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「おーい、ユリカ」
鎮火するために水をかけられてびしょ濡れになって気絶している男達を手当てしているユリカに近づいて声を掛ける。
「あ、しぐれさん。どうしてここに?」
「いや、ちょっとな」
「もしかしてこれが噂の『やじば』泥棒というやつですか? それは感心できませんよ」
ユリカがポン、と握りこぶしを手のひらの上においた後、頬を膨らませ目を吊り上げて言う。
「いや、別に泥棒じゃねえよ! それをいうなら『火事場』泥棒だ。ここに盗るものなんて別にないだろ」
「いえ、私の心の安寧と街の平和が奪われました」
「それは俺のせいじゃないな!」
「他にも私の幸せなおやつタイムが邪魔されたことについても苦情が届いています」
「それは仕事中に買い食いしてたお前が悪いだろ!」
「……うう、私のかすたーどぷりん……」
ユリカが物凄く落ち込んだ様子で地面に手をつきしなをつくって涙ぐんだ上目遣いで見上げてくる。
これは破壊力がありすぎる。この視線から逃れることなど全男性には不可能だ。
「ああ、もう。最近できたっていう上層区の菓子店のプリンだろ? 今度奢ってやるから元気出せ」
エミリアにも奢る約束をしたしちょうどいいだろう。
「ほ、本当ですか!? 聞きましたからね! この耳に焼き付けましたからね! 嘘だったら独房にぶち込んで終身刑にして毎日しぐれさんの牢屋の前で見せつけるように食べてやりますからね!」
「それは職権乱用すぎるだろ!」
「たぶんしぐれさんが世紀の大悪党になって逮捕されるまでには私もそれが可能なくらいの役職についてみせます!」
「ちょっと待って。なんで俺が捕まる前提なの? ねぇ!」
「私の将来の夢は昔憧れた正義の騎士様のような人になることですから! 私の栄光と正義の執行のために潔く死んでください!」
「それ終身刑どころかバッサリやられちゃってるじゃねえか!」
拳を突き上げて未来に夢を膨らませるユリカとその分脱力していく俺。
年齢的にはそんな変わらないはずなのにどこでこれほどまでに人生観に差がついてしまったんだ……。
「あれ、結局どうしてしぐれさんがここにいるんですか?」
話がやっと戻ってきたか。
「ちょっと爆発音が聞こえたからな。野次馬になりにきただけだよ」
「え……しぐれさんってやっぱりエミリアさんが言ってたみたいに『どえむ』ってやつなんですか? 『やじ馬』というのがどんな種類の馬なのかは無学な私にはよく知りませんがつまるところ四つん這いになって鞭で叩かれたいということでしょう?」
「ちげーよ!」
エミリアのやつ……、後で彼女のおやつ保管庫にネズミでも放ってやろうか。
「ちなみに私的には上半身がヤギのようにツノが生えていて下半身が馬のような動物を想像しています」
「化け物かよ!」
「ツノが生えた馬……しぐれさん頑張ってください! そこに羽さえ生えればペガサスになれますよ!」
「それはちょっとカッコイイな!」
「もしペガサスにしぐれさんがなれたら、私が上に乗って愛馬として戦場に行ってあげてもいいですよ!」
「なれないよ! 人間はどうがんばっても急に羽が生えたりツノががついたりしないよ!」
「私が小さい頃に読んだ物語には欲望にとりつかれて体が黒く染まり、ツノと羽が生えてくる人がいたのできっと大丈夫です!」
「それ悪魔だから! さすがにそれは嫌だから!」
「なりたい、という初心を忘れないことが大事なんですよ」
「ちょっとうまくまとめてんじゃねーよ!」
親指をたててサムズアップしてくるユリカに不覚にも少しイラッときてしまった。
「それでも私は正義の騎士になりたいです。みんなに英雄として慕われて強気を挫き、弱気を助ける……昔私が会ったあの人みたいになりたいです!」
まあ、なんであれ人の夢を馬鹿にすることほど意味のないことも存在しない。
「……そうか。なれるといいな」
このとき俺が彼女に返せたのは当たり障りのないこんな言葉だけだった。
「はい!」
そんな俺の頼り甲斐も有り難みもへったくれもない言葉にユリカは笑顔で答えた。
★
まあ現実問題そんなことよりも今は気絶している彼らの応急処置の方が大事だ。
「うーん、とはいっても薬がまだ届いてないのでどう対処したものですかね……」
ユリカが頭を唸らせる。
「ん? ユリカも手当ての実作業に参加するのか?」
「もちろんです! 私の目指す理想の騎士像はどんな人にもどんなことにも全力を尽くすことですから!」
そうだった。こいつはこういうやつだった。
騎士と冒険者は一般的にあまりいい関係とはいえない。
どちらかというと騎士が冒険者のことを荒くれ者として見下しがちなのだ。
もし冒険者同士の決闘の審判を騎士が取り持つことがあったとしても普通は勝敗判定だけ出して後は冒険者ギルドに丸投げして処理を報告するように、で帰ってしまうことが多い。
まあユリカは騎士の新米で立場が弱いというのにも関わらずこんな性格と振る舞いなので騎士団内外問わず知り合いが多いのだ。
何を隠そう俺もそのうちの一人だからな。
……すいません。見栄を張りました。
ボッチが唯一無二の親友だと思っている子はボッチ君以外にも多くの親友がいてその子にとってボッチ君はその大勢の中の一人、という原理と同じです。はい。
「それにしても、冒険者ギルドに常備してる薬じゃ間に合わなかったのか?」
依頼で魔物と戦闘して負傷する冒険者はどうしても一定数出る。
そんなときのために冒険者ギルドでは薬を多少常備していてその中に火傷用の塗り薬も含まれていたはずなのだ。
なぜ知っているかって? それはここの冒険者ギルドに薬を下ろしているのがエミリアの店だからだ。最近薬の配達をする機会が増えたため大体は頭に入っている。
エミリアの自分が楽をするために俺のようなバイトになんでもかんでも教え込もうとするのはやめて欲しい。
「それが……、火傷の深さがひどすぎてあまり効果がないようなのです」
ギルドの職員のお姉さんが答える。
まあ、よく知らないが仮にもSランク冒険者の魔法だからな。
ちょっとやそっとの安価な薬では効きが悪いのだろう。
「で、エミリアに特製の薬を作ってもらうように依頼にいったと」
一応神官さんが使う治癒魔法など色々と薬以外にも対処方法はあるのだが、便利なものはその分値段が上がる。
ギルド側としてはできるだけ費用がかさまないようにしたいのだろう。
「休日なので薬屋が留守みたいで……今探しに行かせていますが」
アイツさっき食い道楽に溺れていなかったか。
と、なると見つかるまでには多少時間はかかるか。
こっちでできる応急処置は……。
「俺もバイトとはいえ、薬屋の店員だ……できる限りやれることはやらないとな!」
「おおっ! しぐれさん頼もしいですっ!」
ぶっちゃけ素人の癖に格好つけた俺とユリカはノリノリでギルド職員をアシスタントにして応急処置をすることにした。
まずはこいつからだな。
日本にいた時にテレビとかで見た病院モノの番組の非常時のセオリーを普段使わない頭脳をフル回転させ、テキパキと指示を出して行く。
「まずは一番症状が軽い奴を助けよう。容態が重い奴はうまく手当できるか分からないし、その間に救えたかもしれない軽症者が重篤化するかもしれないからな」
最近いった中でもっとも長いかもしれないセリフを俺は噛むことなくスラスラと言う。
この中でもっとも症状が軽いやつはこの全身水ぶくれだらけの男だろう。
確か『湧水』のファーストとかって名前だったか。
最初見た時はなぜ水ぶくれになっていたのか正直疑問だったが今ならわかる。おそらく先ほどの魔法使いの子の魔法で火傷でもしたのだろう。
「まずこの水ぶくれを──」
むう、早速難題だ。どうすればいいんだろう。
「分かりましたっ! 水ぶくれを潰せばいいんですねっ!」
ユリカが効果音が出そうな手際でギルドの職員さんが持ってきた手袋をはめて気絶しているファーストの水ぶくれを全力で片っ端から手際良く潰し始めた。
すると。
「いだっ!いだだだだだ!!」
驚くべきことに力尽きていたファーストが意識を取り戻したのである。
……ユリカ。やっぱり君は天性の才能を秘めているのかもしれない。俺に教えられることはもう何もないようだ。薬屋バイトの免許皆伝だ。
「痛いっ、いてぇぞ! 何すんだ!」
何か一瞬抗議が聞こえた気がしたがこれは仕方ないのだ。
良薬口に苦し。怪我をした時に消毒してもしみるのだから、痛みが伴うのもおそらく仕方が無いことなのだ。
「しぐれさんもっ!」
そういって振り向いたユリカから手袋が投げ渡される。
──俺もやれる。
声を張り上げ力の限り被験体、もとい治療対象を押さえつけ全力でユリカと一緒に彼の体にできてしまった水ぶくれを潰していく。
最初のうちは苦悶の声を上げていた彼も最後には安らかな笑顔で眠りについた。
一人目の手当て完了である。
……次は、と。
視界にうつるのは全身が焼けただれ、傷だらけになってしまった男達。
見える。見えるぞ! 革新的な治療法がっ!
「塩を用意しろ!」
俺はギルドの職員にいって塩を用意させた。
「塩を用意しおっ!」
ユリカが俺の言葉を復唱したが途中で舌を噛んでしまったようでただの残念すぎるダジャレになっている。
「持ってきました」
「ご苦労」
焦ることなど何もない。この現場で真っ当な専門知識持ちは俺だけ。 つまり俺がすべての正義なのである。
「よし、ユリカ。塩を塗り込むぞ」
「え? 塗り込むんですか?」
ユリカが不思議そうな顔をして聞き返してくる。
「ああ塗り込むんだ。肉とかでも調理する前に下ごしらえで塩を塗り込んだりするだろ?」
「ああなるほど!」
俺のわかりやすい解説に納得したユリカが手で塩を掴む。
「ただ、相手は負傷者であり重傷者だ。傷口を触ると細菌などが入って悪化してしまう恐れがある」
「サ、サイキン……よく分かりませんがなるほど!」
あまりこちらでは馴染みのない言葉だったか。まあ魔法とかでなんでも出来ちゃう世界だからな。
「と、いうわけで直接手で塗り込むのではなく振りかける」
俺は塩を手で掴み、手頃な大きさに固めてから勢い良く気絶している男達に投げて行く。
トドメを刺しているかのようだがこれも立派な治療で医療行為なのだ。
断末魔のような彼らの叫びさえ今は心地いい。
おそらく、数週間後街で出会った時に『先生! 先生の熱血指導で大学に合格できました!』とかなんとか日本の教育モノの番組のようにお礼に来てくれるだろう。
彼らのために俺は痛む心を抑え、必死に手当てしているのだ。
もはや、雪合戦レベルだがこれも立派な応急処置であろう。相手をいたわる心があればそれは物事の道理を超えて相手の心に届くのだ。
「ところで灰栗君」
「なんだ? 今いいところなんだが」
「あなたは一体全体なぜ嬉しそうにはしゃいで塩の塊を投げつけているのかしら? 確か爆発音を確かめに行ったはずよね」
その声に塩を投げようとしていた手の勢いを殺し俺は即座に振り返る。
そこには薬屋の店主がいた。
俺のバイト先の店長でエルフで美人で腹が真っ黒いエミリアさんがいた。
「………」
ユリカの方を見ると何事もなかったかのように手を払い、エミリアの後ろに回ってお供のように追従した。
コイツ、裏切りやがった。
「少し弁解をさせて欲しいんだが」
俺は恐る恐るエミリア様にお伺いを立てる。
「ダメよ、治療が先よ。あなたの話に付き合っていたら時間がいくらあっても足りないわ」
そういってエミリアはもっていた自分の鞄から幾つか丸薬と干した薬草の成れの果てのようなものを取り出した。
あれが世に聞く常備薬という奴だろうか。
そのまま倒れている男達に駆け寄ると、口の中に丸薬を押し込み飲み込ませていく。
場に倒れていた全員に丸薬を飲ませた後エミリアは振り返るとこう言った。
「これで負傷者は全部?」
後ろでは薬を飲まされた男達の傷がものすごいスピードで塞がって行くのが見える。
相変わらず化け物のような薬だ。
さすが異世界。
はじめから俺のような若輩者の技術では太刀打ちなどできなかったのだ。
「いや、あっちに多分一番やばい怪我のやつがいるぞ」
『倍速』のB・ダッシュとかって人の怪我が一番ひどいはずだ。なんせ爆発してたし。
「じゃあこれをその人に飲ませておいて。後これ治療代の請求書ね」
もっとも重傷だろうが、爆発した店の下敷きになっているし面倒くさいと感じたのかギルドの職員に薬と紙切れを渡すとそのまま俺に『いくわよ』と、耳打ちして俺の手を引っ張ってきた。
こうして俺とエミリアはその場から足早に立ち去ったのだった。
【※ エミリア先生の注意書き))本編に出てきた主人公一味は完全素人です。予備知識がない方は絶対に余計な手当てを行わないようにしてください。ひどい場合には症状が悪化する場合があります。手に負えないと思ったらすぐにお近くの医療機関へ!】