第28話 王都の闇と禁忌の契約
王都の広大な敷地を誇るルシアの実家、その当主の執務室。
最高級の調度品に囲まれた部屋の中央で、第一魔導騎士団の部隊長であるガルスは、床に這いつくばるようにして震えていた。
「弁明は終わりか、ガルス。我が一族の恥晒しめ」
巨大なマホガニーの机の向こうから、冷酷な声が落ちてくる。ルシアとガルスの父親であり、王都の軍事予算を牛耳る冷徹な当主だ。
「父上、違うのです! あいつらは辺境で未知の魔獣を手懐け、それに、あの忌々しい全属性の女まで……!」
「黙れ。国が誇る精鋭部隊が、魔力ゼロの出来損ないと落ちこぼれの子供三人に壊滅させられたのだ。この事実を魔物の襲撃として隠蔽するために、どれほどの工作が必要だったと思っている」
父親は忌々しそうに舌打ちをすると、部屋の暗がりのソファに座る男へ視線を向けた。
「ザガン。貴様の計画も杜撰すぎるぞ。辺境の魔物を武装させて我が騎士団に討伐させ、軍の権力を完全に掌握する。そう約束したからこそ、私は貴様に莫大な裏金と武器を提供してやったのだ。対等のビジネスパートナーとしての義務を果たしてもらおうか」
「これは厳しい。だが、怒らないでいただきたい」
暗がりから立ち上がったのは、漆黒の外套に二本の角を持つ魔族、ザガンだった。
だが父親は、目の前の存在が伝説の魔族であるとは夢にも思っていない。ただの優秀な闇の魔術師であり、自分が資金で飼い慣らしている手駒だと勘違いしているのだ。
ザガンは父親の無礼な態度を不快に思うどころか、むしろ滑稽な見世物として楽しんでいるようだった。
「辺境の計画が頓挫したのは事実。だが、ルシアくんという規格外の怪物を発見できたのは、私にとっても貴方にとっても極上の成果ですよ。彼の物理的な腕力は、魔法の常識を覆す」
「ふん。魔力を持たぬゴミがいくら腕力を鍛えようが、この王都の強固な権力と大魔術の前には無力だ。ガルス、貴様はもう用済みだ。下がれ。これ以上、私の視界に入るな」
絶対的な父親からの見捨ての宣告。
ガルスは顔面を蒼白にし、ふらふらとした足取りで執務室を後にした。
数時間後。ガルスの自室。
彼は暗闇の中で、厳重な隠し金庫から取り出した一冊の古書を抱きしめていた。
表紙に禍々しい悪魔が描かれた、禁忌の魔導書。
数日前にこの本を手に取った時から、彼の精神はすでに後戻りできない場所まで追い詰められていた。
「私は、エリートだ。あんな無能な弟に、全てを奪われてたまるか」
ブツブツと狂気じみた言葉を繰り返すガルスの背後に、音もなくザガンが滲み出た。
「良い目をしているね、ガルスくん。エリートの皮が剥がれ落ち、純粋な憎悪だけが残ったその瞳。私は好きだよ」
「ザガン! 貴様、なぜ私の部屋に」
「お父上は君を見限った。だが、私は君のその執念を高く評価している。君が抱えているその本、歴史の闇に葬られた悪魔召喚の術式だろう? それを使えば、憎き弟を肉片に変える絶大な魔力が手に入る」
ザガンの甘い囁きが、ガルスの最後の理性を溶かしていく。
「お前は、何が目的だ」
「ただの観客さ。絶望した人間が、禁忌に手を染めてどう壊れていくのか。そして、あのルシアくんがそれをどうやって叩き斬るのか。私はそれが見たいだけなんだよ」
ガルスは震える手で、魔導書の表紙を開いた。
途端に、部屋の空気が凍りつき、床に描かれたことのない血文字の魔法陣が浮かび上がる。
「力を。私に、ルシアを殺すだけの絶対的な力を!」
ガルスが絶叫すると同時に、魔導書から噴き出した漆黒の瘴気が彼の体を包み込んだ。
王都の夜闇の中で、かつてのエリート騎士は、人間の枠を外れた最凶の怪物へと変貌を遂げようとしていた。
その様子を、ザガンは満面の笑みで見つめながら、静かに部屋の闇へと溶けていった。




