逆鱗のち、探索
アレク連合国・ファイド自治領の辺境。
ケルマ大森林は、連合国の内外を合わせても類を見ないほどに広大な面積を誇る森林地帯である。
三方には高々とそびえ立つ山脈が周囲を隔絶するかのように並び、その山々に引き上げられるように土地の標高は高く盆地状になっている。それ故にケルマ大森林は季節風などの一般の自然現象からは一歩遠い環境を形成していた。
ただ、それは決して温厚な環境下という意味ではない。
どういった原因があるのかは不明であるが、周囲から切り離された森林地帯では明確な四季が存在している。
夏は南国の島を思わせるほどに温暖を越えて熱帯同様の気候が展開され、冬は逆にあらゆる生命を拒絶するかのような極寒と渇きによる蹂躙が行われる。とてもではないが、まともな生命であれば生存すること自体が困難な場所なのだ。
しかし、驚くべきことにそんな極悪な環境であっても生きている動植物は存在している。
一年を通して気温やその他の環境要因の変動が激しいことにより、生物は体を巨大化させたり、進化の過程で捨て去った機構を再び手にすることで独自の生態系を手に入れた。それは順化すると評するには劇的すぎるものではあったとしてもだ。
それは当然に人間の立ち入りを許さない―――より純粋な原初に近しい自然が支配する世界である。
そんな人ばかりか生物そのものを拒絶するような土地に、人間の手で作られた小さな村がある。
エリィナ村。
そして、何故かレノ・クラフトが住む村でもある。
▽▽▽
人は限界を越えて怒ると無口になるらしい。
長年生きてきたが、そんなことを深く実感する機会がまだ巡ってくる猶予があったとは。
「父さん」
落ち着き払った、というよりも冷え込みすぎている声が耳朶に刺さる。
現実逃避は一瞬だけ、あとは重苦しい沈黙が実在する質量のように圧し掛かっては圧殺されんばかりだ。
「父さん」
「・・・・・・・はい」
「私が何をいいたいか分かってるよね?」
「・・・えーっとですね・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
再び沈黙。
最早、相手の顔を見れない。
見たが最後、必ず後悔する―――気がする。
「ねぇ・・・」
しかし、それをさせてくれるような手合いではない。分かりきっていることだが、この場においてレノは投了以外の選択を持っていない。
それは勿論、相手も承知の上だ。
例えるなら、手札の分かっているポーカーとか。いや、絶望的な度合いでは身動きの取れない状況で銃口を眉間に突き付けられているか。
まぁ、それは些細な違いでしかない。
相手には確実にこちらを仕留められる手段がある、その事実は変えようがない。
しかし、だ。
このまま無抵抗に打ちのめされる訳にはいかない。いかな理由があろうとも、守るべき尊厳はあるのだ。
歴史的にも王族や貴族、果てには武人までもが在り方を優先して、時に自身の命でさえも蔑ろにする決断をしている。
故に、今勝ち目はなくともむざむざと首を差し出すことは出来ない。
一瞬、自業自得なんて言葉が頭をよぎったりしかけたが、ここは泥にまみれることも是として―――。
「父、さん?」
「本当にすいませんでした!!!」
―――あ、これは無理無理。違う、いつもの呼び方と全然違う。火が付く秒読みはいってるやつ。
もう汗も流れない背中に異常な冷たさが這っていくのを感じてしまった。
元々、顔を見るのが怖くて下を向いていたというのに、瞬時にイスを降りて床に頭を擦り付ける体勢になった。
(ていうか、誰だよ最低限の尊厳が必要とか言ったやつ。生存権を握られている状況で何を高望みしてんだよ、マジで。頭に寄生虫でも湧いてんだろ)
全方向からのブーメランを力いっぱい打ち投げて、レノ・クラフトはそれら一切を無視する。
恥知らず、だなんて罵倒が聞こえてきそうだが、何より今はそれどころではない。
なんてったって、体が思うように動かせない。指先に感覚がない。それ以前に、震えが止まらない。
人は限界を越えて恐怖を感じると何もできなくなるらしい。
全く不必要な真理を実体験でもって悟っては、齢十八になろうかという娘に、全力で許しを請う態勢を続けるのであった。
「・・・・・・・はぁ」
短い溜息と一緒に、屈んでくる気配が伝わってくる。
「父さん。私言ってたよね、お部屋の整頓をしてって」
「・・・・はい。それはもう何度もおっしゃられていました」
「それでやったの?」
「・・・・・ご覧の有様でございます」
「知ってる」
「・・・・・・・・・・挙句の果てに生き埋めになっておりました」
「そうだね。 それで?」
「・・・・・・・・・・・・・あなた様が居なければ埋葬されておりました」
「うん。 それも知ってる」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・今後は心を入れ替えて整頓を心掛けます」
「うんそれもね、分かったよ。 でもね・・」
「・・・・・・。」
「聞きたいのはそれじゃない」
やばい。心がおれそうです。
一瞬、確かに何か大切にしていたものが欠けるような感覚を胸中に感じ取り、意識を手放そうとする。
しかし、無慈悲にも頭上から引導を引くべく口を開く気配がして―――
「・・・・・・・本当に心配したんだから」
「・・・・え?」
思わず顔を上げる。先ほどの寒気なんて頭の片隅にも残らない。ただ、目の前の愛娘に視線をくぎ付けにされてしまう。
健康的に焼けた肌に、稲穂を思わせる金色の髪。穏やかな空の色を切り取ったような青い瞳に憂いをにじませて、子供っぽくすねた表情を浮かべた少女。
レイラ・クラフト
年々、親としても綺麗になっていると感じさせてくれる娘の滅多に見ない姿を見て、レノは知らずのうちに口を動かしていた。
「・・・・・心配かけてすまん、レイラ」
「・・・・うん」
ようやく納得のいく返答であったようで、静かにレイラは頷いてくれた。
「怪我はしてない・・・・」
「そうみたいだね」
「後で部屋も片付けます・・・・・」
「そうしてください」
「あと・・・・・」
「うん」
「・・・・・・・・・・久々に菓子でも焼くか」
愛娘が何に対して怒っていたのか、それを知って気恥ずかしいこともあってか最後にはいつもの口調に戻ってしまった。
そして、レイラは一瞬目を輝かせたと思えば優しい微笑みにそっと溶かしてしまい、いつもの落ち着いた表情で頷いたのであった。
それを見て一先ずは短く息を吐いて、胸を撫でおろした。
どうにか怒りを収めてくれたようで、逆鱗によって黒ずみにされることは回避されたらしい。
その事実を実感すると、途端に体中の緊張が抜けて脱力してしまう。弛緩しきって、さっきまで防衛機構が働いて不感症気味になっていた心臓も、ゆっくりと血が巡っていくのをはっきりと感じた。
(しかし、あのレイラが心配で怒っててくれるかぁ)
緊張がなくなれば、当然に違う感情が顔を出す。
誓って顔に出すような下手はしないが、それでも安堵に混じって抑えるのが難しいくらいに大きな喜びが湧き出てくる。
お世辞にもいい父親をやれてきたとは言えないし、加えてレイラには迷惑ばかりを掛けてきた。それこそ数え切れるようなものではなかったのだが、それだとしてもちゃんと家族としての愛情を育めていたということだろう。
(知らないうちに、ってやつなのかなぁ)
密かに感動を噛みしめていると、ふと気が付いた。
(そういえば、オレの部屋半壊しちゃったんだけど・・・・どうしたものかな)
現在座っている場所の後方、先ほどまで生き埋めになっていた自室へと視線を向ける。
ドアはかろうじて金具に繋ぎ止められているが、その中は本や割れた瓶などが散乱して原型を留めていない。更には長年の老朽によるものだろうか、手狭な部屋には致命的な陥没が生まれていた。
(軋みも酷くなってきてたしなぁ。 薬が全部無駄になったのは痛いけど、まぁどうにかなるだろ)
勝手に自己完結して、床に座り込んだ姿勢を戻そうとする。
「とうさん」
それを優しい手つきで止められ、何事かと再び娘の顔を見た―――見てしまった。
「私が何を言って欲しいかは分かってもらったから」
それは実に眩いほどに鮮やかな笑顔であって。
「だから――」
それ故にだろうか、その裏に燃え滾っている感情がレノを焼き尽くす幻視がよぎったのは。
「力いっぱいお説教できるね」
「―――――あ」
空白。
(いや、諦めるな。 こんな絶望的な状況でこそ父親としての威厳でもって―――)
と、そこまで考えて、すらっと長い指が優しく顔を包み込む。決して万力のような力が働いている訳ではない。しかし、愛娘の天使のような笑顔を―――否、竜すらも殺し切ってしまうような美しい慈愛から逃れられる未来を思い描けない。
(あ、これはダメだ)
最初から分かっていたことだ。
逃亡は不可、説得なんて無意味、撃退はそもそもとして選択肢にすら入らない。
(・・・・・死なないといいなぁ)
精一杯の現実逃避を胸中に呟きながら、愚か者は最期の言葉を執行者に伝えるのであった。
「ご慈悲を」
「だめ♪」
▽▽▽
「・・森林地区、エルタの針海。 中間地点に到着」
「はい、到着ですね」
一人は若干疲弊した声で、もう一人はそんな同行人の様子を一切気にした風もなく業務的な声かけを行った。
場所は人の住む住居区から離れて、森の奥ばった『エルタの針海』と呼ばれる地区だ。
高々と聳え立つ木々は一本、数十メートルにも及ぶものまであり、その膨大な生命力でもって枝葉を伸ばし、ほんの僅かな隙間も残さず日光を貪っている。お陰で、昼間だというのに享受できるはずだった光は、森を通る者に射す事はない。
見える光源と言えば、遥か向こう側にある川辺。その水面に反射する日光だけだ。
とてもではないが、まともに歩くことさえも難しい。
ランプの灯でさえも、この暗闇の中ではマッチの火と同然に頼りない事この上ない。
そして、森を行く彼らの足元。本来ならば土を踏む感触が返ってくるのが当然であるのだが、固い木板を木々に渡した簡素な橋に挿げ替えられている。
随分と長い間に渡って放置されたのか、所々に藻が繁殖して滑りやすくなっている。それは湿気の溜まりやすい場所であることを表しているものだが、その実情はもっと悲惨だ。
橋の下、そこには涼やかな、という域を過ぎ去って冷たく冷え切った流水がある。
というか、このエルタの針海と呼ばれる光のない森を飲み込んでしまう程、広大な川が流れてしまっている。
森の中にさらさらと、小さな川が流れているなんてよくある光景だ。
しかし、森そのものを押し流してしまわんとする莫大な質量を誇る水が、轟音を伴って氾濫してるなど常識はずれにも程がある。
それも、雪解けの水だけだというのだから訳が分からない。
―――まぁ。
夜のように光の届かない森、そこに大木諸共を押し流してしまいそうな勢いで流れる冷水。
手には頼りない明りを灯すランプ、足元は滑りやすく怪しげな音を立てて恐怖心を煽ってくる狭橋。
そして、その奥に射す僅かに見える陽光。
自分に一切かかわりがなく、どこか離れた場所からこの光景を見ていられたなら。
そこにある全てが他人事であったなら。
そんな条件こみではあるが、幻想的だと溜息を零してしまいそうには現実感のない場所ではあるのだ。
ただ、春先だと言うのに凍えそうなほど気温が低く、流れる水に落ちてしまった末路は情け容赦のない死という結末が待っている。それが紛れもない現実であるという点が、幻想的だとかいう感想を持つことを許してはくれない。
「・・・・・はぁ」
「早く抜けてしまいましょう」
先行する一人は色のつかない息を吐きだして、もう一人は同行人の心境をしってか知らずか口早に白い言葉を告げる。
声の主に焦ったような様子はない。寧ろ至極、落ち着いているようで、後ろからする呼吸も一定の間隔のままだ。
しかし、その声が寒さに震えていたのは、気のせいではないだろう。
そんな連れの異常を察知したものの、森を行く細道―――ならぬ細橋は流れる水に押されて、容赦なく振動を伝えてくる。滑りやすいこともあるが、この揺れが何より彼らを前に進めるのを妨げてくるのだ。
もし無理にでも急ごうとすれば、この激流にながされてしまえば良くて凍死か溺死、最悪は全身をやすり掛けされたように撫で殺しにあうか。
カタリ、と左手に持つランタンが揺れた。
ゆらゆらと灯が揺らめいて、足元の下。流れる水の、更にその下まで光が一瞬届く。
そこから見えたのは、森の日光を独占する木々の根だ。ただ、それはただの木の根ではない。
豪快にうねり、捻じ曲がって、絡み合って。時には互いに食らいあって、潰し合って。
挙句の果てに、互いの境界線をも無くして接合されてしまった、さながら鎖と言えるようなものだ。
エルタの針海、とは人間が勝手につけた名前だ。
しかし、それは雪解けの大河を表したものでも、針葉樹特有の尖った枝葉を言ったものではない。
この森林地区一帯を覆いつくす屈強で、頑強に過ぎる根が地面を完全に埋め尽くしてしまっている様を言い表している。
針の海とは、あまりに固くなりすぎた樹木がむき出しの針山のようになって、人が歩こうものならズタズタに引き裂いてしまう故に。
これがこのエルタの針海と呼ばれる森の中に、橋を架けた最たる理由だ。
その土地の土壌を根こそぎ押し流してしまいそうな大質量の雪解け水、方や頑強で屈強に育った植物とは呼べなくなった自然の監獄。
双方ともに、自然の摂理なんて一切合切無視した、正に暴虐そのものみたいな凶暴さを発揮して存在している。
残念なことではあるのだが、こうした横紙破りと言うべきなのか、普遍性への否定ともいうべき在り方がケルマ大森林の日常なのである。
「・・・・抜けるぞ」
そうして長い長い、暗闇の森が終わり迎えて、光のある場所に二人組は戻ってきた。
「・・・・・・・ふぅ」
安堵の溜息を吐き出す連れを背中で感じながら、頭に被っていたフードを脱ぐ。
実に半日ぶりの太陽をその目に収めて、レノ・クラフトは周囲の安全を確認しつつ後ろを振り向いた。
「ようやく森を抜けれたが・・・しゃべる余裕はあるか、アレン?」
「なんとか・・・です」
レノの後方、同じような防寒具を纏った長身が短く声を返す。
ふーっと長い息を吐き出して落ち着こうとする青年、アレン・メイズはレノと同じくフードを取り払った。
水分を大いに含んで重くなったフードを頭の後ろに押しやって、髪にも付いた水滴を手袋をしたままの手で豪快に払い落としている。そのまま首元にまで手を伸ばして、分厚い防寒コートの首元も緩める。そうして、やっとひと段落だともう一度息を深く吸い込んで、吐き出した。
「一先ずはお疲れ。 せっかくだから休んでくぞ」
簡潔な労いと、進行スケジュールの変更をレノは伝えた。
思いのほか疲労が溜まっていたのだろう。アレンは一言「・・・はい」と短く返しては、膝に手を置いて俯き、それからピタリと動きを止めてしまう。
本当なら座り込んでしまいたいところだろうが、今も二人が立っている場所は狭い橋に変わりはなく、十分に休息を取るためのスペースがない。その上、今まで通ってきた険しい道はあくまで通過点でしかない。
目的地はまだ先にあり、ここからもエルタの針海には及ばないまでも危険な道行きは続いていくし、例えたどり着けたとしても、その場所からの帰路は同じ道を遣うのだ。
それを踏まえた上で、今彼は座り込む訳にはいかず、かつ可能な限り体力を回復させようと中途半端な姿勢になっている、とレノはアレンの行動を推測した。
(そんな恰好だと余計に疲れる気がするんだが・・・)
そんな相方の不器用極まる姿を見つつ、背負ってきたバックを下して中身を漁り始める。
あらゆる事態を想定して詰め込まれた荷物の中は、ごちゃごちゃと詰め込まれすぎて見ただけでは何があるのかがよく分からない。
バックの口に手を突っ込んで、感触だけで件の物を見つけようと右往左往。
(木彫りの長物・・・ナイフか。 小さくて、丸い? あぁ、これはコンパス)
手を動かしていくことしばし。探していた感触が指に伝わって、迷わず引き上げる。
動物の皮を紡いで作られた水筒は、中身が揺れた水音を立てて姿を現した。小動物が腹いっぱいに水を溜め込んだ姿に似てなくもないが、見た目を気にできるほど贅沢を言えるほど村の財政はよろしくない。
(そういや、レイラにそんな事言ってメチャクチャ怒られたっけ・・・・)
昔の記憶が想起されて、一瞬寒気を感じそうになったが―――イヤイヤ、と首を振ってなかった事にした。
水筒の開け口を緩めて、一口煽る。幸いなことに、まだしっかりと中身の保温は保たれているようで、口の中に温かみが広がって喉元を落ちていった。
「アレン」
呼びかけに、少し体を起こして「はい?」と聞いてくる青年に、短く「ん」と水筒を差し出す。
意思疎通もあったものではないが、アレンは目を瞬かせただけで、おとなしく差し出された水筒を受け取るのだった。
そして、一口飲もうとして、動きが止まる。
「・・・ん?」
「あ、いえ・・えっと」
何やら口もごって、んー・・・・と悩むこと数秒。
遠慮がちに「・・・いいですか」なんて聞いてきた青年に、目だけで『はよ飲め』とだけ返してやる。それを見てもどこか遠慮した風の彼であったが、ゆっくりと一口、また一口の飲むうちに、喉を鳴らして勢いよく飲み始めた。
アレンのよく分からない行動を見守って、バックの口から何度も折りたたまれた地図を取り出した。
手書きで、随分と簡略化されている上に所々汚れが目立つ一品で、無いよりはマシとのことで持ってきたものだ。
現在地、周囲の風景と地図に記された情報との差異、それらをざっと頭の中で並べて精査していく。
(木の並びと地形に大きな違いはない・・・川の幅なんかにも変わりはないだろ)
適当に所感を持ちつつ、必要となる情報を地図へと書き足す。
現在、太陽はまだ頭上に位置している。予定ではエルタの針海を抜けるのに、もう少し時間が掛かるものと思っていた。しかし、幸いなことに予想外に早く抜けることが出来、休息を取るくらいには余裕が出てきた。
このままの進行速度で行けば、間違いなく夕暮れ前までには村へ戻ることが出来る。
しかし、だ。
(この先・・・どこの辺りで落下したかが鍵だな)
今回の二人だけの遠征の理由。
それはケルマ大森林を囲う山脈、そこに整備された山道を行く人々が落とした物資を回収することだ。
勿論とは言いたくないが、ケルン大森林は人里離れた山奥、そこからまた一つ二つ山を越えた先、人知の光すらも届かない奥地にあるのだ。
いくら商魂逞しい商人であっても絶対に近ずかないし、そもそも村があるなんて知る由もないだろう。
また、当然だが訪問者なんてものは絶無だ。
よっぽどの人間不信を拗らせたか、自ら命を絶たんとしている者以外は、誰かが訪れる事などない。
だが、そんなエリィナ村に住む人間であっても他者との交流が完全に存在しない訳ではない。
それが山脈の一つ、ヒュメル山に続いている山道である。
およそ百年前に整備されて、そのまま放置されているヒュメル街道は、その危険性から使う者はまずいない。かつてならいざ知らず、今では自治領から隣国への移動は容易になっているし、何より好んで危険を冒すような者もいない。
では、何故エリィナ村の人々にとっての外の人間との接点となり得るかと言えば簡単だ。
隣国からの貴重な資源や情報を密輸しようとする者、逆に国から逃げ出そうとする者が道を使用するのだ。
交流、とはあまりに不謹慎で、皮肉がかった表現であると自覚するが。
所謂、彼らが滑落した際に、その最期を看取りつつ物資を頂くのが、エリィナ村の住民にとっての他からの接点となっている訳だ。
まぁ、そういう事で。
どうしても自前で作ることの出来ない物資を、あわよくば回収したいと出張ってきたのである。
「レノさん」
「ん?」
その声で長考から戻って、アレンの方へ振り替える。
「ありがとうございました・・・もう動いても大丈夫です」
そう言って中身が半分になった水筒を差し出してきたアレンは、まだ疲れが抜けきらない様子だが、目にはしっかりと光が宿っている。
水筒を受け取りつつ「なら、移動を再開するぞ」と短く返して、まだ先の続く狭橋を進むのであった。
「ところで」
「なんだ」
「昨日までずっと遠征を断られてたのに、急に了承してくださったのはどうしてですか?」
「・・・・・・・竜に殺されるよりはマシだからだ」
「・・・えっと?」
「・・・・気にしなくていい、いやホントに」
▽▽▽
休憩を終えて歩くこと二時間が経とうとしたところで、二人は目的地へと付いた。
ほとんど原型を留めていない時代錯誤な馬車は、馬二頭で引く大きなもので、かなりの積載量が見込めるだろう。
ただ、車の傷み具合から雪解け水によって押し流されてきた形跡もあり、荷物が無事であるとは保証できない。寧ろ、すべてが動植物の餌食になっているか、既に川に流された後と考える方が自然だ。
だが、悲観ばかりでは何の益もないのも事実。
ここはすぐにでも周囲を捜索する必要があって、
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
こんな風に意味もなく、無言で硬直しているのは何故なのか。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
固まりきってしまっている二人の眼前、少女が一人横たわっている。
勿論、遺体が転がっていることは珍しくもない。
腐食が進んで、二目と見られない状態になっていることもしばしだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
しかし、二人が硬直している理由は、そのどれでもなくて。
そもそも少女は五体満足な様子で。
ついでに、一糸まとわぬ姿で寝ていて。
「・・・・・・見なかったことにしたい・・・」
今年最大の厄ネタを発見してしまったことを心から後悔して、レノ・クラフトは天を仰ぐのであった。