それは轟く
「・・・・すっごい流れ」
道行の途中、カザリはすぐ近くを流れていく急流の勢いを見て思わずと声を上げた。
カタルナの耽溺から離れて、エルタの針海の方面―――鬱葱とした密林から轟音が響く水場へと。
移動したカザリが目にしたのはあまりにも非現実的な光景であった。
山をくり抜いてきたような大岩に、高々と大波が打ち付けてしぶきを上げる。
巨大なヘビがその巨躯をくねらせるような大質量の水が止めどなく流れる。
上流からは樹木や小岩が、さも当然と言わんばかりに流されていく。
・・・・洪水の時でも、ここまで冗談じみた光景にはならないだろうと、確信をもってカザリは思った。
「これ全部、雪解け水なんだっけ・・・」
もうどの辺りで驚いたものかと感覚が麻痺していく中で、レノから不意に聞いた説明を思い出す。
確か、彼曰く・・・。
『このケルマ大森林ってのは四方すべてを標高の高い山脈に囲まれててな。 冬季ともなると、森すらも埋めて下敷きにしてしまうくらいの降雪がある』
『そんで森は盆地状・・・水盆みたいに底が凹んでいて、春先の今となると周囲の山から流れ出る雪解けの水が一斉に流れ込んでくる』
『それがこの光景の原因て訳だ。 ま、主要な所がって話だがな』
「・・・『主要な』とか。 じゃぁそれ以外の理由って何ですか、って気になるですけど」
レノへの文句を少々と、ため息を一つ。
先の事―――レノが口にした記憶に残りづらい云々について、当然ながらカザリは許したつもりはない。必ずレイラを交えた上でしっかりと意図を言及してやると、心に決めているまである程には怒っている。
『お前とは仲良くやっていきたい』とか言っておいて、その端々におざなりな態度が見え隠れしているレノに対して、彼の言うように今後を見越して腰を据えた話し合いが必要だ。それはもうじっくりと、レノが反省の末に泣いて謝ってくるまでは続けてやると固く心に誓う程度には。
「・・・・・・ふぅー・・・・」
まぁ、だから。
怒っている事に変わりないとして、今はぐっと堪えるのだ。
それに本人がいない場所で怒ったところで意味はないのだし。そもそも、文句なんてものは直接、しかも至近距離で叩き込むことに満足を得られるんだから。短気になって、それを損なうなんて勿体ない事をしたくない。
この森の中で危険を冒したくないという事に加えても、だ。
「流石にこの流れだと何も残ってないな」
「途中で痕跡も消えちゃってましたからね・・・」
少し離れた川の浅瀬でジルバとレノの声が聞こえてくる。
川底を覗き込んで、折れた枝なんかを使って「あれがない」だの「これもない」だのと何度も場所を変えては言い合っている様を、カザリはかれこれ一時間も前から眺めている。
レノに追いつき、その言動に激怒して、ジルバによって宥められた後。カザリは二人から遠征中に起きた緊急事態について説明を受けた。
その話を要約すると、カタルナの雑木林をなぎ倒していった生き物を見つけ出さなければいけないとの事で、その重要性やら危険度なんかも命を懸けるに足る行為であるのだとか。
『もう全班に対して帰宅を通達してしまった後なんだ。 今から合流するとなると・・・』
『だから消去法でカザリさんには俺たちと一緒に行動してもらうしかない』
『・・・危険がどうとか言った後からですまないが、一人で行動するよりも生存率が上がると納得して欲しい』
とは、レノと一緒にいたジルバさんの言だ。
カザリとしては何を言われた所で一人きりで行動するなどは思いつきもしない考えであるから元より文句のあるはずもない。
そんな事は知っているはずなのに、改めてどんな不利益を被るかを話すジルバはきっと曲がった事が嫌いなのだろうと、カザリは勝手ながら思ってしまう。というか、相手によっては逆上されてしまうような、自身にとって何ら益にならない事を淡々と、丁寧に説明してくれるのだからそれだけ不器用な質なのだろう、と。
あまり人を見る目がないカザリをしても察せられてしまうのだ。
「・・・そういう気質だから、私も話を聞こうって思えたんだろうな」
「誰が何だって?」
と、すぐ隣から声が掛けられた。
それが誰であるかは分かっていたので、無言のまま見上げると不思議そうな顔をしたレノと目が合った。
「・・もういいんですか」
「ん? あぁ、」
カザリがそう言うと、レノは先まで立っていた細い足場の方へと見やって、「見ての通りだ」と視線を戻した。
「ここら一帯を調べてはみたがなーんも収穫はなし。 足跡が水場に向かい始めた時から危惧はしていたんだが・・・案の定というか、水流に巻かれて何も残っちゃいない」
「それは、まぁ・・・・お疲れさまですね」
心にもないカザリの反応に、レノは気にした風もなく「まったくだ」と肩をすくめて見せ、
「歩いただろうルート一帯を草の子かき分けて探しても爪はおろか体毛すらも見つからなかった・・・一時間以上を費やしているのにも関わらず、だ。 まったく、勘弁して欲しいよ」
気軽い仕草では隠し切れていない怒り・・・のような、焦りを滲ませる言葉を放った。
寧ろ舌打ちでもしそうなレノの様子に面食うカザリは「・・そこまではっきりと愚痴るんですね」と一言。
「そりゃぁお前、愚痴の一つも言いたくなるってもんだ。 こっちは文字通り命を投げ打つ覚悟で来てるってのに、ここまで何も見つからんとなると無駄足もいい所だからな・・」
「・・・? でも、それって逆に言えば命拾いしたって事ですよね?」
何が不満なんですか、と。
そうい意味合いを含んだ問いにレノは「んー・・?」と眉を伏せて、
「あぁ・・『そこまではっきりと』って言ったのは、命拾いに掛けてたからか」
妙に得心がいったと頷いた。
「何を一人納得してるんですか・・」
置いてけぼりをくらうカザリは当然に不満顔を、それに対してレノは「いや悪い」と謝って、
「なんか、改めて認識の差を自覚したってだけの話だ」
「・・・・よく分からないですけど。 それで? 私、変なこと言いましたか?」
「言ってないぞ。 ・・ただ、この森の住人として、危機感の違いを感じちまったって話だ」
「・・・・???」
要領を得ないレノの語り口に大量の疑問符を浮かべるカザリ。
レノは「いいか」とピンと右の人差し指を立て、
「今、オレたちは変異体と呼ばれる個体を探していて、正体を掴むための痕跡が全く見つかっていない。 雑木林を更地に変えてしまえるような怪物を相手にして全くの無知を晒している訳だ」
「・・・何も分かってないのは分かりますけど、それって命よりも重要なんですか?」
「当然だ」
それよりも大切なものとか無いでしょ? 、と暗に言うカザリを正面切ってバッサリとレノは否定する。
「そこいらの木を倒せてしまうって事は村を覆っている壁をいつでも破壊できるって事になるだろ。 それに加えて、捕捉できた場所だけを見ても変異体の行動範囲はかなり広いと考えられる・・・そこから考えられる最悪な事象と言えば何だ?」
レノが立てていた指をずいっとカザリへと向ける。
その仕草に口元をへの字に曲げて、向けられた指を押し返しながらカザリは、
「村が襲われる、とかですか?」
「まさに。 その通りだ」
満足げに頷くレノは「そうなると必然」と続けて、
「オレたち三人なんかの命では勘定に掛けようがない犠牲が出る・・・ともすれば、命を投げ打とうが何らかの情報を持ち帰りたいと思うものだろ?」
「・・・なるほど」
では、とカザリは反芻し、
「今って・・・大分、危険な状況になりつつあるって事です、か?」
「・・・・・・・あー、まぁ・・そうだな」
カザリの問いに、先まで明瞭に答えていたレノが急に口ごもる。
どこか気まずげにレノは視線を彷徨わせ、何を言うべきかと考える風に腕組みをして、
「・・・・・・・。」
失言だった、と。
そう言うように息を吐き、まっすぐに見つめるカザリに目線を戻す。そして、静かに口を開いて、
「・・・・ん?」
レノの視線が前方に向けらた。カザリも釣られて見ると、急流の方――橋が使い物になるかを確認していたジルバが手を振っていた。
通行可能の報せを伝えるジルバに手を振り返してレノは、
「お前はそこまで気にすることじゃないさ」
「・・・え」
「危険だ危険だーって言ってはみたがな、これでもオレやあいつ等は七十年はこの森で暮らしてきたんだ。 この程度の危機は日常の延長みたいなもんだ・・・それに今回は無理に連れてくる事にもなっちまったしな」
まぁ、だから、とレノはジルバの待つ方へ――カザリに背を向けて歩き出し、
「適材適所って言うだろ。 お前は、お前がするべきことを優先して考えればいいんだよ」
▽▽▽
(なによ、あの言いぐさは・・)
水流に巻かれて、ガタガタと音を立てて揺れる橋の上を歩くカザリは、肩を怒らせ――それを寸での所で抑え込んでいた。
(何が『気にするな』よ! こんな場所にまで連れてきておいて、今更無関心でいれる訳ないじゃないのっ・・・!)
エリィナ村とカザリとの関係を取り持とうとしてきたのはレノ・クラフトだ。
カザリのために催した歓迎会に、錬樹館での急なお仕事体験。加えて、この遠征へと無理やりにカザリを連れて来た事。すべてに一貫性はないように思えてくるけれど、それらはエリィナ村とカザリの関係性という一面を以て観察すれば双方を引き合わせようとする意志が見えてくる。
遠征前の集会場でカザリはリアラという女性に会っていた。その女性曰く『先生は何も考えなしにあなたを連れまわそうと考えるはずないの』『油断しないで。 あの人は自分が全くの無害だって思ってる節があるけど事実はそうじゃない・・・考えるのを止めちゃダメよ』との事だ。
お陰でレノの目的をカザリであっても知る事が出来たりしたのだ―――が。
(それはそうと今になって引き離すみたいな事を言うのは何ー!?)
レノの思惑を知れた所で、カザリが村人と親しくなりたいと思っていた事実に変わりはなし。
よって彼女が怒っているのはレノの自分勝手とも取れる言動についてだ。
「気にするな」と。
聞きようによっては「お前には関係ない」と意味を持ちそうな言葉に、思惑云々に関して我関せずを貫こうしたカザリは『はぁ!? 私が折角、手を差し伸べてるのに何だソレはぁ!?』となった訳だ。
レノとしてはカザリに無用な心労を掛けたくない一心での言動であったりしたのだが、そうした心遣いは得てして伝わってはくれないもの。
かくして、レノの悪運――またはカザリのそそっかしさ故に、
(本当に・・ふざけるのも大概にしてよね・・・!)
今にも怒髪天を突きそうなカザリが誕生してしまったのだった。
文句は直接叩きつけるに限るとか、今は安全を考慮して森を抜ける事を優先するのだとか。
そう考えていた冷静さは湧き上がる怒りによって燃焼されてしまい、カザリは後方を行くレノをいつ叩きのめしてやろうかと身構えるばかりで
(・・・・・・・・・・・・いや)
怒りのあまりに震える手を握り込み、
(・・・・・・・・・・・・・・・・いやいや)
後ろから聞こえてくる足音から互いの距離を概算し、
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いやいやいや)
あとは腰の捻りを利用して、あの寝ぼけた顔面へと拳を振り抜くのみだと―――
(・・・・いや、いやいやいや・・・ダメでしょ?)
それをしたら私自身が危険になっちゃうでしょ? とか。
ジルバさんにも迷惑を掛けちゃうじゃない、とか。
理性を刺激し得る要素を可能な限りに羅列して、カザリは既のところで冷静さを取り戻した。
ただし、
(・・・ぜっったいに後悔させてやる)
後で覚えとけよ的な意味合いが多分に含まれる決意であった。
確かに今、この時間に置いてレノ・クラフトの命は保証されるらしかったが―――まぁ、誤謬を交えて表現するなら時差となんら変わりはない。
死せる運命が村に到着してからに移っただけで、死そのものを克服できたのではないのだ。
カザリの後方から周囲を警戒している愚か者は最も警戒すべき場所を見落とし、まっこと滑稽な事に―――いや、それはもう改めて言葉にする意味もないだろう。
そして、ある意味で英断を下したカザリは人知れず短く息を吐いて、
(・・・・一通り怒ったらちょっとだけスッキリした)
沸騰しきった全身の血液が常温へ戻っていき、それに伴って今が意識を散漫とさせていられない状況なのだと実感が回ってきた。
カザリたちは現在、先の調査を終えて村へと戻ろる経路を辿る最中にいた。
(元来た道は戻れないから、このまま橋を渡っていくって話だけど・・)
ジルバの言を聞いた所では、村へと戻る道のりでエルタの針海という地区に入る事になるのだとか。
何においても一番の近道で、最短時間で村へと戻れるらしい。
(でも結構、危ないんだっけ)
道のりは一番近い。が、その道中は険しい。
普段であれば、安全策でぐるっとエルタを一回りする形で村へと戻るらしいのだが、
(でも今は未確認の危険生物がうろついてるし、少しでも早く村にその事を伝えたい・・・それに)
『エルタ超えは難しい・・・なんて言い方じゃ不十分なくらいは、本当に難しい』
『けど、あの惨状を見た後だと件の生物はかなりの巨体だってのが分かる。 だからこそ、全体を木の海で覆われているエルタを通るのは寧ろ安全を確保するために必須だ』
・・・と、レノ・クラフトは言った。
確かにと、この森の分別がまだ儘ならないカザリをしても妥当な判断だと思う。危険を排除するために危険を冒す、という矛盾には目を瞑るにしてもだ。
(・・・まぁ、いきなり襲われて全滅ってよりいいでしょ。 どんな生き物だか知らないけど、聞いてるだけで人間なんて一溜りもないのは当たり前っぽいし)
それに、と。
(今日は歩き詰めで足痛くなってきた・・・・流石に、これ以上を歩くのは無理)
そう思って、静かに無視をしていた体の痛みに目を向ける。
早朝から今まで歩き通し。森の中を歩くといった事を得意とするカザリでもここまで長時間、加えて激烈な環境下での移動となると想像以上に疲労が溜まってきている。まだ余裕が幾分かあるとはいえ、こんまま休みなく強行軍が続くようであれば、いつも通りの動きが出来るか怪しくなってくる。
(だから私としても嬉しい提案なんだけど・・・)
カザリの目が森の方を向く。
カタルナの耽溺よりも密に並び立つ木々の群れ、その奥へと続いていく不気味な暗闇を流し見て、
(光が差さないから未だに冬みたいに極寒・・・? 冗談にしても笑えないし・・多分、冗談じゃないんだろうなぁ)
唯一の懸案であるエルタの針海の環境が如何なものだろうかと、半ば諦め気味にため息を吐いて――
(・・・・・ん?)
それを、見つけた。
(・・・・・・・なんだろ、あれ)
森の暗闇の中、ぼぅっと光を反射している物体が見えた。
それは二つ、見上げるような高い位置に浮かんで佇んでいる。
(・・暗くてよく見えない。 あれも人工物なのかな?)
細いながらも橋を張り巡らすような人々だ、森に獣避けでも釣らしていてもおかしくはないだろう、と。
当事者たちが近くにいながら、妙に確信めいた妄想が働く。
現に今、カザリを挟んでいる二人からは浮かんだ物体に関して何も言及がない。それは彼らにとって、あって当然のものだと認識されているからだろうと、そう納得しかけて
(でも、あんな高い所に吊り下げるって意味ある? ・・・・というか、そんな高くに上げられるものなの?)
次いで出てきた疑問に首を傾げる。
傾げたついでに二人に聞いてみようかと欲がもたげるが、無言で周囲を警戒している二人の集中を妨げるのはどうかと思って、
(・・・・あれ?)
橋を渡っていく内にカザリは謎物体へと近づいていき、少しずつ明瞭になっていく輪郭を見つめ
(・・・・あ、でも)
と、記憶の中に似たものがあったと気づいた。
(そうそう、あれは瞳・・・特に獣の―――)
感情の反映しない黒洞と、あそこに浮かぶ何かは似ていると――思い至るよりも早く。
「Groooooooooooooooooooooooooooooooooooooonnn!!!」
咆哮が、轟く。
すいません、遅れました!(もう何度目かの謝罪です)
どうにかとここまで書けました。
ありきたりな展開ではありますが、読んで頂けると嬉しいです。
では、よろしくお願いします。




