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ニンファの涙  作者: 文月
であいの形
4/6

 翌朝目が覚め窓を開け放つと、ふわりと風に乗って湿った土の香りがした。寝ている間に雨が降ったらしい。すでに雨は上がっていて、空は晴れていた。

 普段通りにモミジと一緒に数々のお菓子を焼き上げ朝食を摂り、いつも通りに店を開ける。ただ普段と異なることがあったといえば、昨日の晩はなかなか寝付けなかったこと、いつもより作る菓子の量が少ないこと。それから、両親から電話があった。ラジオを聴いたか、そちらに餓狼は行っていないか、なんにせよ駆除が終わるまで外出は控えて店も早めに閉めるように——という、わたしたちの安否を不安がる内容だった。それにわたしとモミジで家を出ないようにするから、と口を揃えた。幸い冷蔵庫にも数日分の食料はある。商品の材料も日持ちするものがまだ残っているし、問題ない。マカロンやスフレのようなものは作れないけれど、まあ仕方ないか。


 わたしたちの店は道に面した一面はガラス張りになっており、街中からは店内が、店内からは街の様子が確認できるようになっている。そことカウンターから見て右側の壁には背が低めの商品棚が置いてあって、左側の壁には、ごく少量の紅茶の茶葉だとかを並べた棚。それから、真ん中のスペースには小さめのテーブルを置いて、いつもそのテーブルにも少しだけ商品を並べるようにしている。

 お店の目の前に広がる石畳の通り。いつもはそこそこの人通りがあるのに、今日はまばらでなんだか寂しかった。……ロメリアさんはどうしてるだろう。大丈夫だとは思うけど、こういう時連絡先知らないって、嫌だな。

 時々訪れるお客さんの対応をしたりお話するうち、気付くと午後二時を迎えようとしていた。そろそろモミジとお店番交代しようかな、とカウンター内の椅子から立ち上がろうとして、わたしは動きを止めた。ショーウィンドウの向こうから店内を覗き込むように、女性がひょっこりと顔を見せたから。バラを思わせる淡いピンクの髪を肩まで伸ばした、若いひとだ。わたしの存在を認めて少し頬を緩ませる。わずかに後ろを振り返って、口元を動かす。連れ添いがいるらしかった。すると、遅れて彼女よりも小柄なひとが姿を見せて思わず瞬く。薄い茶褐色の密集した毛に覆われ、マズルとフサフサとした三角形の耳のついたその顔。

 ——半獣の獣人族。人間と、獣の両方の特徴を持つ種族。人間のように服を着て、基本的に二本の足で歩き人間と同じ言葉を話す。とはいえ、見た目は人間より獣に近く、外見に畏怖する者もいれば友好的に接する者もいたりと、人によって獣人族に対する態度はまちまちだった。より人間の姿に近い人獣族もいるけれど、彼らのほうが人間のなかに馴染んでいる印象がある。

 ミリアの街は王都に近く、王都への道中、この街へ立ち寄る旅人や商人、旅芸人などは多い。その中に半獣の姿を見かける機会は多々あったし、元々ある程度の数の半獣族がこの街に住んでいるから珍しいことではない。そのため、ミリアの人間のほとんどは彼らに対して友好的だ。けれど『リューコ・ディオーネ』開店以来、獣人のお客様が来たことはなかったから、少し驚いてしまった。思えば、両親の店に姿を見せた記憶もほとんどないような気がする。

 二人は扉の前で少しやり取りをしてから、ピンクの髪の女性を先頭に店内へと入ってきた。いらっしゃいませ、というわたしの言葉に、人間の女のひとの背後から「お邪魔します」と控えめに聞こえてきた。少し低い、若い男の子の声。茶褐色の髪を揺らし、女性の背後からひょっこりと狐が顔を見せた。「このお店には櫛と消毒液しかないようだけど、良かったのですか」

 落ち着きのある声だ。黄色の瞳はたれ目がちで眠たげにしているようにも見えるけど、強い眼光があった。

「はい。うちの品物はすべて袋に詰めてありますから」

 頷くと、狐の獣人さんははにかんで、ぽんっと弾かれたように前へ踏み出す。

 食べ物や料理を扱う店では獣人が入れないところも多く、もし入店できたとしても、大抵は店の前に消毒液と獣人用の櫛や手袋などが設置されている。獣人は人間に比べて体毛が多い分抜け毛も多いから、そのままでの入店は衛生上好ましくない。だから、獣人のひとには入店前に櫛を通してもらい、消毒をしてもらってから手袋をはめてもらい、足には獣人用の靴を履いてもらう。わたしたちのお店ではすべてお菓子は袋詰めしてあるから、櫛以外は必要ないのだけれど。たとえ店内で毛が抜けてしまっても、あとからモップを使えばいいし。消毒液は人間と半獣どちらも使えるから、汚れが気になる人間も使えて便利だ。

 それにしても、二人ともこの辺りでは見慣れない顔だ。獣人さんは少し小柄だけど顔立ちが整っているように思う。軽装の上から皮の防具をつけている。彼と同じように品物を選ぶ女のひとは、背が高くて綺麗な顔立ちをしている。テーブルのお菓子を見つめる横顔は、どことなく女の子の面影を残しているけれど。服はノースリーブで、晒されている二の腕が筋肉質だから、獣人さんと旅をしているんだろうか。腰に差している剣も、恐らく護身用のものだろう。なんせ、ひとを襲う魔物がどこで現れてもおかしくない世の中だ。旅をしながら生計を立てるひとの全てが自分の身は自分で守れるよう、なにかしら術を身につけている。魔物がいなくても、ならず者や盗賊が旅人を襲うと聞いたことがある。商人は特に。

 思わず眺めていると、ふと女性が顔をあげた。視線に気付いたらしい。

「あたしの顔に何かついてる?」

 問う女性に、慌てて首を振った。短く「違うんです」と答えて、少し迷ってから質問を投げかける。

「剣を持っているから、旅か何かしてらっしゃるのかなと思って。……街の近くで、餓狼が出るようになったんです。怪我や被害はありませんでしたか?」

「ああ、そういうこと。なら、平気。駆除の申請があったことは知ってるね」

 納得したように女性は頷いて、真後ろにいる獣人さんに視線を向けた。わたしは質問とも確認ともとれない台詞に曖昧に頷く。獣人さんもこちらに向き直り、顔を引き締めてみせる。

「ワタシたちは、その餓狼を駆除するために派遣された傭兵です」

「……へっ。お二人が?」

 その言葉の意味を取り損ねて、思わず間抜けな声がもれた。昨日ラジオでも言っていた、駆除を申請されたという。件のひとたちがこんなにも早く到着しているとは思っていなかった。けれど、すぐに申請したのは「先日」だったと思い出して、無理はないことに気が付く。

 獣人さんが「あまり信用してなさそうだね」と表情をわずかに険しくした。知らなかったとはいえ失礼なことをした。謝罪の言葉を口にすると「いや、いいんだよ」と女性が首を振った。

「仕事があるのになんでここにいるんだって思うのも仕方ないさ」

「……わたし、餓狼の習性とか、よく知らなくて。十六年ここに住んでるけど、餓狼が出没したのは今回が初めてなんです。食欲旺盛で凶暴だとは……あ、あと、テリトリーをもたないとも聞いたことはあるんですが」

 そう正直に話すと、女性がこう説明してくれた。餓狼は彼らにとって住み心地のいい場所を求めて世界を回る魔物だ。人間を見かければ襲う。飢えていればなおのこと。なにかしら餌や新鮮な水が得られ、かつ身を隠せる物が多い場所なら一定期間そこに留まる習性がある。ミリアは環境がいい、今までこのあたりに姿を見せなかったのは別の場所で駆除されたか、あるいはどこかいいところを見つけたか。いずれにせよ、あたしたちが来たからには心配する必要はない——と。

「……ああ、ところで自己紹介がまだだったね。あたしはダリア。で、こっちの獣人は——」

「ライラプス。見ての通り、狐の種族です」

 ダリアさんの隣に駆け寄り、軽く会釈をするライラプスさん。礼儀正しい印象がある。ダリアさんは、話し方は素っ気がないけれど、ひとは良さそうだ。

「わたしはカエデといいます」

 「カエデか、よろしく。今あたしらが観光してる訳は、駆除は夕方に始めるから」と、ダリアさんは慣れた様子で説明する。「あいつら夜行性だから、日のあるうちはどこかで息を潜めてるんだ」

「今、別行動している仲間がアタリを付けています。どのあたりに身を隠しているか、どこを通るか——この街の周辺は緑が多いですからね。オマケに川も流れているから匂いが残らないんです」

「川……? ああ、水で体の匂いを?」

「ええ」

「ただ、明け方雨が降ったろ。匂いはしないが足跡が残るから、アタリは付けやすいぞ」

 早く片付けて美味うまいものを腹一杯食べたいな、とダリアさんは言う。それにライラプスさんが「あなたは言葉遣いを直すべきだって何度言いました」とうんざりしていた。あーはいはい、とあしらうダリアさん、深いため息を吐いて商品を再び選び出すライラプスさん。

 だけど、とわたしは首を傾げる。匂いはせずとも、気配や音で分からないのだろうか。獣人は人間よりはるかに敏感なはずだ。その疑問を投げかけると、ライラプスさんがこちらを振り返る。

「それは魔獣にも言えることですよ。我々獣人が捜索するとあちらも感づくんです。基本的に獣人はに干渉しすぎませんから」

 そう言ったライラプスさんをちらと見やってから、ダリアさんはにやにやとしてカウンターに寄りかかった。

「とかいうあいつは変わりもんでさ。あいつ、甘党なんだ」

「ダリア!」

 ライラプスさんがダリアさんを咎めるような声をあげた。わたしは驚いてライラプスさんへ視線を向けると、落ち着かない様子でこちらに早足で寄ってきた。その様はまるで、秘密をバラす子どもと、勝手に暴露されてしたった子のようだ。不自然な動作にわたしは首を傾げる。……男性で甘党って、変な話だろうか。お父さんも好んで甘いものを食べていたから、違和感や偏見はないけれど。

「あいつ、見た目も話し方も気難しそうだろ。だけど、傭兵団に入ったばっかりの頃、菓子を見るなり目を輝かして興味深そうにしたんだよ。聞いたら獣人は基本的に甘いもんを好まないんだ、獣人の栄養としても必要ないからって。それで分けてやったら好物になって——」

「だ、ダリア。あなたってひとは、なんだっていっつもそう……!」

 そう言って、恥ずかしそうな表情でぎゅっとダリアさんの腕を掴むライラプスさん。からかう表情のダリアさんと、嫌そうな反応を見せながらも彼女を拒否はしていないライラプスさんは、赤の他人から見てみても親交は深いようで、なんだか笑みがもれてしまった。

 と、ふいに「いらっしゃいませぇ」という言葉が少し離れた距離から聞こえて、振り返ると妹の姿。話し込んでいるお客様がいるとは思っていなかったようで、気持ち嬉しそうだ。けれど同時に案じてもいるみたいで、なんともいえない表情をしている。

 ダリアさんとライラプスさんは、少し驚いたようにわたしとモミジを交互に目を向けた。双子なんですか、とライラプスさんが独り言のような、確認のようなことを言ったので、ただ頷いた。

 なんせ一卵性の双子だから、顔が似ている。顔立ちだけではわたしたちを見分けられるひとの方が少なかった。それでどちらがカエデでどちらがモミジか見分けられるよう、わたしは髪をショートカット、モミジはセミロングにしている。服装もカジュアル系と可愛らしい系なので、それで判断もできるけれど。

「どちらがお姉さんなんです?」

「わたしが姉です。妹はその子、モミジといいます」

「へえ。姉妹二人で経営だなんてたいしたもんだ」

 モミジは軽く会釈をして、こちらに駆け寄る。小声で「姉さん、店番交代するよ」と声をかける。あ、そういえばそうだった。二人の来店ですっかり忘れていた。けれど、どうせ今日の閉店時間は早い。やっぱり交代はいいや、と思った。「今日はしなくていいよ、一緒にいよ。あとでお昼は食べたいけど」

 なんせ暇なのだ。いつもと比べて半分程度のお菓子を出したけど、売れ行きはいまいち。魔物の出現に気付いていた人は気付いていたのだろうけど、わたしたちのように昨日餓狼がいることを知った人も多いだろう。そういう人たちが不安を覚えて外出を控えているのは一目瞭然だ。通りを歩むひとの数は疎らだった。

 モミジに二人は傭兵の一員で、夕方から別行動している仲間と合流して駆除を始めてくれるそうだよ、と説明する。するとモミジは安堵しきったようにふにゃりとした笑顔を見せた。「良かったあ、餓狼がいるって聞いて、不安で仕方なかったんです」

「うん。あたしたちに任せれば大丈夫だよ」

「皆さんを守るためにワタシたちが呼ばれたんですからね」

 ダリアさんとライラプスさんはそう胸を張る。やはりその瞳には強い光が灯っていた。


 それから彼女たちは買い物をしてくれ、傭兵団の二人はそれぞれ紙袋を抱えて店を出て行った。

 間近で見たダリアさんの手はゴツゴツとしていて、腕から指先にかけて、無数の傷跡が残っていた。ライラプスさんも同様で、目に止まりやすい傷跡だけでなく、近くで見なければ分からないような小さな傷跡も見られて、胸が痛んだ。それだけじゃなく、服にもところどころほつれが見られた。幾度となく戦いをしてきた証拠だった。

 ガラス越しにこちらに手を振った彼らが、無事であればいいと、そう心から願った。

お、お久しぶりです、文月です。

ずっと放置していてすみません……! なにがあったわけでもありませんが、ともかくも私は元気でした。


これからも不定期更新になるかと思いますが、よろしくお願いいたしますー!

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