期待値74の戦い方
硬いパン。灰色の粥。酸っぱすぎる漬物。
これが、期待値79の朝食だった。
パンは本当に硬い。テーブルに叩きつけたら武器になる。粥は灰色だ。灰色の粥というものがこの世界には存在するらしい。漬物は舌が痺れるほど酸っぱかった。
飯がまずい。壊滅的にまずい。
周囲を見ると、他の宿泊客も同じ顔をしていた。でも誰も文句を言わない。なぜか。カウンターの奥からマーレンが「お口に合いましたか?」と微笑みかけてくるからだ。あの琥珀色の目。あの笑み。あの笑顔に「まずい」と言える人間は、たぶんこの世界にいない。
——やられた。
期待値79。その内訳はマーレンの笑顔が八割、部屋が一割、飯が一割。いや、飯は一割もないかもしれない。パネルは総合値しか出さない。内訳は教えてくれない。79は嘘じゃなかった。ただ、79の中身が偏っていた。
硬いパンを灰色の粥に浸しながら、悔しがった。ガレスは「お勧めしない」と言っていた。あの微妙な顔は、これを知っていたからだ。
完全に騙された。いや、騙されたんじゃない。79を見て全部が79だと思い込んだ俺が悪い。
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ギルドに入ると、カウンター近くのテーブルにガレスがいた。朝からエールを飲んでいる。この男、朝から酒を飲むのか。
俺の顔を見た瞬間、ガレスが吹き出した。
「その顔。月桂樹だろう」
「……知ってたなら言ってくれ」
「お勧めしないとは言った」
「理由を言ってほしかった」
「言ったら学ばないだろう。冒険者の鉄則、見た目に騙されるな。——宿は銀の鋤亭に変えろ。飯はまともだし、風呂がある。あと、マーレンの笑顔で粥の味は変わらない」
期待値64の宿。総合値は低い。でも致命的な弱点がないほうが住むには向いている。
今朝で学んだ。期待値は嘘をつかないが、何が高いかまでは教えてくれない。
——まあ、使い方の問題だ。ツールに文句を言っても仕方ない。改善すればいい。
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さて、問題は金だ。
月桂樹に銀貨二枚。財布の中身は銅貨数枚まで減っている。銀の鋤亭に移るにしても宿代がいる。依頼をこなさないと今日の飯も危うい。
掲示板の前に立った。銅ランクの青い紙が五枚ある。
パネルが出る。
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薬草採取 ……… 期待値 42
井戸の清掃 ……… 期待値 38
荷物運搬(市場→倉庫) ……… 期待値 45
害獣駆除(農場のオオトカゲ) ……… 期待値 74
迷い猫の捜索 ……… 期待値 33
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害獣駆除が74。ぶっちぎりで高い。
報酬は銀貨八枚。農場を荒らすオオトカゲの群れを退治する依頼だ。推定四〜五匹。ゴブリンより手強そうだが、期待値74がそう言っているなら勝てる。
他の依頼は40前後。薬草を摘んで銅貨を稼ぐのは安全だが効率が悪い。金がない今、効率は正義だ。
迷い猫の捜索が33。最下位。猫はそもそも俺に応じてくれない。昨日の黒猫で学んだ。
青い紙を剥がして受付に持っていく。
「害獣駆除ですね。場所はカラト東門を出て街道沿いに三十分ほど、エルノ農場です。オオトカゲが三日前から作物を荒らしていて、農場主からの依頼になります」
「危険度は?」
「銅ランクの上位向けです。オオトカゲは個体で見れば大した脅威ではありませんが、群れで動くので、単独での対処は推奨しません」
単独だが。
「……お気をつけて」
受付嬢の目が一瞬、昨日のゴブリンの時と同じ色になった。「また無茶するのか、この銅ランク」という目。
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エルノ農場。街道から少し外れた丘陵地帯にある小さな農場だった。麦畑が広がり、その奥に果樹園。農場主の中年の男が柵の前で待っていた。
「ギルドの冒険者か。銅ランク……一人?」
「一人です」
「大丈夫なのか?」
「やってみます」
農場主の不安そうな顔を背に、畑に入る。
オオトカゲの痕跡はすぐに見つかった。麦の茎が踏み倒され、土に爪の跡が残っている。足跡は五つ分。五匹。推定通りだ。
パネルが出た。
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A:足跡を追って巣を探す ……… 期待値 71
B:畑で待ち伏せする ……… 期待値 65
C:果樹園の方から迂回する ……… 期待値 78
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Cが78。果樹園から迂回。なぜ迂回が最高値なのか。
果樹園の方角を見る。丘の斜面に沿って果樹が植わっていて、その裏手に小さな沢があるのが見える。水場だ。トカゲ類は水場の近くに巣を作る。沢沿いに回り込めば、群れが水を飲んでいるところを上から見下ろせるかもしれない。
ゴブリンの時と同じだ。高所を取って、先に相手を見つけて、主導権を握る。
果樹園を抜ける。林檎の木の下をくぐると、甘い匂いがした。地面に落ちた果実が発酵している。足元を気にしながら斜面を登る。
沢が見えた。
——いた。
灰緑色の鱗。体長一メートル半ほどのオオトカゲが三匹、水を飲んでいた。残り二匹は少し離れた岩の上で日を浴びている。全部で五匹。
上から見下ろす形になっている。向こうは気づいていない。風は横から吹いていて、匂いは流れていないはずだ。
パネルが出た。
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A:上から岩を落として水場の三匹を潰す ……… 期待値 69
B:発酵した林檎を投げ込み匂いで注意を逸らしてから岩場の二匹を先に仕留める ……… 期待値 82
C:正面から突入 ……… 期待値 28
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Bが82。面白い選択肢が出てきた。
水場の三匹は水を飲んでいる。岩場の二匹は日向ぼっこしている。群れのうち警戒度が高いのは岩場の方だ。爬虫類は日を浴びているときに体温が上がり、活動的になる。水場の方は水に集中していて反応が鈍い。
普通なら水場の鈍い方を先に叩くが、パネルはそうじゃないと言っている。発酵した林檎の匂いで水場の三匹を引きつけておいて、その隙に活動的な岩場の二匹を先に始末する。面倒な方から片付ける。
コンサル時代、クライアントの問題解決も同じだった。簡単な課題を先にやりたくなるが、本当は難しい課題から手をつけたほうが全体の期待値が上がる。
斜面を戻り、落ちた林檎を四つ拾った。発酵して柔らかい。甘ったるい匂いが手につく。
沢の上流に回り込み、水場の三匹から見える位置に林檎を投げた。ぼちゃん、と水音がして、甘い匂いが広がる。三匹が首を上げた。匂いの方に動き出す。水場から離れる。
今だ。
岩場の二匹に向かって斜面を駆け下りた。
一匹目。日向ぼっこから覚めたばかりで反応が一瞬遅い。パネルが出る——背後から首筋、期待値87。ナイフを首の付け根に突き立てた。鱗の隙間。ゴブリンとは違う硬い感触。だが刃は通った。
二匹目が振り返る。口を開けて威嚇してきた。鋭い歯が並んでいる。尾を振って距離を取ろうとする。
パネル。尾の振りの後、一瞬だけ体勢が崩れる——踏み込む期待値79。
尾が空を切った直後、踏み込んだ。側面からナイフを突く。腹の柔らかい部分。二匹目が短い悲鳴を上げて倒れた。
振り返る。水場の方を見る。三匹が林檎に気を取られている。まだ気づいていない。
ここからは一匹ずつだ。
林檎の近くまで忍び寄り、食べることに集中している個体の背後を取る。パネルが攻撃タイミングを示す。一匹、二匹。三匹目は異変に気づいて走り出したが、逃走ルートの予測が出る——右に回り込んで沢で足を滑らせるところを仕留めた。期待値81。
五匹。
全部倒した。
前回のゴブリンより手際が良かった。慣れてきたのか、それともパネルの使い方が上手くなったのか。たぶん両方だ。
手が震えていなかった。一匹目のときはまだ少し嫌な感触があったが、五匹目にはもう作業になっていた。それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。今は考えない。
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エルノ農場に戻ると、農場主が目を丸くした。
「もう終わったのか?」
「五匹、全部片付けました」
「……一人で?」
オオトカゲの尾を五本、証拠として見せた。農場主は尾を数え、それから俺の顔を見て、それからもう一度尾を見た。
「ギルドの報酬とは別に、ウチからもお礼がしたい。林檎を持っていってくれ」
木箱いっぱいの林檎をもらった。発酵していない、新鮮なやつだ。一つかじった。甘い。さっき武器として使った林檎とは別物だ。
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ギルドに戻る。オオトカゲの尾を五本カウンターに並べた。
「害獣駆除、完了です」
受付嬢が尾を確認し、銀貨八枚をカウンターに置いた。
「五匹、単独で。……報告書に記録しますね」
またあの声色だ。驚きを抑えた、事務的な声。前回のゴブリンの時と同じ。慣れてきた。こっちも。
銀貨八枚。これで銀の鋤亭の宿代と、しばらくの食費は確保できた。
林檎の箱を酒場のテーブルに置いて、一息ついた。
ここ二日間で、ゴブリン四体とオオトカゲ五匹を倒した。銅ランクの新人としては上々だろう。パネルの期待値に従えば、効率よく依頼をこなせる。金を稼げる。ランクも上がる。
この調子で行けば、月光草の依頼にも手が届くかもしれない。期待値74。パーティ推奨。仲間が要る。パネルで適性を見て、最適な相手を——
「だーかーらー、あたしは銀相当の実力はあるんだって! 今日登録したばっかだけど!」
カウンターの方から声が飛んできた。
甲高い、よく通る声。怒っているというより、呆れているような声色。
振り返ると、受付カウンターに身を乗り出している人影があった。小柄だ。赤銅色の短い髪が跳ねている。左右の長さが微妙に違う。自分で切ったのか。革鎧を着ていて、腰に剣を提げている。
「お気持ちはわかりますが、新規登録ですので銅ランクからになります。前のギルドの実績は——」
「だから辞めたんじゃなくて——いや、辞めたんだけど! 実力はあるんだって!」
受付嬢が困った顔をしている。周囲の冒険者が苦笑している。よくある光景なのかもしれない。
パネルが出た。
その赤銅色の髪の少女に対して。
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期待値 ——
72.1
46.9
88.3
???
53.7
91.0
???
64.2
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——は?
数値がちらついている。点滅している。一つの値に定まらない。
宿にも武器にもスープにも猫にも、パネルはちゃんと一つの数字を出していた。
なのにこの少女だけ、数値が跳ね回っている。
何だ、これ。
少女がふとこちらを向いた。翡翠色の目が、鼻梁の上のそばかす越しに俺を見た。
「——何見てんの?」
パネルが激しく明滅した。




