ちゃんと話さなかったけど
街道警備の依頼を受けた。
結晶鱗竜は銀パーティが討伐したが、竜が暴れた影響で周辺の生態系がまだ落ち着いていない。洞窟を追い出された小型の魔獣が街道沿いに散っていて、商隊の安全が確保できない。ギルドは鉄ランク以上の冒険者に街道の巡回警備を依頼していた。
カラトの北門から鍾乳洞方面の街道まで、往復で丸一日。それを三日間繰り返す。日中は街道を歩いて目視で確認、夜は街道沿いの休憩所で野営。派手な依頼ではない。パネルの期待値は72。安定した数字だ。
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一日目。
朝の街道は静かだった。石畳ではなく、土を踏み固めただけの道。轍の跡が乾いた泥に残っている。道の両側は丈の低い草地で、ところどころに灌木が茂っている。見通しはいい。
リーネが隣を歩いている。剣を腰に差して、ときどき道の脇をきょろきょろ見ている。
「何探してるんだ」
「んー、野いちごとか生えてないかなって」
「依頼中だぞ」
「歩きながらでも探せるっしょ」
結局、野いちごは見つからなかった。代わりに道の脇に蜥蜴がいた。リーネが足を止めて見ている。
「こいつ魔獣?」
「ただの蜥蜴だろう」
「だよね。かわいい」
パネルには何も出ない。蜥蜴に期待値は出ない。脅威でもなければ選択肢でもないから。
午前中は何も起きなかった。街道を歩き、すれ違う商人に声をかけ、「魔獣は見ましたか」と聞く。「今日は見てないね」。それだけ。
昼過ぎ、街道の脇の岩場に小型の魔獣の巣穴を見つけた。穴の周りに爪痕がある。パネルが出た。
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巣穴を調べる ……… 期待値 65
通過する ……… 期待値 71
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通過の方が高い。巣穴を突いて魔獣を刺激するより、位置を記録してギルドに報告する方がいい。
「記録だけして進むぞ」
「了解」
巣穴の位置を地図に書き込む。リーネが穴の大きさを目測で測り、「こぶし三つ分くらい? 小さいね」と言った。
そういう観察力は、リーネの方が上だ。俺はパネルで数字を見ているが、穴の大きさを目で測ることはしない。
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夕方、街道沿いの休憩所に着いた。石造りの小屋と、焚き火用の石組みだけがある簡素な場所。屋根はあるが壁は半分しかない。風が通る。
リーネが薪を集め、俺が火を起こした。暗くなるのが早い。冬が近づいている。
リーネが飯を作った。干し肉と根菜を鍋に放り込んだだけの雑な煮込み。
「料理できるのか」
「できるよ。切って入れて火にかけるだけだけど、立派な料理っしょ」
食べた。味は薄い。でも温かい。野営で食べる温かいものは、それだけで価値がある。
飯を食い終わって、焚き火の前で座っている。やることがない。依頼の報告書を書き終えると、もうやることがなかった。
リーネは剣の手入れをしていた。布で刃を拭いて、鞘に戻して、また抜いて拭く。丁寧な手つき。剣を振るときの大雑把さとは別人のようだ。
「毎日やるのか、それ」
「毎日。父親がうるさかったから。『剣は相棒だ、手入れを怠るな』って。もう癖になっちゃった」
「父親も冒険者か」
「うん。もう引退したけどね。田舎で母さんと暮らしてる」
リーネの口から家族の話が出たのは初めてだった。
「たまに手紙書くんだけどさ、あたし字が下手だから、いつも短くなっちゃう」
「何て書くんだ」
「『元気です。ごはん食べてます』。大体それ」
「短いな」
「だって元気だし、ごはん食べてるし。嘘じゃないっしょ」
焚き火が爆ぜる。火の粉が闇に散って、一瞬だけ星と見分けがつかなくなる。
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二日目。
午前中、街道の曲がり角で大型のトカゲに遭遇した。オオトカゲほどではないが、商人が一人で出くわしたら逃げるくらいの大きさ。
パネルが出た。
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戦闘で排除 ……… 期待値 78
威嚇して追い払う ……… 期待値 72
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「追い払えばいい。殺す必要はない」
「あいよ」
リーネが剣を抜いて、トカゲの前で地面を叩いた。金属が石に当たる音がびりびりと響く。トカゲが首を振って、草地の奥に走っていった。
「簡単っしょ」
「ああ」
パネルは78の方が高かったが、72の「追い払う」を選んだ。理由は——特にない。殺す必要がないと思ったから。リーネも追い払うつもりで動いていたから。
78と72の差は6ポイント。この6ポイントに何が含まれているのか、考えなかった。
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二日目の夜。
焚き火の前で飯を食いながら、リーネが聞いてきた。
「ねえ、ハルト」
「ん」
「あんたってさ、冒険者になる前は何してたの?」
聞かれたのは初めてだった。出会った日に俺がリーネに「前の街を出た理由は?」と聞いて、リーネは「合わなくてさ」で流した。あれ以来、互いの過去には踏み込まない暗黙のルールができていた。
「……普通に働いてた。分析の仕事」
「分析?」
「数字を扱う仕事だ。データを見て、最適な判断を提案する」
「へえ。今と似てるね」
「似てるかもな」
「好きだった? その仕事」
考えた。好きだったか。
「……得意ではあった」
「好きかどうかは?」
「考えたことなかった」
リーネが少し黙った。焚き火の光が翡翠の目に揺れている。
「あたしはさ、剣を振るのが好きなんだよね。理由はないよ。気づいたら好きだった。たぶん最初は、父親が剣士だったからだけど。今はもう、好きだから振ってるだけ」
「シンプルだな」
「シンプルっしょ」
リーネが枝で焚き火をつついた。火の粉が舞った。
「——でもさ、前のパーティじゃ、それが駄目だったんだよね」
声のトーンは変わらなかった。焚き火の前の雑談の延長のまま。でも目が火を見ていて、こっちを向かなかった。
「ちゃんと話さなかったけどさ。合わなかったっていうか——あたしのやり方が、駄目だったの」
俺は黙って聞いた。
「リーダーがさ、すごい人だったの。頭が良くて、作戦を立てるのがうまくて。あの人の言う通りにやれば、大体うまくいった」
リーネの声は淡々としている。怒っているのでも悲しんでいるのでもなく、ただ過去の話をしている。
「でもあたし、言う通りにやるのが苦手でさ。体が先に動いちゃうから。右って言われても、なんか違う方がいい気がしたらそっちに行っちゃう」
ロックバイパー戦を思い出した。俺が「左から」と言いかけたのに、リーネは右に行った。蛇の右目の濁りを見抜いて。
「あたしのやり方じゃダメだって言われた。もっと言うこと聞くやつが欲しかったんだと思う」
枝が折れて、焚き火に落ちた。ぱちん、と小さな音がした。
「正しかったんだろうね、あの人は。連携のこと考えたら、指示通りに動く人間の方がパーティは安定する。あたしがいると計算が狂うって、そう言われたら——まあ、そうだろうなって」
「……お前はどう思ったんだ」
「どう思ったか?」
リーネが少し考えた。
「正しかったんだろうね、あの人は。でもあたしは、あの正しさが苦手だった」
苦手。嫌いではなく、苦手。
「自分が間違ってるって分かってるのに、体が動いちゃうの。止められないの。それが嫌で、でも止めたら自分じゃなくなる気がして。——だからギルドごと辞めた。逃げたって言われたら、まあそうかもしれない」
リーネは笑わなかった。笑い飛ばすには少し近すぎる話だったのかもしれない。
俺は黙って聞いていた。
——正しさが苦手だった。
正しい判断をする人間の隣にいて、自分のやり方が「正しくない」と扱われることが。
それは。
俺がパネルでやっていることと、何が違うのか。
答えは出ない。出ないが、一つだけ言えることがあった。
「俺はお前がいなきゃ鉱夫を助けられなかった」
リーネが顔を上げた。
「まあね」
少し笑った。いつものリーネの笑い方だった。泣きそうでもなく、強がりでもなく。ただ「まあね」。
「——ありがと、聞いてくれて」
「別に何もしてない」
「聞いてくれるだけでいいんだよ、こういうのは」
焚き火が小さくなっていた。薪を足す。リーネが膝を抱えて火を見ている。そばかすの影が揺れている。
虫の声が遠くに聞こえる。星が多い。風が冷たくなってきた。冬が近い。
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三日目。
最終日の巡回は穏やかだった。小型の魔獣を二匹ほど追い払い、巣穴を一つ記録した。リーネは昨夜のことを引きずっていなかった。いつも通り、道端の花を見たり、虫を避けたりしている。
午後、帰路の途中でリーネが足を止めた。街道脇の茂みに何かいる。
「……猫?」
野良猫だった。灰色の毛並み。痩せている。リーネが屈んで手を差し出すと、猫が少しだけ近づいて、匂いを嗅いで、逃げた。
「あー、惜しい」
「依頼中だぞ」
「わかってるって」
立ち上がって歩き出したが、三歩進んで振り返った。猫はもういなかった。
「今度、干し肉持ってこよ」
「依頼中に猫に餌をやるな」
「依頼が終わってからでしょ。次来たとき」
次来たとき。次もこの街道を歩くつもりでいる。俺たちが、一緒に。
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カラトに戻る前の最後の野営。リーネがまた煮込みを作った。今度は塩を多めに入れていた。
「昨日薄かったから」
「一昨日な」
「細かいな」
「美味いよ」
「でしょ」
リーネが得意そうに笑う。煮込みを食べながら、星を見ている。
「ねえ、ハルト」
「ん」
「あたしの剣のやり方、このパーティでも駄目だったら——」
「駄目じゃない」
即答していた。パネルは出ていない。
リーネが少し目を丸くした。
「……即答だね」
「ロックバイパーのとき、お前が右に行ったから勝てた。鉱夫の救出のときも、お前がいたから成功した。お前のやり方が駄目だったことは、一度もない」
言ってから、少し恥ずかしくなった。長く喋りすぎた。
リーネは黙っていた。しばらく黙って、それから鍋の煮込みをもう一口すくった。
「……おかわりいる?」
「もらう」
煮込みは温かかった。
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カラトに戻った。
ギルドに報告を済ませ、報酬を受け取る。三日間の街道警備、特記事項なし。巣穴三箇所、小型魔獣の排除五匹。地味な報告書だ。
受付のカウンターを離れようとしたとき、リーネが立ち止まった。
「ねえ、ハルト」
「ん」
「あたしたちさ、ちゃんとパーティ組まない? 臨時じゃなくて」
振り返る。リーネはいつもの顔をしていた。特別な表情ではない。ラム肉を頼むときと同じ顔。迷いゼロ。
パネルが出た。
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リーネとパーティを組む
……… 期待値 7█.█——4█
??.█——██.3——??——
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バグっている。数値が跳ね回っている。出会った日からずっとそうだ。リーネに関する期待値は、一つの数字に定まらない。
——知ってた。
「……やっとか、って言わないのか」
「何それ」
「お前が言いそうだと思った」
「やっとか」
リーネが笑った。
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ギルドで正式にパーティ登録をした。
「パーティ名はいかがしますか?」
受付嬢がペンを持って待っている。
リーネと顔を見合わせた。
「……決めてない」
「あたしも」
「後日届け出でも構いませんよ。——では、パーティリーダーは?」
「俺です」
自然に出た。リーネが「どうぞ」と促す。
書類にサインする。ハルトとリーネ。鉄ランクの二人パーティ。名前なし。
受付嬢が書類を受け取って、「承認します」と言った。
リーネが鉄の銘板を袖で磨いていた。磨いても光らないやつ。でも嬉しそうだった。
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ギルドを出ると、夕方の風が吹いていた。カラトの街が夕日に染まっている。市場の片付けが始まっていて、果物屋のおばさんが声を上げている。
「飯、食いに行くっしょ」
「ああ」
ギルドの酒場に入る。パネルが出た。スープ76、ラム肉68。
「……スープで」
「あたしラム肉!」
いつも通りだ。
スープが来た。美味い。いつも通りに美味い。リーネのラム肉がちらりと視界に入る。いつも通り。
でも今日は、なんとなくいつもの「いつも通り」とは違う気がした。
パーティを組んだからかもしれない。正式に。臨時じゃなくて。
リーネがラム肉を頬張りながら「明日さ、何の依頼受ける?」と聞いてくる。
「……まだ見てない」
「え、珍しいね。いつも先に決めてるのに」
そうだな。珍しい。
夕暮れのカラトの街。ギルドの酒場は賑やかで、冒険者たちの声が響いている。その中で、俺たちは向かい合って飯を食っている。スープとラム肉。
明日の依頼は、明日考えよう。
今はこのスープが温かい。それでいい。
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第1巻・了




