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「私の名前はクレア・バックレラ、バックレラ家の長女です」
「まぁ、あのバックレラ家の方でしたか。先ほどはこのペットが失礼をしました。それで当店へは今回いかなる用で?」
エミリアは俺を引きずって一人取り残されていたお嬢様の元へと戻り、丁重な態度で今流行りのOMOTENASIを始めた。
なんでも、貴族相手に傍若無人な態度をとったりすると不敬罪でしょっぴかれることもあるらしい。
さすがのエミリアもいつもの口調ではなく、まともな店主の喋りをしている。
どれだけうまいセールストークをしたところで、先ほどまで口元に涎がついているのを知っていた身としてはさほど印象に差はない。
「ええと、先ほどそちらの方にもお伝えしたのですがポーションを買いに来まして…」
「それはそれはこの家畜が無礼をおかけしました。まあ畜生では人の言葉など理解しているようで理解していないもの、お詫びに当店特製のポーションをご用意させていただきましょう」
ちなみにエミリアが寝ていた間、俺がどんな不遜な態度をとっているかわからないということで急遽奴隷少年Aの役柄で出演が決まった俺は、席に座ることも許されず、地面に正座していた。
「して、ご予算はいかほどで?」
エミリアがそう尋ねると、クレア嬢はおずおずと一枚の硬貨を差し出した。
あ…あれはっ!
「金貨じゃないかっ!」
思わず大声をあげてしまう。当然だ。あれはこの世で最も価値の高いものの一つなのだから。日本でいうと数十万円分ぐらいだ。
エミリアは金貨を受け取ると、値踏みする目でじろじろと物色を始めた。
やがて、ため息をつき深刻そうないかにもな顔でこういった。
「分かりました、これでタンポポーション一つをお譲りしましょう」
は?!
思わず悲鳴をあげそうになった俺の口をエミリアが全力で抑える。
「高すぎますっ!」
悲鳴をあげそうになったのは俺だけではなく、クレア嬢もそうだったようで、耳まで真っ赤にしていかにも私、怒ってますよ、的な雰囲気をただよわせていた。
「貴族だからと、ぼったくらないでください! 帰ります!」
席を立って店の外に歩み始める、クレア嬢。
そんな彼女の背中にエミリアが声をかけた。
「あなたはポーションの適正価格をご存じですか?」
「貴族だからと馬鹿にしないでください!大体30Gぐらいと聞いています!」
まあ、そんなものだ。20〜30Gと多少上下するものの、それで概ね間違いはない。ちなみに金貨は10万Gで大体使える。
「では、あなたはGという単位の意味をご存じですか?」
クレア嬢が歩みを止めた。
「G…、G…、g…、goldではないですか?」
「そうです、ではgoldの意味をご存じですか?」
そりゃあ金だろ。
「金……、まさかっ!」
「そうです、30Gとは30gの金を含有する1枚の金貨の価値と同じです」
んなわけあるか!
「なるほど……、勘違いしていたのはこちらのようです。とんだご迷惑をおかけしました……」
そういって俺がさっき作ったタンポポーションを手にもって彼女はとぼとぼと店の外へとでていった。
「なあ、エミリア。これって詐欺じゃないのか?」
途中から口にテープを貼られていた俺がエミリアに問う。
「まさか。お互い腹を割って自分が本当だと思っていることを話して双方が納得した取引が詐欺なわけないじゃない」
「一方が明らかに嘘をついてるから俺は詐欺だっていってんだよっ!」
「まぁ、冗談はおいといて、これを配達してくれるかしら? この通行許可証をみせれば貴族区へ通してくれるはずだから。この仕事が終わったら今日はあがりでいいわよ」
「配達ってどこへ…」
俺は今だに読むのになれないこちらの言葉を見ながら問う。荷物にかかれた宛名の部分は筆記体でかかれているので俺には全く読めない。
「勿論、バックレラ家よ」
★
俺は台車を引いて、大量のポーションを貴族区のバックレラ邸へ届けに向かっていた。
街の区画はエミリアや俺のような一般人が住む中央区、貧困層が住む下層区、貴族などが住む上層区に分かれている。
区画の間にはそれぞれ不必要な流入を防ぐための門がたてられており、中でも上層区への門を通るには門番に許可証を見せなければならない。
今回、エミリアにもらったのは紹介状のようなもので一度だけ使える、使い捨ての許可証のようなものだった。
土地の場所も住んでいる人も、マナーなんかも違ったりするこの三つの区画に共通しているのは、その中心にそれぞれこの国の建国者にして初代国王、ゲル王の銅像がたっていることぐらいだ。
この国の通貨の単位であるGとは、つまるところ異世界より召喚され、水タイプの魔王を封印した勇者ことゲル王に敬意を表してつけられたのである。読み方は正式な読み方はゴールドではなく、ゲルらしい。 普段はみんなジーと読んでいるから俺は知らなかった。
話は変わるが、この世界にも『初めてのおつかい』というものは存在しており、それを行うのが貴族の目に入れても痛くないように育てられてきた愛娘だったり、初孫だったりすると心配するのはどの親も同じだ。
貴族はあまり自分で買い物をする必要もないし、そんなことをしなくても大抵のものは手に入ってしまうので、庶民よりはその経験は一般的にかなり遅くなってしまうことが多い。
そして、遅くなればなるほど親に見守られなくても一人でできるもん! という世間知らずでありながらプライドというものが許さないお年頃を迎えてしまうものだ。
親としては、人攫いにあわないか、お釣りをごまかされないか、トラブルを起こさないか、そもそも買い物というものの概念をわかっているのかなどと悩みは尽きない。
……が、私兵をつかって見守らせるのも護衛を雇ったりするのも、体裁が悪いし自分の管理している領地の住民を信用してないだとか色々と評判が悪くなってしまう。
それに、そんなことをしても『初めてのおつかい』というものの意味がなくなってしまうのだ。親離れできない我が儘な子どもほど内外共に面倒になることは自明の理だ。
と、いうわけで考えられたのが最初から店に協力してもらうというものだ。
治安の悪い下層区に近すぎず、かといって上層区のような貴族の庭からも程よく離れた、ついでに店主がまともな人物といった数多くの条件を照らし合わせおつかいに行かせる店を貴族は全力で選ぶのだ。
そこに無駄な経費と労力とかがさかれていると思うのは俺だけではないだろう。まさに親バカである。
そんな店に合致したのが、エミリアのやっている薬屋であり、なおかつ店主も美麗で御利益がありそうな(実情はどうか知らないが)エルフとなればほぼ決定である。
自分の子どもの自尊心を叩き折らない程度に丁重に対応し、時間を割いてもらう代わりにおつかいで使ったお金分は全て購入するとなれば店が儲からないわけがない。ただでさえ、貴族とのコネができるのだ。エミリアもたまにそういうことを頼まれるらしい。
つまるところ、クレア嬢もどこか貴族っぽい雰囲気を漂わせていたが、実情は俺が言うのもなんだが世間知らずの初めての買い物に緊張するだけの生娘に過ぎなかったのである。
ちなみに『初めてのおつかい』は初めてもらったお小遣いによってなされる。
あとは『初めてのおつかい』を成功させ、自慢げに戻ってくるクレア嬢を親が手放しに褒め、買ってきたポーションでも家臣に振る舞えば志気も上がり、店側と貴族側でWINWINなのである。
当然あのタンポポーション一本が金貨一枚の価値ということもない。 もし金貨一枚分正式なレートで買ったらクレア嬢の帰りが今現在俺が困っているようにものすごい重労働になり、面倒事になるのは目に見えている。
かといって、おつかいで使ったお金は丸々店の儲けになるため一本だけ売ってお釣りを返すのも損だ。
エミリア曰く苦肉の策で、うまいこと金貨一枚とポーション一本の交換で彼女に満足してもらうための嘘だったわけである。
俺としてはお小遣いに金貨ではなく、銀貨や銅貨を渡せばいいのではとも思うのだが、本当に貴族の世間体とやらは難しい。
金貨はまともに自営業で働いているの収入の数ヶ月分である。
彼女が悠々自適に好き勝手できている理由を垣間見た気がした。
貴族が住む上層区は他国に攻められたり、民衆の反乱が起こったりといった万が一の時などを考え、できるだけ高い位置にある。つまるところ坂が自然と多くなるのだ。
優雅に散歩する貴婦人達には運動不足解消できていいのかもしれないが俺にとっては命に関わる。
今頃、睡魔に憑かれているであろうエミリアに呪詛を吐きながら、俺は台車を押すのであった。
「あら、また会いましたね」
そう聞き覚えのある声に呼びかけられて振り返る。
そこに立っていたのは金髪で蒼い瞳を持ち、燃えるような赤いドレスを着たお嬢様だ。燃える、ではなく、萌える、の方が正しいかもしれないが。
俺は会釈を返した。
「ええ、奇遇ですね、バックレラさん」
「クレア、と呼んでいただいても?」
やばい、この娘超可愛い。何この生物。テンプレすぎて可愛いすぎる。
「わかりました、クレアさん」
「……呼び捨てでお願いできませんか?」
いつの間に。いつの間に俺はフラグを立ててしまったんだ!
ペット扱いされて口にテープを貼られて転がされているだけでフラグを立ててしまうなんて……俺も罪作りな男になっちまったぜ。
「……あ、不躾なお願いをしてすいません。さっき知り合ったばかりなのに……」
「構わないさ、クレア」
頬を赤らめながらそんなことをいうクレアさんマジぱないっす。
キリッ、と効果音がつくレベルのカッコつけた声で呼び捨てにする。
クレアは呼び捨てにされた瞬間、頬に一層朱を入れ、手を当てた。
──これは、中々きますね。
とかなんとか一瞬聞こえたが俺には関係ない、男はみんな狼なのだ。 路地裏にクレアを連れ込み相思相愛エンドを画策する。
「あ、ありがとうございます。私最近まで外に出ることを許されてなくて…物語で読んだお友達からの呼び捨てってものにすごい憧れてたんです!」
破壊力がすごい。こんな娘が外を歩いていたら俺の元いた法治国家日本でも襲われていただろう。
リアル異世界お嬢様すごいれす。
「……**……*…?」
ああ、いけないいけない。萌えすぎて一瞬意識がとんでた。こちらの世界の言葉にはトリップした当初よりかは慣れたが、意識を会話に集中しないと聞き取れないレベルだ。
召喚されて最初から言語チートとかもってる世界中の、いやなろう中の主人公を滅ぼしたい。
「ああ、ごめん。何て?」
「お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
はにかみながら喋りかけてくれるクレアは俺の心のオアシスに今就任した。
これがエミリアならば、
『あなたが無能だということは前から分かってはいたけれど、知的生物によって編み出された言語を介した意思疎通すら困難なレベルだとは気づかなかったわ……』
『ならおまえと今、会話している知的生命体はどこのどいつだ!』
『ああ、失礼。言い間違えたわ。正確には、あなたが一人でやりすぎて不能になったということは知っていたけれど、痴的障害をもつレベルで誰かれ構わず人に襲いかかるような猿だとは、この私でも気づけなかったわ……』
とかなるはずだ。てか現になったことがある気がしてきた。いや、事実だった。
「俺の名前は、灰栗しぐれ。傭兵をやっている」
「ハイクリ…、灰栗さんですか。下の名前で呼んでも?」
「ああ、構わない。無理して気を使わなくてもいいぞ」
やだ、クレアったら。『下』の名前で呼びたいなんて……、グヘヘ。
「では、しぐれさん。質問したいのですがなぜ薬屋のペット兼傭兵のあなたがそんなにたくさんのポーションを運んでいるんですか?」
「ペットじゃねえよ!」
いや、本当にペットじゃないから。そんな驚いたような目で見るのやめてもらえませんか?
それにしても。ぐぬ……、なかなか痛いところを突いてくる。ここで正直にクレアの家に届けているといえばどこから『初めてのおつかい』が出来レースであることがバレるか分からない。もし真実を知ったら彼女は深い心の傷を負ってしまうのだ。
それだけはなんとか阻止せねばならない。リアルお嬢様というキャラ属性を持ち、天使のような笑顔を持つ彼女の心に悲しみをもたらすことはたとえ、神であっても極刑である。
「いや、傭兵の仕事の一環として、薬屋の手伝いを頼まれてな。少し注文があったから、配達しているところなんだよ」
うん、我ながらベターな回答だ。ベストではないところが少々気になるところだが、これならなんとかごまかせるだろう。
「嘘を付かないでください。世間知らずが顔に貼り付いたような私でも知っています。傭兵という仕事は私的に雇われて、盗賊や暴徒なんかと戦うのが主な仕事です!」
クレアは胸を張り、恐らく物語などで得たのだろう知識を解説してくる。
世間知らずの自覚あったんだ。
と、いうより何てベタな質問だ。
俺もこっちに来るまではカッコよく戦って依頼主の使命を全うする花形職だと思っていたさ。でもさ、戦闘って人がバンバン死ぬんだぜ? 生半可な覚悟ではできないんだよ。
まあ、昔は活躍していたものの、今はほとんどその役割は冒険者に取って代わられちゃってるんだけどな。傭兵なんての自称してるの聞いた限りではこの国で俺ぐらいらしいし。
というか関係ないけど意外とバスト大きいな。
「ま、まあ色々あってな。大人の事情ってやつだよ」
「誤魔化さないでください。大人だけの、大人都合の、大人のための事情を振りかざしてくる人が私は一番嫌いです」
くっ、このままではやっとお近づきになれたお嬢様に嫌われてしまう!
はやくなんとかしないと…。
「別に振りかざしてるわけじゃあ……」
「つーん」
クレアがそっぽを向いた。
ただそれだけの動作なのにそこには様式美を感じた。いや、感じたのではなくそこには真の様式美があったのだ。
効果音までつけて話しかけないでアピールをしてくる彼女になんかすごい萌える。やばい、これは新大陸編入っちゃうかもしれない。
「そういえば、俺のことはともかく、お前はなんでまたウロウロ
してたんだ?」
「つーん」
クレアがそう言うと同時にキュルルルルと、可愛らしい音色が響いた。
クレアの頬が一瞬にして染まる。
「……まあ、なんだ。奢ってやるよ」
目の前にある、仕事終わりの冒険者をターゲットした出店が軒を連ねている屋台村を指していう。
きっと彼女は悪魔エミリアに全財産を絞られたせいで、買い食いができなかったのだろう。なんてひどい奴だ。まあクレアから搾り取ったお金を一部俺が給料としてもらっているわけだから同罪な気がしてきた。
「いえ……、買い食いは家の人に怒られてしまうので……」
どうやらそれだけが理由でもなかったらしい。まあジャンクフードを毛嫌いする人も世の中にはいる。
「まあ、俺が買うんだから買い食いじゃなくてただの食事だから大丈夫だろう。さっさと行こうぜ」
お腹をすかしたお嬢様に食べ物を献上しないでいられる男性などこの世に存在しない。それが美少女なら尚更だ。
俺の言葉に腑に落ちない顔をしているクレアを連れて寄り道をするのだった。