結晶鱗竜との邂逅
ギルドへの報告は、予想以上の反応を引き起こした。
「結晶鱗竜……?」
受付嬢の顔から血の気が引いた。隣にいた上役らしい男が資料を引っ張り出し、他の職員を呼んだ。カウンターの奥がざわついている。
「間違いないのか。結晶で覆われた竜型の魔獣だ」
「見た通りだ。体長は——」
「十メートル超だったよ。あたし、もっとあったと思うけど」
リーネが補足した。
上役が深刻な顔で言った。
「銀以上のパーティを手配します。ただし、最寄りの銀ランクパーティは三日ほどかかる。それまで鍾乳洞周辺は立入禁止にしますので——」
三日。それで終わるはずだった。
---
翌日の午後だった。
ギルドに駆け込んできた鉱夫が、息も絶え絶えに叫んだ。
「洞窟から出てきた! あの化け物が! 街道沿いの鉱山小屋の近くにいる!」
酒場が静まり返った。
結晶鱗竜が鍾乳洞から出た。街道の近くにいる。街道は、カラトと北の集落を結ぶ唯一の道だ。鉱夫だけじゃない。商人も旅人も通る。
ギルドが動いた。鉄ランク以上の冒険者に緊急招集がかかった。だがカラトに常駐している鉄ランクは少ない。ガレスのような銀ランクは——もういない。
俺とリーネは顔を見合わせた。
「銅ランクの俺たちが出る案件じゃない」
「うん」
「銀が来るまで三日だ。それまで避難して——」
「鉱山小屋に人がいるんだって」
鉱夫がまだ叫んでいた。仲間が小屋に取り残されている。逃げられなかった。竜が小屋の近くを徘徊していて、出られない。
パネルが出た。
────────────────────────────
救援に向かう ……… 期待値 34
ギルドの対応を待つ ……… 期待値 61
────────────────────────────
34。低い。パネルは「待て」と言っている。
61を選べばいい。ギルドに任せて、三日待てばいい。合理的だ。正しい。銅ランクが結晶鱗竜に挑む理由はない。
「ハルト」
リーネが俺を見ていた。翡翠色の目。問いかけている。「どうする?」ではない。「行くの?」だ。
——行かなくていい理由はいくらでもある。
パネルが34と言っている。銅ランクが出る案件じゃない。銀を待つのが最適解だ。
だが鉱山小屋に人がいる。三日も待てるのか。竜が小屋を壊したら。鉱夫たちが逃げ出そうとして見つかったら。
パネルは「救援に向かう」の期待値を34と出した。低い。だが——あれは何の34だ。
洞窟の行き止まりで学んだことが頭にある。安全に帰れる確率か。鉱夫を救出できる確率か。竜を倒せる確率か。パネルが何を測っているかで、数字の意味は変わる。
……試してみるか。
パネルに意識を向ける。「救援に向かう」。ただし、竜と戦うのではなく、鉱夫を避難させることだけを目的とした場合の期待値——
パネルが一瞬揺れた。数字が書き換わる。
────────────────────────────
救援(避難誘導のみ) ……… 期待値 52
────────────────────────────
52。さっきの34より上がった。
変わった。パネルの数字が、意識の持ち方で変わった。「救援に向かう」と「鉱夫を避難させる」は別の行動だ。竜と戦うつもりで行くのと、人を逃がすつもりで行くのでは、期待値が違う。
当たり前だ。目的が違えば、最適な行動も変わる。何を測るかで、数字は変わる。
52。五分五分よりやや上。
「……行くか」
リーネの目が光った。
「ただし、竜とは戦わない。鉱夫を小屋から逃がすだけだ」
「了解っしょ」
---
街道を走った。
北門を出て、鍾乳洞方面へ。昨日歩いた道。今日は走っている。
鉱山小屋が見えてきた。街道から少し外れた丘の麓に、石と木で組まれた小さな小屋。その百メートルほど先の開けた草地に——いた。
結晶鱗竜。
昨日、洞窟の暗がりで丸まっていた姿とは違う。四本の脚で立ち、首を持ち上げている。全身の結晶が日光を受けて、虹色にぎらぎらと光っている。美しい。そして、恐ろしい。
リーネの言った通り、左前脚を引きずっていた。背中の結晶も何本か折れている。怪我をしている。だが怪我をしていても、あの体躯は脅威だ。
パネルが出た。
────────────────────────────
竜の注意が小屋に向いていない
今なら小屋に接近可能 ……… 期待値 64
竜が小屋の方を向いた場合
接近成功率 ……… 期待値 29
────────────────────────────
今だ。竜は小屋と反対方向を向いている。草地の端で何かを探しているように首を振っている。
「リーネ、小屋まで走る。低く、早く、音を立てずに」
「了解」
二人で丘の斜面を使って身を隠しながら、小屋に近づいた。パネルが距離と竜の視線の角度をリアルタイムで更新する。64、62、65、61——竜の首が動くたびに数字が揺れる。
小屋の裏手に着いた。壁に背をつける。中から声がした。
「誰だ」
「ギルドの冒険者だ。避難誘導に来た。何人いる?」
「三人。——出られるのか?」
パネルを見る。
────────────────────────────
竜に気づかれずに撤退
(丘の裏を迂回) ……… 期待値 58
竜の注意を逸らしてから撤退 ……… 期待値 71
────────────────────────────
注意を逸らした方が高い。だがどうやって。
「リーネ」
「うん、わかってる。あたしが囮やるっしょ」
「違う。囮は俺がやる」
リーネが目を丸くした。
「お前は鉱夫三人を連れて丘の裏を迂回しろ。道案内と護衛を兼ねる。俺は反対側から石を投げて竜の気を引く。気を引いたらすぐ逃げる。戦わない」
「でも——」
「お前の方が足が速い。三人を連れて走るなら、お前だ」
パネルで確認する。「ハルトが囮、リーネが護衛」の期待値——
……出ない。リーネが関わる行動は、相変わらず計算不能だ。だがリーネが関わらない部分——「俺が石を投げて竜の気を引く」——の期待値は出る。
────────────────────────────
石で竜の注意を引く
(投擲後即退避) ……… 期待値 63
────────────────────────────
63。やれなくはない。
「行け。合図は——俺が石を投げたとき。音がしたら走れ」
リーネが一瞬だけ躊躇した。それから頷いた。
「死ぬなよ」
「死なない。63だ」
「はあ?」
「——何でもない。行け」
---
リーネが鉱夫三人を連れて小屋の裏から出ていくのを見送った。丘の裏側に回り込んでいく。小さな背中が斜面に消える。
ここからは、あいつを信じるしかない。
俺は反対方向に走った。竜から見て小屋の逆側。距離を取りつつ、竜の視界に入らない位置を探す。
左側に回り込んだとき、目が合いかけた。——いや、合わなかった。左の目が光を反射していない。濁っている。
ロックバイパーの時のリーネの声がよぎった。「右目が濁ってた。右側の視界が弱い」。あの時は蛇だった。今度は竜だ。左前脚の怪我だけじゃない。左目もやられている。左側の死角が広い。
左側の死角から、石を拾う。手のひらに収まるくらいの丸い石。
パネル。
────────────────────────────
石を投げる
(竜の右側に着弾させる場合)
注意誘引成功率 ……… 期待値 72
投擲後の退避
(丘の裏への離脱) ……… 期待値 66
────────────────────────────
何を測るかで数字は変わる。洞窟で学んだことだ。「注意を引く」と「逃げる」を分けて測る。両方60以上。やれる。
振りかぶった。
投げた。
石が弧を描いて飛び、竜の右側の地面に当たった。乾いた音。竜の首がぐるりとそちらを向いた。右の目が石の着弾点を追っている。左目は濁ったまま、何も映していない。
小屋の方向から背を向けた。
今だ。リーネが走っているはずだ。パネルにはリーネの位置は表示されない。計算不能。だが信じる。あいつは速い。鉱夫を連れて走れる。
俺も走った。竜と反対方向に。丘の裏側に飛び込み、斜面を転がるように下る。
背後で唸り声がした。低い、空気を震わせる振動。竜が動いた。だがこっちに来ているのか、石の方に行っているのか——
パネルが出た。
────────────────────────────
竜の追跡対象:石の着弾点
ハルトの発見確率 ……… 期待値 12
────────────────────────────
12。見つかっていない。石に釣られた。
丘の裏を駆け下りた。心臓がうるさい。足が震えている。でも走れる。走った。
---
街道で合流した。
リーネが鉱夫三人を連れて立っていた。全員無事だ。鉱夫たちは息を切らしているが、怪我はない。
「ハルト!」
リーネが走ってきた。顔が白い。
「無事?」
「無事だ。竜は石に気を取られてる。今のうちにカラトに戻る」
「……よかった」
リーネが一瞬だけ目を閉じた。それから、いつもの顔に戻った。
「死ぬなって言ったっしょ」
「死んでない」
「当たり前だ。死んでたら怒るからね」
死んでたら怒れないだろう。論理が破綻している。いつものことだ。
---
カラトに戻った。鉱夫三人をギルドに引き渡した。
「ありがとう……本当にありがとう」
鉱夫の一人が頭を下げた。手が震えていた。
受付嬢が報告を受けた。
「結晶鱗竜が鍾乳洞から出たことは確認しました。銀ランクパーティの到着を早めるよう手配します。——お二人の救援行動は、特別報酬の対象として申請しておきます」
報酬はありがたいが、それより気になることがある。
「あの竜、なぜ洞窟から出てきたんだ」
「わかりません。ただ……鉱夫の証言では、竜は何かから逃げるように洞窟から出てきた、と」
何かから逃げる。あの巨大な竜が。
リーネと目が合った。同じことを考えている顔だった。
鍾乳洞の奥に、結晶鱗竜が逃げるほどの何かがいる。
パネルは何も表示しない。
---
夜。銀の鋤亭。風呂に入って、ベッドに横になった。
今日一日を振り返る。
パネルの数字を、初めて意識的に動かした。「救援に向かう」が34で、「避難誘導のみ」にしたら52に上がった。目的を変えれば、期待値が変わる。当たり前のことだが、今日まで気づかなかった。
石を投げるときも、「注意を引く」と「逃げる」を分けて測った。両方見えたから、両方やれた。
パネルは道具だ。何を測るかを俺が決めれば、より正確な答えが返ってくる。使い方次第で、まだ伸びしろがある。
——ただ、一つだけ。
リーネが鉱夫を連れて走っている間、あいつが無事かどうかは、パネルには出なかった。計算不能。信じるしかなかった。
信じた。走れると。走ってくれると。
それが何なのかは、まだよくわからない。でも、今日はそれで良しとしよう。




