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転生の魔女  作者: RUSA
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2生 ep.5~

正妻エルメの死という凄惨な幕引きの後、エンヴァは村長の「正妻」という、かつては想像もできなかった地位に就いた。しかし、それこそが彼女にとっての新たな牢獄であった。


(夫も、あんな風にエルメを殺すことはなかったのに……)


あの茶会で、もし私が少しでもエルメの助命を嘆願していれば、彼女は死なずに済んだのかもしれない。冷徹に徹し、消極的に事態を静観した自分に、ほんの僅かな苦い後悔が残る。


だが、それもまた琥珀色の茶の湯気に溶けて消えた。




「ママ! 見てください、これ!」


「母さん、今日の剣の稽古、父上に褒められたよ!」




レオとリナは、村を支配する「正妻の子」として正式に迎え入れられた。


聡明な兄と、目を見張る美貌を持つ妹。


かつて彼らを差別していた村人たちも、二人の圧倒的な素質を前にしては、その血の卑しさを口にする者はいなくなっていた。


けれど、そんな「家族」としての穏やかな季節も、永遠には続かなかった。




——5年後。


30歳という節目を越えてもなお、エンヴァの美しさは一分いちぶの陰りも見せなかった。


むしろ、少女の頃の透明感をそのまま保ち続けている彼女を、村人たちは「信じられないほどお若い」と羨望の眼差しでもてはやした。




——さらに、10年後。


村長ギルが、境界付近に現れたモンスターの群れを討伐するために出陣し、非業の戦死を遂げる。


その訃報が届いたとき、エンヴァの胸に去来したのは、悲しみではなく、ついに訪れた「解放」への予感だった。




跡を継いだのは、若き英雄として信頼の厚い息子、レオ。


そして娘のリナは、村の有力者の妻として、すでに確固たる地位を築いていた。




「……もう、私がここにいる理由はないわね」




村を離れる決意を固めた最大の理由は、周囲の「眼差し」の変化だった。


40歳を過ぎてもなお、娘であるリナと同年代、あるいはそれ以上に若々しく見える母。


その不自然な「不老」に対し、村人たちの羨望は、やがて薄気味の悪い「疑惑」へと変貌しつつあった。


人里を離れ、エンヴァは深い森の奥へと足を踏み入れた。 かつての記憶を辿るように、強固な「霧」と「茨」の結界を張り巡らせる。侵入者を煙に巻き、欲深い者たちの足を遠ざける、静寂の聖域。


小さな小屋の傍らに、ささやかな豆の畑を耕す。 もはや誰の目を気にする必要もない。ギルの執着も、エルメの呪詛も、子供たちへの義務も、すべては森の霧に溶けていった。




「結局、こうなるのね……」


パチパチと爆ぜる薪の音を聞きながら、エンヴァは一人、鍋で豆を煮る。




前世で100年を過ごしたあの生活。 数十年という「人間らしい」狂騒を駆け抜けた果てに、彼女が辿り着いたのは、皮肉にもかつてと同じ、孤独で、けれど誰にも邪魔されない「魔女の日常」だった。


器に盛られた豆からは、温かな湯気が立ち昇る。


彼女は黄金の瞳を細め、静かにその最初の一口を運んだ。






しかし静寂の森に、かつて耳にしたことのある不穏な足音が響き始めていた。




エンヴァが人里を離れてから、さらに十数年の月日が流れた。レオとリナには子が産まれ、その孫たちが恋に焦がれる年頃になるほど、長い時間が。


しかし、平和な時は唐突に、そしてあまりに無残に終わりを告げた。




国境沿いにうごめいていたモンスターの群れが、雪崩のように南下を開始。その通り道となった村は地獄と化した。


村長として剣を振るうレオの元には、連日、絶望に染まった村人たちの悲鳴が届く。




「どうして、我々の村だけがこんな目に!」


「これは呪いだ……非業の死を遂げた、あのエルメ様の呪いに違いない!」




一度芽生えた恐怖は、根拠のない噂を餌に、どす黒く膨れ上がっていく。


そして、その矛先を一点に定める「悪意」が、ついに火を吹いた。




「——魔女だ。あの森に隠れ住む魔女が、魔物を呼んでいるんだ!」




声を上げたのは、かつてエルメを正妻として送り出した商家の一族の男だった。


彼は没落しかけた家勢を立て直すため、あるいは一族の恥辱をそそぐため、村人の恐怖を「魔女狩り」へと誘導した。




「悪魔と契約した魔女がいるだろう! あの女が、闇の力で魔物を操り、我々を滅ぼそうとしているんだ!」


「そうだ! あの若すぎる外見、前村長をたぶらかした色香……あれは人間のものではない!」


「魔女を殺せ! 魔女を焼き殺せば、魔物は去るはずだ!」




かつて、エンヴァが前世の最期に見た景色が、恐ろしい精度で再現されようとしていた。


村長であるレオは、その聡明さゆえに、これが論理的な解決にならないことを知っていた。


だが、理性を失い、血に飢えた暴徒と化した村人たちを、もはや彼一人の権威で抑えることは不可能だった。






森の奥。


霧の結界の向こう側で、エンヴァはいつものように小さな土鍋で豆を煮ていた。


彼女の姿は更に若々しく、まるで妖精のように美しい。


しかし、今の彼女に関してそれは「呪い」と言って良かった。




(……森が騒がしいわね。風が、人間の嫌な脂の匂いを運んでくる)




彼女は、自分が「魔女」として祭り上げられ、再び火刑台に送られようとしていることを、本能的に悟っていた。


だが、その黄金の瞳に、かつてのような恐怖や悲しみは宿っていない。




「……結局、何も変わらないのね。この世界も、人間も」




パチパチと爆ぜる暖炉の火。


窓の外、遠くの森の入り口で、松明の火がチロチロと、まるで不吉な蛍のように蠢き始めている。




エンヴァは煮えた豆を一口、静かに口に運んだ。


その味は、かつてアンナに与えた茶のように、少しだけ苦かった。










霧を切り裂き、茨の結界を抜けて現れたのは、村長として重責を背負い、顔に深い皺を刻んだレオと、高貴な夫人としての品格を纏いながらも、目尻に歳月のかげを宿したリナだった。


二人の瞳に映るのは、50歳を過ぎてなお、十代の少女のような瑞々しさを湛えたままの、あまりに異質な「母親」の姿。




「かあ……さん」


「ママ……」


絞り出された声は震えていた。


十数年ぶりに再会した母は、自分たちよりも二回り以上も若く見える。


村人たちが「悪魔と契約した魔女」だと叫び、殺意を燃やすのも、この光景を見れば否定しきれないほどに、その美しさは理を外れていた。




「久しぶりね、レオ、リナ」


エンヴァは、煮えていた豆の鍋を火から下ろし、立ち上がった。


かつて村長の家でそうしたように、優しく、けれどどこか事務的な手つきで、自分より遥かに年嵩に見える我が子たちを抱き寄せる。




「ずいぶんと大きくなったのね。レオ、すっかりおじさんになっちゃって」


その冗談めかした言葉に、レオは唇を噛み締めた。


彼は、煮え繰り返る暴徒たちに対し




「自分が責任を持って魔女を殺すか、さもなくば捕らえてくる」


と宣言してこの森へ踏み込んだ。




そうでもしなければ、群衆は今頃この森に火を放ち、リナの立場すら危うくなっていただろう。




リナは、兄の背中越しに母を見つめ、ただ立ち尽くしていた。


母は何も変わっていない。あの冷たいほどに透き通った黄金の瞳も、すべてを悟りきったような微笑も。


「母を助けたい」という願いすら、この圧倒的な「異質さ」の前では、無力な子供の我儘のように思えて、彼女の心には深い諦念が広がり始めていた。




「母さん……逃げて、ください……」


レオの声は、村長の威厳など微塵も感じさせないほどに震えていた。


リナもまた、母の細い手を握りしめ、必死に言葉を紡ぐ。




「ママ……もう、村人たちの暴走は止められないの。お願い、逃げて。西の港町へ向かえば、きっと誰にも見つからずに逃げ切れるから」




だが、エンヴァは二人の必死の懇願をどこ吹く風と受け流し、慣れた手つきで土鍋から煮豆を器によそった。




「さあ、久しぶりに一口どうかしら? 味が落ちていないか不安だわ」


差し出された器。


それは二人が幼い頃から、どれほど生活が変わろうとも、母が作り続けてくれた変わらぬ味。


レオとリナは、迫りくる死の足音を背後に感じながら、涙をこぼしてその豆を口に運んだ。




「……おいしかった。ありがとう、母さん」


「ご馳走さまでした……ママ。ありがとう」


二人の子供に「最後の食事」を与え終えると、エンヴァは静かに立ち上がり、扉を開けた。


彼女が進む先は、西ではなく——いきり立つ村人たちが松明を掲げて待つ、東。あの村の方向だった。


「母さん! 違うよ! 西だ!」


「逃げて、ママ! 私たちが何とか時間を稼いでみせるから!」


必死に追いすがろうとする二人の頭に、エンヴァはそっと、優しく手を置いた。


それは彼女が今世で見せた、最も温かで、最も慈愛に満ちた仕草だった。




「二人とも、ありがとう。でも、最後に一つくらい、親らしいことをさせてくれないかしら?」


私は、前世の記憶を通じて知っている。


このまま自分が逃げ延びたとしても、残された二人は「魔女を逃がした共犯者」として、あるいは「魔女の血を引く呪われた子」として、あの狂った群衆に引き裂かれ、殺されるだろう。




「見ろ! これが、あの村長をたぶらかし、魔物を呼び寄せた魔女だ!」


エルメの一族の男が、勝利を確信したような声を張り上げた。




人々の前に引きずり出されたエンヴァの姿は、あまりにも残酷なまでに美しかった。50を過ぎてなお、月光を浴びる白百合のように瑞々しいその肌。


それは恐怖に震える村人たちにとって、何よりも雄弁な「悪魔の証」であった。




「魔女を殺せ!」 「殺せ! こいつさえいなければ、村に災いは起きなかったんだ!」


狂気に染まった暴徒たちは、エンヴァの衣服を容赦なく剥ぎ取り、彼女を広場の中央にそびえ立つ処刑柱へと括りつけた。




「……下がっていろ。村長である俺が、この手で引導を渡す」


群衆をかき分け、レオが進み出た。その手には、父ギルから継いだ村長の剣が握られている。


彼の妻も、子も、そしてリナの家族も、今は暴徒たちの監視下に置かれている。




もしここで母を逃がせば、あるいは躊躇を見せれば、自分の血筋すべてが根絶やしにされる。




レオは知っていた。母がなぜ、西ではなく東——この地獄へと足を進めたのか。




それは自分たちを生かすため。 母が最後に遺した「親心」を無駄にしないために、彼は今、地獄の業火よりも熱い決意を剣に込めていた。




(火刑になれば、母さんは長く苦しむことになる。……せめて、俺の手で、一撃で)


レオの瞳から、一筋の涙が頬を伝う。しかし、その手は微塵も震えていなかった。




「……いい目になったわね、レオ」


柱に縛り付けられ、剥き出しの肌に夜風を浴びながら、エンヴァは穏やかに微笑んだ。 その視線の先で、リナが狂ったように叫び、駆け寄ろうとしている。




「ママ! ママぁ!!!!」


しかし、その叫びは鈍い衝撃音と共に遮られた。リナの夫が、群衆の目を恐れて彼女の頬を殴打し、床に組み伏せる。




「違うリナ! あれは魔女だ! 惑わされるな!」




その罵声こそが、今この村で生き残るための唯一の正解であることを、エンヴァは悲しいほどに理解していた。




レオの剣が、月光を浴びて白銀に輝く。


その切っ先は、かつて自分を慈しみ、育ててくれた母の細い首筋に向けられていた。




「母さん……ごめん」




絞り出したレオの声に対し、エンヴァはただ一言、




「いいのよ、レオ」


と返した。




その唇は動いていない。しかし、レオの心には、かつてないほど鮮明に母の声が響き渡った。


(母さん! 母さん!!!!)


レオは心の中で、裂けんばかりに絶叫していた。 剣を握る拳が血の気が引くほど白くなる。そのレオの慟哭に応えるように、エンヴァの思念が優しく彼の脳裏を撫でた。




(……強い子に育って)


それは魔女としての呪詛ではなく、母エンヴァが今世で遺せる、最後の「祈り」だった。




「——ッ!!」


レオは咆哮を飲み込み、全霊を込めて剣を振り抜いた。




鋭い一閃。 ニッコリと、最期に少女のような無垢な微笑みを浮かべたエンヴァの首が、宙を舞う。




「魔女エンヴァの首、村長レオが打ち取ったああああ!!」




エルメの一族の男が先陣を切って叫ぶと、広場は地響きのような歓声に包まれた。




「正義」が勝った。


「悪」は滅びた。




人々の恐怖は熱狂へと形を変え、魔女の血が流れる石畳の上で、彼らは勝利の踊りを始めた。


その狂乱の中心で、レオは血に濡れた剣を握ったまま、立ち尽くしていた。 村人たちには、それが「魔女を仕留めた英雄の威風」に見えただろう。




だが、返り血を浴びた彼の目からは、拭っても、拭っても、こらえ切れない大粒の涙が溢れ出し、母の血を洗い流そうとしていた。






魔物の群れは、まるで嵐が過ぎ去るように南下を止めた。


実際には、魔女エンヴァが魔物を呼んだ形跡などどこにもなかった。




生態系の限界点を迎えた群れが、東部地域を蹂んに蹂んした果てに、ただ飽和して魔族領へと帰っていっただけのこと。それが、この世界の残酷で淡々とした真実であった。




しかし、恐怖に震えていた村人たちがそんな道理を信じるはずもなかった。


彼らは「魔女を殺したからこそ救われた」と信じ込み、母を討ったレオを英雄として熱狂的に崇め奉った。


その歪な称賛が、レオの村長としての権威を盤石なものにしたのは、あまりに皮肉な結果であった。




更に時は過ぎた。




村長として村の繁栄を築き、天寿を全うしようとしていたレオ。そして、その傍らで穏やかな老後を過ごしていたリナ。


二人の家の、奥まった棚の隅。


そこには今も、一房の乾燥させた不思議なハーブの束と、かつて森の小屋で母が遺してくれた「煮豆のレシピ」が大切に保管されていた。




村の歴史書には「英雄が討ち取った邪悪な魔女」と記されていても、二人の記憶に刻まれているのは、冷たくて、けれど誰よりも合理的で優しかった一人の女性の姿だった。




「母さんは……僕とリナを守ってくれたんだ」


弱りゆく意識の中で、レオはそっと呟いた。


魔力でも呪いでもない、ただの豆を煮るためのささやかな知恵。


それが、魔女が遺した唯一の「愛」の証。




村の歴史書には、魔女はレオの剣によって討たれたと記されている。だが、白髪の老人となったレオと、その傍らで静かに微笑むリナだけは、その歴史の「裏側」にある眩いばかりの光景を共有していた。


二人は知っていた。


もし母が本気で抗えば、村ごと茨に飲み込ませることなど容易だったはずだということを。




レオとリナの脳裏には、今も鮮明に焼き付いている光景がある。


かつて、村を襲った「熱病」——。




医者が首を横に振り、死の影が寝所に忍び寄ったあの日、母は冷たいほどに冷静な瞳で二人の額に手を置いた。その瞬間、全身を駆け抜けた清らかな温もり。




まるで前世のレオとリナにしたように、優しい緑色の光に包まれた二人は快癒した。


熱にうなされた二人はぼんやりとしかその光景を覚えていない、しかし確かに母は奇跡を起こした。





また、十年に一度と言われた大不作の年。


村民にも餓死者が出て、地獄の様相を呈する中で、母は平然と森から可食の野草や根菜、瑞々しい豆を抱えて帰ってきた。




周囲が飢えに痩せ細る中、二人の頬が赤みを失わなかったのは、母がその知恵と力で、世界の飢えから二人を「隔離」していたからに他ならない。




エンヴァは最後まで、その「奇跡」を村人たちの前でひけらかすことはなかった。


母が沈黙を守るのは、自分たちを守るため——。




幼いながらにそれを悟ったレオとリナは、互いに目配せをし、生涯その秘密を他人に漏らすことはなかった。


エンヴァは、この人生において、英雄として称えられることも、聖母として祀り上げられることも望まなかった。


あの処刑の日は、母にとっての「死」ではなく、役割を終えた魔女の「寿命」。




彼女は自分の意志で幕を引き、愛する子供たちに「英雄」という最後の贈り物を与えて、伝説の彼方へと旅立っていった。




かつて母が作ってくれた、あの少し苦くて温かい煮豆の味。 その記憶を胸に抱き、レオとリナは互いの手を握りしめながら、静かに、そして安らかに母の待つ場所へと旅立って行った。






凍てつく風が吹き荒び、生きるものすべてを拒絶する北の大地。人跡未踏の最果ての地に、あり得ないはずの生命の響きが轟いた。


「オギャー! オギャー!」


雪を押し頂くような力強い産声。


暖炉の火さえ凍りつくような極寒の小屋で、一人の赤子がこの世に生を受けた。




「はぁ、はぁ……っ……」


荒い息をつき、全身の力を使い果たして横たわる母。


父は震える手で、生まれたばかりの我が子を抱き寄せ、愛おしそうに見つめる。


「無事に産まれたぞ! 女の子だ! ……よくやった、本当によく頑張ったな……!」


父の歓喜の声に、母はうっすらと目を開けた。


突然、ふっとその瞳に焦点が失われる。


けれど、彼女は何かに導かれるように、唇を動かした。




「……エンヴァ。……この子の名前は、エンヴァよ」




――かつて「魔女」と呼ばれた女の首が、実の息子の手によって落とされてから、わずか一週間後の出来事であった。


その魂は、あまりにも潔く、そしてあまりにも速やかに「次」の器へと移り変わった。

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