5生 ep.41
モグス要塞陥落の勝鬨は、瞬く間に砂漠を越えてレオ王国へと届いた。
だが、その輝かしい戦果の裏側に潜んでいた「秘められた報酬」の情報もまた、風に乗って一人の少女の元へ舞い込んだのである。
「……はぁっ!? な、なんですって!?」
レオ王宮の一室。
優雅に刺繍を嗜んでいたはずのミーナの手から、針がポロリと床に落ちた。
目の前で報告を読み上げる伝令官は、彼女のあまりの剣幕に、蛇に睨まれた蛙のように硬直している。
「も、もう一度言いなさい。……エンヴァ様が、セトに、何を……?」
「は、はい! モグス要塞陥落の凱旋式にて、エンヴァ様がセト王の頬を包み……そ、その、公衆の面前(※実際は玉座の間だが、噂は尾ひれがつくものである)で口づけを授けられたと……!」
バキッ、と不吉な音がした。
ミーナが握りしめていた刺繍枠が見事に真っ二つに折れている。
「な、なによそれ……! 私なんて、三か月も地獄の勉強漬けで、エンヴァ様に褒められたことなんて一度もないのに! どころか『白目を剥くな』とか『姿勢が悪い』とか、罵倒のフルコースだったのに!」
「ミーナさん、落ち着いてください……」
隣でイブン王子が必死になだめるが、今の彼女にその声は届かない。
兄と共に共に奴隷という地獄を生き抜いた戦友が、自分を差し置いて「魔女の聖別」を受けたという事実は、新妻としての、そして「教え子」としてのプライドを激しく逆撫でした。
「ずるい……! 絶対にずるい! 私だって、王女としての公務を完璧にこなしてるわ! 毎日、この重いドレスを着て、笑顔を振りまいて、レオ王国の支持率だって爆上げなんだから!」
ミーナは立ち上がり、燃えるような瞳で窓の外――セト王国の方向を睨みつけた。
「決めたわ。イブン、見てなさい! 次の合同軍事演習では、私がセト以上の戦果を挙げてみせる! そしてエンヴァ様に『ミーナ、あなたが一番よ』って言わせて、頭を撫で回してもらうんだから!」
「……方向性が、少しズレていませんか、ミーナさん?」
イブンの困惑を余所に、レオ王国の新王女は鼻息も荒く、重いドレスの裾を翻して私室へと突き進んでいった。
レオ王国は今、停滞という名の平和の中にいた。帝国軍の侵攻は頓挫し、砂漠には不気味なほど穏やかな風が吹いている。戦略的な妥当性を考えれば、こちらから打って出る理由はどこにもない。
……それが、今のミーナには何よりも「くやしい」事実だった。
「……っ、ああもう! なんで帝国軍は攻めてこないのよ!」
レオ王宮の中庭。
ミーナの叫びが、手入れの行き届いたバラの生垣に虚しく吸い込まれていった。
手には、実戦訓練用の木剣。
ドレスの裾をまくり上げ、額に汗を浮かべたその姿は、お淑やかな王女のそれとは程遠い。
「ミーナさん……。帝国が攻めてこないのは、平和で良いことじゃないですか。僕たちの外交努力の結果ですよ?」
木陰で冷たいエールを差し出すイブンの声も、今の彼女には火に油を注ぐだけだった。
「わかってるわよ! そんなの百も承知よ! 私だってレオ王国の王女だもの、民を戦火に晒したくないわ!」
ミーナは木剣を地面に突き刺し、悔しげに唇を噛む。
彼女が戦いたいのは、帝国ではない。
その背後に透けて見える、銀髪の師匠――エンヴァの「評価」だった。
(セトは、戦って、勝って、あの『ご褒美』をもらった。……なら、戦う理由がない私は、一生あんなふうに褒めてもらえないってこと!?)
セトが受けた、あの「聖別」の噂が頭から離れない。
自分は、ただの「お飾り」で終わるつもりはない。
三か月の地獄を耐え抜き、死ぬ思いで『完璧な王女』という仮面を手に入れた。
なのに、それを披露する肝心の「戦場」がないのだ。
「……くっ。帝国が攻めてこないなら、私が……私が砂漠の害獣を一匹残らず駆除してやるわ! それか、帝国の補給路に『偶然』迷い込んで、向こうが先に手を出さざるを得ない状況に……!」
「ダメですよ。絶対にダメですからね。国際問題になりますから」
イブンの必死の制止を受けながら、ミーナは所在なげに空を仰いだ。
爆発しそうなこの熱量を、どこにぶつければエンヴァに届くのか。
新妻の悶々とした日々は、敵軍の不在という「平和すぎる壁」に阻まれ、ただ虚しく空転し続けるのであった。




