17. 穏やかな?日常
あれから――私が王都の街で攫われた事件――早ひと月。
季節もだいぶ秋めいてまいりました。
公爵邸庭園の木々も次第に色づき始め、あとひと月もしないうちに木々は鮮やかな朱に染まる事でしょう。
枯葉を集めて燃やし、季節のお芋さんを―――って、ああ、いけないですわね。こんな事、目の前にいる御仁たちを相手に申し上げるには少し恥ずかしいですわ。
ええ、今私の目の前には、あの事件に携わった方々が、見るも優雅な仕種でお茶を飲んでおられるのです。
兄上様たちに魔法師様、護衛騎士のお二人――私の背後で控えております――とフェラン兄様、そして、
「本当に無事で良かったですわ。あのお方がお姉さまを抱き上げて連れて来られた姿を見た時には心底驚きましたが……」
と、にこやかに微笑むセレナ。
しかし、なぜなのでしょう? その言葉に棘が含まれていると感じてしまうのは……。
「あの方も後がないからね。あまりの必死さに思わず笑みが浮かんだよ」
「同感ですわ、シャリアン様。わたくしもあのお方のあんなに余裕のない姿は初めて拝見いたしましたわ。思わず笑みが零れるほどに……」
「お前たち、それは嘲笑の間違いだろう?」
「何か言ったか? フェラン」
「いや、何も…。それよりシャリアン、先の件、解決の目処はついたのか?」
「私に抜かりはないよ。すでに奴は詰んでいる」
「追い詰められたかの方が、再び牙をむくことは無いのですか? シャリアン殿」
「イリアーナの守りは万全に期しているからね。今後、奴が仕掛けたところで、結局は何も出来ずに終わるさ。キアノス殿も、守護の翼を畳むつもりはないのだろう?」
「それは愚問ですよ」
「失敬」
「兄さんたちは怖いねえ~」
「カイレム、そういうおまえだって新たな護衛騎士を選任していただろう?」
ちらりと私の背後を窺う一の兄上様の視線の先には、公爵家の騎士服に身を包んだ、凛々しくも優しげに微笑む赤毛の女性がおりました。
「これからのイリアーナの守りには必要、と判断したんだ。いけなかったかい? 兄さん」
「いや、父上も了承しているし私も反対はしないよ。それに、彼女の実力は十分に知っているつもりだ」
「光栄です、シャリアン様。お嬢様の専属護衛になれたことは、この身に過ぎた誉です。誠心誠意、お仕え致します」
特に、こいつの魔の手から守って見せましょう―――そう言を続ける女性騎士は、ちらりとルキトを見遣り、人の悪い笑みを浮かべました。
「ソリン、なんで、おまえが……」
ぶつくさと呟くルキトは、苦虫を噛み潰したかのような顔をして女性騎士――ソリンさんを睨みつけておりました。
「これからはイリアーナも頻繁に出歩くことになるだろう? 女性の騎士が側にいる方が良い時もあるんだ。仲良くしてくれ、ルキト」
「了承いたしました、カイレム様」
不承不承に恭順を唱えるルキトは、これ見よがしに深いため息をついておられました。
その隣で、笑いを懸命に堪えるソリンさんは――見なかった事にいたします。
☆
あの事件の後、眠りに落ちていた私は知らなかったことなのですが、ゼンとルキトは兄上様や父様からはお叱りを受けなかったそうです。
なんでも、城下の街に出て、私が何事もなく無事ですむわけがない、となぜかみなさんそう思っていたらしく――腹立たしいけれどあながち間違いと言えないところが悲しい――事前に対策を練っていたのだそうです。それには、『魔に染まった者』が絡んだ場合、二人の手には負えない、という事も含まれていたとか……。
それに敵か味方か判断がつきかねたユコは、本当は神殿に保護されている少年で魔法師様の弟子、ということらしいです。自らの正体を隠し、『魔に染まった者』を捕えるために街にて情報を集めていたとか……。聞くところによると、王都の街に『魔に染まった者』が潜入している、との情報もユコから齎されたものらしいですわ。
おそらく、アーク様はユコの正体を知っていたのですね。知っていたからこそ、味方に接するようにユコと対話していた。
アーク……様―――
あっ……ああ、いけないですわね。思わず惚けてしまいましたわ。
どうもあれ以来、アーク様のことを思い出すと、なぜか無性に胸が早鐘を打ったり惚けたりすることが多くなりましたわ。何か変な病にでも罹ったのでしょうか?
そのことをルキトに相談したら、「危険な目に遭われたのです。彼の姿を思い出すとその時の恐怖が蘇って動悸が激しくなっているだけですよ。いずれにせよお嬢様が気にすることではありません」と言われてしまいましたわ。
どこか腑に落ちない回答ですが、病でないなら気にする必要はありませんわね。
そのアーク様なのですが、未だにどこのご子息なのか誰も教えては下さいません。
兄上様たちに訊いても、
「彼の事は、夢だと思って記憶から抹消しなさい」と、一刀両断の如く拒絶するのは、一の兄上様。
「ごめん、イリアーナ。俺からは何も言えないんだ。いつか…うん、いつかきっと知る日が来ると思うから、今は訊かないで、ね?」と、かなり言葉を濁すのは二の兄上様。
正式に紹介して頂いてきちんとお礼を申し上げたいと思っておりましたのに、兄上様たちがこの調子だと、いったいいつになる事やら…ですわね。
頼みの、セレナは―――
「あのお方の事などお姉さまが知る必要などありませんわ! 本当に油断も隙もあったものではありませんわね。皆に邪魔をされて、落ち込むとよろしいのですわ!」
まったく頼みにはなっておりませんでした。
本当に、どうしてみなさん私からアーク様を遠ざけようとなさるのでしょうか?
何か紹介できない理由があるのでしょうけど、私に忘れろ、と言う割には、会話の端端にアーク様の事が話題に上っていらっしゃいますわよね? かなり、険悪な内容ではありますが……。
「ところで、ねえ、イリアーナ?」
それに誘拐事件の黒幕?
あれって、メイグリム伯爵、とおっしゃっていましたわよね?
夢うつつで聞いた会話ですので信憑性にかけますけれど、兄上様たちは、その事についても何も教えては下さらないのですよね。
「イリアーナ、聞いてる?」
……二の兄上様の声が聞こえますが気のせいですわよね?
そうそう、あの件にメイグリム伯爵が関わっていたなら、ヒロインはどうなるのでしょう? 一の兄上様が伯爵に何か仕掛けてそうで怖いのですけれど、今伯爵に何かあったらゲームそのものが始まりませんわよね? だって、ヒロインは伯爵家に引き取られるはずですもの。
――――――っ!
いいえ、これは…もしかして好機!?
ゲームが始まらない―――ヒロインが伯爵家に引き取られないとすれば、その後控えているイベントが起きないではないですか! これって、このままいけばセレナはディレム様と幸せになれる、ってことですわよね?
とは言っても、伯爵は没落したわけではあませんのであまり楽観視はできませんが、願わくはこのまま何事もなく――ヒロインが引き取られることなく――過ぎていくことを祈りますわ!
「イリアーナ、聞いているかい?」
「は…はい、聞いておりますわ、一の兄上様」
あまりに怖い会話が続いておられましたので、気配を消して自分の思考の中に閉じこもっていたのですけれど、やはり空気になる事は出来なかったようです。
私を見つめる一の兄上様のにこやかな微笑みが怖い―――
「私の言いたいことが分かるかな?」
…………。
ああ、今日のお茶は香草茶なのですね。仄かな――これはカモミール?――香りがとても穏やかな気分にしてくださいますわ~。
「イリアーナ、知らぬふりでお茶を飲んでいても駄目だよ。今日は包み隠さず話してもらうために皆忙しい間をぬって集ったんだから、ね」
ね、って言われたって、何をどう話せと言うのですか?
確かに「イリアーナ、久しぶりにセレナを誘ってお茶会でも開いたらどうだい?」と言って、このお茶会を開くよう指示したのは一の兄上様です。ですが、それがまさかこのような顔ぶれが一堂に会するお茶会だったなどと夢にも思いませんでしたわ!
セレナとふたり、のんびりと過ごそうと思っていましたのに………。
「…兄さん。イリアーナのことだから、俺たちが何を聞きたいのか分かってないのかもしれないよ?」
「……なら簡潔に。ねえ、イリアーナ、君は、メイグリム伯爵の娘を知っているね?」
――――っ!
唐突に突き付けられたその名に、思わず絶句いたしました。
どうして一の兄上様がその事を? といいますか、なぜヒロインがここで出てくるのですか!?
「ディレム様が妙な庶民の娘の噂を聞いて、わたくしたちの元へ訪ねていらっしゃったのですわ。その妙な庶民の娘は、民に扮する騎士を捕まえては、誰が攫われたの? と聞いていたらしいのです」
機械仕掛けの人形のようにセレナの方へ顔を向ければ、何やら不穏な空気を醸し出しているセレナと目があいました。
口調は穏やかですが、いったい何が?
「その騎士が、近衛騎士団の者だという事も知っていたと言っていたな」
「ええ、お兄様。それに、実際にお会いになったのでしょう?」
セレナが視線を向ける先は、二の兄上様と魔法師様、それと―――え? ルキトも、なのですか?
「会ったね…」
「くだらない」
「思い出したくもない……」
二の兄上様、魔法師様、ルキトの順で答えてはおりますが、あの……どうしてみなさんそんなに不機嫌なのでしょう? ヒロインに出会ったのですわよね? ヒロインですよ、みなさんを攻略する………って、ルキトも攻略対象キャラ!? え? あれ? でも…なんで? ルキトって、攻略対象、だったかしら?
履き捨てるように言ったルキトをまじまじと見つめました。
ディレム様ルート以外、ゲームの内容を詳しく知っているわけでは無いので、あまり気にもしておりませんでしたが……確か、攻略対象は四人、でしたわよね。
ディレム様に二の兄上様、それと魔法師様と近衛騎士の誰か―――っ!
あ~~~っ! いた、いましたわ! 確かにルキトです! 今着用している私の髪の色と同じ黒で統一された護衛騎士の制服を、二の兄上様が着用している白を基調とした近衛騎士団の制服に変えて、三つ編みの髪を後ろではなく横に垂らしたら、ほら、紛れもなく攻略対象者です!
ルキトは、ゲームとは違い近衛騎士団に入団しなかったから今まで気づかなかったのですね。
「お嬢様、カイレム様たちが不機嫌になるのはしかたがないのです」
そう言うのは、その場を近くで見ていたというソリンさん。
ソリンさんは、一の兄上様が頷くのを確認すると若干言いにくそうにその時の様子を話してくれました。
「あの時、私たちはお嬢様の元へ向かうため急いでおりました。しかし、店を出てすぐでしょうか? 一人の少女と会話するディレム殿下とお嬢様の護衛騎士と会ったのです」
う…嘘っ! ディレム様、ヒロインと出会っていたの! ゲームの展開だと来年ですわよね!
「何やら珍妙な話をする娘で、見た目は金の髪と青い瞳のとても愛らしい美少女ではありましたが、私たちが近づくと途端に目の色を変え、ディレム殿下、ルキト、カイレム様、魔法師様と目を遣り――」
「「カイレム様にキア様? うそ…ここで攻略対象揃い踏み? なんで? 駄目よ、今ここでイベントを起こしたらあたしの計画が……。そうだ、見なかったことにしよう。それが良いよね、うん、そうしよう」とか言ったんだっけ?」
ソリンさんの言葉を引き継ぐように言うのは、一の兄上様。
なぜヒロインの口真似? とは思いますが、後で聞いたら、ディレム様がそのように話していたとか……。それと、
「俺は、なぜ近衛騎士にいないんだ? みたいなことを言われたな。いなきゃおかしいとも……」
怒りを滲ませるのはルキト。
ご自身で決められた道を否定されたのが、余程腹立たしいみたいです。
「そ……そのようなことが起きておられたのですね?」
若干顔を引きつらせるのは、あまりにも予想と違う皆の対応。どう見ても、ヒロインに好意を抱いているような態度ではありません。
「そう、起きていたんだよ、イリアーナ」
「い…一の兄上…様?」
「セレナから聞いたよ? イリアーナ。春の舞踏会で顔も知らないご令嬢を気にしていたってね。それに、なぜ急に街を探索したいと言いだしたのかな?」
「お姉さま、申し訳ありませんわ。お姉さまが気にしていらしたご令嬢が、なぜかメイグリム伯爵の娘ではないかと思いまして……」
セレナ曰く、春の舞踏会で私が気にしていた令嬢が、メイグリム伯爵が探していらした娘のことではないかと勘ぐっていたらしいのです。
間違ってはおりません―――間違ってはおりませんが、なぜ私が気にしていた令嬢とヒロインが結びつくのですか、セレナ!
「その顔を見ると、セレナの予測は当たりかな。さあイリアーナ、正直に話すんだ。隠し立ては駄目だよ」
優しく諭すような口調でおっしゃっておりますが、一の兄上様の背後になぜか極寒の景色が見えた、なんて言ったらお仕置きものですか!?
「イリアーナ様、貴女がなんの根拠もなく件の令嬢を知っていたとは思えないのです。もしかしたら、貴女様が見続けていた夢に関係するのではないのですか?」
珍しく真摯に見つめてくる魔法師様は、どこか確信めいた問いかけをしてこられます。
逃れられない――――
私の一挙手一投足を見つめる目の前の御仁たちには、適当な言い訳など通じるはずなどありません。
覚悟を決めて話すしかないのでしょうか?
でも、前世の記憶として話すのはあまりにも突拍子もないですわよね。ここは、魔法師様のおっしゃる通り、夢の中で見たことにしたほうが無難そうです。
私は大きく息を吐き出すと、覚悟を決めて口を開きました。
「…信じてもらえないかもしれませんが、おおよそ魔法師様のおっしゃる通りですわ」
私の言葉にわずかに目を見開いたのは一の兄上様。魔法師様は見当が付いていたらしくあまり驚いてはおりませんが、ほかの方々は一様に怪訝そうな表情をしておられます。
「夢で見ていらしたのですか? あの庶民の娘を? お姉さまが?」
「ええ、そうよ、セレナ。幼いころ見続けていた夢の中にいたの。私はこの目で確かめたわけではありませんので、夢の中の少女と皆さんがおっしゃる少女が同一だと断言はできませんが……」
「見たことのない世界、それに……ゲーム、か?」
「な…っ!」
なぜ一の兄上様がゲームなんて知っていらっしゃるの!?
小さくぽつりと呟かれた一の兄上様の言葉に、私は再び絶句いたしました。
ありがとうございました。




