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転生の魔女  作者: RUSA
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5生 ep.26

熱砂の旅路を終え、一行は帝都の巨大な城門をくぐった。


石造りの冷厳な宮廷。




そこに漂うのは、砂漠の開放感とは無縁の、どろりとした野心と権謀術数の香りだ。








「……左様か。縁談は成らずとも、こうして王子を連れ帰ったか」


玉座に鎮座する皇帝の声が、広大な謁見の間に重々しく響き渡った。




エンヴァは優雅に一礼し、その背後に控えるイブンを視線で促す。




「は、陛下! 我が父レオ王も、陛下の御威光に従うと申しておりました。このイブン、未熟者ながら、帝国の英知を学ぶため、粉骨砕身励む所存です」




跪くイブンの姿は、人質という立場を感じさせぬほど堂々としていた。


皇帝の細められた瞳の奥で、冷徹な計算が火花を散らす。




西方砂漠の南半分を版図に収めるレオ王国。


その地勢は侮りがたく、砂漠の荒くれ者たる諸部族を束ねる彼らの軍事力は、一地方国家の枠をとうに超えている。




何より——あの地には、かつて帝国軍を震撼させた『魔女』がいる。




帝国は、先のディルガム王朝との死闘によって、その戦力の大半を喪失していた。


そんな折に、魔女を擁する国を事実上の臣下に下し、その血を引く長子を掌中に収めたのだ。




(エンヴァめ……。縁談を蹴ったのは予想通りだが、これほど価値のある『土産』を持ち帰るとはな)




皇帝にとって、王子に対する留学の打診は断られることを前提とした揺さぶりに過ぎなかった。


だが、エンヴァがイブンを「従者」として引き連れてきたという結果は、外交的な勝利としてこれ以上ない満点に近いものだった。




「良い。ゆっくりと学んでいくがよい、イブン王子。貴殿の滞在が、帝国と王国の永遠なる絆となろう」




皇帝の慈悲深い微笑みが、イブンには福音に、エンヴァには冷笑に、そして後ろに控えるセトには——さらなる屈辱の種に見えていた。








謁見を終え、一人玉座に残った皇帝は、先ほどまで跪いていた少年の姿を反芻していた。


脳裏に焼き付いているのは、王子の礼儀正しい所作ではない。


その奥に潜む、あまりにも鮮烈な「色」だ。




「……魔女め。どこまで我らを弄べば気が済むのか」


皇帝の唇から漏れたのは、感嘆とも呪詛ともつかぬ呟きだった。




彼は忘れていなかった。


イブンの瞳に宿っていた、あの特異な輝きを。




エンヴァの息子であるレオ、そして娘であるリナ。


その両者の間に生まれたイブンの瞳には、皇帝自身のものと同じ——いや、それ以上に濃密な「黄金の光」がたゆたっていた。




その光の正体を、皇帝は直感的に理解していた。




それは「魔女」の血が引き継がれている証。




光の強さは、全盛期の魔女の半分ほど。




即ち、彼が「魔女と人間の子」であることを雄弁に物語る、逃れようのない刻印だ。




皇帝にとって、事実は重要ではなかった。


ただ、その強大な「力」の残照を持つ少年を、帝国の支配下に置き、繋ぎ止めることこそが最優先事項。




皇帝は、あえてこの「猛毒」を厚遇することに決めた。




「何か、望みはあるか。王子の身分に相応しき館か、あるいは軍の地位か」




再び呼び寄せたイブンに対し、皇帝は試すように問いかける。


だが、少年の答えは最初から決まっていた。




「……エンヴァ様の従者として、その傍らで働かせてください。それが、私の唯一の望みです」




迷いのない、澄んだ声。


皇帝はわずかに目を細めた。




魔女という名の深淵に、自ら飛び込もうというのか。


あるいは、それこそが血が惹かれ合うという抗えぬ宿命なのか。




「……それが望みなら、好きにするが良い」




「魔女には干渉せぬ」という不文律に従い、皇帝は王子の望みを諾とした。


黄金の瞳を持つ二人の「魔女の系譜」が、一つの屋敷に集う。 それが帝国にさらなる繁栄をもたらす瑞兆か、あるいは全てを焼き尽くす滅びの火種か。 皇帝はただ、冷徹な観察者として、その運命の行方を見据えていた。














エンヴァの部屋を挟んで




右にレオ王国の「王子」の部屋。


左に「元奴隷の家族」の部屋。




その配置は、今のセトの危うい立場を象徴するかのような、奇妙で不穏なバランスの上に成り立っていた。




「おいしい……! こんなに心のこもった温かい料理、生まれて初めて食べました!」




食卓に、眩いばかりの光が満ち溢れていた。




セトの母が、そしてミーナが、慣れない手つきながらも精一杯用意した家庭の味。


それを口にしたイブンは、まるで至高の晩餐を振る舞われたかのように瞳を輝かせ、極上の笑みを浮かべた。




「あら、まぁ……王子様のお口に合いますかどうか心配でしたけれど。そんなに喜んでいただけるなんて」


セトの母は、頬を染めてすっかり上機嫌だ。




普段の控えめな様子はどこへやら、完璧な貴公子の称賛を一身に浴び、満更でもない様子で料理を継ぎ足している。


その傍らで、エンヴァだけは一切の会話に加わらず、ただ黙々と「煮豆」を一粒づつ口に運んでいた。




だが、セトにとっての真の悲劇は、その直後に訪れた。


「イブンお兄ちゃん! はい、あーん!」


「……っ!?」


セトは、手に持っていた匙を落としそうになった。


いつの間に懐柔されたのか。




妹のミーナが、無邪気な笑顔でイブンに懐き、あろうことか「お兄ちゃん」などという、兄である自分だけの聖域を許してしまっている。




「ありがとう、ミーナ。ああ、本当に美味しいよ」


イブンが優しくミーナの頭を撫でる。




その仕草一つ、言葉一つが、計算など微塵も感じさせない純粋な「魅力」に満ちていた。


魔女の血を半分受け継ぎ、禁忌の果てに生まれたこの少年は、そこにいるだけで周囲を惹きつけ、場を支配してしまう。




(……一日だ。たった一日で、全て持っていかれたのか……?)


自分の家族も、居場所も、空気さえも。




セトは背筋を伝う一筋の冷や汗を感じながら、猛烈な危機感に打ち震えていた。




黄金の王子がもたらす完璧な調和。


それが、セトにとっては自分の存在意義を根こそぎ奪い去る、恐るべき侵略のように思えてならなかった。




そんな少年たちの静かな対立を、エンヴァは煮豆の皿の向こう側から、そっと眺めていた。




誰にも気づかれぬよう、その薄い唇に小さな笑みを浮かべて——。










翌日エンヴァから下されたその言葉は、セトにとってどんな拷問よりも苛烈な宣告だった。




「馬を習いなさい、イブンに」 目の前が暗転する。


よりによって、全てを「持っている」この男に、己の無力さを晒せというのか。


だが、この屋敷に馬術を乞える者は他にいない。




ドサ




これで何度目だろう?


落馬して地面にはいつくばるセトの姿。




「……もう一度だ。もう一度」


地面に叩きつけられた衝撃で、セトの視界は白く染まっていた。




口内に広がる鉄の味と、肺を圧迫するような鈍痛。


だが、それ以上にセトを苛んでいたのは、目前で馬の手綱を軽やかに操るイブンの、一点の曇りもない「同情」の眼差しだった。




「セト先輩、焦らなくていいんです。初めての馬術なら、これくらいは当然ですよ。馬と呼吸を合わせるコツを、もう一度お教えしますから」




「……黙れ」


セトは泥まみれの手で地面を叩き、震える膝を無理やり立たせた。




イブンの言葉は正しい。理論も完璧だ。




だが、その正しさがセトには耐え難かった。


王子として英才教育を受けたイブンにとって、乗馬は呼吸と同じ。




対して、泥水をすすって生きてきた奴隷のセトにとって、馬は「主が乗るもの」でしかなかった。過去に馬に乗った主に鞭で殴られた記憶しかセトには無い。




「……あいつに、できて……俺にできないはずが、あるか……ッ!」


何度も、何度も、宙を舞い、泥を噛む。




落馬のたびに、観覧席で見守るエンヴァの冷ややかな視線が、刃のようにセトの背中を焼く。


彼女は助け舟も出さず、ただ退屈そうに指先で髪を弄んでいる。




十回、二十回。 セトの服はボロ布のようになり、体中が痣だらけになった。




イブンの顔に、流石に戸惑いの色が混じる。


「先輩、今日はこのくらいに……」という制止を、セトは凄まじい殺気で黙らせた。




(できないまま、戻れるか……!)


夕闇が迫り、辺りが朱色に染まり始めた頃。




満身創痍のセトは、ついに暴れる馬の背を屈服させた。


力任せではない。


自分の無力に対する憎しみでもない。


ただ、ここで死んでも食らいつくという凄惨なまでの「執念」に、馬が折れたのだ。




「……乗れた……」


荒い息を吐きながら、セトは馬上で初めて高い視界を得た。




優雅さなど微塵もない。泥と汗にまみれた、見苦しいほどに必死な騎乗。


だが、イブンはそんなセトを見て、初めて笑顔を引っ込め、その眼差しを驚愕と——かすかな戦慄に変えた。




「……すごい。独学で、ここまで強引に合わせるなんて……」


セトは、そんな王子の称賛など聞き流した。


ただ、視線の先。 そこには、初めて小さく、満足そうに口角を上げたエンヴァの姿があった。




ボロボロになり、泥にまみれ、それでもセトは馬上で背筋を伸ばした。


その傍らでは、教え子のあまりの無茶苦茶な上達ぶりに、イブンが呆然と立ち尽くしていた。




「エンヴァ様! 見てください、セト先輩が……やりました!」




イブンが興奮気味に馬を寄せ、エンヴァの前で声を張り上げた。




セトとは対照的に、一滴の汗も流さず、服の汚れ一つない無傷の姿。


その完璧な貴公子の佇まいは、夕陽を浴びて神々しいほどだった。




エンヴァは退屈そうに弄んでいた銀髪を離すと、ゆっくりと立ち上がった。




「よくやったわセト。……褒美をとらすわね」


その瞬間、エンヴァの身体がふわりと宙を舞った。




驚愕する二人の視界で、白いドレスが蝶のように翻る。




彼女は流れるような動作で、セトが跨る馬の後座へとひらりと飛び乗ったのだ。


「え、エンヴァ様!? まだ危険です、セト先輩はたった今乗れるようになったばかりで……!」




慌てて叫ぶイブンを無視し、エンヴァはセトの細い腰に、その白い腕を回した。


背中に伝わる主の体温と、鼻をくすぐる冷涼な香りに、セトの心臓が爆ぜるかのように跳ねる。




「構わないわ。……北の森まで走らせなさい。香草を摘んで帰ります」


「え! 今、なんと……?」


「いいから走りなさい、セト」


言葉と同時、エンヴァの華奢な足が馬の腹を鋭く叩いた。




——ヒヒィィィン!!




主の合図に、馬が今日一番の咆哮を上げ、弾かれたように駆け出す。


「エンヴァ様! お待ちください!」


イブンが必死に馬を飛ばし、並走してセトの手綱を代わろうとする。


だが、エンヴァは風に銀髪をなびかせながら、煩わしそうに手を振った。




「よい、大丈夫じゃ。イブン、お主は館に戻っておいで」


「えっ、でも……!」


「……戻れと言っているのよ」


逆らえぬ絶対的な拒絶。




黄金の瞳に射抜かれ、イブンは思わず手綱を引いた。


遠ざかっていく一頭の馬。




必死に手綱を握り、泥だらけの背中で主を支える「持たざる騎士」と、その背中に身を預け、満足そうに目を細めるエンヴァ。




無傷のまま立ち尽くすイブンは、自分がどれほど完璧に馬を操ろうとも、決して入れない二人の領域がそこにあることを突きつけられていた。

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