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転生の魔女  作者: RUSA
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5生 ep.27

帝国への帰還を果たした一行を待っていたのは、数週間の不在で野性を取り戻した、青々と生い茂る雑草の海だった。




エンヴァとその使用人達が自給自足を可能にする畑。


そこでは今泥臭い「日常」の戦いが繰り広げられている。




「……取れない。なぜ、これほどまでにしぶといのか」


黄金の輝きを放つイブンの瞳が、今は地面に生えた一本の雑草を凝視している。




かつて長槍を自在に操り、名馬を颯爽と駆ったその手。




だが、地中深くに根を張った名もなき野草を前にして、王子の洗練された指先はひどく無力に見えた。




その傍らでは、セトの母とミーナが、呼吸を合わせるようなリズムで淡々と緑の絨毯を引き剥がしている。


セトに至っては、もはや職人の域だ。


迷いのない手つきで土を掴み、不要なものだけを効率よく排除していく。




イブンにとって驚くべきは、その輪の中に「帝国の第三皇女」たるエンヴァもまた、平然と混ざっていることだった。


作業着の袖を捲り上げ、白い指先を泥に染めて黙々と草を抜くその姿。


「妖精」とまで評された美観の少女が泥だらけになってせっせと雑草を抜く姿にイブンはしばし見とれてしまった。




「……イブン。根っこを残さないように。ちゃんと土を払ってから籠に入れろ」


セトの声が、教官のような冷徹さで飛ぶ。




昨日とは立場は逆転していた。


馬の上ではイブンが師だったが、この畑では、泥にまみれて生きてきたセトこそが支配者だ。




「わ、分かっている。分かっているのだが……。ほら、また途中で切れてしまった」


イブンが引き抜いた草の根は無惨に千切れ、土が王子の美しい顔に跳ねる。




「人質」として、あるいは「従者」として、覚悟を決めて帝国へ来たはずだった。


父と母が特別視するエンヴァとの婚約は断られてしまったが、彼女に尽くし認められる事でイブンは起死回生を心に決めていた。




だが、まさか最初の大敵が「雑草」になろうとは。




「腰が入っていないな。もっと深く指を入れろと言っただろう」


「……厳しいな、セト先輩」


苦笑いしながらも、イブンは再び土に指を突き立てる。




王宮の広間では決して教わることのない、畑の雑草との対話。


泥だらけの王子と、それを見事に指導する元奴隷。




そして、そんな光景を黙って眺めながら、満足げに草を抜く魔女。


帝国の片隅にあるこの小さな畑で、新しい「家族」の形が、土の匂いと共に少しずつ形作られようとしていた。




泥にまみれた午前が終わり、熱を帯びた風が屋敷の裏庭を吹き抜ける。


エンヴァの一声で、ようやく農夫たちに休息の時が訪れた。




「休憩にするわ。昼食の用意をなさい」


その言葉を合図に、エンヴァとセトの母が台所へと立った。




やがて食卓に並べられたのは、この家で何度も目にしてきた煮豆料理とパン、そして別の畑で収穫したての生野菜。


煮豆の立ち上る湯気と、甘辛い独特の香りが周囲を満たす。




「……っ! これは……」


豆をパンに乗せ一口運んだ瞬間、イブンの動きが止まった。




黄金の瞳を大きく見開き、皿の中の豆を、まるで失われた秘宝でも見つめるかのように凝視する。


「美味しい……。なんだか、凄く懐かしい味がします。故郷で食べていた味に、驚くほどよく似ている」




「あら、まぁ。遠い砂漠の国の王族の方が、うちの料理を懐かしんでくださるなんて」


セトの母は不思議そうに目を細めるが、隣で黙々と豆を口に運ぶエンヴァは、何ら表情を変えない。




だが、その様子を傍らで見ていたセトは、胸の奥にざらりとした違和感を覚えた。


(……繋がりがある。間違いなく、この二人には俺の知らない『何か』がある)


イブンが懐かしむ味を、エンヴァは当たり前のように作っている。




偶然にしては出来過ぎているし、何より二人の間に流れる空気には、セトの入り込めない「重み」があった。




だが、それが何なのか、元奴隷の少年に分かりようもない。


突き止められない焦燥感。


解けない謎を飲み込むような、苦い不完全燃焼感がセトの胸を焼いた。




「午後は水をまくわよ。さっさと食べ終えなさい」


エンヴァの冷淡な声が、思考を断ち切る。




午後の作業は、広大な畑への水やりだった。


五人の胃袋を満たすために自給自足を支える畑が広がっている。




王宮の管理官達も、日々広がり続ける第三皇女の畑についていくら皇帝に具申しても


「好きなように、やらせてやれ」


と皇帝のお墨付きを出されてしまう。






井戸から水を汲み、重たい桶を両手に下げて往復するのは、当然ながら男の役目だ。


「……せっ、セト先輩! また桶が空になりましたよ!」


「ああ、置いておけ。次を持ってくる!」


「私も行きます!」


そこからは、意地の張り合いだった。




セトは長年の生活で鍛えた足腰を使い、イブンは王族の矜持と若さゆえの体力を振り絞る。




どちらが多く、どちらが早く、エンヴァの元へ水を届けるか。


並んで井戸の綱を引き、競うように重たい水桶を抱えて走る二人の背中。





泥だらけのまま激しく火花を散らす少年たち。


そんな彼らの運んできた水をエンヴァは無慈悲に、たっぷりと作物に注ぎ続けるのだった。






砂漠の獅子の血を引く王子といえど、慣れぬ農作業の連続には抗えなかった。


西日に照らされた裏庭で、豪華な装束を野良着に着替えたイブンは、もはや優雅に槍を振るう面影もなく地面にへたり込んでいた。




「ハァ……ハァ……これは、想像を絶する……」


黄金の瞳を泳がせ、イブンは荒い息を吐きながら土を睨んだ。




ただ草を抜き、水を運ぶ。


戦場での命のやり取りに比べれば造作もないことだと思っていた。


だが、絶え間なく続く単調な苦行は、王族として鍛え上げられた筋肉を容赦なく蝕んでいく。




「……コツがあるんだよ。力を入れるべき瞬間と、抜くべき瞬間。抜くところで抜かないと、明日の朝には指一本動かなくなるぞ」




泥に汚れ、けれど涼しい顔で立ち尽くすセトが、一国の王子に「奴隷の智恵」を授けていた。




効率、配分、そして精神の逃がし方。


過酷な労働を生き抜くためのノウハウにおいて、泥水をすすって生きてきた奴隷に敵う者など、この帝国のどこにもいない。




「さすが……先輩。身に染みます……。明日からは今の教えを参考に動くことにします」


「明日から? 甘いな。一休みしたら次は堆肥のかくはんだぞ。こっちの方が臭いもキツいし腰に来る」


「……は、はい!」


イブンは震える足で立ち上がった。


だが、セトの無慈悲な宣告は止まらない。




「それが終わったら家畜小屋の清掃。夕方の市が始まる前に、今日売る分の作物を収穫してまとめて母さんに渡す。エンヴァ様からの支援以外で使える金は、全部ここから捻出してるんだからな。あとは自分たちの部屋の清掃と農具の手入れ……」




滔々と語られる「付き人」のスケジュール。


イブンは、自分が「エンヴァの従者」になるということは、この終わりのない「日常」という戦場を生き抜くことなのだと、痛いほどに実感していた。

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