鉄道郵便、あの世行き
日本の鉄道制度では1872年(明治5年)6月13日から1986年(昭和61年)10月1日まで鉄道郵便が制度化されていました。
略して「鉄郵」。日本の車両区分では郵便の頭文字の「ユ」を採用していました。また、扱いは荷物列車と同じ扱いとなっていました。そのため、一般の旅客列車に連結されたり、荷物車とともに組成された専用列車も運行されたりしていました。
鉄道郵便、あの世行き
「そんな勝手は許さん!」
祖父は僕に怒鳴りつけてくる。全然お話も聞いちゃくれない。そんな事言わないでよ、大学院ももう卒業決まったし、希望していた会社にだって内定をもらったっていうのに、地元に戻ってきて家業を継げだなんて言われたって…。
「あなた、そんなに怒鳴らなくても…。」
お祖母ちゃんがそうとりなしてくれる。いっつもこの構図だ。祖父は僕に厳しくて、良い高校に行け、良い大学に行け、と叱咤するばかりで、僕の事を自由にさせてはくれなかった。お父さんが早くに亡くなった家としては、家業の商店経営を盛り立てて大学院まで出してくれたのは祖父だし、祖父としてはその家業を絶やしたくないという気持ちは解る。
でも僕にも僕の希望がある。僕の大学の専門は理系だったし、大学院まで出してもらえた。希望していた研究職への就職も叶った。なのに祖父はそれを反故にしてまで戻ってきて家業を継げという。
無茶苦茶だ。とにかく一回戻ってきて話をしようというから新幹線に乗って戻ってきたのだけれども、まともに話なんか聞いちゃくれなかった。家業を継げ、の一点張り。冗談じゃないよ、博士論文を書くのにどれだけ苦労したと思っているんだい、だいたい理学博士が商店経営なんかできる訳が無いじゃない。経営学博士ならともかくさ。どうして大学は僕の希望に合わせた受験を認めてくれたのに、就職は認めてくれないんだ。理解ができない。
祖父は怒りのあまりか、僕を怒鳴りつけたまま自分の部屋へと籠ってしまった。
「あの人はこうなるともう何を言っても聞かないから…。明日また、落ち着いたらお話をしましょう。」
そう、お祖母ちゃんは言ってくれる。
「そうだね、あの調子じゃ何を言っても無駄だよねえ…。明日、お話聞いてくれると良いんだけど。」
僕は溜息交じりにそう答える。やれやれ、ここまで来て家族の反対で進路変更なんて冗談じゃないよ。もう東京に彼女だっていて、就職して落ち着いたら結婚しようというお話まで出ているというのに、地元に帰ってきて店を継げだって? 冗談じゃないよ、本当に。
翌朝、お祖母ちゃんの悲鳴で目が覚める。
「どうしたのお祖母ちゃん⁉」
僕は慌てて飛び起きて、寝間着のままお祖母ちゃんの叫びがした祖父の部屋へと駆け付ける。
「あなた、しっかりして、あなた⁉」
お祖母ちゃんが祖父を抱き起して、肩をゆすっている。祖父の反応はない。
「お祖母ちゃん、どいて!」
僕は動転する祖母をどかして、心肺蘇生を試みる。自発呼吸も心臓の鼓動も見られない。無駄かもしれない、そんな予感が頭をよぎる。
「救急車を呼んで!」
そう祖母に指示を出しながら、駆けつけてきた母に指示を出す。
「母さん、僕が息を吹き込むから、そうしたら胸を思いっきり押して!」
心肺蘇生法なんて自動車運転免許を取った時に簡単に習ったきりで、今まで実用する機会なんてなかった。でも今はそんな事は言っていられない。救急隊の到着まで無駄かもしれないけれど必死でやってみるしかない。
やがて救急車の音が近づき、家の玄関からどたどたと駆け込んでくる音がする。救急隊員の人が駆け付けてくるなり、表情を厳しくする。
「AEDを持ってこい!」
心拍を確認して、そう怒鳴っている。それで蘇生できるのか。僕の見立てではもう首の死後硬直も始まりかけていた。はっきり言って無駄だろうと思う。無駄だと知りつつも、恐れながらも敬愛していた祖父だ、必死に蘇生措置を試みられずにはいられなかった。
結局、祖父は逝ってしまった。僕と言い争いをして、何も言えないまま。
お葬式を済ませて、僕は東京に戻る。
新幹線の中で、僕は忍び泣きをした。
結局僕は、反対する祖父が逝ってしまった事で自由になって、内定を得ていた企業に就職をした。
けれども、祖父と言い争いをしたままのお別れになってしまった事は、心に刺さった棘としてどうしても残った。祖父は今でも、やはり僕には家業を継いでほしかったと思っているのだろうか。どうにかしてそれを知ることはできないものか。いやそんな理論はない。昔、エジソンが霊界通信機を発明しようとして失敗したのは一部では有名なお話だ。そんなものがあればお話もできるだろうけれど…。恐山に行ってイタコさんに頼みでもするしかないだろうか。
そんな思いを抱えながらだけれど、僕は今、希望通り研究職に就いて、まだまだ下っ端だけれど研究三昧の日々を送っている。明日は休日だな、久々に恋人に会うとしよう。彼女も今年就職したばかりで何かと忙しくて、1か月近く会っていない。そろそろお互い会いたいと思っていた頃だしね。
彼女と休日デート。良い御身分ですね、立派に就職もして美人で気立ても良い彼女と一緒に休日を過ごすなんて。そんな事を我が身ながら考えてしまう。
「遅くなったけれど、お悔やみ申し上げます。」
「ん、ああ、ありがとう…。」
メールでも電話でも受け取っていた言葉だけれど、彼女としてはやっぱり直接会った時に言いたかったらしい。
「立派なおじいさまだったって、いつも聞いていたから。」
そう彼女は寂しそうに笑う。…これが僕のお嫁さんになる人ですって紹介したかったな。あの祖父の事だ、どう反応したかは解らないけど。いきなり子供の話なんかし出したんじゃないだろうか。
「そうだね、必死に商売をして、僕をここまで育てて院まで出してくれたのは祖父だ。今の僕があるのは祖父のおかげだよ。それは間違いない。」
と言って、僕は溜息をつく。それだけに、心の棘がどうしても抜けないのだ。
「…浮かない顔ね? まだ心の整理がつかない?」
彼女は、心配そうに僕にたずねてくる。うん、まあ、それはある。
「勿論それはあるかな…。家族との別れなんて、そう簡単に整理のつく物ではないからね…。それもあるんだけど、実はね…。」
僕は、あの日の口論の事をお話する。
「…そんな訳で、僕は結局祖父の反対を振り切って今に至るんだ。言い争いをしたまま別れてしまったのがどうにも心残りでね…。」
目線を落として、僕は溜息をつく。
「…ねえ、こんなお話知ってる?」
彼女は、そう言ってスマホを手繰る。該当する記事を見つけたらしく、手が止まり、僕に見せてくれる。
「幽霊列車…?」
鉄道ファンの記事らしい。そういえば彼女、鉄道好きなんだよね。長期休みの時なんかは格安切符で一緒に出掛けたりしたな。懐かしい想い出だ。もうお金より時間が貴重な身分になってしまったから、ああいう旅行はできないだろうな。
記事は、東京駅を午前2時30分に出発する列車がある、という記事だった。いや、時刻表を見てもそんな列車はないはずなのだけれど…。しかもその列車、おかしなことに蒸気機関車牽引の、客車列車らしい。いやいや、そんなもの今の時代に走っているのは一部の観光路線程度でしょう。
「読んでほしいのはここ。」
と、スマホの画面を横から操作して、彼女が記事を進める。
「スユニ60…?」
なんのこっちゃである。
「スは車両重量が37.5t以上42.5t未満の意味、ユは郵便車の意味、ニは荷物車の意味ね。この車両は郵便物と小荷物を扱う車両って意味。」
「ああ、そういう事。」
と答えたものの、だから何だろうというお話でもある。
「この列車ね、幽霊列車として有名なのよ。見える人と見えない人がいるんですって。」
「へえ、そりゃ確かに幽霊列車だなあ…。で、何をどうしてこれを思い出したんだい?」
今一つ、そこが僕には解らない。
「この列車は郵便を扱っている訳よ。何でもね、この列車に郵便を投函すると、死者まで届くってお話があるの。」
「えっ?」
そういえば彼女はオカルト話も好きだったっけ。僕は否定派なのだけれど、なんだか今回だけは縋り付きたいような気分に駆られてきた。手紙が届く?
「あなたがそんなに気になっているなら、おじいさまに手紙を出してみたら? もしかしたら届くかもよ?」
彼女はそう微笑んでくれた。
「いや、そんな、まさか…。」
僕はさすがに苦笑して答えるしかなかった。
その晩、僕は寝付けなかった。彼女から聞いたお話が頭の中を巡る。
「…いや、そんな、まさか、ね。」
否定はするものの、なんだか気になって仕方がない。
「…駄目ならお焚き上げするなり川に流すなりすればいいか。それも一つの霊界送りの方法だったよね。」
なんかそんな事も彼女から聞かされたような気がする。聞き流していたけれど、もっとまじめに聞いておけば良かったかな。非科学的なお話にだって縋りつきたい時はあるんだよね、人間。
僕は綿々と想いを書き綴る。祖父に伝えたかったこと、今まで育ててくれたことの感謝。期待を裏切った詫びの言葉。それでもやりたいことがある事。書き始めると止まらない。便箋で5枚にもなった。
「…封筒あったかな…うわ、長形三号でぎりぎりだ。」
結構分厚くなってしまった。これ、120円で届くかなあ。念のため140円の切手を貼ることにしようか。こんな夜中に切手を買ってこれるところなんて、まあコンビニくらいかな。
「ん、宛名ってどうすりゃいいんだろう。」
そこまで聞いてないぞ。そもそも祖父はどこに居るんだろうね、地獄か天国か煉獄か、そもそもうち神仏習合だったから黄泉に行ったのか冥土に行ったのかさえ解らないぞ。
「まあ仕方ない、祖父の実名と戒名を並べて書いて、享年も書いておこう。これくらいしか書きようがないよね。」
それで届いたらめっけもんだよねえ…。昔々甲子園で活躍した人気選手が、青森県と選手名だけでファンレターが届いたなんてお話があったけど、ああいうのは例外だろうし。祖父はそこまで有名人じゃない。地元では頑固な商売人としてそこそこ知られてはいたけれどね。
「今日…はもう間に合わないか。」
さすがに今から東京駅へ行くのは間に合わない。明日、仕事の帰りにでも行くとしよう。遅番だからちょうどいい。退勤は遅くなるしね。東京駅からの帰りはタクシー使うしかないけれど。
という訳で、翌日、東京駅。駅員さんは夜遅くにやってきた僕に不審な表情だ。
「もう終電は行ってしまいましたよ?」
そりゃそうだよね、そう言われるに決まってる。
「この後に汽車が来るって聞いたんだけど…。それに用事がありまして。」
駅員さんは顔を曇らせる。何か訳知り顔だ。
「あー…。お客さんに見えますかねえ。またどういった訳で?」
どうも、口ぶりからすると列車自体は存在するっぽい。でもやっぱり、見える人と見えない人がいるらしい。変なものだな。まあいいや、僕は来た事情を説明する。
「そういう訳ですか…。それなら受け付けてくれるかもしれないなあ。1番線から出ますから。混み合いますから気を付けて。面倒事になると何だから着いて行きますよ。」
混み合うって誰で混み合うんだろうね。とにかく駅員さんはホームの中に招き入れてくれた。
一番線ホームにはなんだかお年寄りの姿ばっかり…中にはぽつぽつと若い人もいるけれど。どういう事でしょうね、これは。
「…なにこれ?」
思わず駅員さんに聞いてしまう僕。
「東京で昨日送られた人が集まってるんですよ…って事はお客さん、見えてるんですね。それなら郵便、届くんじゃないですかね。」
「幽霊列車って幽霊を送る列車だったんですか?」
「そうですよ、昔は新橋駅に出ていたらしいんですけどね、汐留貨物駅になってから東京駅に移ったみたいで。」
そういえば鉄道開業当時の新橋駅は貨物駅になった後、もう廃止になっていると彼女から聞いたことがあったな、跡地にも連れて行かれたっけ。せっかく東京に居るんだから遺構巡りくらいしたいと言われて。萬世橋駅とやらにも行ったっけ、博物館動物園駅とか。
「…駅員さん、毎晩こんなの見てるんですか?」
「まあ、毎晩勤務に入る訳ではないですから、勤務に入った時だけですけどね。でも仏さんでしょう、ほっとけってね。」
「…寒い。」
背筋も寒いけれどギャグも寒い。こんな場面でギャグを飛ばせる程度には、駅員さんにとっては慣れっこらしい。
「まもなく入線しますよ。郵便車はこの辺に着きますから。」
と、駅員さんに誘導される。
やがて蒸気の音を上げながら、列車が入線する。僕にはよく解らないが、かなり大型で力の強そうな蒸気機関車に見える。
「お、今日の牽引は49号機か。ラストナンバーですねえ。」
そんな事を駅員さんが言っているけれど、これまたなんのこっちゃだ。まあいいや、僕の用事のあるのは郵便車だけだ。
「そうそう、そこですよ投函口は。」
駅員さんに言われながら、僕はスユニ60に手紙を預ける。
「届きますように。」
思わず手を合わせる僕。
「突っ返されないから、多分大丈夫だと思いますよ。」
駅員さんの口ぶりからすると、どうやらお断りされる時もあるらしい。
やがて客車に乗り込みが終わり、2時30分、列車は発車して行った。
「さ、見送りも済みましたし、タクシーまでご案内しますかね。それともこのまま始発を待ちます?」
駅員さんにそう聞かれる。
「タクシーで帰りますよ。いろいろありがとうございました。」
「いえいえ、今度は普通の列車に乗りに来てくださいね。まだあの列車に乗っちゃあ駄目ですよ、お客さんの歳で。」
「精々気を付けますよ。」
こいつはもう苦笑するしかないや。
その晩は何もなかった。まぁ郵便って配達に時間かかるよね。
翌晩、祖父が夢に出てきた。
「手紙を読んだよ。お前の話も聞かずに反対ばかりして済まなかったな。」
祖父は姿を現すなり、そう言ってきた。相変わらず、話の早い祖父だ。
「お前の気持ちはよく解った。お前はお前の道を行け。商売は取引先の遠藤商事から人を回してもらえ、こういう時のために話は通してある。祖母さんと母さんにくれぐれもよろしく伝えてくれ、急いでこっちに来るんじゃないぞとな。」
「お爺ちゃん…!」
そこで目が覚めた。左手には暖かい感触。
「夢…じゃ、無いよな、今の…。」
まだ温もりの残る手を握りしめて、僕はそうつぶやく。
…今度は結婚式の写真を、あの列車に託して送ろうかな。その次は子供が生まれた時か。
その時もまた、あの郵便車は受け付けてくれるかな。
そこは僕の祖父に対する想い次第、というところだろうか。
鉄道郵便ネタ第2弾です。前作はふざけるなって怒られたので今回は真面目に書きました。
真面目に書きすぎた分、ちょっと固くなって面白みに欠けた部分はあるのですが…。
でもこういう列車があって、想いを届けられたらいいなぁと。
連結されている車両はスユニですから、小荷物も送れるはずです。
大切な人に、手紙や想いの籠った品を届けられたら素敵だと思います。
ちなみに鉄道オタク的には実はこの作品、余話がありまして。
作中で「大型の機関車」「49号機がラストナンバー」と言及されている事から、機関車はC62形であると推定されるのですが。
49号機は平機関区所属でしたので、常磐線列車の運用が中心だったのです。
当時の常磐線は東京駅乗り入れも行っていた(東北新幹線建設前は、上野~東京間の東北本線は繋がっていたのです)ので、稀に顔を出す機会はあったと思うのですが、あまり東京駅にはご縁のない車両だったりします。
同じC62形でも東海道・山陽本線系統で運用されていた車両はそもそも東京駅まで乗り入れていませんから、C62形の中では比較的東京駅に縁のある車両、と言えなくもないのですが。
素直に東京機関区所属の電気機関車、例えばEF58などを引っ張ってきた方が良かったのでは?というお話があったりなかったりです。
まあ、「二度と帰らないお客のためには、こんな演出も必要なのよ。」という事で…。