7. セレナ・バーンティスト、公爵令嬢を語る その1
わたくしがお姉さま、いえ、インスフィア公爵令嬢イリアーナ・メルス・インスフィア様に初めてお目にかかったのは、7歳の頃でした。
特殊な事情を抱えるイリアーナ様の話し相手、という名目で7つ年上のお兄様も一緒にお父様に連れてこられたのです。
この国の筆頭公爵家を名乗るインスフィア公爵家当主様は、わたくしのお母様のお兄様にあたります。もう一方お母様のお兄様がいらっしゃるのですが、その方は同じく公爵家の一つである、エンディス家の当主様です。
エンディス公爵様は、インスフィア公爵様の弟で、後継ぎのいらっしゃらないエンディス家の令嬢と結婚し家督を継がれました。ただ、先代に続き現エンディス公爵様にも御令嬢一人しかおりませんので、当主様は密かにインスフィア家との縁組を考えておられるようです。
そんなエンディス公爵様の思惑を存じていらっしゃるのか、インスフィア公爵様は、大切な令嬢の話し相手にエンディス家の令嬢ではなく、わたくしを指名して下さったのです。
フェランお兄様が、インスフィア公爵子息たちととても友好な関係を築いているというのもあるのかもしれません。
何はともあれ、わたくしはそんな大人の思惑など何一つ知らずにイリアーナ様と出会ったのですわ。
ええ、まさか初対面から寝顔を拝見するとは思いませんでしたが………。
「…お姫様のお人形…?」
初めてイリアーナ様を見た時発したこの言葉で、わたくしはインスフィア公爵家の皆様に瞬時に気に入られたようです。
わたくしを見つめる公爵様含めイリアーナ様のお兄様たちはしきりに、そうだろう? そうだろう? と頷いておられますもの。フェランお兄様に至っては、仄かに顔を赤くしておられましたわ。きっと、あの時のお姉さまに一目ぼれなさったのね。そのお気持ち、分からなくもないですわ、お兄様。
公爵夫人の腕の中で眠るイリアーナ様は、わたくしと同じ年とは思えないくらい小さくて、愛らしくて、その透き通るような白い肌を縁取るように流れる髪は艶やかな漆黒。瞳の色は公爵様に似た琥珀色。顔立ちは公爵家嫡男のシャリアン様――初めてお目にかかった時は、女神の化身の如く美しいその姿に一瞬たじろぎました――に良く似ておられるそうで、目を開けたイリアーナ様もシャリアン様のように人外の美しさなのかしら、と思いましたら、まだ幼いのも相まってとても愛らしいご令嬢でした。
イリアーナ様がこうして眠っていらっしゃるのは、3歳の頃から夢に悩まされ何日も眠れない日々を過ごされていたからだと伺いました。
その夢から守るために神殿の魔法師様に『安息の眠り』という魔法具を作っていただき、その魔法具の弊害で、夜はもちろん、日中も突然眠り込む事があるというお話を聞きました。その為、屋敷から出る事が叶わないとも……。
可哀そうだと思いましたわ…。
何時眠りに落ちるとも知れない状態で、屋敷に閉じ込められて、聞くところによると護衛と言う名の監視も付いているとか……。
同じ年なのに……。
かごの鳥の如く自由がないなんて、あまりにも不憫ですわ!
確かに同情心もあったのだと思います。
イリアーナ様が目覚めた時、わたくしを見てきょとんとするその小さな手を握り締めた瞬間、思わずこう叫んでいたのです。
「セレナと言いますわ。仲良くしてくださいませね。これからは、姉と思ってなんでもおっしゃってね!」
わたくしの勢いにびっくりなさったイリアーナ様は、つられるように何度も頷いてくださいました。その姿がものすごく可愛らしくて、思わず抱きついてしまいましたわ。本当に動くお姫様のお人形のようでしたもの!
後にイリアーナ様が少し先に誕生されていたことを知った私は、イリアーナ様をお姉さまと呼ぶようになったのです。
あれから7年近くたちました。
その間にいろんなことがありましたわ。
お姉さまとご一緒していると、たまにとんでもない事に巻き込まれる事多数。
例えば、敷地を出なければいいのよね、と言って――そのころには、お姉さまは公爵邸敷地内ならば危険も少ないだろうと、外出を許可されておられました――護衛や侍女の監視の隙をつき、広大な公爵邸敷地内にある森に分け入っては迷子になり、その場で眠り込むこと数回。
わたくしも一緒になって眠っておりましたが、目覚めた後、フェランお兄様からお仕置きという名の淑女教育には泣きました。
監視付で一日中続くのです。
お姉さまが眠りに落ちた時は少し休めますが、あれは辛かったですわ……。特に、シャリアン様相手のダンスの練習が一番堪えました。
お兄様は役得ですわよね~、お姉さまと踊れるのですもの。
わたくしなんて…わたくしなんて、シャリアン様となのよ~!
女性より美人な男性と踊るなんてどんな拷問ですか!
一度、わたくしより美人なシャリアン様とは踊りたくないわ、と言いましたら、それはそれはすこぶる良い笑顔で「貴女にそう言ってもらえるのは光栄ですね。動けなくなるまでお相手いたしましょう」と、本当に足腰が立たなくなるほどにダンスを続けられてしまいました。
後日お兄様に、「シャリアンに美人は禁句だ。イリアーナと親しいお前だからあれだけで済んだと思え。他の奴は……推して知るべし、だな」と言われ、顔を青くしたのは言うまでもありませんわね。
後は…そうですわね。お姉さまが泣きながら草取りをなさっているのは、可愛かったですわ。
なぜ、草取り? と思われるでしょう?
お姉さま、庭園に咲く桜の花びらを面白がって散らしてしまったのですわ。
「見て、セレナ! こうすると、花びらがひらひら舞ってとってもきれいよ!」
止めるのも聞かず、桜の木を小さな体で揺する姿も、舞い散る桜の花びらの中でくるくる回るようにはしゃぐ姿も、まるで小さな女神さまが踊っているみたいで、とても幻想的で幸せなひと時でしたわ……。
ええ…それをお兄様や公爵家のご子息に見つかるまでは……ですが――
見つかった後は案の定、お兄様のお仕置きが発動いたしましたわ。なぜか、シャリアン様やカイレム様も面白がっておりましたが―――
その理由はすぐに判明することになるのです。
お姉さまと問答無用の如く始めた草取りという名の罰は、土の中から現れたミミズさんや、冬眠から目覚めたばかりの蛇さんをなぜか見つけてしまうお姉さまの運の無さを実感させられたのです。
シャリアン様曰く「イリアーナは何故か苦手なものや嫌いなものを引き寄せるんだよね~。それもものすごい確率で」とおっしゃっておりましたが、泣きながら逃げ惑う姿はさすがに可哀そうでしたわ。本当に苦手のようですもの。
その後、シャリアン様に助けを求めて抱き付く姿はものすごく可愛らしかったですが、その時のシャリアン様の笑顔がとても満足げに見えて、もしかして、お姉さまの行動を咎めないのは意図的なの? と勘ぐってしまいたくなります。
「兄さん、イリアーナが可愛くて仕方ないからね。あの容貌だろう? イリアーナ、萎縮しちゃってあまり兄さんに甘えないんだよ。だからごめんねセレナ。少しだけこの茶番に付き合ってあげて」
カイレム様が申し訳なさそうに告げる言葉に、思わず納得してしまいました。
やはり、お姉さまの行動を咎めないのはシャリアン様の意思でしたのね。お姉さまに甘えてほしいがための…。
見ている分には微笑ましいですが、苦手なものと対峙するお姉さまが少し気の毒ですわ。シャリアン様やお兄様の――おそらくお兄様もシャリアン様の意図を分かっていらっしゃる――言動をまったく疑っておられないんですもの。
事情があるにしても屋敷の敷地内から出してもらえないお姉さまの知識は、家族や使用人、護衛騎士や、わたくしたち事情を知る僅かな知人からもたらされるものしかありませんもの。どこか、危ういのですよね。人を信じ切っておられるというかなんというか……。いつか、とんでもない人に騙されるのではないかと…すごく心配になります。
☆
お姉さまが成長なさるにつれて、わたくしたちの周りもいろいろ変わり始めておりました。
一番大きな事柄と言えば、わたくしに婚約者――正式な発表は成人してから――が出来た事でしょうか。
お相手は王国の第2王子ディレム様です。
なんでも、国王陛下とお父様とで決めた事らしいのですが、決めた理由と言うのが、次代の国王と王妃を支えていくのにわたくし以上の適任がいない、とおっしゃられたことが腑に落ちません。
それはなぜかと申しますと、次代の国王となられる王太子様には、未だに婚約者はおりませんし、候補となられるご令嬢さえいらっしゃらないからです。
王太子殿下のお相手が分からないのにわたくしが適任とは、どういう事なのでしょうか? もしかして、公表されていないだけで、わたくしと仲の良いご令嬢がお相手なのですか? 王太子殿下と身分的につりあうご令嬢で仲が良いといえば――――っ!
お姉さましか……おりませんわね。
でも、お姉さまは、『安息の眠り』の弊害で王太子妃は無理ですわよね………。でしたら、違うご令嬢? 伯爵家のヒミリカ様とか、侯爵家のアナシア様とか?
……いいえ、違いますわね。お二方であれば、ディレム様のお相手はわたくしでなくとも良いはずです。
……やはり、お姉さま…なのでしょうか?
もしかしたら待っておられる、とか? お姉さまが『安息の眠り』から解放されることを――
そう思うのが当然ですわよね。
わたくしと親しい、わたくしが心から慕っているご令嬢はお姉さましかおりませんもの。
インスフィア公爵…伯父上様のお考えは分かりませんが、わたくしをディレム様のお相手となさるなら、きっと王太子殿下の妃候補にお姉さまが存在しているのでしょう。
こんな憶測、お兄様には言えませんわね……。
本人自覚しておられるのかどうか、お姉さまに向ける眼差しは明らかに恋する男のそれですもの。
……いいえ、これも違いますわね。お兄様は既に知っていらっしゃるのかもしれませんわ。
だって、わたくしに婚約のお話があってからというもの、お兄様がお姉さまを見つめる瞳に、どこか苦しげな色が纏い始めていますもの。
諦めにも似た―――
お兄様、申し訳ございません。セレナはお父様には逆らえません。たとえどんな思惑があったとしても、このお話お受けいたしますわ。だって、仮にお姉さまが王太子妃となられたって、万が一お兄様に嫁いでいらしたってわたくしはお姉さまの近くにいられますもの! どちらでも良いのです。お姉さまの御心ひとつ。ですので、お兄様は御自分でお姉さまの心を掴んで下さいね。
それにはまず、お兄様に付き纏うエンディス公爵家の御令嬢を遠ざけなければいけないのでしょうが、これがなかなか難しいところですわよね~。
一応、従姉妹でもあるので悪くは言いたくはないのですけど、あの、他人を見下す人柄が好きにはなれないのですよね。
容姿はたおやかな美女然としていらっしゃいますが、その内面はとても傲慢で、夜会なのではよく他の令嬢方を蔑んでおります。理由などなんでもいいのです。ただ、自分より高価なアクセサリーをつけているとか、自分より周りにチヤホヤされているとか、自分より注目されるドレスを身に纏っているとか、蔑む理由には事欠きません。
いつだったか…お姉さまの事も噂にしていましたもの。
「一生、屋敷から出してもらえない可哀そうなイリアーナ」
「イリアーナ様は兄君様たちとは違い、見栄えのよろしくない容姿ではないの」
「だから、魔法具で眠らせて屋敷から出さないのではなくて」
聞こえて来る取り巻き達との会話は聞くに堪えられるものではありませんでしたが、その会話を耳にしたシャリアン様に一蹴されて黙り込んでいましたわ。
馬鹿な令嬢です。
いくら公爵家という身分があったとはいえ、インスフィア家の方が家格は上なのに、その公爵家が溺愛しているお姉さまを中傷するだなんて、なんて愚か!
その一件で、僅かにあったはずのインスフィア家との縁組は消えたのよね。いい気味ですわ!
ただ、その弊害ともいえるのが、まるで逃してなるものか! とでも言いたげにお兄様に付き纏い始めた事ですわね。
たしか事の発端は、シャリアン様から令嬢を庇ったことが好意を寄せられる原因でしたわね。別にお兄様は令嬢を庇ったわけではなく、シャリアン様の怒りを鎮める為に間に入っただけですのに、あの令嬢は何を勘違いしたのか、お兄様が自分の為にシャリアン様を戒めてくださったと思い込んでしまったのでしたわよね。
自意識過剰もいいところですわ! 本当に厄介な人!
こちらは、身分的にも強くは突き放すことは出来ませんので、お父様も頭を抱えていらっしゃいます。
なんにせよ、結局のところ、お兄様の努力次第ではないでしょうか。他人事のようですが、わたくしはエンディス家の令嬢とは関わりを持ちたくありませんしお姉さまにもあの令嬢は近付けたくはありませんわ。なので傍観を貫きます。頑張ってくださいませ、お兄様。セレナはセレナできっと幸せを掴んで見せますから!
婚約者となるディレム様の人となりは良いのかって?
ふふふふふ。
先日お会いしたディレム様は、お兄様やシャリアン様と違って、とてもお優しい方でしたわ! きっと、好きになれます!
セレナ・バーンティスト。
お姉さまの為、ディレム様に生涯を捧げる覚悟、とうに出来ておりますわ!
ありがとうございました。