第八話
最近はスマートデバイスと呼ばれるものが増えてきましたね。それこそベースに組み込まれたシステムのスキに付け入られたら本当に全国区のシステムトラブルが起きてもおかしくないかもしれないです。
了解、Bluetoothイヤホンにそう叫ぶと俺は横に転がりながら真横を走った火柱を避ける。火柱が横に伸びる姿は初めて見た。
「クロさッ…」
「こっちの事はいい、油売ってる暇なんか無いだろ!」
「そうですけど…」
「じゃあとっとと消火に専念しろ!」
程なくして通信が途切れる。何気に部下に怒鳴り散らすのは初めてかもしれない。相手のyPhoneが放つ火力は、ついには我々にはどうすることも出来なくなっていた。
ここ御茶ノ水で抗争が起きたのが二日前。魔術という圧倒的アドバンテージに加え、通信障害の対策を打ってpippin陣営がジリジリと前線を東に追いやり始めたのが昨日の朝。戦火が秋葉原の壁を超えたのが昨日の夕方。そして、プロテスタントが拠点とするビルに火が放たれたのが今朝だった。
「所詮貴様らのスマホ過激派に勝ち筋など無いのよ!一瞬でもpippinに楯突いた事を後悔して死ぬがいい!!」
「ハッ、赤外線もサポートしてなけりゃBluetoothの通信プロトコルも一部のみ、マウスサポートも無けりゃ初期にはコピペも実装されてないと来た。誰がそんな奴らに負けるかよ!?」
後ろのHumanoid連中が負けずと言い返しているが、戦況を見れば実力の差は歴然だった。リコイル無しの遠距離武器とかチートでは?
今回、俺の独断によりWhiteBerry隊を一部除いて防御に徹させたのが功を為し、前線に居てもあまり心配する必要のないのだが…。
正直単体戦力差も人数差も大きすぎる。魔術の解析は未だ終わる気配がないし、なにより人間は簡単に死んでいく。殊に無力な一般人ならなおさら。俺だっていつ死ぬか分からない中、己を鼓舞するにも限界というものがある。
「いっ…一旦引きましょう!勝てる気配がない」
「ハッ、背中見せるのはあんたらWhiteBerry派の軟弱連中だけで十分なんだよ」
「馬鹿なこと言ってないで撤退します。十二分にデータは取れました、これ以上は無駄死にです」
言うが早いか、近くの竜人を引っ張る。流石に物理的に引っ張ってしまえば…ッ!
二の腕に熱を感じた。次の瞬間、自分の腕が竜人の袖を掴んだと同時に、俺の肩から離れていく。怪我をした断面は炭化し、血の一滴すら流れ落ちない。
「クッ…ガア゛ア゛ア゛ア゛ッ…」
俺の喉から絞り出すように悲鳴が漏れる。視界の焦点はズレ、一向に定まる気配がない。痛み、と言葉にするのは簡単でも、その程度を表すには言語という媒体はあまりに貧弱だったりする。体中が痛みという感覚に支配される…だとか、焼き鏝を当てられたかのような…みたいな表現じゃ表しきれない。脳の刺激という感覚を処理する回路がオーバーフローを起こし、それ以外の何も考えられない。
俺はなくなった腕を庇うように体を抱えながら、地面に倒れ込み痙攣する。下腹部がやけにぬるいが、それが失禁によるものなのか腹部の流血によるものなのか判別がつかない。
「クロッ…」
誰かが叫んだ。数瞬遅れて脳天に大きく強い熱源を察知する。人生って、こんなにも呆気なかったんだな。
強い衝撃を受け、俺は後方…いや、斜め後方へ吹き飛ばされる。…何故意識を保っていられるのか、今の俺には理解ができない。
「…全く、とっとと逃げちゃえば良いものを、そうやってお人よししてるとすぐ死ぬよ?」
妙に聞き覚えのある声が上から降ってくる。
「…ッ」
「喋んなくていいから。どうせアンタのことだから、ここに味方を残して去れないとかそんな下らん事考えてたんでしょ?」
じゃあ僕が連れ去る。
やけに大人びた、少年の声だった。
もふもふした、小さいが力強い腕に抱えられて、俺は空に舞った。
流石に混乱している。壁の中にいた筈のイナリがなぜここにいいるのか。契約の切れた俺をなぜ今更助けてくれたのか。
「人間の腕は何時間以内に接続すれば治る?」
「…?」
「何時間以内に勇太を病院に連れてきゃ良いのかって聞いてんの。場合によってはアキバの外の病院行く事も考えるよ」
安心して、医療も齧ってたから。イナリは誇らしげだ。
「なん…で…?」
「その質問、今じゃなきゃ駄目かな?…まあいいや、とりあえず近くの病院に突っ込むから、それまでに現状を把握しといて」
ぴょんぴょんとビルの間を駆け抜けて、大きな総合病院に着く。てっきり正門から入るもんだと思いこんでいたが、どうやら別の場所から入っていくらしい。
霧がかかった脳で正常な判断が出来ていないとは言え、ちょっと特殊だ。まるでステルスをしているような、そんな感じだ。
最後に見えた部屋の札には「院長室」と書かれていた。
*
「何が望みだ」
僕に銃を突きつけられた「院長」は、落ち着いて返した。喚けば助けも呼べるだろうが、それはプライドに反するのか、一向に誰かが来る気配はしない。
「見てのとおりです。主人の腕を元通りにしてほしいんです」
「なるほど、別に救急車さえ呼べば良い事案のはずだが」
「yTagの所有していない人間が使えない公共福祉制度なんてなんの意味があるのでしょうね」
「…そうかそうか。戦争を起こした反乱軍に手を差し伸べろというのか」
スライドを引き、脳天に銃口を押し付ける。
「物事を1元的にしか見れないと、人生損しますよ。尤も、その生き方を自ら選ぶのであれば話は変わってきますけど」
「…どちらにせよ、君はまだ僕の脳天を撃ち抜くことは出来ないね。そんなカマかけは無意味だよ」
「流石、お医者様は聡明で助かります」
言うが早いか銃口を下に向け、トリガーを引く。サプレッサーのお陰で幾分か銃声が小さくなったものの、響き渡った音は小さくない。
「グッ…」
「偶然にも僕は以前医療現場に従事したことも、お得意先に医者が居たこともあります。無駄な抵抗さえしなければ、この病院は平和のまま。手術室も緊急の設備検査中であり、何も異常がなかった状態に改竄できます。それに、あなたの太腿に埋まっている鉛弾もどうにかしなければいけませんね。…どうです?」
「クソ、ケダモノめが…」
「助かります。すべての患者を平等に見る事が本来の医療現場の在り方ですもんね」
僕は微笑む。
…院長に肩を貸しながら勇太を抱え込み、手術室へと走る。やけに人気が少ないが、こちらとしては好都合である。
この建物の構造はさっき侵入した段階で把握済みだ。こういう時に汚職や捏造改竄等のボロがあってくれれば楽だが、生憎そんな事を調べている暇はない。
「君も入ってくる意味は無いだろう」
「言ったでしょう?医療現場に従事していた経験があると。安心してください、一通り全ての器具の名前及び使用方法は把握しています。こちらとしても主人の命がかかっていますから」
…
割とすんなり手術は終わった。もうここに用はない。とっととトンズラこくのが吉だな。
「助かりました。言うまでもないですが、足を激しい運動にさらさなければ直ぐに治るでしょうし、気付かれることもないでしょう」
「…フフ」
「あーあ、そういう事するんですか。全くもう、こんな素敵な職場環境だったらもっと貴方を揺さぶるのも簡単だったのになぁ」
手術室の外は、銃で武装した職員や看護師に取り囲まれていた。こちらもハンドガンを持ってはいるが、些か分が悪い。
「院長をお守りしろッ」
民兵かよ。
まあやるべきは一つ。無力化すればいい。残弾は12発。対して相手は…まあざっと20人ぐらいか。…マジでキツイな。
勇太を抱え、適当に近くにいる看護師の足を撃ち抜く。流石に殺すとなると後味も悪いし勇太が本気で怒りそうなので控えるが、結局足だけじゃあ無力化しきれない。
次に配電盤を破壊する。空間が暗転し、人間たちは混乱の渦中に突き落とされる。夜目の利かない人間たちなら数分間は視界が遮られるだろう。先に逃げてしまえばなんの問題もない。
ただ、まあそうは問屋が卸さないのが世の理なわけで。
「…非常用シャッター…ね。ピッキングもそこまでやってきた訳じゃないしなぁ」
素直にシャッターの管理コンソールのレバーを上げる。そしてそのままレバーを折ってしまえば、簡単にはシャッターを下ろせまい。
「…ッ、ちょこまかと小賢しい奴め…」
なんてテンプレ台詞を吐き捨てながら、周囲の職員を回し蹴りで薙ぎ払う。怪我人を背負いつつの肉弾戦に勝ち目はないので、とっとと逃げてしまうしか無い。しかしまあこの機動力…獣人とやらを種族として作り上げてくれた人間には感謝しかないねコノヤロー。
「クソ、逃すかッ」
背後から聞こえた声に気を取られているうちに、銛のような物で太腿を刺される。
「ギャッ…」
本格的にマズい。そもそも殆ど武装をしていない今、逃走を目標に動いていた。その主力である足を奪われたとなると…流石に僕の生存率も低いな。だからといって未だ意識を取り戻さない勇太をここで見捨てる選択肢は取れないし、だからといってここで殲滅するほどの力など残っていない。言い方は悪いが保護対象《勇太》という名の足枷を付けてまで民兵と互角に戦うほどの能力などもともと持ち合わせてすらいない。
「…あれは…?」
非常電源の供給が開始され、周囲は再び明るさを取り戻す。その瞬間生まれたスキをフル活用しあたりを見渡せば、激しい銃撃戦で外れた天井パネルから消火用粉末を放出するためのパイプが露出していた。
悪くない。残り7発、出来るだけ建物や他の患者にダメージを与えないように努力はしていたが、今ばかりはその保証は出来ない。それで僕らが死んだら死んだら元も子もないからね。
…配管にPowderとタグが掛かっているから粉末だと断定したけど、これ本当に目くらましになるかなぁ…なんて考えてても仕方がない。考えてる暇があるなら行動に移す。
「…なッ…!!」
なんとかなったか。正直効果の程は分からないけど、あえて流しやすい水じゃなくて粉末を使っているからには循環させるために相当な圧力は掛けてる筈。
とっととトンズラするのが吉かね。
*
「ここは…あれ、自室?」
実家のような安心感、とまではいかないが、ここ数ヶ月間寝泊まりした部屋の天井を見ると心が落ち着く。
「勇太ッ!!」
俺が意識を取り戻した事を察知したイナリは、こちらの胸に飛び込んでくる。その体を抱きしめようとして違和感を覚える。腕…治ってる?
「アンタ本当に馬鹿なんじゃないの!?あんな命知らずなんてほっとけば良かったのにさ!!」
「って、あ。そっか。え、もしかしてイナリが何とかしてくれたのコレ?」
「でかい病院の協力を得てね。苦労したんだから」
頭が上がらない。命を救われ、今ここで五体満足で生きていられるのは間違いなくイナリのおかげだ。
「マジでか。本当にありがとうな。…にしてもどうしてあそこにいたんだ?」
「朝起きたら秋葉原が戦場だったから。幸いpippin連中にはバレなかったけど、この状況じゃあ流石に誰かに頼りたいと思ってね」
「なるほど。でもよく俺の居場所がわかったね」
「ここのビルに火の手が上がってて、多分勇太の部下らしき人たちが懸命に消火作業をしてたから。勇太の名前出した瞬間にエラい剣幕でもってアンタを止めてくれと頼まれて」
「うぇ…マジ?」
「大真面目だよ。結局その身を挺した行動スタイルは変わっちゃいないし、周りがアホほど心配しててもお構いなしなのも変わってないね」
再開早々ひどい言われようだ。普通に落ち込みそうだ。
「だってよぉ…」
「だってもヘチマもないよ。僕がいなかったら今頃死んでたんだよ?」
「あっ…そっか。アイツ等は?」
「とうの昔に逃げたよ。ほんと判断能力なさすぎだよ勇太もあのバカどもも」
「ちょちょちょバカって言ったらマズいでしょ」
「”一介の高校生”より危機管理能力に劣ってる奴らのどこにフォロー入れる余地があるのさ。それどころか他者に対する敬意ってもんが無いせいか勇太を死の淵まで追い込んで。というか人をまとめる役職についてる自覚ある?」
「…」
何も言えなくなる。稲荷の言うとおりで、自分は身の丈に合わないとは感じながらもWhiteBerryユーザーを統括する役割についている。そこが欠けた場合、間違いなく集団は崩壊する。もちろん炉囲土や神八が後任してくれはするだろうけど、やはり知識面や特性の認識においてネイティヴユーザーに適う者はいない。
「まあいいさ、現に今こうやって生きてる訳だし。どーする?一応この部屋は高水準セキュティーでロックされてるから誰も入ってこれないようになってるけど、部下に何かしらの弁明でもしたほうがいいんじゃないの?」
「…胃が痛いわぁ」
WhiteBerryをカードリーダーにかざし、ロックを解除する。言い訳の一つになれば、と、アクティベート済みyPhoneをポケットに忍ばせながら。
思ったより獣人のポテンシャルが高くてびっくりしてますが僕は獣人キャラが好きなので問題ないですね(爆
メインスマホのイヤホンジャックがイカれ始めた今日このごろです。