計算と直感の初共闘
朝、ギルドの前。
リーネが来ない。
約束の時間は「朝」としか決めていなかった。正確な時刻を決めなかったのは俺の落ち度だ。だが日はもうとっくに昇っている。ギルドには冒険者が出入りし始めていて、掲示板の前に人が集まっている。
待ちながら、パネルで時間を潰す。通りを歩く人々に期待値が浮かぶ。荷車を引くおじさん、54。果物売りのおばさん、61。走り回る子供たち、38、42、45。何の期待値かは相変わらず不明だが、数字を見ているとなんとなく落ち着く。
三十分が経った。
「ごめーん! 寝坊した!」
通りの向こうから赤銅色の髪が走ってきた。革鎧が揺れている。息を切らしている。
「お前が言ったんだぞ。遅れんなよ、って」
「だから先に言っといたっしょ! 予防線!」
予防線の使い方が間違っている。
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ギルドで月光草の依頼を正式に受諾した。
「パーティでの受諾ですね。採取地はカラト北門から森に入り、北北東に約二時間。鍾乳洞の手前の湿地帯に月光草が群生しています。二十束の採取が依頼内容です」
受付嬢が地図を広げた。リーネが身を乗り出して覗き込む。
「ここ、あたし行ったことあるかも。前の街にいたとき、似たような地形の場所で薬草取ったことがある」
「行ったことがあるのか」
「似たような場所に。この場所にじゃないけど」
それは行ったことがあるとは言わない。
「注意点があります」
受付嬢が声を落とした。
「報酬が高い理由ですが、最近このあたりの生態系が不安定です。これまで見られなかった種類の魔獣が目撃されています。採取自体は危険ではありませんが、道中の遭遇に備えてください」
パネルが出た。依頼の総合期待値が更新される——72。昨日見たときは74だった。2ポイント下がっている。リーネと組んだことで変動したのか、それとも状況が変わったのか。
まあ、72なら十分だ。
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北門を出て、森に入った。
俺が先を行き、リーネが少し後ろを歩く。森の空気は湿っていて、苔の匂いが濃い。木漏れ日が足元に揺れている。
パネルが道の分岐点で選択肢を出した。
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A:獣道を直進 ……… 期待値 71
B:沢沿いを迂回 ……… 期待値 68
C:尾根を越える ……… 期待値 54
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Aが71。直進が最適。
「まっすぐ行くぞ」
「んー、あっちの方がよくない?」
リーネが沢の方を指した。Bの68。3ポイント低い。
「なんで?」
「水の音がするっしょ。沢沿いなら水が飲めるし、魔獣も水場に来るから先に気配が読める。あと——」
リーネが鼻をひくつかせた。
「あっちの方が花の匂いがする。月光草って湿気の多いところに生えるんでしょ? 水の近くの方が見つかりやすくない?」
理屈としては一理ある。だが期待値は71対68だ。3ポイントの差がある。
「直進の方が早い。到着時間が短ければ体力も温存できる」
「効率かあ」
リーネは少し唇を尖らせたが、ついてきた。
直進ルートは確かに速かった。道は平坦で障害物も少ない。一時間ほどで森の深部に入った。パネルが示す通り、最短距離だ。
ただ——途中、左手の斜面に白い小さな花が群生しているのが見えた。リーネが一瞬足を止めた。
「きれい」
それだけ言って、また歩き出した。花を摘もうとはしなかった。
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湿地帯の手前で、魔獣と遭遇した。
ロックバイパー。岩のような灰色の鱗を持つ大蛇。体長三メートルほど。木の根元に巻きついて、こちらを見ている。
パネルが出た。
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A:左に回り込んで頭部側面を狙う ……… 期待値 76
B:右に迂回して尾を押さえる ……… 期待値 63
C:正面から威嚇して退かせる ……… 期待値 45
D:戦わず迂回する ……… 期待値 58
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Aが76。左から回り込んで頭部の側面——鱗の合わせ目が薄い部分を狙う。
「リーネ、左から——」
言い終わる前に、リーネが走っていた。
右だ。右に走っている。Bの63の方。
「おい、左だ! 左から回り込め!」
「ごめん、体が先に動いた!」
リーネは蛇の尾の方に回り込み、剣を抜いた。蛇が反応して首を振る。リーネの方を向いた。
——尾を攻撃するつもりはない。蛇の注意を引いて、首を回させたのだ。
蛇がリーネに向き直った瞬間、頭部の側面がこちらに向いた。鱗の合わせ目が見える。
パネルが更新された。
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頭部側面への攻撃 ……… 期待値 84
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84。さっきの76より上がっている。リーネが注意を引いたことで、蛇が無防備になった。
走った。ナイフを逆手に持ち、鱗の合わせ目に突き立てた。蛇が跳ねた。体がうねる。リーネが反対側から剣を振り下ろし、首の付け根を断った。
静かになった。
二人で息を切らしている。
「……なんで右に行った」
「だってさ、あいつ右目が濁ってたっしょ。右側の視界が弱いなら、右から近づいた方が気づかれにくいじゃん」
右目が濁っていた?
パネルを見直す。ロックバイパーの情報は——期待値しか出ていない。目の状態なんて表示されていなかった。リーネは、パネルに出ない情報を見ていた。
「……お前、よく見てるな」
「見るっていうか、なんとなく。あいつの右側、反応が鈍かったから」
なんとなく。
ガレスが言っていた。「勘がいいやつは強い。理屈じゃなくて、体で分かるやつ」。
これがそれか。
パネルは「左から回り込め」と言った。リーネは「右に行った」。結果的に期待値は76から84に上がった。計算の外から来た行動が、計算を上書きした。
面白い。
面白いが、落ち着かない。パネルの指示と違う動きをされると、計算が狂う。今回はたまたまうまくいった。次もそうとは限らない。
——だが、うまくいったのは事実だ。
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月光草の群生地に着いた。
湿地帯の木陰に、青白く光る草が群生していた。月光草。名前の通り、光を受けると淡い青白い輝きを放つ。きれいだ。パネルには期待値しか出ないが、この光景は数字で測れない。
「うわー、きれい。こんなの初めて見た」
リーネが目を輝かせている。
採取を始めた。根元から丁寧に摘んで、二十束。パネルが「採取効率が最適な順序」を出してくれるので、俺は黙々とそれに従った。リーネは効率を無視して、光が強いやつから順に摘んでいた。効率は悪いが、楽しそうだ。
三十分ほどで二十束が揃った。
「ねえ、ハルト」
「ん?」
「さっきの蛇のとき、あたしが右に行ったの怒ってる?」
「怒ってはいない。驚いた」
「うまくいったっしょ?」
「結果的にはな。だが次は先に言ってくれ。『右に行く』と」
「言う暇なかったんだよ。体が先に動くんだもん」
困る。パネルで計画を立てても、実行者が計画通りに動かない。コンサル時代のプロジェクトと同じだ。計画は完璧、実行は未知数。
「じゃあこうしよう。俺が方向を指示する。お前がそれと違う動きをしたくなったら、一言だけ叫べ。『右』とか『上』とか。それだけでいい」
「それならできるかも」
「できるかも、じゃなくて、やれ」
「はいはい」
返事が軽い。やるかどうか怪しい。
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帰路。
来た道を戻る。パネルが帰りのルートを出す。直進、期待値73。
——ふと、リーネが足を止めた。
「ねえ、ちょっとだけ寄り道していい?」
「どこに」
「さっきの花。行きに見えたやつ。あの白いの」
行きに左手の斜面に見えた白い花。リーネが一瞬足を止めた場所だ。
パネルが出た。寄り道の期待値——61。直帰の73より12ポイント低い。
「直帰の方がいい。日が暮れる前にカラトに着きたい」
「五分だけ。五分で戻る」
「期待値が——」
言いかけて、止めた。期待値。何の期待値だ。帰路の安全性か。時間効率か。花を見ることの期待値は、パネルには含まれていない。そんな選択肢はそもそも出ない。
「……五分だぞ」
リーネが斜面を駆け上がっていった。白い花の群生地。しゃがみ込んで、花に顔を近づけている。
「なんて花だろ。すっごいいい匂い」
俺は斜面の下で待った。パネルには何も出ていない。寄り道の期待値61は、たぶん「日没までにカラトに着く確率」だ。花の匂いは含まれていない。
リーネが戻ってきた。手に白い花を一輪持っている。
「はい、お礼。寄り道付き合ってくれたから」
花を渡された。パネルが出る——「白い花を受け取る:???」。計算不能。
受け取った。
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鍾乳洞の近くを通ったとき、リーネが足を止めた。
「ねえ、あれ」
鍾乳洞の入口付近の岩壁に、不自然な爪痕があった。大きい。ロックバイパーのものではない。もっと大きな何かが、この岩を引っ掻いている。
近づいてみると、岩の表面に光るものがあった。結晶片。透明な、水晶のような破片が岩肌に埋まっている。微かに脈動するように光っている。
パネルが出た。
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鍾乳洞深部の脅威度
………………………… 判定不能
推奨行動:
ギルドに報告 ……… 期待値 81
調査のため侵入 ……… 期待値 ——
(データ不足)
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判定不能。パネルが脅威度を計算できていない。
「……帰ろう。これはギルドに報告する案件だ」
「うん。あたしもそう思う」
珍しくリーネが即答した。直感型の人間が、直感で「やばい」と感じている。それはパネルの判定不能より、ある意味で信頼できる情報だった。
二人で足早にその場を離れた。
帰り道、リーネが言った。
「ねえ、あの結晶みたいなやつ、生きてるみたいに光ってなかった?」
「見えた。脈打つように」
「あたしの勘だけどさ——あの洞窟の中に、なんかいるよ。でかいやつ」
パネルはそれについて何も言わない。判定不能。データ不足。
でもリーネの勘は、たぶん当たっている。




