当然としてある選択肢です彼は間違っていないのです、と。
誠意がどうとか、信頼がどうとか。
果たして語った意味があったのか。
全力で、その場の空気に迎合して乗り切ることにしたレノ・クラフトであった。
そんな碌でもない判断が下されたとは露知らず、アレンは『静かに』の指示に従って頷き返し、後退を始める。
慎重に、足元の石が擦れる音にも細心の注意を払い後ずさる青年を、視界の端まで見届けてレノも同様に後ろ向きに進行する。
あの少女を視界の内に収めながら逃げる必要もないのだが、緊迫感があって他の事に思考が追い付かないと踏んで黙っておく事にした。あとは無事に、あの少女が見えなくなる所まで引き返して―――
「・・・・・ぅん、ぁ・・・・」
まるで狙いすましたかのように、少女が身じろぎをした。
それがベッドの上ならいざ知らず、尖った石が転がる川辺で寝がえりを打とうものなら必定の運命が待っているとういものだ。
「・・・・・・・・・・・・・あれ?」
(いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!)
声には、出さない。
絶叫は飲み込んで、勢いよくアレンの方へ首を向ける。
『焦るな、後退を継続しろ!』
視線だけで伝心し、アレンも焦った表情ではあったがコクコクと頷いてくれた。
少女から距離は十メートル程で、こちら二人に気づいている可能性は低いと言える。
いや、気づいていないはずだ。
気づいている訳がない。
気づかないで下さい、お願いだから!
「・・・・私・・え?」
懸命な、を軽く通り越えて無様な懇願が通じたのか、少女は未だ呆けたままだ。
当然と言えば当然の反応だが、今はその機に乗じて少しでも距離を確保し、最良を言うなら視界から完全に外れてしまいたい。
今のうちだ、と背後に進む足に力を込め、予見しないものにバフっとぶつかった。
(・・・・・・ん?)
振り返って確かめると、そこには先行していたはずの長身が突っ立っていた。
『何やってる今のうちに―――』
完全に警戒心が抜け落ちてしまった表情の相方に、再び進むように促そうとして、
「・・・・・・・・・・ぃっ・・」
今度は進行方向とは逆の、つまりはレノにとっての前方から微かに絞り出したようにか細い声が聞こえた。
ぎしゃり、と首が固まる。
何やら聞こえてはならないものが耳を掠めた気がして、強制的に動作を止める。
(いかん・・・振り返ってはいけない)
つい最近にそれに似た場面を体感したばかりで、二度と同じ轍は踏むまいと決心したのが昨日である。
それを破ったならば、必ず後悔する。
「あ、あの・・レノさん」
(やめろ。 そんな如何にも振り返ってしまいたくなるような躊躇をするんじゃねぇ)
聞こえてない聞こえてない、と既に相手の術中に嵌まり込んでしまっている青年に向けて首を振る。
ていうか、川の流れる音がこれほど大きいのだ。
気のせいなんてこともあるに決まって―――
「・・・・・うっく・・・ひぅ・・・・・・」
引きつった、湿り気のある声が聞こえた。
(・・・・き、聞こえっ・・て・・・ない!)
一瞬、首が自動的に動こうとしてしまったが、強靭な心根で縫い留める。
大丈夫、大丈夫大丈夫。
まだだから! まだ全然、大丈夫だから!
振り返る必要なんてないから!
気にする必要なんてこれっぽっちもありはしないから!
だから、アレンさんそんな顔しないで下さい。小さく「・・あ」とか言ってんじゃないよ。大体、後ろの状況とか分かってんだよ。そこで無責任な善意を振りかざさなくていいの。私たちにはどうしようもないことが沢山あるのだから、これもその一つだと思って・・・。いや、そんな『助けてあげましょ』とかいいから。いらないから。無理無理。無理だって。それに忘れたのかい。それはアブナイ何かだから。きっと近づいたところをバクっとされるだけだから。私たちが出来ることを遂行しな
「・・・ひぐっ・・うぅぅ、ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・・!」
ざぐっ! と。
心臓を串刺しにされたような痛みが走った。
―――そして、それで観念した。
「アレン・・・」
振り返る。
うずくまって、体をかき抱くようにして丸まっている少女は、嗚咽して涙を流し続けている。
その様子を見た。見てしまった。
「・・・・・連れてくぞ」
レノは着込んでいた自分の防寒具を脱ぎ捨てると、アレンに向かって投げて渡す。
体格的に、この一枚でも彼女をすっぽりと覆ってしまえることだろう。
「ありがとうございます・・・!」
その意味を即座に理解して、アレンは少女の元へと駆けていく。
「あー・・・・ホントどうするかな」
その姿を見送りながら、思わずつぶやいてしまう。
あぁ、願わくば夜になる前に帰れるように、と。
乱れに乱れてしまった遠征計画を再調整しながら、他人後事のように思うのであった。
一か月ぶりの投稿です。
まさかのストックなしで、計画性皆無ですがお付き合い頂けると幸いです。