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24. 灰色の騎士

 



 見つめてくるのは、良く見知った青年の瞳。

 私を抱きしめながら向けてくる眼差しは、今は苦し気に揺れていて―――


「……ルキト?」


 そっと名を呼ぶと、ルキトは、その双眸を僅かに細めました。


「やっと……俺を見ましたね、お嬢さま」


 ゆっくりと呟かれた言葉。

 いつもとはまるで違うその低い声に驚いて目を見開けば、真摯に見つめてくるルキトの顔が目の前にありました。


 私……久しぶりにルキトのお顔を見たような気がいたしますわ。


 ふと目に映るのは、眦に揺れる微かな光――――


 もしかして………涙?

 ルキト……泣いているの?


 気になってそっと指を伸ばすと、光に触れる直前にその指をルキトに捕まれました。


「泣いていると思いましたか? 残念ですね…泣いてなどいませんよ、俺は。むしろ、泣きたいのはお嬢様でしょう? どうして我慢しているのです?」


 咎めるような口調。


 我慢などしていない……。

 そう伝えようと首を横に振ると、なぜかルキトがため息をついた。

 

「我慢してるでしょう? お嬢様、さっきからずっと泣きそうな顔をしているのに俺に気付かれないとでも?」


 どこか呆れ口調なのは、私が素直じゃないから……。


「ああ、もしかしてあれですか? ほら、俺たちに、心配かけたくないの、とか、泣き顔を見られたくないの、とか、いや、お嬢さまのことだから、失恋した顔なんて誰にも見せたくないわ……とか?」


 失恋……。


「失恋したんでしょう? 失恋したからこそ、そんなに泣きそうになっているんでしょう? 俺に言わせれば、さっさと泣いて忘れて、新しい恋を探したほうが賢明だと思いますけどね……」


 忘れる?


 アーク様を……?


 そんな事……。


「それに、初恋は実らない、ともよく聞きますしね。どうです? この際、俺と恋をしませんか? 大切にしますよ」


 何を……言ってるの? ……ルキト。


 告白…?


 淡々とした感情の籠らない口調で告げられた言葉。

 ともすれば告白にすら聞こえるそれは、明らかに心が伴っていないもので……。


 こんな時に……。

 なんですか、それは……!

 告白なの…?

 そんな……人を小馬鹿にしたような告白もどきで、私が喜ぶとでも本気で思っているのですか? 


 何にも知らないくせに……。

 私の気持ちなんて……何にも知らないくせに―――!


 どうしてそんなひどい事を言うの、ルキト!


 ルキトの投げかける言葉が胸に突き刺さり、知らずに涙が零れていました。

 滲む視界でルキトを睨みつければ、ルキトは真っ向から私の視線を受け止め目元を緩めたのです。


「何も言い返さないのですか? お嬢様」


 先ほどまでとは違う、とても優しい口調。


 私の涙をそっと拭うように指を這わせるルキトは、その涙を愛しそうに口に含みました。


 ルキト……?


 ルキトの言動に困惑を隠せない私は、その真意を探るようにルキトの目を見つめました。けれどルキトは、私の視線から逃れるかのように上を向いたのです。


 まるで自分の顔を見せたくないというように―――


「…怒って良いんですよ」


 頭上から降るように落ちてくるぽつりと呟かれた言葉。


 ……怒って良い?


「お嬢様は、怒って良いんです」


 繰り返される言葉。

 

 私を抱きしめるルキトの腕は微かに震えていて……。


「さあ、好きなだけ怒ってください。得意でしょう? お嬢様」


 ルキト………貴方。


 再び発せられたその挑発するかのような問いかけで、私、気づいてしまいました。


 ―――――わざと、なの?


 あからさますぎるそれは、明らかに私を怒らせようとしているもので……。


 わざと……ですわね、ルキト。


 そう思い至ってしまえば、妙に納得できるのです。

 だって、知っているもの。

 ルキトが私を傷つけるような言葉を言うはずがない、と。

 揶揄って面白がる事はあっても、ずっと守ってくれていた私の騎士は、絶対に傷つけるようなことはしないし言わない……。


 私のため……。


 ルキトがこんなまねに出たのは、あの夜会の日から私がずっと塞ぎ込んでいたから。

 おそらく、私を元気づけようと、手っ取り早く怒らせようとしていたのですね。だって、私…ルキトにはよく反発していたもの。揶揄われているだけだって分かっていても、すぐ本気にして……。


 そっとルキトを見上げると、口をきつく結んだまま静かに瞑目していて、ともすれば、自分で言った言葉に自分自身が傷ついているようにも見えました。


 私のために、わざと傷つけるような言葉を並べて……それで自分が傷ついていたなら本末転倒ですわよ、ルキト。まったく、貴方らしくありません。

 いつも飄々として時に意地悪で、私を揶揄って楽しそうに笑う。それが貴方でしょう? こんなの、似合いませんわ。ほんと――――


「……馬鹿、ですわ、ルキト」


「うん? 何か言いましたか?」


「馬鹿……と言ったのです。そんな言葉で私が貴方の本心を見抜けないとでも思っているのですか? 本当に馬鹿……」


「馬鹿…ですか? それも良いですね。俺が馬鹿になってお嬢様に笑みが戻るなら、いくらでも馬鹿になりましょう」


「なによ、それは……」


「本心からですよ」


「それが本心なら、本物の大馬鹿ね……。それに嘘つきだわ」


「何が、嘘つきなんですか?」


「だって、ルキト言ったではないですか? ドキドキするのは危険な目に遭ったからだって。胸が苦しいのは……攫われた時の事を思い出して動悸が激しくなっているだけだって、そんなの、違うじゃない……」


「よく覚えていますね」


「はぐらかさないで!」


「はいはい、確かに言いました。覚えていますよ」


「本当は……私がアーク様を好きだって疾うに気づいていたのでしょう?」


「…ええ」


「なら、どうして教えてくれなかったの! 教えてくれたらっ!」


「告白でもしましたか?」


 告白……。


 そんなの―――


「……するわけない。そんなの出来ない…出来るわけないじゃない!」


 彼には決められた婚約者候補の方がいるのに、私がいくら想いを伝えたって叶うわけない!


「どうしてそんなことを言うの? ルキトだって知っているくせに、あの方にはすでに決められた相手がいるって…知っているくせに!」


 ルキトに苛立ちをぶつけたって仕方がないと分かってる。

 でも……吐き出された言葉は戻せなくて、あふれる涙は……止めようがなくて。


「…お嬢様」


「……ごめんなさい、ルキト。貴方の所為じゃない。貴方の所為じゃないと分かってる、でも、私っ!」


 零れる涙を隠すように、ルキトの胸に縋り付き顔を埋めると、ルキトは宥めるかのように頭を優しく撫でてきました。


「良いんですよ、俺を責めて。それで気が晴れるなら、いくらでも的になりましょう。けれど、気が済んだら、いつものお嬢様に戻ってくださいよ。その為なら俺の胸を貸すくらい安いものです」


「そんなの当たり前でしょう。私を泣かせたのはルキトなんだから、責任取りなさい」


「はいはい、いくらでも責任を取りましょう」


 泣かせたとばれたら後が怖いですけどね、と付け加えるように言うルキトは、そっと私の背に腕を回し、大切に守るかのように抱きしめてきました。


 あの日―――アーク様を好きだと気づいたあの日から、私は初めて声を出して泣きました。


 本当は、ずっと、泣かないつもりだった……。

 泣いてはいけない、と思っていた。

 だって、泣いてしまったら……アーク様を好きなこの想いも記憶も全部涙と一緒に流れていきそうで―――怖かった……っ!


 けれど、抑えていたものが決壊したかのようにあふれてくる涙はもう止めようがなくて―――


「…お嬢様。前言撤回です。忘れなくて良いんですよ。好きなら好きで良いんです。心に秘めているだけなら誰も責めません。いつか……その想いが、自然と昇華されるまで、忘れなくて良いんです」


 声をあげて、子供のように泣きじゃくる私の耳に、囁くように語りかけるルキトの声が聞こえました。


 忘れなくて良い……?

 私は、アーク様を好きなままで良いの?


 声に出さない問いかけに、ルキトは返事の代わりとばかりに、優しく背を叩いてきました。宥める様に、何度も何度も………。


 私が落ち着くまで……


 涙が止まるまで……


 ルキトは、ずっとその腕の中で―――守るように抱きしめてくれたのです。




 ☆




「少しは落ち着きましたか?」


 辺りに闇が落ちてきた頃、ルキトは私を包む腕を解きそう問いかけてきました。

 こくりと頷く私を見て、ルキトは安堵の吐息を漏らしています。


 よほど心配していたのでしょう。


 どこか照れくさそうに笑みを浮かべているルキトは、ふいに視線を、私から自分の背後に向けました。


 見ている先は、翼塔出入り口の柱?


 ―――あっ……。


 そこにあるいくつもの気配に、知らずに笑みが零れました。


 ああ、私、笑えています。


「お嬢様に元気がないと、俺だけじゃない、みんな辛いんですよ。気づいているんでしょう? 今だって、こちらを見ている目がいくつもあると」


 ルキトの言葉に頷きます。


 知っているのです。

 公爵領に来てから、いいえ、ここに来る前もずっと私を案じているみんなを知っているのに――――私は、自分の事しか、考えられなかった。

 

 今だってそうです。本当なら休暇を楽しんでいるはずの専属の騎士と侍女はずっと柱の陰で見守っていますもの。


『今度は一緒に行くと行っただろう?』と言ったのは、ルキト。『言わずもがな、だな』と、ルキトに同意したのはゼン。『ルキトが行くなら私も行くよ。奴を野放しにはできないからね』というのは、新たな護衛騎士のソリンさん。『それでしたら私たちも行きますわ』『お嬢様のお世話は私たちの生きがいですもの』と意気込んでいたのは専属侍女のロンナとセシャ。


 彼らが本当は私を案じて同行を申し出たのは気づいていました。だって、いつにもまして心を砕いて接してくださいましたもの。けれど、そんなみんなに私は甘えてばかり。


 駄目ですね、こんな情けない主だと。もっとしっかりしなくては。


 私は一度瞼を閉じ、ゆっくりと見開くと心配そうに覗いている皆さんに向け笑みを浮かべました。


 それは、久しぶりに浮かべる心からの微笑みでした。






「お嬢様、ルキトは役に立ちましたか?」


 にやにやとルキトに笑みを浮かべながら近づいてくるのはソリンさん。こそっとルキトの耳元で、「報告するからな」と呟いていましたが、いったい誰に?

 ルキトを見ると、ものすごく青ざめたお顔をなさっていて、おもわず心の中で手を合せてしまいました。

 だって、その表情から分かってしまったのですもの。


 報告する相手って、一の兄上様ですね、ソリンさん。


「わ…私、みんなに知らせてきます!」


 と走り去っていったのは、半泣き状態のセシャ。


「忙しないですね~セシャは。さあ、お嬢様、体調を崩されてはいけません。これを…」


 ふわりと厚手のショールを羽織らせてくれるのはロンナ。


「ルキトは困らせなかったか?」


 幼子にするように頭を撫でてくれるのはゼン。

 それぞれに私を思う心情が伝わってきて、また涙が零れそうになりました。


「ほらお嬢様。いつまでもここにいてもしょうがないだろう? 下に降りよう。祭りはもう始まってる」


「はい、ルキト! 私、野鳥の串焼きが食べたいですわ!」


「それでこそ、俺たちのお嬢様だ」


 泣き笑いのまま宣言すれば、ゼンがそっと手を握ってきました。


「迷子になるといけない」


「はいっ!」


 目元を綻ばせながら言うゼンに手を引かれながら、私はみんなと一緒に歩きだしました。


 行き先は中央広場、私の専属騎士と侍女と過ごす初めてのお祭りです。






 ◆ ルキト視点 ◆






「お前、本気だっただろう」


 久しぶりに見たお嬢様の笑顔に気を取られ、俺は一瞬何のことを言われているのか気づかなかった。


 怪訝そうに視線を向けると、射竦めるかのような眼差しで俺を見ているソリンと目が合う。


「俺と恋をしませんか? 大切にしますよ、だったか?」


「…聞いていたのか?」


「聞こえていたんだ、馬鹿が…」


 どうやら俺たちの会話は筒抜けだったらしい……。


「灰色の騎士と異名をとるお前も、お嬢様相手だと形無しだな」


 灰色の騎士―――


 学園時代の俺のあだ名。

 ひたすらに剣の腕を磨き、近衛騎士を目指していた時の俺の―――


「お前が近衛騎士への道を蹴って専属護衛になったと聞いた時は驚いたが、今は少なからず納得しているよ、私は―――」


 俺が近衛にならないと知って、驚いた…いや、一番腹を立てていたのはこいつだ。

 学園時代、貴族と平民という身分の差や性別を超えて、こいつは俺の好敵手だった。その腕前は、シャリアン様やカイレム様が認めるほどだ。

 身分もあって近衛の道は断念したが、王国騎士団へと入り、その後、騎士団の女性部隊を率いる隊長になったと聞いた時は、素直に祝福した。


「なあ、ルキト。約束、覚えているか?」


 約束……。


 ああ、学園時代にした約束か……。

 近衛と王国騎士と離れてしまうが、お互いが好敵手には変わりない。それぞれの道で上を目指そう……だったか。


「覚えてるよ……」


 今はもう、違えてしまった約束ではあるが……。


「なら、今なら教えてもらえるか? なぜ、護衛騎士の道を選んだのか? まあ、聞かずとも、なんとなく察することは出来るが、出来れば、お前の口から聞きたい」


 どこか、楽しそうな口ぶりなのは、俺を揶揄う材料が出来たと思っているからなのだろう。


 先を行くお嬢様に目を向けながら、俺はあきらめたように口を開いた。


「聞いても、楽しい事にはならないぞ」と。


 




「お前も知っているだろう? 俺が近衛を目指すためにインスフィア家に預けられたのは……」


 王立学園を卒業してから、俺は騎士見習いとしてインスフィア公爵家に仕えていた。高位貴族に仕えていることは近衛騎士の入団試験に有利だからだ。


 けれどそこで、俺はお嬢様と出会ってしまった。


「その時に、なぜかお嬢様付にさせられてね。まあ、守らなくては、と思ってしまったんだよ」


「一目ぼれ、の間違いだろう?」


 茶化すようなソリンの言葉に苦笑が浮かぶ。


「その後、入団試験には合格したんだけど、側を離れるのが辛くてね……」


「自分で…己の手で守りたいと思ったのか? この国の民より、王族より、ただ一人の少女を……」


「ああ……」


「叶わない相手だと知っていたんだろう?」


「ああ……」


「それでも、側にいることを選んだのか?」


「………ああ」


「馬鹿だな……。お嬢様の言葉じゃないが、お前は本当に馬鹿だよ」


「分かってる……」


 僅かに先を行くソリンの表情は見えない。

 おそらく、あきれているんだろう。

 

 それでも、願ったのは俺だから……。


 手の届かないお方だと知っていて尚、側にいることを願ったのは自分。

 眠り続ける幼いお嬢様を守りたいと、誰かに委ねるのではなく、俺自身の手で守りたいと……そう願ったのも自分。


 そして、そのために期待されていた近衛騎士の道さえ捨てたのも、俺自身―――


 そのことに後悔はない……。


 おそらくこの先も、たとえ何があっても俺はお嬢様を守る剣で在り続けるだろう。


「……なあ、ルキト」


 立ち止まり顔を上げると、ソリンが振り向き俺を見ていた。


 その顔に悪戯めいた笑みを乗せて―――


「私は、そんな馬鹿なお前も案外良いものだと思うぞ。お嬢様と共にいるお前は、見ていて楽しいからな」


 ゆっくりと俺の隣に並ぶソリンは、力いっぱい俺の背中を叩き、


「行くぞ。お前のお嬢様が待っている」


 にやりと笑うソリンの背を、お返し、とばかりに叩く。


「それは、お前もだろう、ソリン」


 なんの偶然か、こいつも王国騎士隊長の位を蹴って護衛騎士になった。その理由までは分からないが、今は共にお嬢様を守る騎士だ。


 見つめる先は、ゼンさんに手を引かれ、まぶしいほどの笑みを浮かべている少女。

 

 ふと自分の両手を見つめる。

 僅かに残るのは、愛しい人のぬくもり。

 この手で、腕で、愛しい少女を抱きしめた感触は、今も甘く胸を疼かせる。たとえ、ほんのわずかな時間であっても、あの瞬間だけは、俺だけのお嬢様だった。




 まるで……夢を見ているようだった。


 永遠に叶う事のない……幸せな、夢を――――






「…さて、シャリアン様になんと報告したもんか。頼まれてる手前、誤魔化すこともできないが……。はぁ、いずれは王国騎士団に戻れると知っていても、この任務は中々骨が折れますよ、シャリアン様」




 そう、ため息交じりに呟いていたソリンの声は、吹き抜けていった風に消され、俺の耳に届くことは無かった。








ありがとうございました。


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