相合い傘
アメーバブログに「よしき」名義で掲載した小説です。
楽しんでいただけたら光栄です。
朝の天気予報は、曇りだった。
学校に行くと、傘を持ってきているのは、せいぜい僕くらいであることを知る。なんか恥ずかしい。
一日学校生活を送り、しかし結局、昼になっても放課後になっても、雨は降らなかった。
けれど、部活が終わって残りの生徒もみんな帰ろうとした頃、細い足音が降り始める。
その雨は、みるみると強くなり、すぐに大降りになった。制服に着替える部室で部活仲間たちが、天気予報が嘘ついた、などとぼやいている。僕に言わせてみれば、傘を持ってこないお前たちが悪い。
傘に入れてくれ、と頼んでくる汗くさい連中を断って、僕は部室を出た。
「むぅ。やっぱり持ってくるか迷ったんだよなぁ」
声に振り向くと、大好きなあの子。迷った末の行動を後悔しているらしい。
「……よかったら、入ってく?」
彼女が顔を上げる。僕の申し出に驚いているようだ。一番驚いているのは、僕自身だ。なぜこんな申し出をしているのだろう。大体、彼女のところまでどうやって移動した。瞬間移動か。
まあ実際は足で歩――いやそんなことはどうでもいいが、彼女の瞳に見つめられて鼓動が早まり、目を逸らしながら言葉を取り次ぐ。
「ああ、ほら。帰る方向一緒だし、それに、それに、……雨。そう、雨に濡れると、風邪引いちゃうかも知れないから。病気になられたら困るし……」
「?どうして、困るの」
そりゃあ、休んでいる間、君の顔が見られないから……なんて言える勇気があったら、僕は今頃、彼女に告白してフラれていることだろう。
そうなのだ。僕はそういう奴なのである。だから今だって、こんな感じだ。
「どうしてって、そりゃあ……なん、あの、あれだよ。や、あの……」
「ふっ……、ふふふ」
突然、彼女の笑い声が聞こえた。ふとそちらを見ると、しとやかで女の子らしい笑いではあるけど、よほどツボにはまったのか、小さく噎せていた。
なんとか笑壺から脱したらしい彼女が、顔を上げる。
身長差によって自然に生じる上目遣いの魔性に、僕の目は釘付けになった。
「ありがとう。そうだね、帰る方向一緒だし、風邪引いちゃうかもしれないもんね。私も風邪は引きたくないし、じゃあ、入れてもらおうかな」
「う」
「まんぼ?」
そのネタは、出っ歯の人がやってこそ意味があると思うのだが。
「ん、おぅ。入れ入れ」
急に不器用な男風の口調になる。実際、不器用な男だけど、格好付けてる感丸出しで、恥ずかしい。
傘を開く。大きめの布の下に、僕と、その左側に、大好きな彼女が入る。
一人だと大きいけど、小柄な女の子とは言え、もう一人入ると、防雨の影響範囲は狭く感じられた。
傘を持たずに走る生徒たちに追い抜かれながら、歩道を進む。気付いたけど、いつもの癖で右手に傘を持ってしまった。彼女は左側に居るというのに。今更持ち返るのもなぁ。
とにかく、彼女を濡らす訳にはいかない。僕は、男の子であるが故のそんな使命感に苛まれた。
「…………」
「…………」
なにか喋らなくては。僕が誘って、彼女らそれを受け入れてくれたのだから。
……いや、彼女はただ濡れずに帰りたいだけかもしれないが。
話題……話題…………和太鼓の話でもするか?馬鹿、ダジャレっている場合か。
「ねえ?」
「うぇっはい?!」
色々と考えていると、彼女に話し掛けられる。僕にとってはあまりに突然の出来事で、変な返事をしてしまった。
そんな僕を気にする様子もなく、彼女は言う。
「肩、濡れているよ?」
さっきから、彼女が濡れないように、とだけ考えていたので、思った以上に僕の肩は雨に浸っていた。
「分かっているよ」
でもなぜか、そんなことを口走ってしまう。
「……え?」
彼女が足を止める。一緒にとまって、彼女の方を見ると、眉を上げ、驚いた表情をしていた。
忘れていたらしい息を取り戻した彼女が、その目をさらに丸く見開いた。
「私に、気を遣ってくれた……の?」
「気を遣う……。ん、まあ、そうなるのかな」
彼女がなにか言おうとするのを制する。格好いいことを言ってしまった以上、結果がどうなろうと、全て言ってしまおうという覚悟を決めていた。
「いいんだよ。君が濡れなければ、それで」
傘を打つ雨の音が、遠ざかっていく。
「で、でも、だって。……悪いよ」
「大丈夫って、言っているだろ」
しかし、彼女はちっとも妥協しない。僕が知らないだけで、案外頑固な性格なのかもしれない。
するとずっと、でもでも、と呟き続けていた彼女が、突然顔を上げた。
「ごめんなさい。私、やっぱり濡れて帰るよ。もう近くまで来ているし、大丈夫だから」
それじゃあ……。と傘から抜けようとする彼女を、僕は慌てて引き止めた。その細い手首を掴む。
折れない彼女の代わりに、僕が折れることになった。
「分かった。じゃあ、こうしよう」
掴んだ彼女の腕を引く。それに伴ってついてきた彼女の体を、僕は優しく受け止めた。彼女の小さな肩が、僕の腕の中に納まる。
「……こうすれば、二人とも濡れないよ。ね?」
「…………」
こくり、と無言で頷く彼女。なぜか、全身に力が入っているようだ。
……さあ、いよいよ告白だ。緊張するけど、僕は覚悟を決めたんだ。だから、言おう。
しかし、沈黙を破ったのは、彼女の声だった。
「……私ね。ずっと前から、君のことが好きだったんだ」
言っている意味が分からなかった。彼女は突然、なにを言ったのだろう。
直後、とても慌てる。
「え、あ、え。ち、ちょっと」
彼女は今、『好き』だと言わなかったか!?
「ちょっと待ってよ!ぼく……僕、が告白するんだから!」
「えっ……?」
「あ……っ」
つい明かしてしまった事実に、二人とも言葉を失う。
気を取り直して、言葉を紡ぐ。
「僕が、告白するから。だから」
「……うん。じ、じゃあ、フラれた」
「うん。フッた」
そんなやり取りに、笑みがこぼれる。
「…………」
「…………」
彼女の目を見つめる。その可愛らしい顔が、緊張に強張るのが見て取れた。
僕は、一度だけ小さく深呼吸をして、お腹に力を入れた。
「好きです。僕は、君のことが、とてもとても、大好きです」
言い切った頃、彼女の表情が柔和になる。
そして彼女は、なにも言わずに、僕の胸へと頭を添えた。
「……帰ろう」
「うん。……でも」
俯きがちだった彼女が、体制を直して前を向く。
合わせて同じ方を見ると、いつの間にか、あんなに降っていた雨が、止んでいた。
「相合い傘、必要なくなっちゃったね」
彼女が少し残念そうに呟く。正面から人が歩いてきていた。
そうだね、と彼女の言葉に頷きながら、腕に抱く力を強める。
そして僕は、傘を降ろした。