ガレスの最後の酒
月光草を納品した。
二十束、状態良好。受付嬢が一束ずつ確認し、金貨十五枚をカウンターに並べた。銅貨の山しか見たことがなかった俺にとって、金貨の光沢は新鮮だった。
「それと、報告があります」
鍾乳洞の件を伝えた。入口付近の爪痕。岩肌に埋まった結晶片。脈動するような光。
受付嬢の表情が変わった。事務的な笑顔が消えて、眉が寄った。
「……少々お待ちください」
奥に引っ込んで、しばらくして戻ってきた。
「ギルドとして正式に調査依頼を出す方向で検討します。鍾乳洞周辺の生態異変については、以前から報告が上がっていました。爪痕と結晶片の情報は新しい材料です。——調査依頼が出た場合、お二人に優先的にご案内できますが、いかがでしょう」
パネルが出た。
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鍾乳洞調査依頼を受ける ……… 期待値 69
他の依頼を続ける ……… 期待値 62
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69。月光草の74より低い。危険度が上がっている分だけ期待値が下がったのだろう。だが報酬は高いはずだ。
「詳細が決まったら教えてください」
「承知しました」
報酬の分配。金貨十五枚を二人で。リーネが言った通り、七枚ずつで端数の一枚はじゃんけん。
グー。リーネもグー。パー。リーネもパー。チョキ。リーネはグー。
負けた。
「やった! 金貨八枚!」
リーネが金貨を掲げて笑っている。パネルが出なかった。じゃんけんの期待値。出てもよさそうなものだが、出なかった。ランダムな事象には期待値が出ないのか。それとも——じゃんけんの勝敗は、パネルの守備範囲外なのか。
まあいい。七枚でも十分だ。
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その夜。
ギルドの酒場で飲んでいると、ガレスが来た。
大きな背中。銀の銘板。片手に革の旅行鞄を持っている。
「よう。月光草、聞いたぞ。二日目でパーティ組んで依頼こなすとはな。——相棒は?」
「あそこ」
リーネは酒場の隅で、甘い菓子パンを食べていた。さっき食事は済ませたのに、まだ食べている。甘いものに目がないらしい。本人は隠しているつもりだが、三個目だ。
「あの嬢ちゃんか。面白い目をしてるな」
ガレスが向かいに座った。店員に手を上げて、エールを三つ頼んだ。
「三つ?」
「嬢ちゃんも呼べ。——今日は俺が奢る日だ」
何か含みのある言い方だった。
リーネを呼んだ。菓子パンを持ったまま席に着く。
「リーネ・フォルトゥーナです。よろしくっしょ!」
「ガレス。こいつの先輩だ。——と言っても、明日から先輩じゃなくなるがな」
リーネが俺を見た。知らなかったのか、という顔。
「ガレスは明日から別の依頼で街を離れる。前に聞いた」
「聞いてないんだけど。——え、じゃあこれ送別会?」
「送別ってほどでもねえよ。ただの酒だ」
エールが来た。ガレスが杯を上げた。
「まあ、飲め」
三人でエールを合わせた。
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ガレスは飲みながら、ぽつぽつと話した。
「北の街から依頼が来てな。鉱山の護衛だ。半年くらいかかる。報酬はいい」
「半年」
「長いだろう。だが銀ランクの仕事ってのはそういうもんだ。一つの依頼が長い。短期で回すのは銅や鉄の稼ぎ方だ」
ガレスがエールを半分空けた。
「お前、鍾乳洞の調査依頼も受けるんだろう」
「たぶん」
「気をつけろ。あの洞窟は昔から妙な噂がある。鉱夫が何人か行方不明になってる。——まあ、噂だがな」
ガレスの木彫りの小刀が、テーブルの上に置いてあった。広場で削っていた木片の続きだろうか。小さな動物の形。犬ではない。狐だった。耳が尖っていて、尻尾がふわりと丸まっている。
「それ、何作ってんの?」
リーネが聞いた。
「娘への土産だ。離れて暮らしてるんでな。会うたびに一つ渡す」
「えー、かわいい。器用なんだね」
「まあな。剣より木彫りのほうが得意かもしれん」
笑った。ガレスは剣の方が圧倒的に得意だろう。でも木彫りの狐は、丁寧に作られていた。
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ガレスが鉱山護衛の話をしてくれた。北の街の鉱山は希少な金属が出るが、魔獣の巣に近い。半年間、鉱夫たちの護衛をしながら坑道を守る。
「地味な仕事だ。派手な戦闘はほとんどない。だが鉱夫の命がかかってるから、一瞬も気が抜けない」
「ガレスに合ってるな」
「何だそりゃ」
「派手じゃないけど、確実。あんたの戦い方そのものだろう」
ガレスが少し驚いた顔をして、それから笑った。
「お前、人を見てるな。——前の仕事ってのは人を見る仕事だったのか?」
「まあ、似たようなものだ」
リーネが菓子パンの四つ目に手を伸ばしていた。甘い匂いがここまで漂ってくる。
「嬢ちゃんは甘いものが好きなのか」
「本人は隠してるつもりらしい。四つ目だけど」
「隠せてないな」
「全くな」
二杯目のエールが来た頃、リーネが席を外した。「トイレ」と言って立っていった。
二人になった。
ガレスがエールの泡を見つめながら言った。
「あの嬢ちゃん、いいな」
「……そうか?」
「ああ。勘がいい。俺が前に言っただろう。理屈じゃなくて体で分かるやつ。あの手の人間は、長く組むと相棒になる」
「臨時パーティだ。依頼ごとに——」
「まあ聞け」
ガレスの声が少し低くなった。酔った先輩の軽口ではない声色。
「お前は頭がいい。依頼の選び方も、戦い方も、筋がいい。銅ランクとは思えん。——だが、お前には一つ危ういところがある」
「何だ」
「全部、一人で決めてるだろう」
心臓が跳ねた。
「パーティを組んでも、判断するのはお前だ。あの嬢ちゃんは前衛で斬る。お前が後ろで考える。それはいい。だがな、考えるのがお前だけだと、お前が間違えたとき、全員が間違える」
返す言葉がなかった。
「一人で決めるな、とは言わん。お前のやり方は合ってる。だが、たまにはあの嬢ちゃんの勘に乗ってみろ。理屈の外に正解があることもある」
ガレスがエールを飲み干した。
「——まあ、酔っ払いの説教だ。今度は本当に酔ってるけどな」
笑った。ガレスも笑った。
リーネが戻ってきた。
「何の話してたの?」
「男の話だ」
「つまんなそう」
「つまんないさ」
三人で三杯目を飲んだ。
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酒場を出ると、夜風が冷たかった。星が多い。いつもの夜だ。
「じゃあな」
ガレスが手を上げた。革の旅行鞄を肩にかけている。明日の朝には発つのだろう。
「世話になった」
「礼はいらん。——鉄になったら連絡しろ。一緒に仕事ができる」
ガレスが歩き出す。大きな背中。首から下がった銀の銘板が、街灯の光を一瞬だけ反射した。
ガレスとまた会えるかどうか——パネルが出るのを、少しだけ待ってしまった。出なかった。当たり前だ。これは選択肢じゃない。
当たり前のことに、少しだけ安心した。
見なくていい数字がある。
ガレスが角を曲がって見えなくなった。
銀ランクの冒険者。木彫りの狐を娘に届ける男。エールを三杯飲んで、ちゃんと酔って、でも大事なことだけは素面の声で言う男。
三日間だった。たった三日間。だが前の世界で五年間働いた会社の誰より、この男のことを覚えている気がする。
リーネが隣にいた。
「いい人だったね」
「ああ」
「あたしにも一つ言ってたよ。トイレ行く前に」
「何を」
「『あいつの計算が外れたとき、お前が隣にいてやれ』って」
——ガレス。
俺の計算が外れる前提なのか。
「あたしはさ、別にそういうの考えてないけど」
リーネが夜空を見上げた。息が白い。
「でもまあ、隣にいるのは嫌じゃないかな」
パネルは何も出さなかった。リーネに関する期待値は、相変わらず計算不能だ。
だが不思議と、それが今夜は嫌じゃなかった。
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翌朝。
ギルドの掲示板に、新しい依頼が貼られていた。白い紙——鉄ランク相当。
<依頼:グラナド鍾乳洞の生態異変調査>
報酬:金貨二十枚
推奨ランク:鉄以上
備考:鍾乳洞深部における異常な魔力反応と未確認大型魔獣の調査。
鉄ランク推奨。俺たちは銅だ。普通なら受けられない。
パネルが出た。
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調査依頼を受ける(受付に交渉) ……… 期待値 67
見送る ……… 期待値 55
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67。低くはない。交渉の余地がある。月光草の実績と、鍾乳洞の報告をした当事者であることが有利に働くだろう。
リーネが隣で掲示板を見ていた。
「行くっしょ?」
即答だった。パネルなんか見ていない。見えていない。ただ「行く」と決めている。
「……行く」
根拠は67だ。リーネの根拠は知らない。たぶん「行きたいから」だ。
二人で受付に向かった。




