33. ヒロイン登場! ゲームの始まりは突然に
―――迎春祭。
前世のゲームなら、今日この日が物語の始まりです。
『蒼穹の約束』という名の乙女ゲーム。
エステランス大陸の中ほど。
緑豊かな大国クリアファランを舞台に繰り広げられる恋愛ゲーム。
ヒロインは、没落寸前――実際は没落寸前ではありませんがあまり良い噂は聞きません――の伯爵家の庶子として生まれながら市井に捨て置かれたヒロイン――実際は、ヒロインがあえて市井で暮らしております――が、数々の困難に立ち向かい一人の殿方と恋を育む物語です。
物語冒頭、病弱な母を幼いころに亡くし――現実でも本当でした――引き取られた母親の実家では邪魔者扱い――それどころか、身分を笠に悠々自適な生活だとか――された挙句に良いように使われ、それでも健気――自らの求めるエンディングを目指して――に頑張るヒロイン。
そして運命の出会いと申しましょうか、ヒロインの生活を一新させるディレム様との出会いから舞台は華やかな王宮に移り本格的に攻略が始まるのです。
ゲームなら――――
ええ、ええ! 本当なら、ディレム殿下と出会って物語が始まるのがゲームの筋なのです。
けれど、ヒロインが目指しているのは私の知らない隠しルート。王太子である、アーク様とのエンディングなのです。
だけど、私にはそれがどういうルートなのか皆目見当もつきません。ただ、ヒロインことユイアナさんが先見の力と称して伯爵様に語った、王太子殿下の婚約者に迎春祭で出会う事がアーク様エンドに繋がる、という言葉だけか僅かな手掛かりなのです。
そうして訪れた賑わう王都の街で、私は今、非常に困惑しております。
「あの……あの、ごめんなさい!」
なぜかヒロインが、私に頭を下げているのです。
☆
それは、私の未来視という名の前世のゲームの記憶を頼りに、ヒロインとディレム様のイベントが起こるであろう場所に、私たち――ええ、間違いなく、たち、ですわ――を乗せた馬車が人ごみを避けながらゆったりと走っていた時です。
突然馬が嘶き、馬車が急停車したのです。
そして、聞こえてきた声は、
「ごめんなさい!」
ものすごい大きな声で謝罪する少女の声。
「……何があったの?」
その声に驚き、私は思わず馬車の窓から顔を出していました。
「ああ、この少女が馬車に気付くのが遅れて、慌ててよけたら転んだようだ」
答えたのは、御者台に乗り馬を操っていたゼン。
「まあ、怪我はありませんの?」
視線を向けた先にいたのは、尻餅をついたまま座り込んでいた少女。
ゼンが御者台から降りて、少女の様子を窺っております。
ゼンの問いかけに、しきりに首を振ったり頷いたりしている少女。
足首を気にしているようですが、もしかして、足を痛めたのかしら……。
心配になって思わず馬車を降り駈け寄ると、私はそっと少女に手を差し伸べていました。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
そう声をかけると、少女は大きく目を見開き、私の顔をじっと見つめてきました。
それは貴族の令嬢自ら降りてきて手を差し伸べたことに対する驚きではなくて……どちらかというと私の存在そのものに驚いているというかなんというか……ああ、説明が難しい。とにかく! 私を知っているような、知っていてここに私が現れたことに驚いているようなそんな感じに思えたのです。
だって、差し出す私の手に自分の手を恐る恐る重ねる少女の口角が僅かに上がり、委縮している態度とは裏腹にすごく喜んでいるように見えたのですもの。
初めて会う少女、ですわよね?
僅かな違和感に首を傾げます。
「立てますか?」
「はい! 大丈夫です。あの……あの、ごめんなさい!」
聞こえてきた声は、とても可愛らしい声。
丁寧に頭を下げ、顔を上げた少女の瞳は晴天の空のように鮮やかな青。そして、見るものすべてを魅了しそうな愛らしい顔立ちを縁取るのは、柔らかい日差しのような金の髪。
ものすごい美少女、ですわ。
でも、この顔立ち……どこかで見たような――――?
「どこも痛めていらっしゃらない?」
「はい、大丈夫です。あの、あの……本当にごめんなさい!」
私の手を借りて立ち上がった少女は、何度も頭を下げてきました。
おそらく自分の行動を恥じているのでしょう。
「良いのよ。貴女に怪我が無くて良かったですわ。今はお祭りですものね。浮かれるそのお気持ち、私も分かりますもの」
にっこりと微笑みを向けましたら、少女は僅かに頬を紅潮させ、同意するようにコクコクと頷きました。
「そうなんです! 特に今年の迎春祭は私にとって特別だから、なんかはしゃぎ過ぎちゃって、さっきも違う馬車にぶつかりそうになったんです……」
おい……。
思わず突っ込みたくなってしまいました。
どうして同じ日に二度も馬車にぶつかりそうになっているのですか!
「……それは、無事で良かったですわね。次は気を付けるのですよ」
「はい!」
――目的は達成しましたから……。
…………?
ごく小さな呟き声。
おそらく聞き耳を立てなければ聞こえないであろうその声を、私はしっかりと聞き取っておりました。
この少女、今……なんて?
「あの、本当にごめんなさい。それで……あの」
「……なんでしょう?」
どこかもじもじと私を見つめてくる少女は、意を決したように私に詰め寄ってきました。
「名前! 貴女の名前を教えてくださいっ!」
はい………?
「あっ! ……間違った! 人に名前を聞くときはまず自分からでしょう! 何やってるのわたし~! よし! 今のは無かったことにしよう!」
何が、よし! なのですか?
少女の言動に混乱します!
いったい何なのですか?
「えっと……。あの、わたしはユイアナって言います。助けてくれて本当にありがとうございました! あの、出来れば貴女の名前を教えてくださいませんか? お願いします!」
え……?
ユイアナ……?
「ユイアナ……さん?」
「はい!」
は……はははは……嘘…でしょう?
この少女がユイアナさんなのですか?
この少女が―――ヒロインなのですか!
驚きに目を見開く私は、じっと目の前の少女を見つめました。
とびっきりの美少女です。
髪の色も瞳の色もゲームの色彩そのもの。
目の前の少女は、見れば見るほどゲームのヒロインに見えてくるのです。
どうりで見た覚えがあるはずですわ。
「駄目……ですか?」
両手を胸の前で合わせ、お願いの姿勢を取るユイアナさんは、少し屈み込んで――私の方が、頭一つ分ほど背が低いのです――私の目を覗き込んできました。
「……イリアーナと申しますわ、ユイアナさん」
念のため、家名は名乗らずにおりましょう。
もし本当にユイアナさんがヒロインなら、家名から二の兄上様に行きつく可能性がありますもの。
「……! イリアーナさんと言うのね。うれしい! 友達になりましょう!」
って、ちょっと待ってユイアナさん。友達以前に、私たちたった今あったばかりですが……!
突然の展開に付いていけず困惑する私に、ユイアナさんはこれ見よがしに胸元に揺れる―――あれ? それって、伯爵家の紋章?
まるで、これに気付いて! と言わんばかりに胸元で揺れているのは、明らかに伯爵家の紋章を刻んだペンダントですわ。
もしかして、これって………イベント?
今更ながらに思い至ったのは、喜々として私に働きかけているユイアナさんの言動。
間違いありませんわ。
明らかにこれは、イベント、ですわよね。
私は知らずにユイアナさんのイベントに巻き込まれていたの?
――――違う。
巻き込まれているんじゃない。
これは、ユイアナさんが故意に起こしているイベントだわ。だって、ユイアナさん、さっき言っていたでしょう? 今日、馬車にぶつかりそうになったのは二度目だと。
おそらく、わざと、なのですわ。
馬車にぶつかりそうになる事こそが、イベントの始まり。
そして、馬車から降りてくる人が『王太子殿下の婚約者』でなければいけない。
ユイアナさんは先ほど、目的を達成した、と呟いておりました。
ならば、目的の人は、私、ですわね。
だからこそこれほど喜んでいる。
ゾクッ……。
知らずに踊らされている気分ですわ。
得体のしれない力に翻弄されているような……。
どうしましょう……。
このまま、ユイアナさんと話していて良いのでしょうか?
この出会いがユイアナさんとアーク様の出会いのきっかけになると聞いていますもの。本当にこのまま会話を続けていて良いのでしょうか?
胸に込み上げる不安から、ちらりと視線を向けるのは、私が乗ってきた馬車。
御者台で、なぜか腰の剣に手を添えているのは、目深にフードを被ったルキト。僅かに見える瞳はかなりの剣呑さを纏いユイアナさんを見据えております。
そのルキトの様子を面白そうに見ているのは、馬車の扉の前に立つソリンさん。
そして、馬車の窓から鋭い視線を投げかけているのは一の兄上様。
一の兄上様は、なぜか未だに沈黙を守ったままです。
ここに同行することを望んだのは一の兄上様なのに、こうしてヒロインと会っても何もせずただ静観しているだけなのです。
だけど、縋るような私の視線に気付いた一の兄上様は僅かに表情を和らげ、次いでユイアナさんの側に立つゼンに視線を向けました。
何か合図を送っているのでしょうか?
確か、前に下準備がどうのこうのとおっしゃっていましたが、それが関係あるの?
不安と期待が入り混じった複雑な心境でおりましたら、目の端にゼンが周りに合図を送るように手を僅かに上げるのが映りました。
そして、ある一点をちらっと見たのです。
……何?
気になってゼンの視線の向けた先を追ってみましたら………。
………え?
思わず、目が点になりました。
これはどういう事?
もしかして、一兄上様の策?
でも、これでは………。
「あの…イリアーナさん? わたしね…相談したいことがあるの。ぜひ貴女に聞いてもらいたいの。お願い、良いでしょう?」
良いでしょうも何も、なぜ初めて会ったばかりの私に相談なんて出来るのですか! 訳が分かりませんよ!
ユイアナさんは、周りの視線にまったく気付いていないのか、引っ切り無しに私に話しかけてこられます。まるで、逃がしてなるものか! とでも言いたげに、私の手を掴んで離しません。
やっぱりこれはイベントですわよね?
どう見ても私とのイベントを懸命に起こそうとしているようにしか見えません。
でもここままじゃ―――
「あれ? イリアーナ嬢?」
ああ……恐れていたことが……。
項垂れる私を訝しんだユイアナさんは、声が聞こえた方に視線を向けました。
「………あっ?」
押し殺した驚愕の声。
それはそうでしょう。
だってそこには、ゲームの始まりに出会う攻略対象者であるディレム殿下が居たのですもの。
「イリアーナ嬢、貴女がここにいるとは思いませんでした。ああ、もしかして兄君と祭りを楽しんでいたのですか?」
「ええ、そうですわ。貴方様は……?」
「私は少し野暮用で……」
ちらちら向ける視線の先は、馬車の中。
ああ、一の兄上様の指図ですか。
まさか、これが下準備、とか言いませんわよね、一兄上様。どうなさるおつもりなのです! ここでユイアナさんとディレム殿下が出会ったら、セレナが……!
「大丈夫ですよ、イリアーナ嬢」
何が!
「私も試されているのですよ、かの御仁に……。だから、ここに来たのです」
その言葉に愕然としました。
まさか……。
「貴女の未来視、覆して見せますよ」
私に聞こえるかどうかというような小さな声で呟いたディレム様は、一瞬優しい面立ちに不釣り合いなほどの不敵な笑みを浮かべ、ユイアナさんに視線を向けました。そして、ひと際大きく目を見開き、大仰しく驚いたふりをしたのです。
「な……なんで?」
ユイアナさんが、驚きすぎて挙動不審に陥っております。
どうしてここにディレム殿下が現れたのか分からない、とでも言いたげです。
ディレム殿下はそんなユイアナさんを優しく見つめながら、ゆっくりと語りかけたのです。
「どうかなさいましたか? 愛らしいお嬢さん。先ほどから何かお困りのようにも見えましたが、私で何かお役に立てるなら力になりますよ」
『愛らしいお嬢さん。何か困っているの? 力になろうか?』
それは微妙に違いますが、紛れもなくゲームでの出会いイベントのセリフ。
その後、ゲームだと、頬を朱に染めたヒロインがぽつぽつと自分の出自を語るのですが、現実のヒロインことユイアナさんは―――
「ち…ちょっと待って! ど……どうしてディレム様がここにいるの!」
と叫び、頭を抱えてしゃがみ込んでしまいました。
あの、ユイアナさん?
ディレム殿下前にして、ゲームの出会いイベント、起こさなくて良いのですか?
ありがとうございました!




