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第27話 氷砕と逃亡

雪原のど真ん中。テオは迷宮で手に入れた蜘蛛の魔物の糸を雪の中に張り巡らせ、中央にステラが限界まで圧縮した火属性の魔力球を設置した。


「幻狐は魔法を食べる。これだけ高純度の魔力なら、絶対に食いつくはずだ。ルシアくん、あの子をこの中心に追い込んでくれ」

「わかった」


俺は黒狼を鞘に納めたまま、雪に足を取られないよう姿勢を低くして走り出した。

幻狐が俺をからかうように跳ね回る。

俺は狐そのものを狙うのではなく、狐が着地する寸前の雪面に向かって、極限まで威力を絞った身体強化の打撃を叩き込んだ。


ドンッ、という鈍い音とともに、雪と下の氷が弾け飛ぶ。

着地点を物理的に破壊され、狐は空中で慌てて軌道を変えた。


「そっちは行き止まりだ」


狐が逃げようとする先々の雪面を、俺の打撃が正確に砕いていく。

力任せに振れば雪原ごと吹き飛ばしてしまう。ミリ単位の力加減と精密なコントロール。王都の騎士団を両断するよりも、よほど神経を使う作業だった。


雪を砕かれ、逃げ道を限定された幻狐は、やがてテオが罠を仕掛けたポイントへと追い詰められた。


「よし、かかった!」


狐がステラの魔力球に気を取られ、それをパクリと飲み込んだ瞬間、テオが不可視の蜘蛛の糸を引っ張った。

四方から粘着性のある強靭な糸が狐を包み込み、完全に拘束する。


「やった! 捕まえたよ!」

ステラが歓声を上げて駆け寄ろうとした、その時だった。


「キュウゥゥゥッ!」


幻狐が甲高い鳴き声を上げると、その美しい毛並みがステラの火属性の魔力で赤く発光し始めた。

狐は飲み込んだ魔力を自身の体表で爆発させ、極限の熱量で蜘蛛の糸を一瞬にして焼き切ってしまったのだ。


「嘘だろ、捕獲用の糸を相手の魔法で焼き切るなんて……!」


テオが呆然とする中、拘束を解かれた幻狐は、雪を蹴って一気に数十メートル先へ跳躍した。

そして、こちらを振り返って「キュン」と一度だけ鳴くと、そのまま吹雪が混じり始めた真っ白な景色の中へと溶けるように消えていった。


「……逃げられたな」

俺がため息をつきながら雪を払うと、空から大粒の雪が猛烈な勢いで落ちてきた。


第28話 猛吹雪の夜


幻狐を取り逃がした直後、北の大地特有の猛吹雪が俺たちを襲った。

視界は完全に白く染まり、一歩進むことすら困難な暴風雪だ。


「ルシアくん、このままじゃ本当に遭難する! 近くに氷の洞窟があるはずだ、そこに避難しよう!」

テオの叫び声も風にかき消されそうになる。


俺たちは肩を寄せ合い、凍りつくような風を耐え凌ぎながら、なんとか巨大な氷の洞窟へと転がり込んだ。


「はぁ、はぁ……死ぬかと思った……」

ステラがへたり込み、濡れたフードを脱ぐ。


俺は洞窟の中にあった枯れ木や苔を集め、ステラに小さな火を点けてもらった。

チロチロと燃える焚き火の周りを三人で囲む。テオの懐では、すっかり硬くなってしまったアマルが湯たんぽ代わりに火に近づけられていた。


「ごめんね、僕の罠が甘かったせいで、あの子に逃げられちゃった」

温かいスープを入れたマグカップを両手で包みながら、テオが申し訳なそうに俯く。


「気にするな。あの狐、最後は俺たちの力加減を完全に読んで遊んでいた。頭の良さも身体能力も、桁違いだったよ」

俺が言うと、ステラも隣で小さく笑った。


「悔しいけど、すごく綺麗で賢い狐だったね。私の魔法も、あんな風に使われるなんて思わなかったし」


王都の騎士団や魔物たちとの、命の削り合いのような戦闘。

それに比べれば、知恵を絞って幻の獣と追いかけっこをした今日の敗北は、不思議と心地よい疲労感だけを残していた。


「……俺は、ずっと強さだけを求めて剣を振ってきた。だが、こういう勝敗のつかない疲労も、悪くないな」


俺がポツリとこぼすと、テオとステラは驚いたように顔を見合わせ、それから嬉しそうに微笑んだ。


「うん。いつか絶対に、僕たちの罠で捕まえてやろうね」

「その時は、もっと美味しい魔法を用意してあげなきゃ」


氷の洞窟の中で、外の猛吹雪を忘れるような穏やかな笑い声が響いた。

落ちこぼれと呼ばれた三人が、肩を並べて火を囲む。

それは、前世では決して手に入らなかった、何よりも温かい時間だった。


第29話 幻とオーロラ


数時間後。

洞窟の外で吹き荒れていた風の音が、嘘のようにピタリと止んだ。


「吹雪が、やんだみたい」


ステラが立ち上がり、洞窟の入り口へと向かう。

俺とテオもその後を追い、外の景色を見て言葉を失った。


猛吹雪によって空気中の塵がすべて落とされた、極寒の澄み切った夜空。

そこに、空全体を覆い尽くすほどの、巨大な光のカーテンが揺らめいていた。


「うわぁ……」


緑、紫、そして淡い赤。

無数の色彩が波打ちながら、星空を背景に幻想的なダンスを踊っている。

村の猟師が言っていた通り、大吹雪の後の最高の条件が揃ったことで現れた、奇跡のような絶景だった。


「すごい……こんな綺麗な景色、見たことないよ……」

ステラが両手で口元を押さえ、涙ぐみながら夜空を見上げる。


テオも、寒さで硬くなっていたアマルを懐から半分出し、一緒にその光の幕を眺めていた。

俺は無言のまま、ただその圧倒的な自然の美しさを瞳に焼き付けていた。


ふと、雪原の遠くに視線を移す。

オーロラの淡い光に照らされた小高い氷の丘の上に、小さな白いシルエットがあった。

白銀の幻狐だ。

狐は逃げ去ったわけではなく、俺たちと同じように、この光のカーテンを見上げていたのだ。


狐はこちらに気づくと、ふさふさの尻尾を一度だけ揺らし、今度こそ夜の雪原の奥深くへと消えていった。


「あいつ、俺たちにこの特等席を譲ってくれたのかもしれないな」

俺が呟くと、ステラとテオも狐が消えた方向を見て優しく笑った。


「またいつか、あの子に会いに行こうね」

「ああ。次は絶対に逃がさないさ」


俺たちは極寒の雪原で、空を彩るオーロラをいつまでも眺めていた。

捕獲依頼は失敗に終わったが、俺たちの胸の中には、どんな高価な素材よりも価値のある、確かな記憶が刻み込まれていた。


王都の陰謀も、迫り来る魔族の脅威も、今夜だけは関係ない。

俺たちの果てしない冒険は、まだ始まったばかりだ。

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