久しぶりの残業
「先輩、引っ越すって本当ですか?」
早速聞きつけた新島が訊ねてきた。狭い社内、噂なんてのはあっという間に広まるものだ。まあ事実なんだけど。
「ああ、本当だよ」
「どこですか?」
「M区のセレスティナ浅部ってマンション」
「M区のマンション!? どどど、どうしたんですか!? 急にそんな高級マンションなんて、宝くじでも当たったんですか!?」
うん、そういう反応になるよな普通。
「いやいや、宝くじ当たってもそんな高級マンション住まないよ。知り合いがしばらく海外出張することになってさ、その間住まわせてもらうことになったんだ」
「へぇー、もしかしてタダでですか?」
「はは、さすがにそれはないよ。けど今のアパートと同じくらいの家賃でいいっていうからね」
「……そういえばアパート行ったことない」
「ん? なんだ?」
「ああ、いえ! それはすごく好条件ですね」
「そうなんだよ、職場も近くなるからラッキーだ」
「先輩って、最近ついてますよね」
「え?」
「だって、有栖川HDの案件は巡り巡って先輩になりましたし、HuGFのプラチナチケットも譲っていただけて、今度は高級マンションじゃないですか。今年はいい年なんじゃないですか?」
そう言われてみれば、確かにそうかも知れない。魔法少女にしても死にそうなると必ず誰かに助けてもらってるし。――かと言って油断はできないが。
35年生きてきて、ようやく俺にも春が巡ってきたのか?
「おい、樋山」
「上木さん? なんでしょうか」
「ちょっと来い」
明らかに褒められる雰囲気じゃない。この会社に10年以上いれば嫌でもこの先の展開が見える。
「……はい」
「先輩……」
「心配するな、ちょっと行ってくる」
上木について行くと、いつもの会議室へと入る。
「失礼します」
「樋山、これはなんだ?」
上木がノートPCを開いて見せたのは、俺が今担当してる有栖川のプロジェクトについての中身だった。
「有栖川HDに依頼されたシステムで――」
「そんなことは分かっている!!」
強く鋭い語気で遮ると、「これを見ろ」とプログラムコードの一部を色を変えて分かりやすく示す。
「お前は本気でこのコードのまま進めるつもりか?」
「……っ! まさか!?」
そこには、本来であればあり得ないコードが書かれていた。当然、そんなものを書いた覚えはないしテストした時にはなんの問題もなかったはずだ。
「あり得ません! 私がテストした時には――」
「あり得ない? ふざけるなよ樋山……ここにこうして書かれてるのが現実だっ!! 俺が見つけてなかったら、このままプロトタイプとして渡っていたんだぞ? そしたらどうなるか、お前でも分かるだろう?」
上木が怒るのも無理はない。プロトタイプとはいえ、有栖川がこのプログラムを起動したらシステム障害を起こしても不思議はない。
まさか、上木が仕込んだ? ……いや、流石にそれは無いか。俺を陥れるためなら課長や他の社員の前で言うはずだ。それにこんなシャレにならないミス、それこそ万が一このまま有栖川に渡ったら会社が潰れかねない。
「……はい」
「すぐに修正しろ。いいな?」
「分かりました」
今ここで俺じゃないと抗うのは得策じゃないし意味がない。とにかく早く修正を――
『……まさか、塩谷さんか!?』
『声が大きい。……どうかな、その線が無いとは断言できないが……とにかく妨害がある可能性は高い。気をつけろよ』
……まさか、本当に妨害工作が!?
だとしたら、やはり怪しいのは塩谷さんか。動機は十分だし、そういった嫌がらせは過去何度かあった。今回の有栖川騒動でキレたとしても不思議じゃない。
プログラムコードだけの妨害ならなんとかなる。と高を括っていたが思った以上に狡猾で上手い。正直、上木が見つけてくれなかったら発見できてたか怪しい。
――浮ついた気持ちになって足元を掬われてしまったか。
「気合を入れ直さないとな」
「先輩、なにか言われました?」
開発室に戻ると新島が心配そうに訊ねてきた。
「プログラムコードの中にミスがあったんだ。それの指摘だよ」
「でも、ただならぬ雰囲気でしたよ?」
「まあ、けっこうやらかしレベルのミスだったからな」
「えっ? そんなすごいミスありましたか?」
「とりあえず修正は俺がやるから、新島と皆はいつも通り仕事してくれ」
「……はい、分かりました」
プロジェクトメンバーを守るのが俺の仕事。――だったよな、雷都。
* * *
プログラムの修正が思ってたより長引いてしまい、久しぶりの残業になってしまった。
最近は残業してはいけないといった空気感があるので残るのは難しいかと思ったら、上木が口利きをしてくれたようで特別に許可された。
「……あ、そういえば東山に連絡しとかないと」
LINEを送ろうとして、どう言い訳しようか考える。本当ならシンプルに残業してるから遅れると言えばいいんだが、まさか14歳の女の子がそんなこと言うわけにはいかない。
「どうすっかな……」
散々悩みに悩んで考えた言い訳が「体調が悪いので今日はお休みしたい」という無難でベターなものだった。まあ下手に凝った言い訳して疑われるよりはマシだろう。
「……お、返信早いな」
そこには「お大事にね、ちゃんと休んで早く治すのよ」という返事とスタジオで撮影したメンバー全員の集合写真が添付されていた。
すごく嬉しい反面、なんだかものすごく申し訳ない気持ちになる。本当はただの残業なのに……。
「さて、頑張って終わらせるか」
いつもは缶コーヒー飲まないとスイッチ入らないのに、今日は気分軽く残業ができる。これがアイドルの力なんだろうか? ……いや、HuGFの皆のおかげかな。
――ところが、その翌日に言い訳が現実になってしまう。
To be continued→
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
応援よろしくお願いします。
まさかの妨害工作により残業を余儀なくされた楓人。それにしても本当に久しぶりです。ていうかブラック企業戦士が売り(?)なのにホワイト化してて大丈夫なのか……??
お陰さまで、この頃は日間ランキングに何回か浮上してます。日間では浮き沈み激しいですが週間ランキングにはしぶとく居座ってます。
20万文字を超えてランキングに入ることができるようになったのは、本当に嬉しいです。読者の皆さんに支えられてるなぁ……と実感します。完結まで走り続けますので、よろしくお願いします!




