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ハニーロールケーキ

作者: *shima

 しっとりしたひと、というのが薫子さんの印象で、私は彼女に会うまで、そんなパウンドケーキみたいなほめ言葉を使うべき人間を知らなかった。

 漆黒のストレートロングに守られた小顔は、白く涼しげな肌の上にすべてがこじんまりとまとまっている。白いジャケットにベージュのパンツ、薄あお色のパンプスは、姫の魅力を知り尽くした従者のように、完璧にかしづいていた。

 自分の肩下にかかっている栗色の巻き髪が、急に傷んでいるように感じられた。トリートメントは朝晩欠かさず、今だってやさしいバラの香りが毛先から伝わってくるというのに。

 悪夢のような時間が静かに始まろうとしていた。勇者でもないくせに、自分から地獄へと進んでいくなんて。私は心の中で大きなため息をつくと、最大級の笑顔を作った。私たちはカフェの入り口でにこやかに自己紹介をすませると、彼女が予約してくれていた席に着いた。


 ナオから彼女に会ってほしいと聞かされたのは2週間前。お気に入りの服を汚しそうで、トマトソースのパスタを頼むのをあきらめた瞬間だった。

 ナオと私は、中1からの友達だ。もう13年くらいの付き合いになる。人生の半分を一緒に過ごした計算……と考えるとなんだか恐ろしい。

 本当は5年くらい前にソウユウコトになって、半年ほど微妙なかんじで過ごしたあと「やっぱ違ったね」と、改めて友達になった。「元カレ」なんてくくったら、世の元カップルたちに申し訳ない気がして、私たちは昔のままの関係を続けている。何もなかったかのように。何もなかったことにして。

 今付き合っている人がいるのは知っていた。薫子さん、32歳。年上ということもあって、ナオも初めはかなりビビっていた気がする。この水のような自然さで、彼女はナオの心を解かしたのだろうか。


 ナオのことが今でも好きなんじゃないかと言われればその通りだけど、封印した半年間のことを振り返ると、やっぱりこれでよかったと思う。ナオは私のことを好きなわけじゃない。ただ、だれかにいて欲しかっただけで、それが私である必要性なんてまるでなかった。「特別」になりたくてもがくほど、自分が「特別じゃない」ことを思い知らされてつらかった。連絡しなくなったのは、そういう理由だ。はっきりとフラれる前に、自分から終わりにしたかった。私の気持ちは、ナオには重すぎる。お笑いのDVDを見ながらバカ笑いする、そんな関係が、私たちには合っていた。

 だから大事な友達として、相談を受けたその日は、ナオの話を聞いてあげた。30回くらい、「バカじゃないのかコイツ」と、心の中で思ったけれど。「真剣なんだ」(やっぱり私とは真剣じゃなかったんだとしみじみした)、「親より男友達よりも先に紹介したい」(自分のなかでうずいた、小さな優越感が情けない)などなどの言葉を、真面目な顔と適当なあいづちで聞き流した結果(だって心が考えることを拒否するんだもの、しょうがないじゃない)、私は今なぜか薫子さんと二人でランチをしている。日差しが降り注ぐおしゃれなカフェで。


 目の前の白いプレートにはサラダと小さなスープのカップとハンバーグ、それからライスが乗っているけど、フォーク使いを見られている気がして、なんだかうまく食べられなかった。そうしているうちに、私のランチはどんどんまずそうに冷めていく。

 薫子さんはおいしそうに、アサリのボンゴレを口にすべらせている。しっとりしたひとには、水気の多い料理がよく似合った。細ながい指でフォークを使い、貝の殻と身を器用に外し、クルクルとスパゲティを巻きつける。まるで魔法のように。

 ごはんを食べる代わりに、私はナオについていろいろ話した。高1のときにクラスのマドンナに告ってその場でフラれて、友達から3年間馬鹿にされ続けたとか、ハムスターに「ポチ」という名を付けて可愛がっていたとか、そんなたわいのない話を、薫子さんは微笑んで聞いていた。


 「あんなヤツのどこがいいんですー? 薫子さんみたいな素敵な人が、もったいない」

 意地悪く響かないように、パスタソースをはねさせないようにするときの慎重さで、私は尋ねた。

 「わかりやすいところ、ですかね」

 オリーブオイルでツヤが増した、形のよい唇で、薫子さんは答えた。

 「私のことを傷つけるような人じゃなかったから」

 彼女はそんなに傷ついたことがあるのだろうか。

 ナオを私から永遠に奪うだけの理由を、彼女は持っているのだろうか。

 彼女は何のために、今日、ここに来たのだろうか。

 私には最後までわからなかった。

 土曜なのに、このあと会社に寄らなければいけないという薫子さんは、二人分のランチ代を託して(彼女は今日一番の頑固さで「ここは私が」と譲らなかった)、先に店を出て行った。「ちょっと食休みする」という私を置いて行くことを、繰り返し謝ってくれた。

 もっと謝って欲しいことがあるんですけど、とは、口が裂けても言えなかった。

 

 今日初めておろしたフレアスカートも、ビジューが並んだ7センチのヒール靴も、お姉ちゃんから借りてきたクロエのバッグも、全部ナオ好みのものだったけれど、何一つ私を守ってくれなかった。

 だって彼女は、これまでナオが好きだと言った、どの女性にも似ていなかったから。   

 私と同じ土俵には、立っていなかったのだから。

 愛されている女性というのは、みんなあんな風に、満たされたツヤを放つのだろうか。

 

 冷めたランチはとっくに下げられてしまっていたし、今さら何も食べたくなかったけど、ハーブティか何か、温かいものを頼もうと思って、アルバイトらしき若い店員を呼んだ。明るい茶髪をひとつにまとめて、えくぼが可愛い女の子だった。彼女も誰かから愛されているのだろうか。

 メニューを開くと、そこに挟まれていた一枚の紙から目が離せなくなった。

 【本日のデザート ハニーロールケーキ】

 はちみつの甘さが恋しかった。やさしい、なつかしい、響くような甘さが。

 「これください。あと、ホットの紅茶を」

 14時を過ぎてお客の減った店内に、思ったより声が目立ってしまって、後半はボリュームを下げた。ちょっと恥ずかしかった。

 やさしいスポンジケーキを口にしたら、私は泣いてしまうかもしれない。

 でもそれは、ずっと前に流しておくべき涙だったんだ。

 張りつめていた糸を緩めるために、私は日なた色のデザートの到着を待っていた。

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