表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/35

4. 『蒼穹の約束』という名の乙女ゲーム 

 



 (わたくし)、インスフィア公爵令嬢である、イリアーナ・メルス・インスフィアが前世の記憶を思い出したあの一件の後、意識を取り戻した私を待っていたのは、心配げに見つめる父様と懸命に笑みを浮かべようとなさる母様の泣き顔でした。


 意識を無くしていた間、目覚めるまでずっと手を握り締めていたお二人は、疲労からか少しお顔の色が悪いようにも見えます。本当に心配をかけたようです。「申し訳ありません」と謝罪しましたら、お二人そろって抱きしめてくださいました。何度も、無事で良かった、と繰り返して。


 近衛騎士として王城にいた二の兄上様は、一報を聞くなり、退出の許可を取りつけ屋敷に駆け込んできたそうです。私の意識が戻り無事を確認すると、まるで緊張の糸が途切れるかのように座り込んだ姿が印象的でした。


 それにしても、王城でのお仕事――王太子殿下の護衛――はそんなにすぐに退出など出来るのでしょうか? そう訊ねると「殿下から許可をもらっているから心配はいらないよ」とのこと。この場合、やはり殿下というのは、王太子殿下の事でしょうか? あの時の私の現状を知って二の兄上様を帰してくださった? そう思うと、なぜか胸のあたりが温かくなります。


 まだ正式にはお会いしたことがございませんが、きっとあの時の涼やかな声の方が殿下なのですよね。私を案じるように頭を撫でて下さったあの御方が……。いつかお会いできる日が来るのでしょうか? きちんとお礼を申し上げたいですわ。


 そして、王太子殿下といえば一の兄上様ですわね。

 一の兄上様は、仕事で王宮にいたのですが、私の意識が戻ったとの報を受け、すぐさま帰宅なさいました。そして私の無事を確かめると無言の微笑みを向けられたのです。


 ええ、本当に何も言わず、ただひたすらに無言なのです。いつもならお小言のひとつやふたつ必ずあるはずなのですけれど、それも無し……。怖いです――


 一の兄上様にはいろいろ訊ねたいこともあったのですけど――なぜあの時殿下やディレム様が我が屋敷にいらっしゃったのか、とか――とても聞ける雰囲気ではありません。

 家族の中で誰が一番怖いかと言うと、こういう状態の一の兄上様が一番恐ろしいのです。


 私に似ている――私が一の兄上様に瓜二つとよく言われます――一の兄上様は、遥か東方の小国の王女だったお母様に良く似ていて、艶やかな黒髪に女神の如く輝く琥珀の瞳も相まって、青年と言うより美女と称して何ら不思議すらない容貌をしております。セレナ曰く、王宮では「月の女神」と言われているとかいないとか……。

 真偽のほどは分かりませんが、一度その事を訊ねた折、無言の微笑み――冷笑ともいう――と、その後に待ち受けていた、とても言い表すことが出来ない出来事がありましたので、記憶の底に沈めております。


 今回の無言の微笑みもその時と似ているのです。


 ただ、侍女や護衛騎士の方々から、私が魔法具を外し倒れた時に、一の兄上様がいつにもまして私の容態を案じていたという事と、時間の許す限りお父様とお母様と共に傍にいて下さったという事を聞きました。そして「間に合ってよかった」と何度も何度も繰り返し呟いていたそうです。


 一の兄上様の無言の微笑みは、案じるのと同時に、私の軽はずみな行動がもたらした結果に憤っているからなのでしょうか? だから何も言わずただ笑みを浮かべているだけ? おそらくきっとそうですわね。もしかすると呆れているのかもしれません。


 頑なに無言を貫き、微笑みを浮かべて私を見つめるその視線に耐えかねて俯けば、ふと傍らに一の兄上様の気配を感じました。


 やはり何か言われるのでしょうか? 


 固く身構えた私の頬にそっと伸ばされる手。


 恐る恐る触れて来る細く長い指先が微かに震えていて、驚きで顔を上げようとしましたが、一の兄上様はその表情を見られたくないとでも言うように私を引き寄せ、自らの腕の中に抱きしめたのです。


「…一の兄上様?」


「……っ!」


 身体に感じるのは、一の兄上様から伝わる震え……?


 まさか…本当に一の兄上様が震えているのですか?

 いつも泰然としている兄上様が……?


 信じられなくて一の兄上様を見ようと顔を上げると、まるで見るなと言わんばかりに自らの胸に強く押し付けてきました。


 そして、


「どれだけ案じたと思っている、イリアーナ! これほど肝が冷えたことは無かった……」


 と、絞り出すように声を発したのです。


「…ごめんなさい、一の兄上様」


「謝ってすむ問題か! 無謀にも程があるぞ。おまえは私の心臓を止める気か…!」

 

 声を荒げながらも、一の兄上様は、私の無事を自らに刻み付けるかのように強く抱きしめ、項垂れるように私の肩に顔を埋めてきました。


 このような一の兄上様を見たのは初めてです。

 まるで余裕をなくすかのように感情を吐露する兄上様を、今まで一度も見たことがありません。私は余程心配をかけていたのですね。


「…ごめんなさい、シャリアン兄様」


 小さく呟く言葉は一の兄上様に心から謝罪するときの決まり文句。少し甘えた口調なのは、二の兄上様曰く、それを一の兄上様が殊の外お気に入りだからとの事……。


 シャリアン兄様――私にそう呼ばれた一の兄上様は、どこか照れくさそうに視線を逸らすと、


「…あまり心配をかけるな、イリアーナ」


 ぽつりと―――そう呟きました。

 





 それから数日が経ち、私はようやく普通の生活を送りつつあります。

 あの『春風の悪戯』で外れた『安息の眠り』の効果は、一度外すと消えるようで、今は突然眠くなるという事はありません。


 お守りが外れてからというもの、ゆっくりと刻まれるかのように夢の内容が記憶として蓄積されていきます。ただ、どうしても、前世の名前や家族、そして自分の容姿や人となりなどは知ることが出来ませんでしたわ。何故なのかは分かりませんけど、きっと前世に惑わされないようにとの女神さまの配慮ですわよね。そう思う事にいたします。


 だって私は私であって、たとえ前世の記憶があっても前世の人格ではないのですもの。それに、今の家族は私にとって、とても大切で愛しい存在ですわ。


 それでも、どうしても拭えない懸念があります。

 何がって……それは、ゲーム内容の殆どを覚えていないという事です。といいますか、記憶にないのです。


 それも当たり前なのですが、怒りに任せた前世の私は、一人目の攻略対象――ディレム様ルート――をクリアした直後にゲームを壊しましたので、他のエンディングは見ていないのです。それゆえ、説明書などで他の攻略相手――ディレム様含め4、5人ほどいたような気も致します――の容姿は何となく記憶しておりますが、お名前や現実での姿とか、どのようなシナリオなのかは皆目見当がつきません。


 何かの切っ掛けで思い出すこともあるのでしょうか?


 セレナがディレム様と幸せになるなら他の攻略相手など気にしなくて良いとは思いますが、確かすべてのルートでディレム様が絡んでこられるような始まりだったのです。

 オートで進むプロローグは必ずディレム様との出会いから始まっていましたもの。


 ディレム様が絡むという事はセレナにも影響がある? もしかして、すべての攻略相手でセレナが悪役令嬢なの? 


 そう思っていましても、これから何が起こるのかさえ私には分からないのです。

 ゲームのイベントを知らないということが、まさかこんな不安要素を生み出すなんて思ってもおりませんでしたわ。後に現実と直面した時、本当に思いました。




 どうして、遊びつくしてから投げつけなかったの! ―――と…。




 ☆




 前世にて、『蒼穹の約束』という名の乙女ゲームがありました。


 エステランス大陸の中ほどに位置する緑豊かな大国クリアファランを舞台に繰り広げられる恋愛ゲームですわ。

 大雑把に申しますと、没落寸前の伯爵家の庶子として生まれながら市井に捨て置かれたヒロインが、数々の困難に立ち向かい一人の殿方と恋を育む物語です。


 ええ、間違いではございません。

 ヒロイン目線で物語を見ていれば確かに王道とも言える物語でしたもの。


 物語冒頭、病弱な母を幼いころに亡くし、引き取られた母親の実家では邪魔者扱いされた挙句に良いように使われ、それでも健気に頑張るヒロインには好感が持てました。

 そして運命の出会いと申しましょうか、ヒロインの生活を一新させる出会いから舞台は華やかな王宮に移り本格的に攻略が始まるのです。


 攻略対象者たちとの出会い、数多いる貴族のご令嬢たちからの蔑み、そして悪役令嬢と呼ばれる少女からの悪質な虐め、そして育まれる、ただ一人の相手との恋。


 その恋愛で重要視されているのが、タイトルにもある約束です。

 恋愛イベント中に発生するヒロインとの約束事が、後のエンディングで生きて来るのです。


 私はディレム様しか存じませんが、確か彼の約束は『君の笑顔が曇る前に、必ず皆に認めさせてみせる。私には君が必要なんだ。だから、待っていて。何があろうと、必ず君を迎えに来るよ』というものでした。これがこの先現実に起こるのだとすれば怒髪天ものですが、何分ゲーム上のシナリオなので今はまだ静観です。


 ゲームそのものは選択肢を選んで進んでいくタイプのものでしたし、おぼろげな前世の記憶の中では、良くある逆ハーレムエンドはございませんでしたわ。バッドエンド? 記憶にありませんので見ていなかったのではないでしょうか…。


 その事がこれからどのように影響していくのかは分かりませんが、願わくはヒロインが転生者ではない事を祈るばかりですね…。だって私がこの世界に転生しているのです。ヒロインだって転生しているかもしれません。それも、ゲームをフルコンプしての転生なんてものなら性質が悪いではないですか! ゲームを途中放棄した中途半端な私に太刀打ちできる訳がありませんわよ! 


 ―――いいえ、転生しているからこそ、ゲームと違うルートを選んでくるという可能性もありますわよね。


 記憶を持っているなら、あえて通常のルートを外してくる、とか? もしかして、もう動き出している、とか? 記憶を頼りにすでに伯爵家に迎えられている、とか? それとも、培った知識を元にゲーム上のシナリオから外れて行っている、とか……?


 どれもこれも可能性の話ですけれど、何はともあれ調べてみない事には何も分かりませんわね。まだゲーム開始には一年程あるとはいっても、私もヒロインもこの世界に生きているのですから、油断は出来ませんわ。


 ともかく、まずは第一のフラグ、オートで進むプロローグでもあるディレム様とヒロインの出会いイベントを叩き折ってしまいましょう。 

  

 プロローグ出会いイベント――それは、ヒロインが落とした伯爵家の紋章入りのペンダントをディレム様が拾ったことから、ヒロインが伯爵家の庶子だと知れるのです。


 ―――ん?

 第一のフラグ?


 えっ、ちょっと待って! そのイベント――オートで進む、強制的なそのイベントを回避さえできれば……もしかして、その先の恋愛イベントは発生しない……?




 …そうですわ、すべてそのイベントが起点です! そのイベントさえ起こさなければいいのですわ!


 女神さま感謝します!

 ここは、ゲームの世界でも現実なのですからオートで進む、なんてことはありませんわよね。特にヒロインが転生者ではないとしたら、このイベントを叩き折りさえすれば、ヒロインは伯爵家に迎えられることも社交界に姿を現すこともない。そうすれば、ディレム様との恋愛イベントも、夏の初めに行われる王宮舞踏会――女神の祝祭――でディレム様を通じて発生するであろう他の攻略者との恋愛イベントも、すべてなくなりますわ!


 そうですわよ、出会いイベントを叩き折れば事は簡単ですわよね。都合の良い事に、イベントが発生する日は決まっているのですもの。


 迎春祭――春を迎える花のお祭り。


 その2日目の城下の街で、ヒロインとディレム様が出会うのです。ならばその日、ディレム様には外出を控えて頂ければ良いのですわ!


 ヒロインが転生者だった場合? 小説などでありがちなゲーム補正? 強制力? そんなもの、この私がどうにかしますわ! 


 セレナの幸せの為、イリアーナ、頑張ります!




 そうと決まりましたら、いろいろ準備をしないといけませんわね。

 まずは、ヒロインの情報を集め―――いいえ、私が自ら赴いた方がよさそうですわね。『安息の眠り』の弊害でずっと屋敷の敷地内から出してはもらえませんでしたし、何より、外の世界を、乙女ゲームの世界を直接この目で見てみたいですわ! それに、ヒロインの容姿は私にしか分からないのですもの、私が街に出かけた方が正確な情報を得られそうですわね。影からこっそりとヒロインを観察するなんて、考えるだけで楽しくなってきましたわ!


 早く街へ出かけられないかしら。お守りの効果が完全に切れたと確認できたら行けますわよね? 今度、魔法師様に訊ねて見ましょう。



 


 

 記憶が蘇ったのち一月後―――

 

「『安息の眠り』の効果は無くなったとはいえ、長らく身につけていたのです。何らかの影響が出ないとも限らないのですから、外出は控えた方が無難でしょう」

 

 私の思惑を知ってか知らずか、告げられた魔法師様の言葉に、またもや外出を禁じられてしまいました。







ありがとうございました!



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ