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突然ながら言わせてもらうと、俺こと灰栗しぐれはこの世界の生まれではない。
こちらに来る前は一応そこそこの高校に通ってそこそこの成績を収めていた経歴を持つ日本の純然たる男子高校生だ。
すったもんだで気づいたら、こちらの世界にトリップしており、よくある小説や漫画のように勇者であるわけでもハーレム属性でヒモになるわけでも一般人からかけ離れた能力があったわけでもない俺は生きるために手に職をつけることが求められた。
とはいっても実情はどうあれ、はたからみると完全にゴロツキや流れものの類と変わらないコネの一つもない俺に選べる選択肢は少なかった。
ぶっちゃけ二択である。
冒険者か自営業か。
自営業か冒険者か。
ちなみにこの世界には日本で空想上の産物であったドラゴンや、悪魔や、精霊なんかのいわゆる異形が多数存在している。
友好的な種族は多いが、もちろん知能が低かったりすると某モンスター育成ゲームのように一歩結界が張られている街の外へ出たら、そのまま草むらでエンカウントして嬲り殺されるなんてことも珍しくなく起こりうる。
冒険者とはそういった事案にもある程度対処することが当然求められる。
つまるところ俺には自営業の道しかなかったのである。
自営業といっても身ぐるみ一つで投げ出されたモヤシである。できることは限られていた。
また、新参者である俺が何か始めたとしてそれはすなわち今までそれを行っていた人の客を掠め取るということになる。
それでは恨まれて闇討ちされるかもしれない。
そこまで考えた頭脳明晰な俺は普通の冒険者が目にも止めないような、いわゆる危険が少ないがその分報酬も少ないといったおつかい程度の新人冒険者でもやるかやらないかといった依頼に目をつけた。
始めたのは非戦闘限定の傭兵…ぶっちゃけると何でも屋である。
異世界に来てから一年かけてその商売を軌道に乗せ、ようやく宿の一室ではなく、一軒家を拠点とすることができるようになった。
ある一つの事件を発端として、俺とエミリアは出会うことになるのだが自分の現状確認に彼女との過去話を混ぜるのは少々蛇足だろう。
とりあえずのところ、俺は傭兵をやっており今はその業務の一環としてエミリアが営んでいる薬屋…簡単な診療所も兼ねているその店にバイトに来ていた。
と、いっても俺には専門知識など皆無なのでエミリアの暇を潰すための話し相手兼、一種の迷宮のようになっている店の中からご要望の薬をとってくる孫の手のような存在と化しているのだが。
「ところでエミリア」
「なによ、村人C」
「俺のその中途半端な役柄はなんだ!?」
せめて村人でもいいからAでありたかった。
いや、俺が住むここは街に分類されるから街人Aか。
「あなたのその地味で地味で仕方ない、取り柄がないことが滲み出ている溢れんばかりのモブ臭を三文字で簡潔に表して見たのだけれど」
エミリアがない胸をはってドヤ顏をしてきた。
「そんなこと決めつけて上手くまとめて誇らしげにするぐらいなら、この店の散らかり具合を上手く片付けろ!」
「無理よ、私の種族を知っているのでしょう?」
「エルフじゃないのか?」
エルフとは森の民を指すことが多い全体的に耳が尖っていることが種族共通の特徴で長生きして魔法も使えるというチート種族である。
しかしながら俺の知っているこれだけの情報ではエルフと部屋の散らかり具合の説明がつかない。
「そうよ、そしてエルフというのは魔王に呪いをかけられた種族でね…」
へぇ、この世界ではそういうことがあったらしい。俺自身もほんの数か月前に呪いの恐ろしさを身を持って実感しているためにその出鱈目さはよく知っている。
「一日中部屋でゴロゴロして、ただひたすらに怠惰な生活を送らなければならない呪いのせいで私もバリバリ働きたいのだけれど…無理なのよ」
「絶対嘘だろ! それ!」
「灰栗君はしっかりしているようでほんとバカみたいに知識がなくて残念な頭をしているから騙しがいがあるわ」
「騙してるっていうかそういうのはおちょくっているっていうんだよ!」
「ぇ…、灰栗君がおちょくられていることに気付くなんて…今日は花火でも吹き荒れるのかしら」
心底驚いたような顔をしているエミリアに心底俺が傷ついた。
ちなみに花火もこの異世界に存在している。何百年か前に暴れに暴れた魔王を封印するために勇者が召喚された際、その勇者はお得用ロケット花火セットをもっていたらしく草タイプの魔王を封印どころか焼却したらしい。
「それにしてもだ、エミリア。どちらにせよこの店の環境は衛生的にとても悪い」
「そうね、灰栗君の存在には負けるけれど」
「俺ってそんなに汚れているのか!?」
確かにお世辞にも小綺麗とはいえないが街の冒険者達に比べたらマシな格好をしていると思う。
商売が軌道にのってからはちゃんと風呂にも入るようにしている。
この世界には風呂に入るという概念はないらしく、精々が布で顔を拭くか泉のような自然発生的水溜りに浸かるぐらいのものだ。
「ひとまずエミリア。俺にこの店を掃除させろ」
俺の精神衛生がこのままでは非常によろしくない。
「嫌よ、灰栗君が触ったら余計汚れるじゃない」
「もうそのノリやめませんかね!?」
「…そうね、時には現実から目を逸らすことも大事だもの…。というわけで私は奥で寝てくるわ。好きに掃除していいから客が来たら起こして頂戴」
「はいはい、分かりましたよ」
何と無くいつの間にか雑用を押し付けられてこき使われているような気がしないでもない。
★
俺が店を片付け終わり、エミリアがだらけにだらけて寝ぼけながら起きてきた頃に、本日初めての客が来店した。
「たのモー」
来客したのはミノウタウロス♂だった。厚い胸毛と整った一本角周りがかなりの美青年であることを匂わせている。
あくまで、牛族ではという注釈がつくが。
牛にモーといって挨拶されるとバカにされているのか、それとも駄洒落好きなのか本来なら真剣に悩むところだが、この場合はそれをする必要はない。
なぜなら、牛族は呪いをかけられた種族なのである。
先述した草タイプの魔王にかけられた一文の中に必ず牛関連の言葉を入れないとツノが折れる呪いである。
牛族にとって誇りでもあり、チャーミングポイントでもあるツノが折れることは死を意味する。
ちなみにオスなら語尾に。メスなら文頭につけている場合が多い。
メスのミノタウルスに『モー、*******』などといわれた日には俺はおそらく死ねるだろう。
ミノタウルス族は局部が全知的生命体の中で突出して大きいのである。……お姉さんプレイとか最高じゃないですか。
そこまで考えたところでエミリアから蔑むような目で見られていることに気がついた。
ミノタウルス族とは対照的にエルフは基本的に小さいのである。……ああ、いや勿論身長の話だよ?
「灰栗君、オスのミノタウルス族の胸を注視してどうしたの? もしかしてホ○なの? 死ねばいいのに」
「人のことを心底残念な人のようにいうな!」
どうやら思考が身体に反映されていたらしい。
いつのまにか目が自然と向いてしまっていたようだった。
「それで、どのような薬をお求めで?」
俺はミノタウルス♂に来店の目的を聞くことで話をそらした。
「実はモー…」
ミノタウルス♂は頭の上、つまり角に手をやる。
次の瞬間、彼の角が本来あるべき場所を離れた。
「古臭い呪いに縛られた会話なんてモー嫌で嫌で…反骨精神が出てしまったのか寝言でモーをつけるのを忘れていたらしく折れてしまったようなんだモー」
「な、なんだって!?」
寝言で折れるとか厳しすぎだろその呪い!
「なぁ、エミリア。こういう場合ってどうするんだ…?」
風邪や擦り傷程度なら適当な薬を渡せばいいと俺にも分かるが、こればっかりは対処がわからない。
世の中には腕が千切れても生えてくる特殊な薬もあるらしい。えてして、そういうものを使ったりするのかもしれない。
少し思案した後、一瞬目の奥を輝かせて、エミリアは言葉を発した。
この顔は…エミリアが何か閃いた時だ!
……始まるぞ。エミリアの名診療が!
「きっとその辺のぺんぺん草でもすり潰して頭に塗ればそんなもの治るわよ、牛肉ミンチA」
「そのネタまだ続けるの!?」
というか診療テキトーすぎるだろ。
そしてAなのか…。
「な、なんだとモー! 失礼モー、謝るモー!」
そりゃま、怒るか。
こういう理性をなくしてしまった客をなだめるのも俺の仕事だ。
華麗に場を収めて見せよう。
暴牛に襲われるエミリアをかっこよく助ける俺。
きゃあ! 素敵、抱いて!
となるのは自明の理だ。
見えたぜ、俺のハッピーエンド!
「まあまあ、落ち着いて…」
「僕はミンチ牛一族みたいな下賤な奴らじゃない! ローストビーフ家の次期当主だぞモー!」
「って、そっちかよ!?」
俺からしたらどっちも食べ物にしか聞こえない。
そうすると、エミリアは一瞬止まり心底申し訳そうな顔をした。
「そうね…、申し訳ないことをしたわ…。謝りましょう、あなたのことをそんな風に小馬鹿にしてごめんなさい」
エミリアはそういって頭を下げた。
それを見て、牛肉は満足げに笑みを浮かべた。
おかしい。
エミリアがこんな簡単に引き下がるなんて何かがオカシイ。
いや、千歩譲ってエミリアが謝ることに何の問題もない。
客商売ではできる限り腰を低くして接すると上機嫌になるやつも多い。
まぁ、度が過ぎると舐められる要因になってしまうのだが。
だがしかしこれで終わるとは到底思えない。
「確かに迂闊だったわ。いきなりツノを失って禿げて気が動転している人をからかうなんて、私としたことが…禿げたことを気にしている禿げた牛族に禿げた頭の治療法を聞かれるなんて想定していなかったのだもの…」
言われてみて初めて牛族に角がなくなると禿げているのと何ら変わりないことに気づいた。
驚きの着眼点だ! エミリア……なんて恐ろしい娘!
「な、なんだとモー!」
「そんなあなたには二つ選択肢が残っているわ」
エミリアは今となってはただの禿げた牛となった、ミノタウルス族の食肉の顔の前に二本指を立てた。
「ふ、ふたつモー!?」
「一つ目は今すぐここにある瞬間接着剤で角をくっつけて元どおりの生活をすること。もう一つは…今すぐ冒険者ギルドの入り口正面付近に生えているぺんぺん草に頭を擦り付けてその大地の力を頭に宿すことよ」
「ば、バカにしてるのかモー!?」
いや、接着剤あるなら最初から処方してやれよ。
「バカになんてしてないわ。ぺんぺん草にはなんと育毛効果があるのよ!」
「な、なんだってモー!」
「一時は恥ずかしいかもしれないわ、でもその恥を乗り越えることであなたはローストビーフ家…いや、全ミノタウルス族のオスの中で唯一の髪の毛が生えている牛になれるのよ!」
いや、わざわざ生えてるぺんぺん草に頭擦り付けなくても最初エミリアがいってたように採取してすり潰して塗ればいいんじゃないのか?
「おおおモー!」
「全オス牛の中で唯一ふさふさのオス…いわばベストオブ・ザ・オス!! これはモテるわ! 今までの比にならないくらい超絶にモテるわ!」
「うおおおおモー!! こ、このお礼は…」
「情報料なんてけち臭いことは言わないわ。さぁ、存分に擦りつけてきなさい!」
「恩にきるモー!」
そうして、一頭の禿げた牛は満面の笑顔で店を出て行った。
「なぁ、エミリア」
「何よ? 灰栗君」
俺はとてもとても気になっていて聞くのを我慢していたことを尋ねる。
「俺の昔住んでたところのぺんぺん草に育毛効果なんてなかったんだが…この辺りのにはあるのか?」
エミリアは至極当然のように答えた。
「まさか。あるわけないじゃない」