26. 漆黒の魔法師
私も……会いたいです―――アーク様。
こんな事、願ってはいけないと分かっています。
けれど、許されるなら……一度だけでいい――――会いたいのです!
「……残念」
私がアーク様に会いたいと、強くそう願った時、ぽつりとそう呟いた魔法師様は、私を閉じ込めていた腕を解かれました。
驚きで見上げた魔法師様の瞳は、怪しさのかけらもない穏やかな漆黒。
魔法師様は、淡く……どこか儚い笑みを浮かべて、私を見つめておられたのです。
「…魔法師…様?」
「迷いは消えましたか?」
「…え?」
「迷っておられたのでしょう? そのお方に会うべきかどうか…。決心はついたようですね」
「まさか……私を奮い立たせるためにあのような……?」
「……貴女の為だけではありませんよ。私の言った言葉に何一つ偽りはありませんでしたからね」
「魔法師様?」
椅子に戻られる魔法師様の背中が、僅かに憂いを帯びているように見え、思わず目を擦ってしまいました。
錯覚……?
「何をしているのです。まだ、貴女にお訊ねしたいことがあるのですから、一度お座りになったらいかがですか?」
やはり、気のせいでしたのね。
魔法師様が憂いに沈む、なんてありえませんものね。
私を呼ぶ声はいつもの魔法師様で、先ほどの穏やかな瞳も、儚げな笑みも、幻ではなかったのでしょうか、というほど、影も形もありません。
見据える眼差しは、無言の圧力を秘めていて、私は急いで魔法師様の向かいの椅子に腰かけました。
怒らせると、後が怖いですもの。
「それで、私に訊ねたい事とは何でしょうか?」
椅子に座り、紅茶を一口飲んだ後、私はそう問いかけていました。
魔法師様が届けてくださった手紙の事は、今は――公爵領にいる限り会うことは出来ませんもの――どうすることも出来ませんので、王都に戻ってから考えます。
本当なら、今すぐにでもお会いしたいけれど、公爵領から王都までは遠いですもの。私のわがままで、すぐに王都に戻ります、なんて言えませんわ。
それでなくとも、皆さんには心配を掛けっ放しでしたものね。
それに、手紙に記された、約束の地――――
いくら記憶を辿ってもその場所に覚えがないのです。
一の兄上様なら、何か知っているのでしょうか? 帰ったら、訊いてみましょう。
「……貴女の未来視についてです」
「私の……?」
「ええ、貴女が語られた、バーンティスト侯爵令嬢とディレム第2王子の未来視……」
「それが、何か?」
あの時語ったこと以上の事は、何も隠しておりませんわよ、私。もちろん、乙女ゲームの世界というのは伏せておりますが、それ以外はすべてお話したと思うのですが、何か気になる事でもあるのでしょうか?
「……キア」
「…………っ!」
思わずカップを落としそうになりました。
だって、その名は―――
「やはり、知っておられましたね」
目を細め、薄っすらと笑みさえ浮かべる魔法師様は、確信するかのようにそう告げます。
――――ば れ て い る………。
「先ほど私が貴女を攫うと告げた時、貴女は出来ないとは言わなかった。本来なら、一介の魔法師如きに出来るはずのない暴挙を、貴女は、否定しなかった。それは、知っていたのでしょう? 私の素性を――――」
射竦める魔法師様の目が、誤魔化すのを許さないとでも言うように私に向けられます。
息を吸う事すら忘れそうな一瞬。
恐れ戦く私に、魔法師様は微かな吐息を零しました。
「……はぁ。別に貴女を責めているわけではないのですから、何もそんなに怯えなくとも良いでしょうに………。ただ、私は知りたいだけなのですよ。なぜ貴女が私を知っていたのか……と」
「………魔法師様の素性、とは? 魔法師様は魔法師様ではないのですか?」
無理だと思いますが、僅かばかりの抵抗を……。
声が震えているのは、それが無駄な行為だと自覚しているからですわ。
「この期に及んでまだそんなことをおっしゃる……。なら、はっきり申しましょう。私は、貴女をずっと疑っていたのですよ」
「…え?」
疑って……いた?
「ああ、この言い方だと誤解を受けそうですね。貴女を守ると誓った言葉に偽りはありませんのでご安心を…。ただ、貴女が私に隠していることがあると確信していたのです」
「…どうして?」
「言ったでしょう? 魔法具から解放されてすぐ……私の事をキア…と」
――――っ!
覚えておられたのですか!
まさか、とは思ってはいましたけれど、本当に疑っていたのですね。
やはりというべきか、当然というべきか、魔法師様には誤魔化しは効かない、という事なのでしょう……。
驚きで目を見開く私に、魔法師様は、悪戯が成功した子供の様に、楽しそうに声をあげて笑っておりました。
これもまた珍しい事ではありますが、なんにせよ、もう秘密にしていることは出来ないようです。
「……お察しの通り、存じておりますわ。魔法師キアノス様……いいえ、ユグラール皇国第3皇子キア・ノルスタ・ユグラール様とお呼びしたほうがよろしいでしょうか?」
改めてそう訊くと、魔法師様は緩く頭をふり、
「今の私はキアノスですよ。その名は、すでに捨てた名ですので……」
と、そう答えました。
魔法師となるために捨てた身分。
皇族としての立場より、人々を愛しみ守る事を選んだキアノス様。
でも、ゲーム上――攻略情報――では、ヒロインを手に入れるため皇族に戻る事を決意する、はず………。たぶん―――
魔法師様のルートは、遊んでいないので詳しい事は分からないのです。エンディングは攻略情報などで目にしたことがありますのでなんとなく覚えているのですが、そこに至るまでの経緯は本当に知りません。
まあ、それは、魔法師様に限りませんけれどね。
ディレム様ルートしか知りませんもの、私……。
「さて、ここからが本題です。なぜ極一部しか知らない私の身分を貴女が知っていたのか、その理由を詳しくお訊きしてもよろしいですか?」
もう、未来視で見た、と言っても、信じては頂けないでしょうね……。
やはり、話さなくてはいけないのでしょうか? あまり気は進まないのですが………はぁ。本当に、この方は苦手です――――
「躊躇われるのは分かります。きっと、貴女の奥底に眠る秘密を暴くことになるということも理解しています。けれど、今となっては、その秘密を知る事こそ、貴女の未来視を覆す一つの手だとも思うのです」
真摯に語る魔法師様の言葉に驚きます。
私が話すことで、セレナを救えるのですか……?
私がゲームの事を話すことで……?
もし本当にそうならば、喜んで話しますわよ、私。
でも、信じてもらえるのでしょうか? こんな、突拍子もない話を―――
「……ここに来る前に、シャリアン殿から伺ったことがあります。例の娘は未来を知っているらしい、と」
「…はあ!?」
突然、何を――――っていうか、ちょっと待って! それって、ヒロイン? ヒロインが未来を知ってる?って、それ以前に、どうして一の兄上様がヒロインの事を知っているの?!
「これは、街の噂で聞いたことらしいのですが、どうやらシャリアン殿はあの娘と接触を図ろうとしているみたいですね。私が王都にいれば、私が調べてこい、と言われそうですが……」
「だ……誰が、誰が彼女に!?」
一の兄上様ですか? まさか―――ディレム様ではありませんわよね!?
「カイレム様ですよ」
え?
「二の…兄上…様ですか? どうして?」
「あの娘が名を知っていた相手から問題の少なそうな相手、という理由らしいですがね」
それで……二の兄上様、ですか?
まあ、確かに二の兄上様ならば、大丈夫のような気もいたしますが………。
ああ、決して二の兄上様を心配していないわけではありませんのよ、相手がヒロインですしね。ただ、ゲーム上はどうだったのかは知りませんが、今の二の兄上様はどう見てもヒロインに惹かれるとは思えないのですもの。
一度お会いになったヒロインは、いかにも怪しい行動をとっておられたらしいですし、そのような相手に近衛の職に就いている二の兄上が、そうそう簡単に恋に落ちるとは思えないのです。
それに、仮に何かあっても、一の兄上様がいらっしゃるから何とかなるかな………と。
なにはともあれ、ディレム殿下ではないことにホッといたしました。
「楽しそうにしておられましたよ」
「楽しそうに……ですか?」
「ええ、それはもう……すこぶる楽しそうに」
すこぶる、ですか?
絶対にヒロインと会う事――恋愛的意味で――を楽しみにしている、という様子ではありませんわね。
本当に、何をしていらっしゃるのか、兄上様たちは―――
「きっと王都に戻られるころには、いろいろとお話が聞けると思いますよ」
二の兄上様は、何を聞いてこられるのでしょうか?
すごく気になります。
出来れば、二の兄上様とヒロインが会っているすぐ側で聞き耳を立てたいくらいですわ。
だって、もしかしたらその話の内容にこそ、ヒロインが目指しているルートが隠されているかもしれませんもの……。
「さて、そろそろ話してくださいませんか? 私は何を聞いても、貴女を信じますよ」
唐突に話を変える魔法師様に苦笑が浮かびます。
前世の記憶を魔法師様に話すべきか迷っていた私ですが、兄上様たちのお話しで、気が紛れていたみたいです。
それすらも、魔法師様の手の内なのかもしれませんが……もう、隠すことは無理ですわね。
話すことにしましょう。
それが、これから起こる未来を覆すための一歩だと信じて――――
◆ キアノス視点 ◆
月明かりに映し出されるのは、白銀の髪と漆黒の瞳という皇国特有の色を持つ己の姿。
ふと目を落とし見つめる先は、彼女の頬に触れた指先。
そっと口づけるは僅かに残ったかの人の面影。
我ながら滑稽なことをしたものだと思う。
彼女の決意を促すためとはいえ、自分の本性を僅かに覗かせてしまうとは……。
あの時、よく抑えたと自分で自分を褒めたくなりますよ。
この腕の中に彼女を囲い込んだあの時―――
私は、囲いはしたが、抱きしめてはいない……。抱きしめてはいけない―――と、そう自分を抑えた。
小さく細いその身体を抱きしめてしまったなら、おそらく、私は自分の感情を抑えることが出来なくなる……。例えどんな手段を講じてでも、彼女の心を奪い、その瞳に私だけしか映さないように愛でて、皇国へ連れ帰っていただろう。
けれど、こんな激しい私の身の内に燻る想いなど、彼女は知らなくていい。
窓に映る歪んだ笑みさえ浮かべる己の姿に背を向け、深く椅子へと腰掛ける。
「………はぁ」
何ともなしにため息が出るのは、先ほど聞いた話のせいだろうか………。
『…ここは、前世の私が遊んでいたゲームの世界なの』
俄かには信じられない内容。
信じる、と言ったことに嘘はない。
けれど、前世という記憶も然ることながら、そのゲームというものがいったいどういうものなのか理解できていないのもまた事実……。
『恋愛小説のようなものなの。ただ違うのは、ヒロインを動かすのが自分自身という事。小説のようにただ一つの決められた未来があるわけではなく、自分で選んで物語を進めていく。そして最後に意中の相手と結ばれる。その相手が攻略対象と言って、複数人いるのですわ』
私たちが、そのゲーム―――物語の住人……。
彼女の言う、攻略対象……。
『信じられないと思うけれど……』と何度も繰り返す彼女の言葉を否定するつもりは毛頭ない、けれどこうも思う。
その記憶を持ってこの世界に彼女が生を受けたのは何らかの理由があるのではないだろうか、と―――
現に、すでに未来視という形で彼女は行動を起こしている。彼女が見たという最悪な未来からバーンティスト侯爵令嬢を救うために……。
それすらも、計画の内、なのでしょうか? ――――あの娘の。
ああ、そういえば、あの娘も、未来を知っている、という噂がありましたね。
なら、やはりこの一連の流れは、あの娘が中心にいるからなのでしょうか?
思い出されるのは、この地へ旅立つ前日。
『……彼女を頼む』
真摯に頭を下げるのは、この国の王太子。
『貴殿が真に彼女を守護しているのは知っている。その想いがどこから来ているのかも……理解している』
『ジリオン殿……』
『今の私は王都から動けない……。動いたらいけない……。それはシャリアンからもきつく言われている。奴らを出し抜くには、今私が王都から離れるわけには行かないと……! だが……だからこそ―――』
『動こうとしているのですね?』
『ああ……。例え何があろうと私の心はすでに決まっている。遠き約束は、この胸の中でずっと生きているのだから…。だが、その私の想いが彼女を危険にさらす。だから…守ってほしい―――キア殿』
再び頭を下げる。
王太子とも在ろうものが、今は一介の魔法師でしかない私に頭を下げるとは……。
言われずとも、彼女を守ることに否はない。けれど、私の想いを知っていて、私の真の身分を知っていて尚、頭を下げるこの王太子を……私は嫌いにはなれない―――
きっと、根底にある想いは同じだからなのでしょう。
彼女を守りたい、と―――
了承した私に差し出されたのは一通の手紙。
それを渡すかどうかは私の判断に委ねると言った王太子は、決意の秘めた眼差しで私を見据えていた。
「あの方が未だ失意の底におられたのなら、本当に攫っていこうと決めていたのですけれどね……」
たどり着いた公爵領で見た彼女は、民たちと屈託ない笑顔で会話をしていて、その憂いをすでに消し去っていた。
その側には慈しむような眼差しで彼女を見ていた―――護衛騎士ルキト。
二人の間にあったことなど疾うに知っている。
頼みもしないのに、風神が教えてくれた。
ご丁寧にも、その場をしっかりと脳裏に映し出す様に見せてくれたのだから間違えようもない。
だからといって、何をするわけでもない。あの方の憂いが晴れたのならそれはそれで喜ばしい事だとも思う。
けれど、そう思う反面、残念、と思う自分がいるのも本当なのですけれどね……。
ああ、そういえば、そのルキトも攻略対象の一人でしたね……。
聞いた名は4人。
『他にもいるかもしれないけれど、私が知っているのは4人だけなの』
そう言って告げられたのは、私とカイレム殿、ルキト、ディレム殿下の4人。
その中で大きく物語と変わっているのはルキトだと彼女は言っていた。
そして、あの娘もルキトの事を『どうして近衛騎士じゃないの?』と、そう叫んでいたのを記憶している。
彼女――イリアーナ様の存在で、すでに未来は変えられている、と思うのは時期尚早なのでしょうか?
一概にイリアーナ様の存在で、とも言いきれない理由もあるにはあるのですが……。
『…カイレム様にキア様? うそ…ここで攻略対象揃い踏み? なんで? 駄目よ、今ここでイベントを起こしたらあたしの計画が――――』
そう、あの娘は私の事も知っていた。
攻略対象とも言っていた。
そして、計画が――――とも。
だからこそ思う。もしかしたら、すべて、その娘の思惑で未来が動いているかのかもしれないと………。
杞憂で済めばいい、けれど、イリアーナ様はディレム殿下の未来しか知らないと言っていた。
『来年の春に物語は始まるの。誰と恋を育むにしたって必ずディレム様との出会いから始まるのよ』
そう言っていたイリアーナ様は、すでに私たちがあの娘と出会ったことに対し懸念を示していらした。
あの娘がイリアーナ様の未来視通りに動くのなら問題はないでしょう……。手はいくらでも打ちようはあります。
けれど、違うのなら……。
イリアーナ様でさえ知らない目的を持って行動するのなら――――
警戒しておくに越したことはないでしょうね。
なにはともあれ、動きだすのは来年の春。
あの娘に関しては、すでにシャリアン殿たちが動いていることだろうし、今私がここで気に病んでも仕方がありませんね……。すべては、王都に帰った後の事。
今は――――
コンッ
ガタッ
小さく窓を叩く音。
次いで開かれるその窓の外に立つ人物に笑みが浮かぶ。
「動きましたよ、お師様」
あどけない笑みでもって伝えるのは、
「待っていましたよ、ユコ」
王都からの指示を持ち、闇夜に紛れ、風に乗って飛んできた、私の弟子。
『……彼女を頼む』
次いで浮かぶのは、王都で乞われた真なる願い。
分かっておりますよ、ジリオン殿下。
さあ、まずは、こちらの問題を一掃してしまいましょうか。
私の―――私たちの愛しい彼女に害を成す者など、決して許すわけには行かないのだから………。
読んでくださってありがとうございます。
次話「旅路に潜む襲撃者」は、現在多忙につき、申し訳ありませんが、3月中頃更新予定とさせていただきます。
宜しくお願いします!




