5生 ep.42
レオ王宮の回廊。
苛立ちを隠せず木剣を振り回すミーナを見かねて、リナ王妃は静かに告げた。
「戦場がないのなら、内政の成果で競いなさい。王の価値は、敵を倒す数ではなく、民を潤す富で決まるものよ」
「内政……ですか?」
ミーナの動きが止まる。
その視線の先には、金鉱を抱え、軍事力と共に経済力でも砂漠の覇権を握りつつあるセト王国の影があった。
兄であるセトは潤沢な資金で最新の装備を整え、エンヴァの「ご褒美」まで手に入れている。
対するレオ王国は、古くからの商業に依存し、その基盤は決して盤石ではない。
セトに追い付き、エンヴァにその手腕を認めさせるには、並大抵の努力では足りなかった。
(……足りないわ。普通の商売じゃ、お兄ちゃんには勝てない)
ミーナの思考は、若さゆえの功名心と、エンヴァへの焦がれるような渇望によって、急速に危険な領域へと加速していく。
地図を広げた彼女の指が止まったのは、王国の南――
高く堅牢な城壁に守られた独立都市「ヌビア」だった。
海に面し、港湾都市として莫大な富を蓄えるそこは、帝国からも砂漠の部族からも独立を保ち続けてきた難攻不落の要塞。
帝国が攻めれば砂漠に、砂漠が迫れば帝国に。
巧みな外交と強固な自衛軍で均衡を保つ、帝国と砂漠の両方の喉元に突き刺さった「棘」である。
「ここを、レオの直轄地にする。……そうすれば、物流の全てが私たちの手に入る」
それは、平和な内政競争という枠組みを、音を立てて踏み越える戦略構想だった。
もしヌビアを落とせば、レオ王国は砂漠で唯一、海への出口を持つ真の貿易国家へと変貌する。
セト王国の金鉱に匹敵する、永続的な富の源泉。
ミーナの瞳に宿る光に、レオ王もまた、抗いがたい王国の未来を見た。
彼女から提出された戦略構想は聡明で成るリナ王妃をして
「これなら」
と言わしめた。
「……よかろう。ミーナ、お前の策を承認する。イブンと共に策の達成に尽力せよ」
王の決断が下る。
レオ王国による「内政改革」の第一歩は、平和的な通商の拡大という形をとりながら、その実態は砂漠の勢力図を根底から塗り替える凄惨な「狩り」であった。
「……ふふ、負けないわよお兄ちゃん!」
レオ王宮の執務室。
ミーナは、港湾都市ヌビアとの取引記録が記された羊皮紙を眺め、冷酷な笑みを浮かべた。
彼女が打ち出した戦略は単純かつ強烈だった。
ヌビアを通じた商業上の付き合いを、わずか数か月で「3倍」にまで膨れ上がらせたのだ。
だが、その膨大な取引を支える「商品」は、絹でも香料でもない。
「……捕らえた部族の数は?」
「はっ。服従を拒んだ三つの部族を完全に制圧。……非戦闘員を含めて計二千、すべて『商品』として確保しております」
「100人づつ分けて送りなさい、美女と老人を同数に調整してまとめて販売するの。」
「承知しました、ミーナ様」
報告する将軍の目には王女への畏怖が宿っていた。
砂漠の熱風に、汚れなき白薔薇の旗がはためく。だが、その旗印が向かう先にあるのは救済ではなく、抗う術を持たぬ者たちへの、慈悲なき「選別」であった。
「――この集落は完全に包囲したわ。降伏か全滅か、今すぐ選びなさい」
白馬に跨り、軍を率いるミーナの声は、砂漠の陽光さえ凍りつかせるほどに冷ややかだった。
彼女が掲げる「白薔薇」は、かつては慈愛の象徴だった。
しかし今、周辺部族にとってそれは、死神の鎌よりも恐ろしい凶兆へと変貌している。
なぜなら、彼らは知っているのだ。
一つ手前の集落がどうなったかを。
「……本当だ! 女も子供も、皆殺しにされた! ただ『考える時間をくれ』と、そう要求しただけなのにッ!」
命からがら逃げ延びてきた男たちが、震える声で惨劇を語り継ぐ。
ミーナはあえて数人の男を逃がし、恐怖という名の「伝言」を周辺にバラ撒かせたのだ。
燃え盛る家々、絶叫、そして情け容赦なく振り下ろされた白銀の刃。
「交渉……? 何を寝ぼけたことを。対等に話し合えるとでも思っているの?」
前の集落で見せた地獄絵図は、この集落を無傷で「収穫」するための、効率的なデモンストレーションに過ぎない。
事実、隣の集落の長は、戦う前から膝を屈した。
王国の正規軍と真正面からぶつかって勝ち目がないことなど、赤子でもわかる。
だが、それ以上に「時間を稼ごうとすれば、次は我が子が首を落とされる」という確信が、彼らの闘志を根底から粉砕したのだ。
リナ王妃が、何年もの歳月をかけて、言葉を尽くし、心を砕いて口説き落としてきた西方の部族たち。 その気が遠くなるような外交の積み重ねを、ミーナはわずか数週間の「恐怖」で塗り替えていく。
「……お義母様は、優しすぎたのよ。奪い、跪かせ、従わせる。それが、この砂漠で最も確実な『平和』の形でしょう?」
恭順を誓う族長たちを冷徹に見下ろし、ミーナは扇で口元を隠して微笑む。 白薔薇の香りは、いつしか焦げた肉の臭いと、支配者の傲慢さに染まっていた。
抵抗する者は斬り捨て、生き残った者は「奴隷」として、ヌビアの巨大な港を通じて世界へと売り捌く。
それは、かつて自らがその立場であったはずの「奴隷」という存在を、自らの野心を叶えるための「資産」へと変える、呪わしい転換であった。
当然、これに反発する周辺部族は結集し、「反レオ王国連合」を結成。
砂塵が舞い、太陽が白く燃える平原。
二千の反レオ王国連合軍は、生き残るための決死の叫びを上げ、五千のレオ王国正規軍へと突撃を開始した。
最前線に立つのは、イブン王子率いる重装歩兵大隊。
彼らは一糸乱れぬ動作で鋼鉄の盾を並べ、砂漠の地響きと共に迫る連合軍の突撃を受け止めた。
「耐えろ! 崩れるな!」 イブンの放つ静かな、だが通る声。
連合軍の戦士たちが振るう曲刀が、火花を散らして盾に弾かれる。
正面からの力攻めは、王国軍の「堅実さ」の前に完全に無力化されていた。
敵の勢いが削がれた瞬間、両翼から砂煙を巻き上げ、ミーナ率いる軽騎兵隊が死神のように躍り出た。
彼女が編み出したのは、敵を逃がさず、かつ効率的に「収穫」するための、幾重にも重なる包囲網。
「逃がさないわ。一人残らず、私の『財産』になってもらうんだから」
白薔薇の旗が風を切り、側面から連合軍を削り取っていく。
退路を断たれ、円陣の内側に追い詰められた連合軍は、もはや軍隊ではなく「檻の中の獲物」へと成り下がった。
「弓兵、放て」
ミーナの冷酷な指先が空を指す。 頭上から降り注ぐ矢の雨と、四方から迫る鋼の壁。絶望した連合軍の戦士が一人、また一人と砂の上に崩れ落ちていく。
砂漠の熱砂は、流された血を瞬時に吸い込み、どす黒く変色させていく。
ミーナ王女の親衛隊が本陣にたどり着くと、逃げ惑う族長達をバサバサと切り伏せ白薔薇の旗を敵本陣に高々と掲げる。
「……あ、ああ……我々の誇りが……!」
「誇り? そんなもの、一銭の価値にもなりはしないわ」
「……の、呪われるがよい……。貴様ら、人の皮を被った貴様らどもに……っ!」
砂の上に崩れ落ちた族長が、血走った目でミーナを睨みつける。
その太い腕が、せめて一太刀報いんと彼女の細い足首へ伸びた。
ミーナは、それを無機質な瞳で見下ろしたまま、腰の剣を一閃させた。
華奢な少女の腕力では、鍛え抜かれた巨漢の首を叩き落とすには至らない。
しかし、研ぎ澄まされた刃は正確に頸動脈を裂き、そこから噴き出した鮮烈な紅が、彼女の白銀の鎧を、そして無垢なはずの横顔を無惨に染め上げていく。
「……呪い? そんなもの、死人の負け惜しみに過ぎないわ」
どくどくと溢れ出す温かい返り血を浴びても、ミーナは瞬き一つしなかった。
族長の絶叫が、親衛隊によって放たれた介錯の刃で断ち切られる。
ゴロリと転がった首を見つめる王女の瞳には、かつて奴隷市場の檻の中で味わった絶望と同じ色をした、凍てつくような「勝利の悦び」が宿っていた。




