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世の中には、魔法というものが存在する。
俺が元々いた世界ではそんなものは存在しているだけで目に見える形では実在していなかったのだが、こちらの世界には普通にある。
牛が喋ったり、エルフがいたりするぐらいだ。正直なんでもござれなのだろう。
この世界にいる生命体のほぼ9割が魔力を持っており、その量は多少上下するものの大体が触れただけで魔力を使って点灯する照明や触れただけで室内温度を調整してくれるなどといった便利魔道具を動かせるぐらいにはある。
いや、使う人の魔力ではなく、魔力を込めた電池のような石。魔石の魔力をつかって動いているのだから魔力量に関係なく、誰にでも扱えるのは至極当然だ。
俺を除けば。
俺からすれば何で魔道具を物理的ボタンスイッチではなく、魔力による点火スイッチにしたのか開発者に強く抗議したいところだが、そんなの理由は決まっている。
ただ単に俺がイレギュラーなだけだ。
ちなみにエミリア曰く、
『そんなの非効率じゃない。私たちのような知的な生物はできる限り物事を効率的にしたがるのよ。そのおかげで今の効率的な私と非効率的な灰栗君があるわ』
『なんだと!?』
『あら、失礼。灰栗君にも効率を求めることはあったわね。毎晩毎晩ゴブリンのように盛ってどうするのが一番効率的に気持ち良くなるか試行しているものね』
とかなんとかいっていた。あいつはもうダメだ。下ネタという不治の病魔に侵されている。
それはさておき、おそらく俺は先天的にも、こちらの世界に来てから後天的にも魔力というものを持ち合わせてはいない。
それが何か根本的に害悪をなすというと、それほどのことではないが日常生活が多少不便なのは避けられないのである。
なぜなら、この世界には魔道具が身近に溢れているから。
他にも何をするにしても魔力を使うことが一般的な社会生活の中でそれらをなくすということはできない。
俺が食うに困って冒険者ギルドに登録しようとした時も魔力によって開く最新式の自動ドア、魔力によって個別カードを作る認証システム、魔力によって戦闘力を測る水晶玉のようなスカ○ター的装置などあらゆるものに阻まれ、最後には諦めた。
別にだからといってどうしたということでもないのだが、先述したように俺はこの世界の人間ではない。
何の因果か向こうの世界から追い出されたように俺は感じている。
これはつまるところ、本来万人に副次的に供給される世界という枠組みから放り出されているということなのだ。
そしてこちらの世界でもあらゆる魔力的バリアフリー観点から拒絶されているような気がする。
俺はそんな疎外感が嫌いだ。
……しかし、それだとしてもそうだとしても俺が生きて行くためにはこの世界に受け入れられていないように感じたのだとしても、やることは変わらない。
人間には普遍的な労働の義務が存在するのだ。
★
「それはそうと、エミリア」
「何? 灰栗君」
俺は聞いて見たかったことをとりあえず尋ねる。
「まだ今日の客がさっきの牛しかきてないんだが、これは経理的に大丈夫なのか?」
ツッコんでいうとさっきの牛もお金を落としていない。この店の経営は大丈夫なのか?
「バイトの仕事はそんなことについて心配することではないわ、分かったら業務に戻りなさい」
「その業務がないから心配してるんだろうが!」
この空きっぷりならそもそも俺を雇った理由がわからない。
むしろ俺を雇っている分赤字なのだ。自分が赤字に貢献しているとなると少しは心配する。
「あなたがそんなにお金にがめつい人だとは思わなかったわ、灰栗君」
「別にそんながめついってわけじゃないだろ?ある分には困らないし、無駄に浪費しているなら尚更だ」
伊達にこっちの世界に来てから死にかけてない。
「確かに……あなたがいうとすごく説得力が増すわ」
エミリアが神妙な顔でそう言った。
「俺がそんなに貧乏に見えるのか!」
「見えるわ、毎日毎日そんな辛気臭そうな顔して……」
「顔については生まれつきだ!」
「そう……、生まれながらにキ○グボ○ビーみたいな感じだったのね」
「人を貧乏神のように言うな!」
ちなみにキ○グボ○ビーは先述した草タイプの魔王の眷属で当時宝石と同じぐらいの価値で取引されていた色違いのスライムの魔石に貧乏になる呪いをかけ、当時それを装飾品として持ち歩いていた貴族の財布を直撃したという、この世界で言う基礎経営学のような本の最初の方に記載されている出会ったら即逃げるべき悪魔というやつらしい。
「まあ、そんなに心配しなくとも大丈夫よ。そろそろ上得意さんがくるから」
「上得意さん?」
「ええ、彼女がくるだけで一ヶ月分の収支が黒字になるわ」
「何それ怖い!」
どうやらそのお得意様というのは女性らしい。
金持ちの太めの貴族のおばさんとかだろうか。
「彼女が今日いらっしゃるって連絡があったからそれまでポーションでも作りましょうか」
エミリアがポン、と思いついたように手を叩く。
「ポーション?」
「ええ、ポーション」
そうエミリアは言葉を反復して頷きをもって肯定を返す。
ポーションとは、液体の飲み薬である。
それを飲むだけで傷が治ったり、体調が良くなったりする驚きのアイテムだ。
今回作るのは街の郊外に自生しているタンポポ草を煎じたタイプで苦いがそのぶん値段もお手頃で、一般的に冒険者に普及しているポピュラーなものだ。
俺が葉をすり潰して瓶に詰める。
これに水を入れれば完成だ。水ではなく、教会の神官さんとかが作る特別な聖水を注げばもっと高い効果が出せるらしいが、あいにくそれらは基本的に流通せず、したとしてもとても高い。
栄養ドリンクのようなイメージで飲まれているポーションを主に消費する冒険者層としては安ければなんでもいいので、聖水を材料としたポーションは基本貴族とかを除いて使われない。
ゆえに俺はせっせと普通のポーションを作る。なかなかの重労働だ。
ちなみに開始三分でエミリアは夢の世界へ旅立って行った。
★
店の中を覗き込む、小さな影に気付いた時、作業を開始してからかなりの時間が経っていることに気づかなかった。
店の入り口を振り返ると、その影は素早く引っ込んだ。
金色のアホ毛がちょこんとのぞかせているのが微笑ましい。
頭隠して髪隠さずといったところだろうか。
……すごく引っこ抜きたい。
途轍もなく、引っこ抜きたい衝動に襲われる。主にアホ毛を。
そろりそろりと近づいて、手を伸ばそうとしたところで、その毛の持ち主の蒼い瞳をもつ少女と目があった。
俺は迅速に的確に手を引っ込めた。
危ない危ない。このままではロリコンに間違われるところだった。
扉の影から出てきたのは金髪ツインテールに蒼い眼、そしてひらひらの赤いドレスを来た、どこからどうみてもお嬢様だ。
お嬢様は何かを言いたそうな不審者を見る目をしていたが、それらを全て飲み込むように表情をつくり言葉を発してきた。
「あなた、ここの店の人?」
ふむ、客か。
このお嬢様はおそらくこの店に客としてきたのだろう。そして、先ほどの口ぶりから一見さんだということも判明した。
数か月前の俺ならこんな美少女お嬢様に話かけでもしたら、周囲にロリコン、変態といわれかねなかったが、運が悪かったな…。いや、運が良かったのか?
つまるところ、俺はおおいにこの店の従業員なのである。
いや、バイトだけどさ、バイトだけどね。いいじゃん先っぽだけなら。
フハハハハ、正義は勝つ!
「ああ、店の関係者だけど何か?」
興奮しているのがばれないように努めて俺が考えたさいきょうの爽やかボイスで声を掛ける。
この際、『バイト』、『従業員』と言った言葉を一切使わず、『関係者』と名乗るのがベストだ。
いかにも立場地位が上ですよ、感をだすと相手を丸め込みやすい。召喚された勇者が無駄にカッコつけてるのと同じ原理だ。
「ええと、この店に薬を買いに来たのですけど」
ここは薬屋だからな。薬を買いに彼女がくるのは当然なわけだ。
しかし今はそんなことより大切なことがある。
「まぁ、外では寒いから中で一緒に喋らない?」
華麗にお嬢様の手を取り、ほんの少し強引に店の中に誘い込む。
俺が作っていたポーションの山に埋まっていたエミリアの椅子を引き摺り出し、座ってもらう。
俺も自分がいつも使うさっきポーションを作っていた時も使用していた椅子をとりだして座る。
「それで……何の薬を買いに来たんだい?」
目指せ、ワンコインスマイル。
俺は顔にニコちゃんマークを貼り付け、人生最高のベストボイスで話しかける。いけるぜ…いまなら世界を拓ける気がしてきた…。
「ええと、ポーション……」
俺の熱意に心うたれたのか、若干控えめな声でお嬢様が俺にオーダーくださる。
ポーションか。俺がさっきまで作っていたあれか。
しかしあれはなんの変哲もないただのポーションだ。ポーションであるということに変わりはないが、ポーション以上のなにものでもない。
考えろ、俺は今薬屋の店員だ。
きっとステータスや能力に神様がくれた職業ボーナスとかで薬剤作成レベル十とかついてるはずだ。
「ちょっと待っててね」
優しく声をかけ、店の奥に引っ込む。
どこだ! 前に寝ぼけたエミリアがいっていた惚れ薬がきっとこの店のどかにあるはずなんだ! それをポーションに混ぜれば俺の勝ちだ!
棚を漁り、引き出しを開け人生トップスリーに入る勢いで探す。
いや、みたことないからどんなものかはわからないのだけど。
「そんなところで何を探しているの?」
大きな音を立ててしまっていたのか、起きたエルフの皮を被った悪魔が後ろに立っていることに気づかなかった。
「客が来たら、起こせといったはずなのだけど?」
冷や汗がたれるのを感じる。
「その程度の仕事もこなせないいなんて…まっとうな人間であるかの前に人であるのかを疑うわ」
「そこで迷わないで! 人間だから! まっとうなホモ・サピエンスだから!」
「あなたやっぱりホ○だったのね!」
「そこを略さないでくれ……」
「あなたやっぱりバ○だったのね!」
「どこをどう略したんだ!」
「あなたの人間性を略しただけよ」
なんてやつだ! 世界で最もまともな人間である(当社調べ)ところの俺の正常性を略すなんて!
「略してなくなるものはそもそも無いに等しいのよ」
口から思考が漏れていたらしい。
「失うことを恐れていては何も変わらないわよ」
ポン、と俺の肩に手をおいて彼女がいった。
「俺が何かをしたら失うことが前提のように言うな!」
「あら、失うものがあるだけマシじゃない」
──私にはないわよ。
一瞬そう言葉が続いたような気がした。
よく考えると俺はエミリアのことを何も知らない。
こうやって話してはいるものの本質的なことは何も知らない。
それが何処か空恐ろしいもののようにこのとき俺は感じた。