表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生の魔女  作者: RUSA
8/39

2生 ep.4

流れる月日は残酷なまでに、二つの「対極」を描き出した。


「母上! 母上、見てください!」 「母上、今日の獲物です!」




少年と少女になったレオとリナは、まるで太陽を浴びる若木のように健やかに、そして異質に育っていた。村長の子としての体躯の良さに、リナはエンヴァから受け継いだどこか浮世離れした美しさが混ざり合い、二人は村の中でも一際目を引く存在となっていた。




しかし、その輝きが強まれば強まるほど、村長の屋敷の本館に漂う影は濃く、どす黒くよどんでいく。




村長ギルの正妻、エルメ。



街の有力な商人の三女として、潤沢な持参金と共に嫁いできた彼女には、この10年ついに一人の子も授からなかった。



エンヴァが子を授からぬようにする呪いをかけたわけではない。



ただの自然の摂理——あるいは、夫であるギルの心が、最初から彼女の元に無かったことの結果に過ぎない。




「……あの女。あの、下民の女さえいなければ」



エルメの呟きは、もはや怨嗟というよりは、崩れゆく己を支えるための呪文のようだった。




かつては誇り高かった商人の娘も、今や焦燥に焼き尽くされ、鏡を見るたびに深くなる目尻の皺を、真っ白な粉で塗りつぶす日々を送っている。




彼女は間違いなく美しい少女ではあった、しかしエンヴァのそれは異次元のものであり比べるべくも無い神秘性すら漂わせていた。


彼女の憎悪には、客観的な道理があった。



25歳を迎えたエンヴァは、恐ろしいことに、10年前と寸分違わぬ可憐さを保っていたのだ。


二人の子を産んだ母親とは思えない、透き通るような肌。衰えを知らない銀糸の髪。


そして、すべてを拒絶するように冷たく輝く黄金の瞳。


村長となったギルの執着は、今や狂気の域に達していた。




「エンヴァ、今夜も行く。お前の淹れる茶が飲みたいのだ」




公務の間を縫って、あるいは正妻との約束を反故にしてまで、彼はエンヴァの元へ通い詰める。誰の目にも明らかだった。正妻エルメの寝所へ足を運ぶ回数は目に見えて減り、村長館の主導権は、実質的に「隔離された愛人」であるエンヴァが握っているに等しい。




「……勝手にすればいいわ。」




そう言って冷ややかに微笑むエンヴァの顔が、エルメには「勝ち誇った魔女」のそれに見えていた。


事実はただ、エンヴァが「自分の生活を邪魔されないため」に夫を適当にあしらっているだけだとしても。






「あの女さえいなければ。あの女さえ、この世から消えてくれれば……私はまだ産める」




豪奢な本館の一室で、エルメは鏡の中の自分に言い聞かせるように呟いた。 その背後には、街の有力な商家を束ねる実母からの冷酷な書状があった。




『目障りな愛人など、殺してしまえばいいの。それ位できないなら、商人の娘として失格よ』


「そう……そうよね。殺せばいい。それですべて、元通りになるのよ」


エルメの瞳には、もはや嫉妬を超えた、暗い狂気の光が宿っていた。




数日後。エンヴァは数年ぶりに、本邸の煌びやかなサロンへと足を踏み入れた。


25歳。母としての落ち着きを纏いつつも、その美しさは一切の陰りを見せず、むしろ研ぎ澄まされた刃のような鋭利な輝きを放っている。




「本日はこのようなお茶会にお誘いくださり、ありがとうございます、エルメ様」


エンヴァは完璧な作法で一礼した。




彼女にとって、こうした社交辞令は面倒事ではある。


しかし、平穏な日常を維持するため、あるいはレオとリナに余計な火の粉を飛ばさないためであれば、賢者としての記憶を動員して「正妻に従順な愛人」を演じることなど、造作もないことだった。




「そうね。たまには貴女とも、ゆっくりお喋りをしてみたいと思っていたのよ」


エルメは口元に扇を添え、優雅に微笑む。




だが、その頬は僅かに引き攣り、視線はエンヴァの白く細い首筋を、今にも締め上げんばかりに凝視していた。




「さあ、どうぞ。王都で評判の茶葉を分けていただいたのよ。香りが飛ばないうちに召し上がれ」


侍女が恭しくティーポットを運び、二人のカップに琥珀色の液体が注がれた。




一見、何の変哲もない最高級の茶。




しかし、エルメが用意したそのポットの中には、一口飲めば臓腑を焼き、即座に命を奪う猛毒が仕込まれている。


「……良い香りですわね」


エンヴァはカップを手に取り、そっと鼻先へ寄せた。


黄金の瞳が、湯気の向こうで僅かに細められる。




エルメの指先が、テーブルの下で細かく震えていた。息を殺し、獲物がその毒杯を煽る瞬間を、飢えた獣のような目で見つめる。


(飲んで。飲みなさい。そうすれば、私の10年は報われる……!)




「……いただきます、エルメ様」




エンヴァは、何のためらいもな琥珀色の液体を口に含んだ。


細い喉が緩やかに動き、毒の混じった茶が間違い無く彼女の体内へと消えていく。




(やったわ! やった! この小憎らしい愛人を、ついにこの手で!)


エルメは歓喜に震えた。




それは一口で臓腑を焼き、絶叫すら許さぬほどの激痛と共に命を奪う猛毒。


彼女が期待していたのは、目の前の可憐な顔が苦痛に歪み、美しい喉をかき毟りながら床にのたうち回る、無様な死に様だった。




しかし。


一秒、二秒……。




死神が訪れるはずの時間を過ぎても、エンヴァの顔色ひとつ変わらない。


彼女は優雅にカップをソーサーに置くと、満足げに微笑んでみせたのだ。




「……どうして? なぜ……? 間違いなく、この手で毒を……」




エルメの思考が真っ白に染まる。分量が足りなかったのか?


それとも薬を間違えたのか?




否、あれは実家が用意した、大型の家畜さえも一瞬で息絶えさせる凶薬だったはずだ。




「とても美味でございましたわ、エルメ様。さぁ、エルメ様も一杯」


エンヴァは淀みのない所作でティーポットを手に取った。




トトト……と、心地よい音を立てて、エルメのカップに「死の茶」が注がれていく。




「さあ、どうぞ」


「カ……カタカタカタ……ッ」


エルメの震えが止まらない。




注がれたのは、紛れもなく自分が用意した毒茶。


それを飲めばどうなるか、自分自身が一番よく知っている。




「どうされたのですか、エルメ様? せっかくの王都の茶葉。冷めないうちに召し上がらなければ、勿体ございませんわ」




エンヴァはわざとらしく小首をかしげ、純粋無垢な瞳でエルメを見つめる。


だが、その黄金の瞳の奥底には、深淵のような暗い愉悦が灯っていた。




(……仮にも魔女と呼ばれた私に毒を盛るなんて。本当に、愚かな娘ね)




「さあ、エルメ様。わたくしが注いだお茶は、お口に合いませんか?」


エンヴァの言葉は、まるで逃げ場を塞ぐ呪縛のようにサロンに響く。




震える手でカップを掴もうとして、エルメはそのまま椅子から滑り落ちるように膝をついた。


「ひ、……ひっ……!」




立場の逆転。


殺意を抱いた側が、今や殺される側として恐怖に凍りついていた。




「やめて! 来ないで! お願い……!」


豪華なサロンに、本館の主であるはずのエルメの悲鳴が虚しく響き渡る。


床に這いつくばり、狂ったように首を振る彼女に対し、エンヴァは微笑みを絶やさぬまま、静かに湯気の立つティーカップを差し出した。




「どうしたのですか、エルメ様。さあ、お飲みください。冷めてしまいますわ」


何が起きているのか理解できず、立ち尽くす使用人たち。




彼らの目には、取り乱した主人が、淑やかな愛人を理不尽に拒んでいるようにしか見えない。エンヴァは諭すように、透き通った声で言葉を紡ぐ。




「私はただの愛人に過ぎません。正妻である貴女様に危害を加えるつもりなど、毛頭ございませんわ。何を怖がっていらっしゃるの?」




その声は慈悲深い聖女のようであった。しかし、至近距離で見つめ合うエルメには見えていた。




エンヴァの黄金の瞳の奥に、すべてを飲み込むような真っ黒の黒い気配がたゆたっているのを。




「嘘! 嘘よ! あなたなんて信じられない! 出て行って! 今すぐここから出て行ってよ!!」


「……かしこまりました、エルメ様。お健やかに」


エンヴァは完璧な優雅さで一礼すると、一度も振り返ることなく、静かに部屋を後にした。




入れ替わるように部屋へ踏み込んできたのは、村長として威厳を増したギルだった。




「何があった? この騒ぎは……。エルメ、説明しろ」


半狂乱のエルメを横目に、ギルは卓上に残されたティーカップを見つめる。


侍従たちの断片的な説明を聞き終えると、彼は冷徹な手つきで残った茶を、足元にいた家猫の皿へと注いだ。




「ギャ、……ギャァァァアアーーーッ!!」


次の瞬間、喉を掻き切るような絶叫と共に猫が跳ね、はらわたを捩りながら床をのたうち回る。


そして、真っ黒な血を吐き出してピクリとも動かなくなった。




「……これをお前が、エンヴァに?」


ギルの声は、怒りを通り越して、地の底から響くような殺意を帯びていた。




彼にとってエンヴァは、何よりも代えがたい「神域」そのもの。


それを汚そうとした毒婦への、男の情けは微塵も残っていなかった。




「これは、お前が飲め。エルメ」




「嫌! 嫌よ! あなた、助けて! 私は貴方を愛しているの、ただ愛していただけなのよ!」




エルメの必死の懇願も、ギルの氷の瞳には届かない。


彼の目配せひとつで、侍従たちがエルメの細い腕を羽交い絞めにする。




逃げ場を失い、恐怖で呼吸を乱した彼女の鼻が強くつまみ上げられた。


苦し紛れに酸素を求めて開かれたその口へ、冷めた毒茶が容赦なく注ぎ込まれる。




数分間、サロンは生き地獄と化した。 かつてアンナが処刑台で味わったような、内側から肉を焼かれる激痛。


エルメは床を掻きむしり、爪を剥がしながらも、その最期に悪鬼のような形相で虚空を見据えた。




「エンヴァ……エンヴァ……。赦さない、……未来永劫、呪って……やる……!」




その言葉を最後に、彼女は口から真っ黒な塊を吐き出し、事切れた。


死してなお、その瞳はエンヴァが去っていった扉の向こうを睨みつけていた。




一方、離れへ戻る廊下で、エンヴァは風に揺れる花を眺めていた。


背後から聞こえた微かな絶叫に、彼女は一度だけ足を止める。




(……あら。お茶、残さず召し上がったのね。)


彼女の唇に浮かんだのは、自らの手を汚さず「邪魔者」を掃除した魔女の冷ややかな微笑だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ