新居の挨拶
「おー、これはまた大きなマンションだな」
M区にある高級マンション『セレスティナ浅部』が、理事長からのご厚意とやらで提供される新居だという。
駅まで徒歩5分、その間にスーパーやカフェ、コンビニなど充実した環境はさすがブルジョア特区だ。
「なんだ? その手荷物は」
「挨拶用の菓子類だよ」
「そういうとこはマメだな。行くぞ、部屋は503号室だ」
「待て待て、まず管理人からだ」
玄関に入ってすぐ右、管理事務室にいる初老の男性に「こんにちは」と声を掛ける。
「今度ここに引っ越すことになった樋山楓人と申します」
「樋山……ああ! 中原さんから聞いてるよ」
「これからよろしくお願いします」
「うん、なにかあったらいつでも言いなさい」
「ありがとうございます」
エレベーターで5階に上がると503の札がある部屋の前に来る。黒いドアは重々しく高級感があり、異世界へ繋がっていそうな趣きだ。
「なにしてる、さっさと入れ」
部屋に入るとシックでお洒落な、綺麗な玄関が迎えてくれた。新築ではないはずなのに誰も住んだことがないような清潔さがある。
「部屋広っ!」
「お前のいたアパートから比べると3倍は広いな」
「そりゃ1Kから一気に2LDKに昇格だもんな」
「ここでなら東山とのレッスンも問題ないだろう」
「だな、防音対策もされてるのか?」
「まあな。理事長がそこまで見越したとは思えないが」
「これだけの立地と部屋で実質家賃変わらないっていうのはすごいな」
引っ越したら引っ越したで面倒なことはあるが、会社も近くなるしメリットの方が多い。あとは……。
「この妙な気配だけだな」
ここに来た時からずっと気になっていた。魔法の杖が反応しないから魔物じゃないんだろうけど……。
「私には分からん感覚だな」
「てことは、やっぱり魔物とは違うのか……ハロー、メイプル」
『お呼びですか?』
「俺がいる建物とその周辺をスキャンしてくれ。なにか異物はないか?」
『お待ち下さい。……スキャン完了。これといった反応は見られません』
「そっか……」
「気のせいだろう。初めての高級マンションに興奮して幻覚でも覚えたか?」
「そんなわけねーだろ。俺には元々霊感なんて無いからな、こういった気配というか、感覚は魔物しかないと思うんだが……」
どうにも気になる。脳裏に霞がかったような、モヤモヤした妙な感覚。
「……まあいいか、魔物なら魔法少女で倒せるわけだし」
「ちなみに幽霊と言われるものの9割も魔物だからな」
「えっ? それマジ……?」
「嘘を言ってどうする」
「ていうかその残り1割って……」
「原因不明だ。天界や魔法少女協会が取りこぼした可能性も高いがな」
「うーん、ということは魔物か。メイプル、この建物とその周辺を監視ってできるか?」
『はい、可能です』
「じゃあしばらく監視して、なにか異変や反応あれば知らせてくれ」
『分かりました』
「さて、お隣さんに挨拶行くか」
向かって左が502号室の香山さんか。
インターホンを押すと暗いトーンの女性の声が聞こえた。
《はい……》
「突然すみません、今度503号室に引っ越します樋山と申します」
《そうですか……お待ち下さい》
しばらくしてドアが開くと、疲れた様子の痩せた女性が顔を覗かせる。
「こちら、つまらない物ですが」
「……ありがとうございます」
「あの、だいぶお疲れの様子ですが、大丈夫ですか?」
「ええ……ここ最近なかなか疲れが取れないんです」
「そうですか……」
「日中はお仕事ですか?」
「はい」
「うちは生まれて間もない子供がいるので……防音はしっかりしてますが、あまり派手な音は立てないようお願いします」
げっ、マジか。
東山とのリモートレッスン大丈夫なのかこれ?
「分かりました。もしご迷惑でしたら遠慮なく言ってください」
「はい、分かりました」
ドアを閉めて少し離れてからため息をつく。
「いやいや、いきなり東山のレッスン危ういぞこれ」
「もし騒音になるようであれば、遮音結界も考える必要があるな」
「そうか、あの深夜会議で使ってるやつか!」
「うむ。だがあの結界は知っての通り魔法陣が必要となる。東山だけならまだしも、他のメンバーに見られたら魔法がバレてしまう」
「そうだな……。結界が要らないことを祈るばかりだな」
反対のお隣さんである504号室の真島さんのインターホンを押す。
《……》
「あれ? 留守かな……?」
《は、はい! お待たせしました!》
「あ、こんにちは。どうも突然すみません、隣の503号室に引っ越します樋山と申します」
《はい! 少々お待ちを――きゃあっ!》
インターホン越しにガシャン! と派手な音が聞こえた。なにかを壊してしまったのだろうか……?
ドアを開けて出てきたのは三編みと眼鏡の、そこはかとなく昭和感漂う若い女性だった。
「ご、ごめんなさい」
「いえ、その……大丈夫ですか?」
「あはは、あたしちょっとおっちょこちょいなトコがあって……」
ちょっと……ねぇ。
「こちら、つまらない物ですが」
「まあ! 三信堂のお菓子ですね!」
「ご存知ですか」
「ええ、とても好きなんです。ありがとうございます!」
こっちは明るく快活な印象で話しやすそうだ。どうやら天然属性は強そうだが……。
「うちは夫が出張中でして、なので男の人が隣にいると心強いわ」
「デスクワークが主なので力仕事は大してできませんが、パソコンでお困りなことがあれば――」
「もしかして、SEの方ですか?」
「はい、そうですが……」
「そうなんですね! あたしもSEなんです!」
「本当ですか!」
「はい、今はリモートワークが中心でして」
「いいですねー、うちは出社が正義なので残業も日常ですよ」
「あはは! あたしも昔はよく死にかけてましたよー。よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
両隣の挨拶を終えると、上の階へと向かう。
「上にも挨拶するのか?」
「ああ、上下左右にな。防音対策されてるとはいえトラブルが無いとは言えないからな」
603号室、宮根さんのインターホンを押すとすぐに男性の声で「すみませんまだです!!」と大きな声が聞こえビックリした。
「あの、……下の階に越してきた樋山という者ですが……」
《え? ああ、ごめん。ちょっと待って》
ドアが開くと、思わず顔をしかめてしまうような臭いが漏れてくる。出てきた男性は脂に汚れた髪と無精髭で、お世辞にも清潔感があるとは言えない。
「こんにちは、こちらつまらない物ですが」
「ん? おっ! 三信堂の菓子じゃねーか! 気が利くな兄ちゃん!」
すると、「ちょっと待ってくれ」と言って奥へ行ってまた戻ってくる。
「いやー、ここんとこロクなもん食ってなかったからよ」
「ずいぶんお忙しいんですね?」
「忙しいなんてもんじゃないよ、締切り過ぎてるんだ」
「作家さんですか?」
「一応漫画家やってるんだ。また落ち着いたらそっちにも挨拶行くから」
「分かりました。頑張ってくださいね」
なるほど、さっきの『まだです!』は原稿が仕上がってないってことだったのか。
それにしてもすごい臭いだったな……。体臭もあるだろうが、部屋の中にゴミが大量にあったのが見えたから、恐らく原因はそれだろう。
「さてと、最後に4階か」
階段を下りて403号室へ向かう。階段はいい運動になるな、ずっと運動不足だったから助かる。
403号室の畑さんのインターホンを押すと、アニメ声で「はーい」と聞こえた。
「こんにちは。突然すみません、上の階に越してきた樋山と申します」
《ちょっと待ってくださいねー》
ドアが開いて出てきたのは小学生くらいの子供だった。シルバーブロンドのショートヘアにサファイアブルーの瞳。中性的な顔立ちも相まってまるで妖精のようだ。
「樋山さん?」
「え? ああ、そうだよ。お母さんかお父さんはいる?」
「今いないよ」
「お仕事か……。じゃあこれ渡しておいてくれるかな」
「お菓子!?」
「うん、ご両親と一緒に食べてね」
「ありがとう! 樋山さん好き!」
「はは、ありがとう」
「ボクはルナっていうの」
「ルナ? どういう漢字書くのか分かる?」
「夢に月って書いて、夢月だよ!」
「へー、ずいぶんとお洒落な名前だね」
「でしょー? えへへ。樋山さんはいつ引っ越してくるの?」
「うーん、荷物は少ないけど準備があるから近日中としか言えないかな」
「引っ越してきたら遊びに行ってもいい?」
「ああ、いいよ。――そうだ、夢月ちゃんと同い年くらいの女の子がたまにいるから、仲良くしてもらえると助かる」
「ほんと? なんていう子?」
「姫嶋かえでっていう、14歳の女の子だよ」
* * *
「……気配が去った。妙な気配の男だったな。一瞬、私に気づいてやって来た魔法少女かと思ったが……いったい奴は何者だ? 天界の者でもなさそうだが……。しばらく様子を見ることにしようか」
To be continued→
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