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転生の魔女  作者: RUSA
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5生 ep.44

阿鼻叫喚の嵐が去ったヌビア港。夕闇が迫る城壁の上には、潮風に混じって濃厚な鉄の臭いが漂っていた。勝鬨かちどきを上げる兵士たちの声を背に、一人の少女が海を見下ろしている。




夕陽が、ヌビアの街をどす黒い赤に染め上げていく。




城壁の縁に立つミーナの軽鎧は、返り血を浴びて不気味な模様を描いていた。




かつての「白薔薇」の面影はどこにもない。そこにあるのは、一つの都市を謀略で食い破った、年若き支配者の姿だった。




「……終わったね、ミーナ」


背後から歩み寄ったイブンが、絞り出すような声で言った。




彼の視線は、眼下の広場で芋虫のように縛り上げられ、引き立てられていくヌビアの有力者たちに注がれている。




かつて奴隷たちを虐げた「支配構造」を、自分たちが暴力で上書きした。


その事実に、イブンの胸中は今も複雑な震えを抱えていた。




だが、ミーナは振り返らなかった。


彼女は、血に汚れた細い指で、自身の頬にこびりついた乾いた赤をなぞる。




「ねえ、イブン……」


その声は、戦場を支配した冷徹な司令官のものではない。


どこか虚ろで、縋るような、脆い少女の本音だった。




「……これで、私を一人前と認めてくださるかしら。エンヴァ様は」




イブンは息を呑んだ。


数千の命を奪い、西方の部族長達を蹂躙し、難攻不落の要塞を陥落させ、レオ王国の版図を倍に広げた。


その歴史的な大快挙を成し遂げた直後の彼女が求めていたのは、勝利の余韻でも、奪った富でもなかった。




ただ一点。


あの銀髪の魔女――自分たちを地獄から拾い上げた師からの「承認」だけ。




「……セトは、あんなに鮮やかに要塞を落としたわ。エンヴァ様は、彼に『ご褒美』をあげた。……私は、これだけやれば、彼女の瞳に映るにふさわしい存在になれたかしら」




震える肩。


血の臭い。




ミーナが積み上げた死体の山は、すべて、たった一人の女性に振り向いてほしいという、あまりに純粋で、あまりに歪んだ「愛情」の供物だったのだ。




「……もう十分だよ、ミーナ」


イブンは、血に染まった彼女の肩に、そっと自分のマントをかけた。




少女の瞳に宿る、かつての絶望と同じ色の光。


それは、どれだけの国を奪っても、どれだけの血を流しても、永遠に満たされることのない「渇き」そのものに見えた。






「……合議制そんなもの、一晩でゴミ箱行きね」


ミーナは、かつて元老院と呼ばれた議事堂の、最高権力者が座る椅子に深く身を沈めた。




壁に飾られた百年の歴史を物語る肖像画たちは、今はすべて床に転がり、レオ王国の兵士たちの泥靴に踏みつけられている。




「一国にも値する」




と謳われた富の都ヌビア。




その支配構造を根底から破壊し、彼女は新たな秩序を書き換えようとしていた。




そこへ、イブンが父王からの親書を携えて現れる。




「……ミーナ。父上からの返答だ。『二人はそのままヌビアを治めよ。追加の兵を一万送る』……と」


イブンの声には、戸惑いと、引き返せない場所まで来てしまったという覚悟が混じっていた。




追加の一万という数字は、もはや「駐屯」ではなく「支配」の継続を意味している。




「ヌビアの王と、王妃になれということか。……僕たちが」


「そうね。……そうみたいね」


ミーナは窓の外、自国の旗が翻る港を見下ろしながら満足げに微笑んだ。




返り血を拭ったその横顔には、支配者としての艶やかな美しさが宿っている。


独立都市を合議で治める時代は終わった。 これからは、恐怖と、軍事力と、そして何より「魔女の教え」を背負った一人の王が支配する時代だ。




「……よろしくね、ヌビア王。私もしっかりと王妃を演じてあげるわ」


かくして、イブンを初代国王とする「ヌビア王国」がここに建国された。




それは、砂漠の勢力図が完全に塗り替えられ、帝国への反撃の烽火のろしが上がる、決定的な瞬間であった。










南北で挙げられた劇的な戦果。




セトが血と病で奪い取ったモグス要塞は、今や帝国を睨みつける砂漠の巨大な「くさび」へと変貌を遂げつつあった。




「……ここと、ここと、ここね。あと、ここもかしら」


銀髪を砂風に遊ばせながら、エンヴァは淡々と、まるで庭の手入れでもするかのように要塞の地面を指差した。




その指先が示した場所を、セトの工兵たちが半信半疑で掘り返す。


すると、乾いた土を割って、驚くほど澄んだ水が勢いよく噴き出した。


「……出たぞ! 水だ! 豊かな水脈だッ!」


兵士たちの歓喜が、堅牢な石壁に反響する。




もともとモグス要塞は近隣のオアシスに依存していた。




だが、そこから水を汲むためには常に城外へ兵を出すリスクが伴う。


エンヴァが見つけ出したのは、要塞の深奥に眠る、誰にも知られていなかった「隠れた静脈」だった。




「……さすがはエンヴァ様。これで、籠城の懸念は完全に払拭されました」


傍らでその光景を見守るセトが、静かに頭を垂れる。




かつて彼自らが腐敗させた井戸も、徹底した水の入れ替えと浄化によって、再び清冽な輝きを取り戻していた。


セトは兵力の三分の一をこの地に留め、さらなる要塞化を推し進めている。


帝国の再侵攻を阻む盾であり、同時に彼らの「聖域」を守る鉄壁の門。


水を得た要塞は、もはや単なる拠点ではない。


砂漠のど真ん中で自律し、永久に戦い続けられる「生きた城」へと昇華したのだ。








「……信じられないわ。こんなに、儲かるの?」


一方ヌビア王城の最上階、かつて招かれた執行官の館をそのまま流用していた。




没収した帳簿の山を前に、ミーナは呆れたような、それでいて艶やかな溜息を漏らした。




港の流通、水と食料の補給、各国が競って荷を預ける巨大倉庫の利用料、そして巨大な帆船のメンテナンスドック――。




海運にまつわるあらゆる利権が、今や彼女の手の内に転がり込んでいる。




毎日、地平線から現れる大型船のすべてが、この街に、彼女の足元に金を落としていくのだ。




だが、ミーナを一番驚かせたのは、前支配者たちが溜め込んでいた「負の遺産」だった。


港の隅に建てられた館。


そこにはあわせて592人の女奴隷が集められていた。




いずれ売られる、それまではせいぜい楽しませて貰う。


それらすべてはヌビアの執行官の所有とされ、元老院との共有財産として管理されていた。




「……何? どうしてこれほどの女奴隷が必要なの? もしかして彼ら、バカなの? 底なしなの?」


奴隷館に押し込められていた、各国から集められた女たちの数と、その異常なまでの執着。




かつて自らもその立場にいたミーナにとって、それは理解しがたい「愚行」の極致に映った。


だが、彼女はその嫌悪感さえも即座に「武器」へと変える。




「いいわ。このガラクタ(財宝)も女たちも、すべて有効活用してあげる」


ミーナは没収した金銀と女達を惜しみなく使い、各国へと凄腕の商人を飛ばした。




その交易先リストの筆頭には、あろうことか敵対する『帝国』の名が刻まれている。


断りきれないほどの莫大な利益、希少なスパイス、そして莫大な賄賂と女達による甘美な誘惑。




ヌビアを陥落させた時と同じだ。ミーナは交易という名の細い糸を使い、帝国の深部へと、じわりと回る「毒」をばらまき始めていた。








帝国が誇った軍事的な優位は、今や見る影もない。




北には「動かぬ盾」、南には「底なしの矛」。


そしてその背後には、すべてを操る「魔女の影」。




帝国は、自らが敷いたはずの支配の地図の上で、身動きの取れない死地へと追い込まれていた。




「……手が出せない。そう言うしかないのか、この偉大なる帝国軍が!」


帝都の作戦会議室。




地図を叩きつける将軍の拳が、虚しく響いた。




かつては「砂漠の小国」と侮っていた勢力が、今や帝国の喉元を締め上げる巨大な三つのあぎへと変貌している。



北方に目を向ければ、そこにはセトが居座るモグス要塞が、鉄壁の威容を誇っている。




難攻不落。




その言葉を形にしたような要塞を落とすには、数倍の兵力と数ヶ月の月日を要する。




だが、時間をかければかけるほど、本国からセトの援軍が到着し、帝国軍は砂漠の真ん中で挟み撃ちの餌食となるだろう。





ならば、と南に目を転じても、そこにはさらに絶望的な光景が広がっていた。




「……ヌビアの兵力、三万だと?」


「はっ。莫大な財力に物を言わせ、装備も練度も最新鋭……。背後にはレオ王の軍勢が控えており、迂闊に手を出せば背後から食い破られます」




かつては金さえ払えば懐柔できた独立都市が、今はイブンとミーナという「若き獅子」の統治下にある。




三万の精鋭が守る港湾要塞を正面から抜くなど、自殺行為に等しい。




最悪なのは、レオとイブンの両王国が南方の街道を使い、帝国本土へ直接攻め込んでくる可能性だ。




「北を攻めれば南から、南を攻めれば北から……。我々は、自ら掘った落とし穴の中にいるようなものだ」




帝国が手も足も出せない空白の時間。






もう一つ、ヌビアの浸透工作が帝国軍内部にまで入り込んでいる事。


帝国の名だたる将軍やその部下、奥方や娘にまで浸透しているヌビアの存在は帝国そのものを「和平」へと導くものであった。






ーーそして、魔女。


密偵の報告によると、ヌビアにおいても魔女エンヴァの姿を見たと報告があがっている。


いずれ影武者であろうが、魔女がどこにいるか解らない状態で無暗に軍を向ける事は帝国軍はできなかった。






砂漠を塗り替えた激動の数か月。


だが、その中心にいるはずの銀髪の魔女は、驚くほど静かに、ただ傍観者としてこの光景を眺めていた。




「……ふふ。すっかり『女王様』の顔になったわね、ミーナ」


ヌビア王城の最上階。夜風が潮の香りを運ぶ寝所で、エンヴァは自らの腕の中に潜り込んできた少女の髪を、慈しむように撫でた。




あの日、ミーナの結婚式に現れた「お姉さま」の気配は、あれ以来ぷっつりと途絶えている。




この3か国の快進撃に、エンヴァはほとんど関与していない。




要塞を落としたのも、港を奪ったのも、帝国を詰みの盤面に追い込んだのも。


すべては彼女の周囲に集まった人間たちが、自らの意志で、自らの手を血に染めて成し遂げたことだ。




だが、今この瞬間だけは、ミーナも「ヌビア王妃」という重苦しい仮面を脱ぎ捨てていた。


「……エンヴァ様。私、ちゃんと出来ていたかしら」


甘えるようにエンヴァの胸に顔を埋め、離れようとしない。




そこには、三万の兵を操る冷徹な指揮官も、奴隷を資産として冷酷に値踏みする戦略家もいない。ただの、主人の体温を求める「魔女の所有物」としてのミーナ。




国を背負う責任も、裏切りを警戒する重圧もない。


年相応の少女に戻った彼女は、母とも、姉とも、あるいは神とも慕うエンヴァの温もりに包まれ、深い安らぎの中にいた。




「ええ。とてもよくやったわ。……あのセトも、あなたも」


エンヴァの細い指がミーナの背中を叩く。そのリズムは、まるで死へ向かう行進曲マーチのように穏やかで、優しかった。




月明かりが差し込むヌビア王城の寝所。昼間の苛烈な王妃としての顔はどこにもなく、そこにあるのは、ただ一人のあるじにすべてを委ねた、無垢で空虚な「器」としての少女だった。




エンヴァの銀髪が、ミーナの火照った頬を撫でる。




これまで数多の政敵を震え上がらせ、三万の軍勢を率いて一国を築き上げたミーナだったが、エンヴァの冷ややかな指先が触れるだけで、その心根は熟しすぎた果実のように脆く崩れ去った。




「……よく頑張ったわね、ミーナ」


その囁きと共に、エンヴァの唇がセトの時と同じように、ミーナの震える唇へとそっと重ねられた。




その瞬間。




ミーナの背筋を、暴力的なまでの衝撃――純粋な魔力と快楽が混ざり合った「電気」が駆け抜けた。


(ああ……私、このために産まれてきたんだ……。エンヴァ様……!)




思考が白く塗りつぶされ、己という個の境界が溶けていく。


兄への情愛も、国を背負う矜持も、イブンへの義務感も、すべてがこの一瞬の「承認」の前では塵に等しかった。


エンヴァの体温、その香りに包まれている時だけが、彼女にとって唯一の「真実」となる。




砂漠を血で染めたそのすべての「悪行」は、この口づけという名の報酬を得るための、ささやかな供物に過ぎなかったのだ。




ミーナの瞳からは、大粒の涙が溢れ出した。


それは悲しみでも悔恨でもない。


ようやく「魔女の所有物」として完全に完成されたことへの、狂おしいほどの悦びであった。






数年の月日が砂漠を駆け抜け、かつての少年少女は、一国の命運を握る「王」と「王妃」へと成長を遂げていた。




セトは18歳。




ミーナは16歳。




三つの王国の版図は帝国を圧倒し、歴史は今、静かに、だが決定的な変節点を迎える。


二人の赤子が、この砂漠の地に産声を上げた。




ヌビアの湿った海風が吹き抜ける王宮と、北方の峻険な砦。 二つの場所で、ほぼ時を同じくして、新たな命の叫びが天に届いた。




一人は、ヌビア国王イブンと、美しき王妃ミーナの間の子。


国民は「砂漠の真珠」の誕生を祝し、港に停泊する数千の帆船が一斉に鐘を鳴らした。




だが、産後の寝床で赤子を抱くミーナの瞳は、夫であるイブンではなく、ただ一点、虚空を見つめていた。


その脳裏には、数年前、魔女に口づけられたあの夜の熱だけが、今も鮮明に焼き付いている。




そして、もう一人は――。




砂漠北方の地、かつて自ら血に染めた要塞の奥深く。


セト王と――銀髪の魔女エンヴァの間に生まれた子。




その赤子が産声を上げた瞬間、要塞を取り囲む砂漠の風がぴたりと止み、不気味なほどの静寂が世界を包み込んだ。




王と魔女。破壊と創造の象徴が交わって生まれたその命は、もはや人間という枠組みを超えた、何か別の「種」であるかのような神々しさを放っていた。




「……可愛いわね。」


エンヴァは、二つの場所で生まれた二人の赤子。


慈しむように、そして呪うようにその名を口にした。




「あなたたちは、『レオ』と『リナ』」




暗闇の中で、エンヴァの瞳が妖しく光る。


その笑みは、救済を約束するものではなく、二人の赤子に向けられた残酷な福音であった。

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