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3. 痛みと決意とゲームの記憶

 



 それは、一瞬の出来事でした。


 セレナとの会話で『安息の眠り』外す決意をした(わたくし)は、愚かにも、家族から絶対に外すなと言われていた大事なお守りを少しだけ外す振りをいたしました。


 セレナを困らせるつもりはありませんでした。もちろん本気で外すつもりなど微塵もありませんでした。ただ、このままお守りに守られたまま過ごすのは、成人の年――15歳を間近に控えた身としては駄目なような気がしたのです。


 その決意を見せつけるための行為、だったはずなのですけれど、なんの因果か、まるで狙ったかのように春風の悪戯とも言われる強風が私からお守りを取り外してしまったのです。






「えっ!?」


 瞬間――突然流れ込む幼い日に見た夢の数々が次から次へと私の脳裏に溢れ、めまぐるしく変化していきました。


「…なに…これは?」


 見知らぬ場所。

 見知らぬ道具。

 見知らぬ……人々。


 見知らぬ―――?


「うっ…!」


 頭が―――割れるようですわ! なんですの、この記憶は…?


「お嬢様!」


 激しい痛みから、耐え切れず頭を抱え蹲る私の異変に気付いた侍女たちが慌てて近づいてきます。護衛の騎士の一人がどこかへ走り去る足音も聞こえます。


「お姉さま? お姉さま、しっかりして下さいませっ!」


 必死に呼びかける少女の声。


「ルキトが血相を変えて屋敷を飛び出して行ったが、イリアーナに何かあったのか?」


 ちょうど私の護衛騎士が走り去る姿を見かけたようで、少し訝しげな声を発するのは一の兄上様ですね。ちょうど庭園に入ってこられる姿が、痛みで霞む視界の隅に映ります。


「シャリアン様、お姉さまが!」


「…? ―――リア? ……イリアーナ!」


 一の兄上様は、現状を把握すると切羽詰った声で私の名前を叫び駆けつけていらっしゃいます。心配かけてしまいました。


「何があった? イリアーナ、大丈夫か!?」


 荒々しく私の傍に跪く気配は、いつも冷静な一の兄上様にしては珍しい事です。でも、仕事で城に出向いていたはずですのに、どうしてここに……? まだお帰りになる時刻ではありませんわよね?

 

「い…一の兄…上……い…たっ!」


 どうしてここに? という問いかけは激しい痛みの所為で声にはなりませんでした。


「…話すなイリアーナ。ゼン、すぐに魔法師を! ロンナ、寝室の準備は?」


「魔法師様の元へは、すでにルキトが向かっております!」


「寝室にはセシャが向かっておりますわ」


 私の護衛騎士と専属侍女に指示を出しながら、一の兄上様は、私を抱き込む様に支えてくださいます。


「シャリアン、イリアーナ嬢は大丈夫か!?」


 ふいに聞こえてきた涼しげな声。


 ………誰、ですの?


 お客様がいらっしゃるなんて聞いておりませんわよ、一の兄上様。よりにもよって、こんな状態の時に……。


 失礼に当たることを懸念した私は、痛みを堪えて立ち上がろうと致しましたが―――無理です。僅かに態勢を動かしただけで激しい痛みが襲い来ました。


「…っ!」


「イリアーナ、無理をするな。…殿下…申し訳ありません。折角の機会がこんな……」


 蹲るように一の兄上様にしがみつく私の耳に、とんでもない単語が飛び込んできました。


 一の兄上様……今、殿下、っておっしゃいました…?


「気にするなシャリアン。それより、この少女がイリアーナ嬢…なのだな?」


 側にゆっくりと跪く気配が感じられます。心配げにそっと私の頭に添えられる手は、まるで痛みを和らげるかのように優しい…。


「ええ、我が家の眠り姫、ですよ」


「噂に違わず…だな」


 噂…? 噂とは、どのようなものなのでしょうか、一の兄上様? 気になります……気にはなりますが、それより、温かく触れて来るこの手の持ち主は……このお方は誰なのですか? 殿下、と一の兄上様がおっしゃったという事は、もしかして王太子殿下なのですか? 

 でもどうして王太子殿下がこのようなところに? 

 それに本当に王太子殿下ならこのような失態、申し訳が立ちません。せめて一言謝罪を…。


「も…申しわけ…」


「謝罪はいらない。突然押しかけたのはこちらの非だ。貴女が気にする事ではない」


 苦しげに頷く私に、殿下は安心させるように声をかけてくださいました。とても優しそうな方です…。


「シャリアン殿、兄上、この方がイリアーナ嬢なのですか?」


 一の兄上様に凭れ、痛みを堪えている私の耳に、もう一つの聞き慣れない声が聞こえてきました


 ―――聞きなれない?


 いいえ、この声はどこかで……。


 優しく、柔らかい口調でまるで諭すような―――この声…。


(このような場所では初めまして、だね。君とは必ずまた会えると信じていたよ)


 これは――何?


「セレナ、一体何があったの?」


 不安げに私の右手を握り締めるセレナに優しく問いかけるその声と同じ声が別の言葉を紡ぐ。


(ごめん、セレナ。彼女の事が大切なんだ。本気で好きなんだ。だから婚約を解消させて…)


 いったい…これは? この記憶は――何?


「…お姉さまが…お姉さまが『安息の眠り』を外しておしまいになったのです!」


「イリアーナが『安息の眠り』を外した!」


 一の兄上様は、慌てたように私の胸元にあるはずのお守りを探します。


「…無い、いったい何処へ」


 視線を巡らせるのが分かります。探しているのでしょう。ずっと肌身離さず身に付けているはずのものが無いのです。

 

「シャリアン、これか?」


 殿下が、私の左手にきつく握りしめられていたお守りを見つけ、傷つけないように優しく私の指を解きながら、一の兄上様に見せておられるようです。


「これです。どうして外すようなことを……」


「セレナ、何か知っているのかい?」


 優しく問いかける声にセレナは震えながら私の手をぎゅっと握りしめてきました。話しても良いものかどうか逡巡していらっしゃるのでしょう。私を案じているのが、掌を通じて痛いほどに伝わってきます。


 セレナは本当に優しい少女です。


「お姉さまは、もうじき成人を迎えるからと、いつまでもこのままという訳にはいかない、とおっしゃって、外す決意をなさっておられたのです」


「イリアーナ…」


 私を抱きかかえる一の兄上様の腕に力がこもります。馬鹿な事をしたとお怒りなのでしょうか?


「でも、外れたのは偶然なのです! お姉さまは、許可なく外すような方ではありませんわ!」


 ありがとうセレナ。私を庇ってくださっておられるのですね。


「落ち着いてセレナ。大丈夫、誰も君の大切なイリアーナ嬢を責めてはいないよ」


 ふわりと、本当に包み込むような優しい声音です。


 やはり、何処かで聞いたことがありますわ、この声。


「それで、どうして外すような事になったんだい?」


「突然風が…春風の悪戯が起きて、お姉さまからお守りを外してしまわれたのです、ディレム様」

 

 ―――ディレム…様?


 その名前が記憶の何処かで引っ掛かります。

 初めて聞く名ではありません。ディレム様は王国の第2王子で私やセレナより一つ年上、そしてセレナの愛しい婚約者でもあります。ですからそのお名前は、セレナとの会話、家族や兄上たちのお話の中でも度々出ていらっしゃいました。


 でも、記憶の何処かで警鐘が鳴り響くのです。




 私 は ど こ か で 彼 と 出 会 っ て い る ?




 えっ、出会っている? そんなはずありませんわ! 会っているなんてそんな……こと―――っ?


 ちょっと待って、良く思い出して、私! その声にその名は、ゲームの…。




 ゲーム……?




 ……えっ――?




 私は自らの記憶から紡ぎだされた言葉に愕然としました。


 ま…まさか。


 まさか…そんな…事って!


 私は痛みを堪えながら僅かに顔を上げ、ディレム様と呼ばれた少年に視線を移しました。

 

 その時です!


「…うっ!」 


「お姉さま!」


 私は、一際激しい痛みをおぼえながら、今自分が目にしたものが信じられないという思いでディレム様を凝視しておりました。


「…イリアーナ嬢?」


「イリアーナ?」


 王太子殿下と一の兄上様が不審げに私を見てこられますが、気にしていられません。


「……イリアーナ嬢……私の顔に何か…?」


「お姉さま、ディレム様がどうかなさったのですか?」


 私に睨みつけられるかのように凝視されているディレム様は、僅かに困惑した態を見せ、セレナはディレム様が私に何かしたのではと案じてくださいます。


 一目ぼれの如く熱のこもった瞳ではないですものね。明らかに睨みつけていると言っても過言ではなかったように思えます。だって、それは―――


 このお顔……この金に近い薄茶色の髪、そして同色の瞳。記憶の中の絵が実物を伴って出現したかのような……。


 ここは―――ここは…乙女ゲーム…? 私が投げつけて壊したゲームの世界……なのですか?


 幼いころには理解できなかった夢。その夢が紛れもなく私自身が持つ本当の記憶なのだと伝えてこられます。


 私は、あの時壊したゲームの世界に転生したのですか!?


 そう思い至った時、突然、霧が晴れたかのようにすべての事柄が鮮明に理解できたのです。


 そういう事ですのね……。


 なぜ私なのでしょうか? という疑問は尽きませんが、紛れもなく私は、乙女ゲームの世界に……転生したのですね。夢として繰り返し見ていたのは、私の前世でしたのね。

 転生した経緯(いきさつ)を思い出すと無性に怒りが湧いてくるのですが、それより、セレナ――セレナは……!


 痛む頭を押さえながらゆっくりと視線を動かし、心配げに顔を曇らせるセレナを見た時、忘れていた一枚の絵が浮かんできたのです。


「……セレ…ナ?」


 涙を流し、懸命に手を伸ばしながら愛しい人の名を呼ぶ……一枚の絵。ディレム様の婚約者、という肩書をもつ大切な少女。


 ああ…セレナが…あの少女。


 目の前にいる大切な友人は、悲しい最期を遂げる俗にいう悪役令嬢その人であると――思い出したのです。


 あの涙の少女は、セレナ……でしたのね。


「お姉さま!」


 薄れゆく意識の狭間で、私は無意識のうちに少女の手をしっかりと握りしめて離しませんでした。


 この少女を守らなければ、大切な私の友人をあんな悲しい目になんてあわせてたまるものですか! 


 この時、この瞬間に記憶が戻ったのは行幸というものでしょう。なにせ、ディレム様とセレナを見る限り、いいえ、出会いイベントが発生するであろう年まで後1年もあるのですから。


 私がここに転生してきたのも、きっと女神さまの采配ですわ。あの悲劇的なエンディングを回避せよとのことなのですわ! きっとそうです! そうに決まっております!


 任せてくださいませ女神さま。どんな手を使ってでも必ずセレナを守ってみせますわ!




 蘇るゲームの記憶を一つ一つ辿りながら、これから起こるであろうシナリオを回避する術を探らなくてはなりません。


 ヒロインが現れる前に――なんとしてでも!


 この私、クリアファラン王国筆頭公爵家インスフィア公爵令嬢である、イリアーナ・メルス・インスフィアが、ヒロインからセレナを守って見せましょう。


 例え、ゲーム上では影も形もないモブであろうと、ここはゲームの中ではないのです。現実なのです!


 見ていなさいヒロイン! 公爵令嬢を敵に回すということがどんなことか、とくと見せて差し上げますわっ!







ありがとうございました!

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