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「と、いうわけでさっさと出て行ってくれないかしら」
扉を開けて中に入った瞬間、流れるような……よくいえば清純派ヒロイン、悪く言えば幽霊のような透き通るような綺麗な黒髪をもつ少女に罵倒を浴びせかけられた。
彼女の欠点をあげればキリなどないがその多くのキャパシティを誇るのが口の悪さだろう。
出会った頃こそ、いちいち彼女の毒舌に反応していたものの、今となっては寛大に余裕をもって彼女に接することができるようになって──。
「聞こえなかったのかしら… 依頼文を理解できないばかりではなく耳も悪いなんてこれはもうアレね。今すぐ天地に頭をつけて土下座して同業の傭兵にこれ以上迷惑をかけないよう今すぐ辞職するべきだわ」
「そのひどい言いぐさは地味に傷つくからやめて!」
俺は悲痛な叫びを持って彼女に抗議する。
ちなみに同業の傭兵などという人はこの世には存在しない。
この世界は冒険者が雑用から怪物退治まで多くの役割を担っており、そもそも傭兵などという限定的かつマイナーな職業についているものは俺以外にまず存在しないのだ。
「しかしこの俺宛の指名依頼書には今日のちょうど今ぐらいの時間帯におまえの店に来い、としか書かれていないじゃないか」
俺は傭兵ギルド本部からもってきた依頼書をみせて聞き返す。
「あら、そんなあなた一人しか所属していない傭兵ギルドにおいてわざわざ『指名』の部分を強調してもあなたが友だちの一人もいないボッチであるという事実に変わりはないわよ?」
「人のことボッチ呼ばわりするのやめてもらえませんかね!?」
「間違えたわ、わざわざ『指名』の部分を強調してもあなたが一生友だちはおろか、顔見知りすらできない天涯孤独のボッチであるという事実に変わりはないわよ?」
「余計ひどくなってんじゃねえか!」
正確には俺にも友だち…こちらがそう思っている存在なら多少なりともいた。しかし今の俺にはそれはあまり関係ないことであり、こちらの世界にきてから友だちの『と』も字も出なかったのは努力もろくにしなかった俺の落ち度であることは間違いがない。だが色々と紆余曲折した結果、一応こちらでもそう呼べるような関係の相手は一人できたのだ。
向こうは俺のことをどう思っているかわからないが。
「じゃあ、どうするのが正解だったんだ?」
この依頼書を見て(指名という言葉を外したのはわざとではない)普通は俺のように店にきて中へ入るのではないだろうか?
「そんなに正解を急ぐなんて、無駄に臆病でネズミのようにビクビクいつも震えているあなたにしては、少し先走りすぎよ?」
「俺はそんなビビリじゃない!」
ただ単に慎重なだけだ。俺の出身国の土地柄だろう。
「そんなに正解を急ぐなんて、無駄にいつも前後ビクビクしてるあなたの下にしては、少し先走りすぎよ?」
「アンタなに言ってんだ!」
「落ち着きなさい。そんなに血走ってもあなたの超マイナーな性的趣向にそぐう恋人はおろか友人は見つからないわよ?」
「そこに戻ってくるのかよ…。ってか俺はノーマルだ。そんな特殊性癖は持ってない」
「あら、そんなに必死になって隠すことではないわよ? もうみんな知っている基礎教養みたいなものだし」
「それは一体どういうことだ?」
頭の中を疑問符が駆け巡る。
「私がこの店の客に逐一あなたのその変態行為をあることないこと世間話として提供しているからよ」
「アンタなんてことしてるんだ!」
それで最近異常な内容の依頼が多いのか…。いや、多いというレベルではなくほぼ半数近くを埋めているのだ。彼女の店はこうみえてなかなかに客がいる。おそらく情報拡散能力が高いのだろう。
「そうね…実際にあったことを広めたのは確かにプライバシーの侵害ね…。陳謝するわ」
実際にそんな変態行為をやった記憶は全くといっていいことのないのだが、今の俺には運の悪いことに何分心当たりがあるのだ。
「ああ、次からはやってくれるなよ」
俺の仕事も客商売なのだ…。悪評が広まればその分当然依頼も減る。文句のもうひとつやふたついってやりたいところだが、あまりつついて藪蛇になっても彼女の場合恐ろしいし、あの内臓が真っ黒ではないかと思われる彼女がここまでいっているのだ。早々に許すのがベストだろう。
「チ○謝して、次からは実際にはなかったことしか言わないようにするわ」
「アンタ本当なに言ってんだ! てか、反省してないだろ!」
「ぇっ……、『ゲヘヘ、陳謝するお前に向かってチ○射したい……?』 あなたがそんな変態的な行為を日常的に行っていたことは知っていたけれど実際に目の前でやられると…気持ち悪いわ」
「言ってないでしょ! そんなこと!捏造するのはやめてください!」
これを彼女の店の客に広められた瞬間に俺は死ぬ。彼女は口こそ悪いものの、エルフという種族柄外見的にはトップクラスの容姿を誇るため、隠れファンが多いのだ。
精神的にも肉体的にも死ぬ。
「あなたが変態的な思考を持っているということはひとまずおいておいて、依頼の内容なのだけれど」
「変態的な思考なんてしてねえよ!」
「あなたが変態だということはおいてひとまずおいておいて、依頼の内容なのだけれど」
「断言しないでください!」
この暴言を認めたら、俺の矜恃は修復不可能になるだろう。もうすでに砕け散っているとも言えるが。
「依頼書には私の店に来いとしか書かれていないでしょう?」
「ああ、そうだな」
それには、肯定をもって返答する。
だから、俺はこいつの店にわざわざやってきて店の中に依頼の内容を詳しく聞くために入ろうとしたのだ。
「つまり、あなたができるのはこの店の目の前に来るだけよ。当然店の中に入っていいなんて一言も書かれていないから、今のあなたにできることは依頼の内容すら聞くことができずに店の前に忠犬のように立ち尽くすだけよ」
「それなんの意味があるんだよ!」
「あなたにできることは依頼の内容すら聞くことができずに店の前に四つん這いになって豚の鳴き真似をするだけよ」
「そんな被虐的意味を俺は求めていない!」
彼女が冗談ではなく俺のことを本気で変態だと捉えているような気がしてならない。
「冗談よ。豚が豚の鳴き真似をするのはおかしいわ」
「俺は豚じゃない!」
俺はそんな趣向に悦ぶ変態ではない。
「そして、あなたは店の中に入ることができないから依頼の報酬を受け取ることができずに毎日私の店の前にきて、豚の鳴き真似をすることで店の中にいる私を呼ぶことになるわ」
「いや、普通に呼ぶから!」
なぜいちいち俺が変態であるということを前提に話すのだろう。
「毎日私の店にきなさい」
「は?」
「それが私のあなたへの依頼よ」
「最近モンスターが活発化してとてもとても忙しいの。私の店ではバイトを募集していたのだけれど人が全く集まらないのよ」
そして彼女は俺がそうすることが当然であるかのようにそういった。
「私の店でバイトしなさい」
手の仕草をもって店の中に俺が入ることを許可する。
「……依頼受注いたしました」
俺は最高の苦笑いを浮かべてその旨を承諾する。
……それにしても今日のところはこいつのペースにやられっぱなしなのが気に食わない。
なので一つ意趣返しに変化球を投げてみるとしよう。
俺は店の中に入り、扉を閉めると振り返ってこういった。
「そういえば俺はお前のことを唯一の親友だと思っているんだが、お前は正直なところ俺のことをどう思っているんだ?」
さあ、鬼が出るか蛇が出るか。
そう思って身構えたのだが黒髪のエルフ少女、エミリアから返ってきたのは、罵りでもなければ毒舌でもなく、ただ不機嫌そうに鼻を鳴らしただけだった。