5生 ep.37
「――クソッ! 何ということだ! あの小国どもが、手を取り合うだと!?」
帝都、陸軍省。
重厚な石造りの会議室に、一人の将軍の怒号が木霊した。
叩きつけられた拳により、地図上の駒がバラバラと音を立てて床に転がる。
それは、帝国がこれまで築き上げてきた「西方の支配」という名の均衡が、音を立てて崩れ去った瞬間だった。
「だから儂は言ったのだ! レオ王国などという不届きな国、信用ならんと! あの『魔女』を匿っていた時点で、根こそぎ焼き払っておくべきだったのだ!」
別の将軍が、椅子の肘掛けを指が白くなるほど強く握りしめる。
彼らが何より恐れているのは、単純な兵力の合算ではない。
レオ王国とセト王国。両軍を合わせれば、その数は優に六万を超える。
だが、その背後に立つ「旗印」が――黄金の瞳を持つあの少女であることが、彼らの軍学という名のプライドを完膚なきまでに破壊していた。
「……もし、あの魔女が。かつての如く魔術をふるい、六万の兵を率いてこの帝都へ進軍を開始したとしたら」
一人の若い士官が、震える声でその「禁忌」を口にした。
「今の我々に……それを押し留める術はあるのか?」
会議室を支配したのは、重苦しい、墓場のような沈黙だった。
かつて数万の精鋭を激戦の末土に還したとされる「魔女エンヴァ」。
そして、彼女に鍛え上げられた若き王と王女。 答えは、誰もが理解していた。
――否だ。
帝国最強を自負する軍靴の音は、今や、砂漠から迫りくる「復讐の足音」にかき消されようとしていたのである。
帝国にも「魔女」の加護はある。
しかし、ここ数十年で帝国の気まぐれな魔女がその力を振るったのは魔女エンヴァと帝国がぶつかったがたった一度だけ。
帝都の作戦会議室。
将軍たちの怒号と狼狽が渦巻く中、最奥に座る軍司令官が、氷のような声を響かせた。その一言で、熱を帯びていた議論は一瞬にして凍りつく。
「卿らの議論も、一向に結論が出ぬものだな」
軍司令官が重々しく口を開く。
その瞳には、恐怖に駆られる部下たちへの侮蔑が、微かに混じっていた。
確かに、かつてのディルガム王朝との戦いにおいて、帝国軍は壊滅的な打撃を受けた。
それは帝国の歴史に刻まれた、消えない汚辱だ。
「……だが、思い出してみたまえ。その後の停戦協定を、あちらから言い出し、腰を低くしてきたのはどこの誰だった?」
「それは……当時のディルガム王ですが……」
「そうだ。我らは、かの地に『魔女』という理外の怪物が居座っていると考え、その後の無謀な軍事行動を控えてきた。違うかね? 相手が膝を折り、旧王朝の北方領土を割譲してくるというなら、帝国の利益にも合致していた」
司令官は、手元の古い羊皮紙をなぞる。
そこには、魔女の移動経路と推測されるいくつもの点が記されていた。
「その後……魔女は現レオ王朝の都に移り住んだ、と。しばらく姿を見せぬと聞いていたが、最近になって、その姿を現したとの報告が入っている。かの地の愚民どもは、それを『魔女の再来』だと崇めているようだが……」
「……報告によれば、その正体は、旅程から見ても第三皇女エンヴァ。それ以外には考えられません」
一人の将軍が、苦々しく付け加えた。
かつての伝説の魔女と、追放されたはずの落ちこぼれ皇女。
その二つの像が、将軍たちの脳内で激しく火花を散らす。
「王宮に魔女が紛れていた、という事か」
一人の将軍がため息をつく。
そこで、司令官は――。
暗い愉悦を孕んだ笑みを、その唇に浮かべた。
「つまり、だ。レオ王国に、今この瞬間『魔女』はいない。……彼女は今、旧ゲルド王宮に、あの元奴隷の小僧と共にいる。そうではないかね?」
将軍たちが、一斉にざわめき立った。
司令官の言葉が意味する、残酷な真実。
六万の兵力が合流しようとも、その精神的支柱である「魔女」が一人しかいないのであれば――その守りには、致命的な「穴」が開いていることになる。
「レオ王国は、もはや空殻だ。」
司令官はニヤリとうすら笑いを浮かべた。




