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2. 偶然? 必然? 始まり告げる、春風の悪戯

 


 

 穏やかな風が流れる春のはじめの昼下がり。(わたくし)は気心が知れた友人でもある従妹の少女と、優雅にティータイムを楽しんでおりました。

 庭園の中ほどに池があり、その周りには色とりどりの季節の花が植えられております。今の季節は東方の国から取り寄せた桜という名の木が、淡い薄紅色した小さな花を咲かせておられます。なぜか毎年その木に咲く花を見ると、無性に懐かしさが込み上げるのですけど、東方の国になど行った事もありませんのできっと気のせいですわね。

 

 やわらかい風に揺れるその木の下に、肌触りの良いふんわりとしたクッションを敷き詰めた長椅子とテーブルを置き、淹れられたお茶は桜の花びらを浮かべたもの、添えられた菓子類にも桜が使われております。

 

 僅かに肌寒くはありますが、ポカポカと降り注ぐ日差しがとても気持ちいいですわ。

 お茶から香る桜の優しい匂いも相まって、私はついつい長椅子に凭れるように眠りに落ちていたのです。ティータイムの最中に眠るなんて非常識と思われかねないのですが、私の現状を知られる方々からは咎められることはありませんわ。




「…お姉さま」


 うとうとと眠る私の耳に、とても愛らしい声が届きます。

 深く閉じていた目をゆっくりと開けると、心配げに見つめる鮮やかな碧の瞳が見えました。


「…私は…眠っていたのですか?」


 少し寝ぼけぎみに答える私に、目の前の少女は僅かに顔を曇らせました。


「お姉さまはうなされておいででしたのよ。『安息の眠り』の効果が薄れていらっしゃるのかしら…」

 

「そんなことはないわよ。ぐっすり眠れていますもの」


 『安息の眠り』という魔法具は、10年程前、毎夜うなされる私を心配して家族が持たせているお守りです。それ以来、夢にうなされる事は無くなりましたが……。

 

 今、私はうなされていたのでしょうか?


 目の前の少女を見つめると、心配げに私の様子を窺っておられます。


 本当にうなされていたようですね……彼女が顔を曇らすほどに…。

 

 自覚はありませんが、夢の内容を覚えていないだけで、実際は見続けていたのでしょうか? 本当に『安息の眠り』の効果が薄れてきている…?


 いいえ、それはありませんわね。

 魔法具を作って下さった神殿の魔法師様は、取り外すまで効果は継続するとおっしゃっていましたもの。きっと、椅子に凭れたまま眠ってしまったので、寝心地の悪さのあまりうなされていたのでしょう。きっとそうです。


 一人思案にくれる私の様子を訝しがるように、少女は眼前に垂れて来ていた金糸の髪を軽く後ろに払いながら、探るようにじっと見つめてきました。


「本当ですの? …お顔の色がすぐれないですわよ」


「大丈夫よ、セレナ」

 

 軽く笑みを見せる私に少し安堵しながらも、少女――セレナは納得いかないとでも言うように口を膨らませております。

 お姉さまと言われてはおりますが、同じ年です。ただ、私の方が少しだけ先にこの世に生を受けましたので親しみを込めてお姉さまと呼んでくれるのです。


「お姉さまの大丈夫は信用できませんわ。でも、こうしてお姉さまの寝顔を堪能できたのは役得ですわね」


 どこか含みを持たせた言い方は、セレナがいたずらを思いついた時の癖。


「セレナ…?」


「知っておられますか? お姉さま」


 少し切れ長の目をした美少女は、ことさらに笑みを浮かべ問いかけてきます。


「何を…?」


「お姉さま、社交界では『眠れる月の女神』と言われておりますのよ」


「………え?」


 月の…女神?

 私が…?


 驚きに声を無くす私にセレナはしたり顔をしていらっしゃいますが、それは……明らかに違いますでしょう。あり得ないですわよ。


「…何かの間違いでは?」


「間違いではございませんわ」


 そう断言されましても、私、社交の場に一度も出席したことありませんし、ましてや、私を知る人は限られておりますわよね…?


 本当にそう言われているのでしょうか…?


 すでに両親に連れられ社交の場に幾度か参加していらっしゃるセレナが言うのだから偽りではないと思うのですが、自分の容姿を見る限り、あまりに過剰な言われようです。ふと周りを見渡せば、よくぞ言ってくださいました! と言わんばかりの侍女と護衛騎士の方々がにこやかに笑みを浮かべ、しきりに頷いていらっしゃいます。

 

 なんの根拠があっての『眠れる月の女神』なのでしょうか?


 あっ! もしかして…?


「分かりましたわ! 眠ってばかりいる私を揶揄しているのですね?」


「違いますわよ!」


 間髪入れずに否定されてしまいました。


 間違いないと思いましたのに……。


「お姉さま、ご自身の美しさに自覚が無さすぎですわ! その艶やかな黒髪に月の女神のような琥珀の瞳」


 それは、一の兄上様も同じなのですけれど……


「白磁の様な素肌に一際きわだつ朱色の唇。その唇を震わせ紡がれる御声は可愛らしく…」


 な…なんですか、その美辞麗句! 誰の事!?


「その容姿だけでも十二分なのに、加えて立ち居振る舞いは完璧、そのお心もお優しく、社交界にデビューなされば、瞬く間に羨望の的ですわよ!」


「…セ…セレナ? わ…分かりましたから…落ち着いて」


 どこか興奮気味に語る勢いに押され、コクコク頷く私を満足げに見つめたあと、セレナは僅かに困ったような笑みを浮かべ「お姉さまがそうだから、変な輩が近付こうと画策しておられるのですわ。虎視眈々と狙っておられるというのに暢気すぎますわよ…」と独り言のように言葉を紡ぎました。


 何を心配しているのか、目の前の美少女は自分以上に私の事を案じてくれているのです。


 『安息の眠り』の効果で夜はもちろん、日中の大半も眠って過ごすことになってしまった私は、これまで公爵家の敷地内から外に出たことがないのです。ですが、外の情報としては両親や兄上様たち、そして館に仕える者達やこうして訪ねてくれる友人たちから聞かされておりますので、けして世間知らずという訳ではないと思うのですが……。


「そんなに心配しないでセレナ。私を狙うなど、そんな奇特なお方などいませんから」


「その認識が甘いのですわ、お姉さま」


「甘いのでしょうか?」


「ええ、でもお姉さまはそれで良いのですわ。―――様の事など、まだ知らなくていいのです!」


「誰の事をおっしゃっているの?」


 セレナの憤りが分からず問いかければ、無言の笑みで返されてしまいました。言う気はない、という事ですね。美少女の圧力に少したじろぎます。

 それでも僅かばかりの意趣返しとばかりに、「セレナの方はどうなの? 愛しの君とは順調なの?」と問い返せば、はにかみながら微かに頬を染めて俯いてしまいます。まるで、その事が嬉しくて仕方がないとでも言うように――


 あら~、うまくいっているようで何よりですわ。この調子だと、近いうちに正式な婚約となりそうですわね。

 

 セレナの婚約は数年前に親同士が決めた事ではあるのですが、正式な婚約は双方成人してからとなっているのです。

 政略的な意味合いの深い婚姻でも、セレナは相手の殿方の事を好いておられるようですので、きっと幸せになれますわよね。


 噂では、相手の方もセレナを大切にしていらっしゃるようですし…。


 一見すると勝ち気そうな印象を抱かせるセレナの意外な一面を見た私は、そのことにほっこりしながらも自身の先行きに不安を抱きました。このままで良いのでしょうか…と。


 『安息の眠り』は確かに安らかな眠りをもたらしては下さいます。取り外せばきっと、幼いころに見続けた夢を再び見ることになるだろうという事も漠然と理解してはいるのです。


 けれど――

 

 私はそっと胸元に手を添えました。

 掌に感じるのは、今まで守って下さったお守り…。これを外すことには勇気がいります。外した後どうなるかなど想像も出来ませんもの。


 ……それでも。


「お姉さま…?」


 問いかけるセレナの声は、私の様子が変わったことを案じてのもの。訝しげに揺れるセレナの碧の瞳を見つめ、私は『安息の眠り』をギュっと握り締めました。そして不安を隠すように微笑むと、一つの決断と共にセレナと向き合ったのです。


「…セレナ、私決意しましたわ」


「…何を、ですか?」


「『安息の眠り』、これに頼るのを終わりにしようと思うの」


「お姉さま…?」


 突然私が言い出したことに思考が付いていけないのでしょう。セレナは、困惑の表情を浮かべながら私を凝視しておられます。

 

「幼いころから、ずっとこのお守りに守られてきましたけれど、いつまでも眠ってばかりはいられませんでしょう?」


「…でもそれは伯父上様が絶対に身に付けていなさいと言われた大事なお守りでしょう?」


「ええ…。でもあれから10年。もうじき私も15歳、成人ですわ。いつまでもこのままという訳にはいかないでしょう? 何よりセレナの婚約式には是非参加したいですわ」


 招待、して下さいますわよね? と少しおどけて言う私に、セレナはますます顔色を悪くしておられます。


「でも…!」


「大丈夫ですわ。なんなら今取っちゃいましょうか?」


「お姉さま、やめてっ!?」


 何気に、そう、冗談半分に、持たされた時から肌身離さず持ち続けていた『安息の眠り』を首から取り外すふりをしたとき、まるでこの時を待っていたかのように強い強風が吹き抜けていきました。


「…えっ!」


 春風の悪戯、とも呼ばれるその風は、あろうことか、私から大事なお守り、『安息の眠り』を抜き去ってしまったのです。


 掌から零れ落ちそうなお守りを無意識のうちに強く握りしめたその瞬間、突然頭が割れるような痛みが襲い来ました。


「…っ!」


「お姉さまっ!」


 椅子から崩れ落ちるように地面に座り込む私は、痛みと同時に幼き日に繰り返し見た夢が脳裏を満たしていくことに愕然と致しました。それは同時に『安息の眠り』の効果が切れた事を意味しております。


 奇しくも、外す決意をした瞬間に起きた春風の悪戯。


 偶然なのか必然なのかは分かりませんが、これも女神さまの采配なのでしょうか? 私に夢を見よと仰せなのでしょうか? 


 それならそれで構いませんが、もう少し穏便にしてほしいところですわ。


 こんな……頭が割れるように痛いのは、許してくださいませっ!






ありがとうございました!

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