鉄の銘板
結晶鱗竜は、三日後に到着した銀ランクパーティによって討伐された。
俺たちは見ていない。ギルドに報告が届いただけだ。街道封鎖が解除され、商隊が動き出し、カラトの街は元の賑わいに戻った。あの竜のことを話す人間は、もういない。
竜が洞窟から出てきた理由——奥にいた「何か」のことは、結局わからないままだった。銀パーティの報告にも「鍾乳洞深部に大型魔獣の痕跡あり、追加調査を推奨」とだけ書かれていたらしい。
気にはなる。だが銀ランクの仕事だ。俺たちの手が届く話じゃない。
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ギルドに鉄ランクへの昇格を申請した。鉱夫救出と鍾乳洞調査の実績が認められたこと、それに加えて、ガレスが街を出る前に推薦状を残してくれていたことが大きかった。何も言わずに。
前の世界で五年間働いた会社で、推薦状なんか書いてくれる人間は一人もいなかった。たった三日一緒にいただけの男が、書いてくれた。飯を奢って、街を案内して、酔ってもいないのに説教して、それで去っていった男が。——今度会ったら、ちゃんと礼を言おう。
カウンターで銅の銘板を返す。手のひらに馴染んだ重さ。ゴブリンを四体倒した日からずっと持っていた。
「鉄ランクへの昇格を承認します。——こちらが新しい銘板です」
受付嬢が差し出したプレートは、銅より暗い、鈍い光沢を持っていた。鉄。ずっしりと重い。
職種:冒険者
表示は変わらない。素材だけが変わった。だがこの重さの違いが、受けられる依頼の幅を変える。
リーネも同時に昇格した。こっちは銅から鉄への復帰みたいなものだ。前の街では銀だった人間が、やっと鉄に戻った。
「やっと鉄か。長かったなあ」
「お前、登録してから何日だ」
「えーと……十日?」
「十日で長いのか」
「だってあたし前は銀だったんだよ? 銅に戻るの、地味にきつかったんだから」
銀を捨てて銅から再スタートした。その理由を、リーネはまだ「合わなくてさ」としか言わない。
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鉄ランクの依頼掲示板は白い紙だった。銅の青い紙とは別の場所に貼ってある。枚数も多い。
パネルが出る。依頼ごとに期待値が浮かぶ。鉱山の害獣駆除が75。隊商護衛が68。山岳の偵察が72。銅ランクの頃より依頼の中身が重い分、期待値にもばらつきがある。
75が最高値。報酬も悪くない。
「これにする」
「早いね。もう決めたの?」
「75だ——いや、条件がいい」
危うくパネルの数字を口にしかけた。気をつけろ。
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鉱山の害獣駆除。坑道に棲みついたロックイーターの群れ。岩を食う大型甲虫で、坑道の壁を削って巣を作る。放っておくと坑道が崩落する。
坑道に入る。暗い。松明の光が岩壁を照らす。ロックイーターが壁を削った跡が、坑道の奥に向かって続いている。
パネルが選択肢を出す。
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坑道入口から順に掃討 ……… 期待値 68
巣の本体を先に叩く ……… 期待値 74
坑道を煙で燻す ……… 期待値 71
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巣の本体を先に叩く。74。群れの末端を一匹ずつ処理するより、中枢を潰した方が効率がいい。ゴブリンの火計と同じ発想だ。
坑道の奥へ進む。分岐が来るたびにパネルが選択肢を出す。右か左か。直進か横穴か。最高値を選ぶ。迷わない。
テンポがいい。パネルを見る。選ぶ。進む。次の分岐。見る。選ぶ。進む。
巣を見つけた。壁面に張り付いた卵塊の周りに、親のロックイーターが三匹。甲殻が硬いが、腹側は柔らかい。
パネルが攻撃手段の選択肢を出す。
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正面から腹を狙う ……… 期待値 55
天井の岩を落として
ひっくり返す ……… 期待値 79
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天井の岩。79。坑道の天井は、ロックイーターが削った跡で脆くなっている。支えの岩を一つ外せば、局所的に崩れる。崩れた岩がロックイーターの上に落ちて、ひっくり返す。腹が上を向いたところを仕留める。
「リーネ、天井の支え岩が見えるか。あの出っ張り」
「見えた」
「あれを蹴り飛ばす。崩れたら、ひっくり返ったやつの腹を斬れ」
「了解」
支え岩をナイフの柄で叩く。ぱきん、と乾いた音がして、天井の一角が崩れ落ちた。岩がロックイーターの甲殻の上に降り注ぐ。一匹がひっくり返った。
リーネが飛び出す。白い腹。剣が走る。一撃。
二匹目は岩を避けて横に逃げた。パネルが選択肢を出す。「追う:64」「待ち伏せ:72」。待つ。ロックイーターは巣に戻ろうとする。巣の入口に戻ってきたところを、リーネが斬る。
三匹目。
——パネルを見る前に、リーネが動いていた。三匹目が逃げる方向を読んで、先回りしている。剣を構えて、坑道の角で待っている。
三匹目がリーネの前に飛び出してきた。一閃。終わり。
「……速いな」
「あたしは考えてないからね。体が先に動くだけ」
パネルに三匹目の選択肢が出ていた。「追う:61」「挟み撃ち:73」。リーネの動きは「挟み撃ち」に近いが、リーネはパネルなんか見ていない。体で分かっている。
——これは気持ちいい。
数字を見て、最高値を選んで、当たる。テンポよく。効率よく。ゲームのように。
卵塊を処理して、坑道を出た。日差しが眩しい。全身に岩の粉がこびりついている。リーネも同じ。二人で顔を見合わせて、少し笑った。
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ギルドに報告。報酬を受け取る。鉄ランクの依頼は報酬が違う。銅の頃の数倍だ。
その日のうちにもう一件受けた。山岳地帯の魔獣偵察。
山道を登りながらパネルが出る。「尾根沿い:62」「谷沿い:71」。谷を選ぶ。魔獣の痕跡を見つけて記録し、遭遇を避けて帰還。効率的。無駄がない。
翌日は隊商護衛。三日間の依頼。街道を歩きながら、パネルが周囲の脅威を選択肢として出す。「このまま進む:78」「迂回する:65」。進む。盗賊の影もない。順調すぎて拍子抜けするくらいだ。
護衛中、リーネは商人の娘と仲良くなっていた。剣の構え方を教えている。木の棒を剣に見立てて、「足はこう、腰はこう」と笑いながら。俺がパネルでルートの安全を確認している間、リーネは子供と遊んでいる。護衛としてどうなんだ。——まあ、パネルに脅威が出ていないのだから、問題はない。問題はないが。
商人に「あんた、嫌に勘がいいね」と言われた。勘ではない。だが「ありがとうございます」と返した。
護衛の最終日、リーネが言った。「ねえ、次の依頼はあたしに選ばせてよ。面白そうなやつ」。「ああ、いいぞ」と答えた。
その次は森林地帯の薬草大量採取。パネルで群生地の位置を効率よく割り出し、半日で依頼量を達成。採取中、リーネが「あ、この花」と足を止めた。白い小さな花。月光草を採りに行った帰りに寄り道した、あの花だ。
「まだ咲いてるね」
「……ああ」
「覚えてる? あたしがあんたに一輪あげたやつ」
覚えている。あの花はもう枯れた。宿の部屋に置いていたが、三日で萎れた。
「覚えてるよ」
「ふうん」
リーネはそれだけ言って、花には触れずに歩き出した。
受付嬢に報告すると「予定より二日早いですが」と驚かれた。
翌朝。掲示板の前で、パネルが出た。期待値が並ぶ。73、68、71。最高値は73。手が伸びる。
——あれ。リーネに選ばせるって言ったんだった。
隣を見ると、リーネはもう別のところを見ていた。掲示板の端に貼ってある、どこかの街のお祭りの告知を読んでいる。
「……リーネ、依頼——」
「いいよ、ハルトが選んで。あんたの方が早いし」
笑っていた。いつもの顔だった。
73の依頼を取った。
依頼を受ける。パネルを見る。最高値を選ぶ。成功する。報酬を受け取る。次の依頼を見る。最高値を選ぶ。成功する。
銀の鋤亭の部屋にいると、ギルドの冒険者が噂しているのが聞こえる。「あの鉄の二人組、依頼の成功率がおかしい」「勘がいいのか頭がいいのか」「冒険者というより軍師だな」。
悪い気はしなかった。
——正直に言えば、気持ちよかった。数字が見える。最適解がわかる。選べば当たる。前の世界ではこうはいかなかった。データを出しても組織に潰された。最適解を提示しても「現場の空気が」で覆された。ここではそれがない。数字に従えば、結果が出る。
これは——
いい世界だ。
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ある日の夜。ギルドの酒場でリーネと飯を食っていた。
パネル。スープ76、ラム肉68。スープを頼んだ。いつも通り。
リーネは相変わらずラム肉だった。
「ねえ、鉄の銘板ってさ、銅より重いっしょ?」
「ああ」
「あたしの前の銀はもっと軽かったんだよね。ランクは上のはずなのに、鉄の方がずっしり重いってなんか変じゃない?」
「素材の話か、ランクの話か、どっちだ」
「どっちも。——あたし、銀の銘板すごい気に入ってたんだよね。ぴかぴかでさ」
そう言って、鉄の銘板を袖で磨いた。鉄は磨いても光らない。リーネはそれを見て「まあいいか」と笑った。
しばらく明日の依頼の話をした。山の方の偵察依頼が出ている、装備は何がいる、朝は何時に集合。そんな話。
エールを飲み干したあたりで、リーネが少し黙った。
「ねえ、ハルト」
「ん」
リーネが何か言いかけた。口が開いて、一瞬止まって、閉じた。
「……なんでもない」
「何だよ」
「なんでもないって」
ラム肉を頬張って、話を変えた。「明日の依頼、山の方っしょ? あったかい格好していかないとね」
何を言いかけたのかは聞かなかった。聞けばよかったのかもしれない。でもパネルには「リーネに聞き返す」の選択肢は出ていなかった。
——出ていなかったんじゃない。出ていたかもしれないが、見なかった。
見なかったのか、出なかったのか。どっちだったか、もう思い出せない。




