9
日曜日。
元の世界では日曜日に該当するところの今日は全体的に街中が休みだった。
今日は一部を除いて大概の人間が休日として過ごす日なのである。
月に数回やってくるそれは何か解説するまでもなく日頃のルーチンワークから外れて自由に行動できる日なのだ。
それは日頃の熱心な勤労奉仕に励んでいる俺も例外ではなく、充分に羽を伸ばすため普段はあまり好んでは近寄らない冒険者ギルド付近の店に買い物に来ていた。
「あら、珍しいわね。外で灰栗君に遭遇するなんて」
辺りを見回すとベンチに腰掛けたエミリアの姿が目に入る。
長い黒髪をもつ彼女は薬屋を経営しているエルフである。
色々あって俺は自身の仕事である傭兵業と並行して彼女の店でも働いているのである。いわばバイトだ。
「ああ確かに。外で何の示し合わせもなくお前と出会うのは久しぶりだな」
「それで? 今日はどんな幼女を捕獲しに行くのかしら?」
「人の趣向をロリコンに固定するのやめてもらえませんかね!?」
「人は得てして認めたくない真実についてはNOというものよ」
「認めたくない被疑のときもNOっていうからな?!」
「大丈夫よ、別にあなたが本当に本当の正真正銘に特殊な嗜好をしていたとしても、別に私はあなたのことを悪く思わないわ」
「悪く思ってない奴がどの口でこんなこと言ってんだよ!」
「灰栗君って前々から少し頭が弱いとは思っていたけれど、まさか目の前で喋っている人の口さえ特定できないような脳のつくりをしていたなんて思わなかったわ」
頭が痛くなってきた……。
「ちなみに灰栗君の頭の弱さを例えるなら最有力候補は野良ゴブリンの腰巻ね」
「頭の強さ弱さ云々の前に俺の脳内が下半身への欲求で溢れているような言い方をするな!」
「事実とはいえ実際に想像すると恐ろしい光景ね……」
「事実じゃないから! 想像する前に現実を見てくれ!」
ダメだ……。このままだといつものように彼女のペースに飲み込まれる。ここは……話題を転換して流れを変えるんだ。
「ところでエミリア。いつも休みはごろごろしてるのにお前は何をするためにこんな日の当たる場所まで出てきたんだ?」
「見てわからない?」
エミリアの両隣には紙袋が置かれていた。
「それで分かったら俺はエスパーか何かだ!」
「買い物よ。店で必要になりそうなものを色々と買ってきたの」
よし、完璧に自然な流れでの話題変換に成功したようだ。
「へえ、仕入れってやつか。それはご苦労様。それでどんなものを買ったんだ?」
「うーん……、そうね。幼女のことしか考えることができない灰栗君に理解ができるか怪しいものなのだけれど」
「その言葉に納得だけはできないが理解は絶対できるに決まってるだろ!」
「そうね……、例えばこれは最近上層区にできた超人気菓子店で販売されている人気スイーツ……『プリン』よ!」
エミリアが秘密道具のようにたかだかと掲げた手の先には、プリンが入った容器が握られていた。
うん、プリンだ。
なぜここでプリンをエミリアが自慢げに取り出したのか俺には理解できなかった。
いや、こっちの世界に甘くておいしいお菓子などつい最近までほとんどバリエーションがなかったし、最近このプリンというお菓子が開発されたというのなら売れる理由も分かる。
それを手に入れて見せびらかし始めるのも納得できる。
だがそれが何でエミリアの薬屋で必要になるのか俺にはさっぱり理解できなかった。
「ふふふ、さすがの灰栗君も私のハイカラさに驚愕しているようね……」
驚愕はしてないが唖然とならしているかもしれない。
異世界感ぶちこわすのって本当みんな好きだよな。
異世界を物珍しい物珍しいって言っておきながらいざ異世界に来て見たら現地の伝統文化の破壊活動を行い始めるチート主人公さんは俺が読んだことのある小説にもたくさんいた。
それにしてもプリンがつくられるとは……。街中でパフェが食べられるようになる日も近いかもしれない。
「それにしても、エミリア。それはいったいおまえの店でどんな風に使うんだ?」
「これはね……まず氷で冷やすでしょう?」
冷やすのか。そこから薬草なんかに混ぜたりするのだろうか。
「それを私が労働中のあなたに見せびらかしながら食べるのよ!」
「って食べるのかよ!」
完全な嗜好品だったらしい。
「まあどれだけ灰栗君が頼んだとしてもこの、見るからに美味しそうな極上のスイーツの先っぽたりともあげる気はないわ」
一瞬下ネタに聞こえたがおそらくは偶然だ。
だらけることと、美味しいものを食べることが大好きなエミリアがこんなタイミングで下ネタを使うわけがない。
「別にいらないよ」
食べたことあるし。と、いうか地味に好物だった。
エミリアにわざわざ恵んでもらうのは多少なりとも、いやかなり癪だから今度給料と時間を手に入れたら上層区に買いに行ってみよう。
「私も鬼ではないからこれが何からできているかの知識をあなたに享受してあげることによって少しくらい至福の夢を見させてあげてもいいのよ?」
「夢じゃ腹は膨らまないんだよ!」
完全な嫌がらせにしか見えない。それもかなり悪質の。
「そうね……灰栗君みたいに視認するだけで女性のお腹を膨らませることができる能力者にはそんなものは必要ないわよね」
「それ俺が変態ってレベルじゃないだろ!」
「さあ、選びなさい。お菓子の話であなたの貧相なものを膨らませるか、女性を襲ってあなたの変態人生の一ページに前科をつけるか!」
「どんな選択肢だよ! まあそこまでいうならお菓子の話を聞いてやらないでもないぞ」
どうせさっきから話したくてウズウズしているのだろう。ここは気分をよくさせて話を聞いてやるのが得策だ。
「あ、そこの騎士様! この顔もイチ○ツも貧しい変態に襲われそうです!」
「今すぐ俺に夢のあるお菓子の話をしてくださいお願いします!」
「あら、素直じゃないわね。最初からそういえばいいのに」
「強制的にいわせたのはどこのどいつだ!」
「いいのよ? あなたが社会的に抹消されたとしても私には何の不都合もないのだから」
「俺ハ素直ジャナイデス、ゴメンナサイ」
あれよね、といってエミリアは口元に指をあてた。
「こういうのを確かツンデレっていうのよね」
「俺はお前にデレたことなんて一度たりともねえよ!」
「大丈夫よ、安心しなさい。私の薬事にかかればあなたも一撃で愛の奴隷よ」
「悪事みたいな語呂で薬剤師が薬について話すんじゃない。というか、一撃って何かしら俺攻撃されてるよね?!」
「私の誇る薬物作成技術なら殴っただけで相手を惚れさせる媚薬も簡単に作れるわ」
「それ俺がマゾってレベルじゃないから!」
「あら、違うの?」
「そう信じているおまえの思考回路に俺は今とてつもなくびっくりしているよ!」
「それであなたが極度のマゾヒストだという点はおいておいて、このお菓子を構成している原材料の話なのだけど」
俺の性的趣味が据え置きされることに遺憾の念を感じ得なかったが追求するのはやめた。泥沼に足を突っ込みそうな気がしたからだ。
「なんとこのお菓子を構成している要素の内二つは比較的廉価に売られている卵と牛乳なのよ!」
うん、何と無く知ってた。
「それでそのプリンとやらの値段はおいくらなんだ?」
「銀貨十枚……、つまるところ大体卵だけで五百個買えるわね」
「ぼったくりじゃねえか!」
牛乳の値段が入っていないとしても一つのプリンに数十個単位で卵を使うのは流石に聞いたことがない。
「おそらくは卵と牛乳の成分を何らかの方法で濃縮して固形化したのね、これをつくった人はなかなかに冴えているわ」
「濃縮って例えばどうやって?」
この世界にそんな高性能な調理器具はなかったはずだが。
「例えば……。そうね、火にかけて水分をとばしたり……」
「それ、出来上がるのは大きな大きな玉子焼きだよ!」
卵を数百個単位でつくればぐ○とぐ○のものみたいになるだろう。
「他には……、沸騰した牛乳に殻を割らずにそのまま卵を入れたり……」
「それも出来上がるのはゆで卵だよ!」
「ああいえばこういう、こういえばああいう……、うるさいわね! この場面で大事なのはこれがとても美味しいということでしょう!」
「逆ギレされた!?」
まあ、いっていることは正しいのだが。
「ちなみにホ○牛乳という特別な牛乳が使われているらしいのだけど……最近できた新しい種類のものなのかしら?」
「それ、プリンつくるのに使っちゃダメなやつだよ!」
「冗談よ」
「冗談なのかよ!」
「まあ、灰栗君はぶっちゃけプリンなんかよりもホ○牛乳のほうが飲みたいと思っていることが私には丸わかりなのだけどね」
「すいません、俺が特殊性癖を持っていることを前提に話を進めないでもらえませんか?」
「無理な相談ね」
いやエミリアのちょっとの自助努力で可能になるだろ。
「あなたと最初に出会ったとき……あなたを一目見て思ったのよ……」
「何をだ?」
今から思い出してみると、あの時は色々ボロボロでマトモな人間のする行動をした覚えがないんだよな……。自分で思い出して恥ずかしくなるし。
「ああ、私は親の仇としてこの人に一生下ネタを言わなければならない宿命を背負ってしまったのだな……って」
「俺がお前の親を手にかけたような伏線を貼るのを今すぐやめろ! 回想シーンとか過去編とかで色々齟齬が出てきて面倒になるだろ!」
あとその発言は色々と台無しだ。
「大丈夫よ。あなたが死んでも骨を拾ってお墓の前に延々下ネタを言い続ける魔道具を置いておいてあげるわ」
「どんな嫌がらせだ!」
「ふう、仕方ないわね。あなたがそんなにいうのであればこのプリンを今すぐあなたの目の前で食べてあげないこともないわ」
こいつはどうやらとうとう幻聴が聞こえるようになってきたらしい。
「ああおいしい。おいしいわ、これが至高の菓子の味……これならいつでも世界征服できそうな気がするわ」
エミリアが物騒なことをいいながら俺に見せつけつつ付属のスプーンを使って食べ始める。
「え……、灰栗君なんて……? 『な、なんでもするからそれを分けて欲しい?』……ふふ、なら仕方ないわね。そこまでいうなら分けてあげないことも……」
「その鬱陶しい一人芝居をやめろ!」
俺は桃太郎にでてくるお供かよ。
謎世界を展開し始めるエミリアに抗議の声をあげたら、いきなり口に何か突っ込まれた。
口の中に甘い味わいが広がる。
「今月のあなたの給料日にプリンを私におごり返してくれる、ということでチャラにしましょう」
何故だか流れでプリンを奢らさせられることが確定してしまった。
……むぅ。
「あなたにあげた一口が巡り巡って私にプリンとなって返ってくるのよ」
「うまいこといったようで全然うまくいえてないからな!」
巡り巡ってではなく、単に俺しか経由していない。
「で、感想は?」
「……おいしかったよ、ありがとう」
「精々この恩に一生をかけて報いることね」
「無茶苦茶恩着せがましいぞ?!」
こうした、たわいもない会話をできるようになってきたのは俺が異世界に慣れてきたということの裏返しでもあるのだろう。
単に麻痺してきたともいうが。
そして、一口で一個奢らさせられるのはいくらなんでも、美少女との間接キスを差し引いても割に合わない気がしたのでもう何口かせびろうとしたときのことだ。
付近に轟音が響き渡った。何かが爆発したのだろう。驚いて音がした方向を見る。視線の先には冒険者ギルドがあった。
「エミリア、ちょっと様子を見てくるよ」
「あなたのその野次馬根性はなかなかに見上げたものだと思うけれど、たぶんあれは事故や事件なんかじゃないと思うわよ」
プリンを咀嚼しながら喋るエミリア。
「今の爆発音の理由を知っているのか?」
「おそらく、と予想ぐらいはつくわね。いつも外に出ずに引きこもっていた灰栗君には全く分からないと思うけれど」
「最近は仕事が忙しくてなかなか暇ができなかったんだよ!」
「まあ行くというのならば止めはしないけれど、そこまで面白いものでもないわよ」