第一話
「見れば見るほどわからない?聞けば聞くほど疑わしい?」
「そうなんだ。」
水瀬の問いかけに佐藤が大きく頷く。「それは、へんてこな話だねぇ」と、水瀬は呆れた表情で佐藤に返事をする。しかし、佐藤は水瀬の態度なんか気にも留めず、へんてこな話をまじめに話す。
「そうなんだ。へんてこな話なんだ。頭の悪い俺にはさっぱり理解できねぇ。だからお前のとこにせかせかと暑い中来たんじゃねぇか。えぇ。水の一杯くらいよこしたらどうなんだい。」
佐藤はそう言って舌を扇いで喉が渇いたとアピールする。しかし、水瀬はそんな佐藤を冷たい笑顔で一瞥するのみだった。その笑顔が気に障ったのか、「なっ、お前」と佐藤は勢いよく立ち上がった。
「見ろよ、この汗の量。尋常じゃあないだろう。まるで滝に打たれたようだ。服を絞れば、バケツいっぱいの汗が絞り出せるぜ。」
佐藤は、雑巾を絞るしぐさを見せながら水瀬に迫る。
「お前は何でいつもそうなんだい。」
迫りくる佐藤にひらひらと手を振り追い払う水瀬。
「暑苦しい。お前の性格が暑苦しいのがその汗の量の原因なんじゃないのかい。まったく。水が欲しいんだって。今のお前さんならいくらだって手に入るじゃねえか。」
それを聞いた佐藤は『はて』と、とぼけ顔。そこにすかさず水瀬は、意地の悪い笑みを向けて、
「言ったじゃねえか。服を絞りゃあバケツいっぱいの水が出るって。」
「けけけ」と言い終えた水瀬は笑ってみせる。
「バカ言うんじゃねえよ。バケツいっぱいに出るのは水じゃなくて汗だろうが。そんなもんが飲めるか。」
「お前さんにゃあそれで十分。十分。」
そう言って、水瀬は佐藤を横目に隣に置いていた湯呑の水を一口、二口と飲んだ。佐藤はその湯呑を見つめ、苦虫をかみしめるのだった。
「そんなに水が欲しいのかね。」
見かねた水瀬は佐藤に聞く。
「ああ。欲しいね。お前のせいで余計にね。」
「そうかい。そんじゃあ仕方ないねぇ。」
そう言って、水瀬は今持っていた湯呑を佐藤へ向けた。佐藤は一瞬パッと顔を明るめたが、すぐに素に戻って言った。
「お前は本当に意地が悪い。どうせ湯呑の中は空なんだろう。」
佐藤の言う通り、水瀬のよこした湯呑の中は空でした。
「ご明察。よく分かったじゃねえか。仕方ねぇ。見破った褒美に水をくんできてやるよ。」
そう言って、水瀬は重い腰を上げる。
「おお。そいつはうれしいねぇ。うれしいねぇ。うれしいついでに茶菓子の一つでもついてきてくれりゃあもっと嬉しいんだがねぇ。」
そう言った佐藤は、立ち上がった水瀬の方をちらりと横目で伺う。
「何か言ったかい。」
佐藤の言葉に台所からひょこりと水瀬の笑顔が覗いた。「いえ。なんでも…」その笑顔を見た佐藤は、小さな声で呟き返した。佐藤の汗は、水瀬の笑顔を見たとたんに一瞬で引いてしまった。
「さあ、水も飲んだことだし、もう帰ったらどうなんだい。」
水瀬から水を受け取った佐藤は、その水を一気に飲み干し勢いよく床へ湯呑をたたきつけた。「ああ~、うめー」と、喜びの声をよく通った声で響かせていたところへ水瀬は淡々と帰宅を促した。
「おいおい。そいつはねぇだろう。まだ、本題の話に方がついてないぜ。」
「え?本題?そいつはいったい何のことだい?そんなことはどうでもいいから帰りなさい。もう日が傾いてきた。おっかさんもさぞ心配しているだろうよ。」
佐藤の話をするりととぼけ、なおも水瀬は帰りを勧める。
「いつまでもとぼけてんじゃないよ。まったく。大体、俺は今母さんとは一緒に暮らしてないよ。」
「はて。そうだっけ。」
水瀬はそこで佐藤から目を背ける。そんな水瀬を見て、佐藤は「白々しい」と、ため息をつくのだった。
そう。水瀬は白を切っていた。佐藤の言う本題に水瀬は乗り気ではなかった。それに方をつけることは、きっとそう難しくはないだろうと水瀬は思っていた。しかし、佐藤の話に手を付ければ、きっとまた佐藤は水瀬を頼ってくるに違いない。それが、いささか水瀬を困らせていたのだった。
「おーい。佐藤さーん。水瀬さーん。話はどうなりましたー?」
そんな時だった。奥の玄関先から聞き覚えのある女性の声が響いた。
「おお。遅かったじゃねえか由良。さあ、入った。入った。」
佐藤の言葉に「ここは、お前の家じゃないよ」と、突っ込みを入れようとしたのもつかの間。玄関の戸が勢いよく開けられる音が居間に響き、「お邪魔しまーす」と、元気な由良の声が届いた。由良は居間へ顔を出したかと思うと、あいさつもほどほどに「どうなりました?どうなりました?」と、佐藤と水瀬の顔を交互に覗き込んできた。
「まあ、落ち着け由良。ちょうど今からってところだったんだよ。なっ、水瀬。」
そう言いながら佐藤は水瀬へ話を振る。佐藤の言葉を聞いた由良も目を輝かせて水瀬の方を見つめた。二人の視線を受けた水瀬は、大きくため息をついて肩をどっと落とした。佐藤だけなら何とかごまかせたかもしれない。しかし、好奇心の塊である由良まで来てしまってはもうだめだ。
「そうだな。」
水瀬は、あきらめと落ち込みを載せた低い声で返事をした。