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まだ、明日になる前に  作者: 桃柿モノ木
20/50

カタルナの耽溺

 人々が起きだす日が昇りだそうとする時間、レノ・クラフトは色のつかない息を吐いて包糸館の正面入り口に座り込んでいた。

 日の上りきらない冷えた空気の充満する村は、朝餉を準備する煙が各家々から昇り、今まさに目覚めの時を迎えていた。寝床から叩き起こされてきたであろう誰かが欠伸交じりに挨拶を交わす声に、朝食を食べながら雑多に会話する声。それと鉄鍋とお玉が織りなすモーニングコールの残滓が遠くから。

 どれもありふれたエリィナ村での生活の一幕が細やかに聞こえ始めていた。

 

 「・・・・・。」


 その中、石段に座って表情を変えないレノは昨日とは異なる格好をしていた。

 着慣れた継接ぎだらけの作業着ではなく、暗緑色のフードの付いた上着に同系色のズボン。どちらも本物の葉のように少しの光沢を帯びており、朝の湿った空気に触れて水滴が付着していた。それは生地に染み込む様子はなく、水滴の形を維持したままに表面を滑り落ちていった。

 その暗い色のフードの奥、何を映しこむでもなく呆然と眼前を見つめているだけの瞳は何かの色を灯すことなく、


 「各班、点呼」


 ぽつりと、感情を排した―――というより、繰り返された末の惰性でもって冷えた声がもたらされた。


 『はい』


 複数の声。

 レノが鎮座する包糸館の前、音も立てずに整然と並ぶ人々の列から幾人かが返事と共に動き出していく。

 男女比は半々、村の中でも若い方になる年代層を五十人。村の人口の実に半分もの人がまだ朝早いというのに集まり、また集まった村人全員がレノと同じ濃い緑の撥水加工をした服を身に纏っている。

 普段であるなら村人は思い思いの作業服を用意して業務へと向かっていくのだが、それも今回ばかりは違うらしく誰一人として身に着けた者が違う者はいない。どこかの軍属らしい様相でもって列を作っている。

 その異様な雰囲気もさる事ながら、奔放でいかにも自由人を謳歌している普段のエリィナ村の人々と、一糸乱れず隊列している彼らが同じ人々であるか疑問に思ってしまうくらいにはかけ離れた光景が広がっていた。

 

 「・・・・・。」


 誰も口を開かない重苦しさすら感じさせる空気の中、数人の足音のみが響いていく。それはやがてレノの元へと向かっていき―――立ち止まった。


 「一班、全員います」 

 「二班、同じく全員揃っています」 

 「三班です、昨日に連絡があったラシュを除いて揃ってます」

 「四班。 欠員なしです」

 「五班も揃ってます。 ・・・以上、全班。 事前に辞退した者の補充を含めて五十名、集合完了いたしました」


 「・・・分かった。 隊列に戻ってくれ」


 報告は予定通り。

 この集まり以前に聞き及んでいた人数との差異がない事を確認しながらレノは短く応じる。それに軽く会釈していく等、それぞれの反応を残して去っていく影を見送って、

 

 「・・・ふぅ」


 余分を削ぐために息を吐き、次いで湿った空気を払うようにフードを脱ぎ去った。


 「あー、そのまま聞いてくれていい」


 立ち上がったレノを見て全員が同じようにフードを脱いで傾聴しようとするのを手で制止し、下ばかり見ていた視線を上げてレノは宣言する。


 「ではこれより『カタルナの耽溺』への多人数遠征を執り行う」


                    ▽▽▽


 ケルマ大森林内で唯一、人が安全に暮らしているエリィナ村。そこで暮らす人々にも恒例となっている行事がいくつか存在している。

 その一つが春季に執り行われる『カタルナの耽溺』への多人数遠征だ。

 春先、動植物が目覚め始める季節に行われる大々的に行われるこの遠征は、『カタルナの耽溺』―――ケルマ大森林において一際植物が密集して群生し、植物によって支配されていると言って過言でない地域を目指して行われる。

 カタルナの耽溺とは、エルタの針海と同様にレノが名付けた大森林内における特別区。

 人が侵入するときに森で活動する時以上の警戒が必要である事を示した場所を言う。

 エルタの針海では、そもそもとして簡易なつり橋がなければ歩くことも儘ならず、生い茂る針葉樹の葉によって日光が完全に遮られる事で一年を通して気温が上がらないという特質があった。

 このカタルナの耽溺もエルタと同様にある種の異常性を獲得するに至った地区であり、その特質というのが先に触れた『植物に支配された』の文言だ。

 カタルナの耽溺ではケルマ大森林内においても極めて植物の群生密度が高く、多くの植物がひしめき合って生きている。毒性を持っているのは勿論、吸い上げた水分を自身の樹脂と混ぜて目や鼻を刺激する霧を噴射するもの、筋組織に似た機能を獲得してしまうもの等、植物としてのカテゴリーから逸脱している種が確認されている。

 そして、何よりカタルナで確認される植物の殆どは捕食性――虫や鳥に留まらず動くもの全てをその対象とする、食獣植物とでも言うべき性質を持っているのだ。

 そのため気づいた時には体が動かなくなってしまったり、鋭く巻き付いてくる蔦に四肢を引きちぎられてしまうなんて事があり得てしまう。

 ならば、と。

 何故、わざわざ危険と分かり切っている場所に遠征を・・・しかも五十人、実に村の人口の半分を連れて赴くのか、と疑問に思うだろう。

 カタルナの耽溺には大森林内における植物種の大部分を見る事が出来る。それは、それだけの危険が一か所に集まている事を表すが、そればかりではない。

 エリィナ村で栽培している穀物、野菜、そして薬として重宝している薬草はすべてカタルナの耽溺から持ち帰ったものなのだ。つまりは、現在の・・安定しているとは言い切れないにしても、皆が細やかな生活を送ることが出来るのは、このカタルナへの遠征でもたらされた成果と言っても過言ではないという訳だ。

 深い森に囲まれたエリィナ村では、森からの恵みを駆使することが生きるために必須の条件となる。

 未開拓、というより開拓の仕様がない自然の極致たるケルマ大森林は、常識外の危険性を秘めながらレノですらも知らない可能性を内包している。何者かを害する事に特化した生き物が渦巻く魔境であっても、そこにこそ一握りの有用性を見出す事が出来るかもしれない。

 それがやがて未来の誰かを救う手立てになるかもしれない、と。

 そうした理由でもって危険地帯へと遠征を行っていて、


 『ねぇ・・今年はやけに人が多いね?』


 『・・・・事前遠征で珍しいものが見つかったとかは聞かなかったけど・・』


 『ね。 こんなのいつぶらいかねぇ』


 確信のない、願いと言ってもいい感情で、それでもなお諦めきれない決死さでエリィナ村の人々は形も、意味も知らない何かを探すのであって。


 『・・・・そういえば、先生の家で薬品棚が倒壊したとか聞いたな』


 『えぇぇぇ・・・いい加減に直せって言ってたのに、とうとうやっちまったのかよ』


 『勿体ない精神だっけ? 実害になってるんなら意味ないじゃんかよ』


 「・・・・・・。」


 自らの命よりも誰かを(たっと)ぶ一念で、無理を押し通そうとする彼らは何よりも尊い、そして何事にも得難いものを持っていると、レノは思うのだ。


 『それで今年はこの人数なのか』


 『そそ。 薬品棚が木っ端みじんになって、今や村で保存しているのは火定館の倉庫のみ。 しかも去年の秋ごろから頻繁に使っていたからほぼ空っぽ』


 『・・・・薬品棚が無事ならこんだけ危険なことをしなくてもよかったってか・・先生ぃぃ・・』


 『ま・・・そこばっかりは諦めろ。 なに、先生だって故意に現状を作った訳ではないんだ。 責めるのも筋違いだろ?』


 『・・・キーリは人が良すぎるね』


 『・・・ホント。 でも、少なからず故意だったかは怪しいと思うけど?』


 『いやいや』


 『いやいやいやいや・・・』


 「・・・・・・・・・・・・んんっ」


 ――そうして、集団で森の中を進行しカタルナの耽溺を目の前とした所。

 何かを言いたげに、または誤魔化すように咳ばらいをしてレノは後方を見やる。

 そこには『何か言いたいことでもあるんですか? 事実なんだろ?』とでも言いたげな疑心の火が灯った目や、『俺は先生のこと信じてるからな!』みたいなやけに眩しい光が反射する目が揺れていたが、


 「・・・・・んんんんっ」


 そんなものには関わりません、と。

 そんな意でもってもう一度咳払いをして、


 「・・・各位、ここからカタルナへと入っていく。 無駄口は慎み、所定位置での作業を迅速に進めてくれ」


 努めて事務的に、『これ以上、集中切らすと死ぬぞ』と脅しを添えて班長としての命令を下す。

 当然ながら私的感情は挟まない。

 遠征で組まれた予定に従って指定された地点へ到着したからこその指示。

 そこに私情などが入り込む余地などなく、合理極まった判断であったと――。


 『・・・・・・・・・。』


 レノから下された指示を聞いて、その後方に付いてきていた五班のメンバーたちが次々と二人組になって散開していく。

 ある者らは茂草葉の奥、またある者らは蔦の絡まる木々の向こうへ。

 それぞれが前もって決めていた持ち場へ向けて歩き出していき、


 『・・・・・・・・・・・。』


 「・・・・・・。」


 レノを追い越して行こうとする際に、何とも言えない生暖かい視線を残していくのであった。


 「・・・・・・・。」


 そして全員がもれなく林の奥へと消えていくのを見届けて、一番強くレノに突き刺さる視線の主―――レノのすぐ後ろから熱烈に主張してくる人物へと振り向いた。


 「・・・あんな風にいつも誤魔化してるんですか?」


 情け容赦のない切れ味にレノは口端を歪めながら、


 「・・・・こっからオレらだけなんだから穏便にいきたいんだがね・・・?」


 こちらも平常運転のカザリ・キリシアに、項垂れそうになりながらも告げるのであった。


                    ▽▽▽


 ざくざく、と。

 地面に隙間なく生えそろった固い雑草を踏み鳴らし、先を行く緑衣の人型を追いかけながらカザリはカタルナの耽溺と呼ばれれている、この深い森の全体像を見ようと周囲を見回していた。


 (・・・まるで苔の中を進んでるみたい)


 踏みしめる地面に土色が混じることはなく、聳え立つ木々の幹や枝に至るまで鮮やかな葉の蔦が絡みついている。湿気の多い所は苔むして、屋根のように頭上を覆う葉も光を通すことで一層鮮やかに輝いている。

 その隙間から降り注ぐ日の光が落ちてきている所も見られたが、どことなく薄緑の色が移って見えて――錯視の類なのだろうが、視界全体が緑を。葉の色に見えてきている。

 

 (・・・・気分が悪くなる訳じゃないけど)


 通る風もなく、色濃すぎる植物の息遣いは歩くカザリの鼻腔にこびり付いてくる。

 木の匂いは生まれ育ったメテリアでも慣れ親しんだものだ。今更、都会の人間のように顔をしかめて、わざとらしく口元を覆ったりする事はない。まして、それに苦言を呈そうとは考えた事もなかったのだが、ここばかりは、と。

 カザリは軽い酩酊感に頭を揺らしながら、彼女が知ったる何倍にも濃縮したような木の香りが充満する空間の中、貸し与えられた上衣を口元にまで引き上げた。


 (ここは・・・苔の中だ)


 ざくざく、と。

 足首ほどにまで伸びた雑草を踏んで進む。

 踏み込む固い感触。それは森の中を遊び場にしていたカザリであっても慣れないもので、どうにも油断すると転びそうになってしまう。

 根の浮き出た坂道なども進むには用心が必要であったが、この草が生い茂る道も十分に歩きにくい。

 レノが先導して踏みつけていてくれなかったのなら間違いなく足を取られてしまっていただろう、と。

 カザリは、


 「?」


 では何故、後方にはレノやカザリの通った足跡がないのだろうか、と首を傾げた。


 「・・・・。」


 何か、思い至りそうになった。

 けれど、それより前にカザリは口元にまで引き上げた布地をさらに引き上げた。なぜだか、木の香りが強くなった気がしたからだ。


 「・・・・・・。」


 そよ風すら吹かない森林の奥。

 気温は日照に比例して上がっていき、湿気の伴った暑さが籠ってきていた。

 そそぐ光は相変わらず薄っすらと緑掛かって見え、葉の隙間を縫って落ちてくる光は先ほどよりも真上を向いた角度に変わっていた。

 流石にまだ我慢できるが、これ以上は熱くなって欲しくないとカザリは嘆息し――ふと、そう言えば森の中を歩く一番不快な要素である所のクモの巣がまだ顔面に飛来していないことを思い出した。


 「?」


 そして、それに掛かって森にいるべき昆虫や鳥などの生物の気配・・・声や食まれた葉の跡がない事に気が付いた。

 ここは何ら特別な場所であるとは説明を受けたが、森の中ではあるのだ。

 そこに生きる生物の痕跡が存在していないなどあり得ない。

 いくら捕食性を持った植物の楽園だと言って、他の生き物が生存できない環境になる訳がない。

 森とは調和。生と死が緩やかに循環してこそ成り立っている。それが破綻してるなんて事は絶対に――


 「・・・・・・。」


 汗が、頬を流れていくのをカザリは感じた。

 森の中は上がっていく気温に乗じて、その熟れた香りをより強くしていくようだ。

 今度は首をすぼめて自ら埋もれるように口や鼻を隠して、


 森に注がれる光が、緑色に明滅したかのように見えた。


 「・・・・・はぁ・・」


 足蹴にした草がカザリの体を押し上げようと蠢く、不気味な感触がした。


 「・・・・・・はぁ・・・」


 充満する香りが熟れて、熟れて思わず手で口元を覆った。


 「・・・・・・・はぁ・・・・・はぁ・・」


 森の光がより濃い緑に置き換わってしまう幻視が見えた。


 「・・・・・はぁ・・・はぁ・・・は・・」


 右腕が思うように動かせず気づいた時には何重にも蔦が絡まって。

 左手で取ろうと動かすも全く掴むことが出来ず。

 仕方なしに擦って取ろうとすると何故か蔦が却って巻き付いて行ってしまって。

 身に纏う暗緑色の上着の袖もろともを引き裂こうと、爪を立てて摘まんだ――ところで、それが全て気のせいであったと分かった。


 「・・・・・・・はぁ・・・はー・・・・」


 見える景色も。

 吸い込む空気であってさえも。

 カザリが知覚する全ては植物に置き換わってしまっているのだと、遅い気づきを得てしまった。

 

 (・・・・・・ここは、苔の中だ)


 レノが付けたというカタルナの耽溺という名の意味。

 なるほど、と。

 まだ知らない意味に触れた気がして、納得してしまった。


 (・・・ここはもう・・森って言うのも正しくないんだ)


 熟れて、溢れて。

 それこそ酒を飲んでいたはずが、逆に飲み込まれてしまった――不意に香ってくる言い知れない不安のようで。

 耽溺。

 自分の立つ位置すらも危うくなっているというのに、顧みることなく誘われてやがては溺れていく。

 まさにその様なのであると。

 口元を覆ったままにカザリは思うのだ。


 「・・・・・。」


 そして、腕に生えた蔦が全身に絡まっていく感触を。

 足元から体が苔に置き換わっていく感触を、カザリの脳が正しいものと感じ始める。

 ・・・また、先行する背中と距離が開いてしまう、その前に。


 「ついたぞ」


 ついに一度も振り向くことなく歩き切ったレノが、振り返って言った。

 

 「・・・・・はぁ・・は・・・ぁ・・・」


 永遠に並び立っているように見えていた木々は途切れて、目の前には空の色を前面に移しこんだ小池が風に水面を揺らしていた。

 やわく吹く風が汗ばんだ首元を通り過ぎていき、鼻に絡みついてきた匂いもない。

 突然に広がった光景に何事かと身構えたが――なんて事はない、苔の中を抜けたのだ、と。


 「はぁぁぁぁ・・・・・・・」


 終わるときは意外と呆気なく、カザリは森を抜けてカタルナの耽溺、その中心地にへと辿り着く事が出来たのである。

 

 「・・・・・・・・・。」


 そして、焦がれて仕方がなかった緑以外の色を、見慣れた空の青さを見上げて、


 「そんじゃ、ここで作業を始めるぞ」


 「・・・・・・。」


 感動を台無しにする声を聞いたのだった。

お久しぶりです。

どうにも思うように書けないままに時間が空いてしまいましたが、生きております。


さぁ、次々と書いていきますよ、っと言いたいのですが・・・。

書いては消しての繰り返しで中々進まないのであります・・・。


まぁ、そんな事はいつもの事ではありますので、遠くへほっぽり投げるとして。


書きたい所が迫ってきました。

次は早く出したい所存です。


では、またよろしくお願いします。

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