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転生の魔女  作者: RUSA
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5生 ep.23

「——お初にお目にかかりますわ、レオ王、リナ王妃」


その一言は、祝祭の調べに沸く門前を、一瞬にして氷結させた。




目の前にいるのは、紛れもなく自分たちの生みの親であり、エンヴァその人のかたちだ。


年こそ少女の年齢だとしてもその黄金の瞳と周囲の気温まで下げるかのような空気感。




だというのに、彼女は完璧な微笑みを崩さず、初対面の赤の他人として、帝国の第三皇女としての礼を尽くしている。




レオとリナは、言葉を失って顔を見合わせた。


懐かしさと困惑が混ざり合った、滑稽なまでの沈黙。




だが、ここは公の場だ。

彼らは震える喉を強引に鳴らし、外交の仮面を被り直すしかなかった。




「……よ、ようこそ我が国へおいでくださいました。ごゆるりとご滞在くださいませ」


「まずはお部屋を用意いたしましたわ。どうぞ、長旅の疲れをお癒しください」




レオの掠れた声と、リナの引きつった微笑みに迎えられ、一行は王宮の離れへと導かれる。そこはかつて、エンヴァ自身が愛した静謐な一角だった。




護衛の騎士たちが不審物がないか部屋をくまなく調査している間、エンヴァは隣に割り当てられたセトの部屋のソファに、我が物顔で腰を下ろしていた。




「ずいぶんと、栄えている国ですね、エンヴァ様」


窓から見える街並みを眺め、セトが感心したように呟く。


彼にとって、砂漠の中に築かれたこの美しい石造りの都は、帝国の帝都とはまた違う、奇跡のような繁栄に見えた。




「……そう? 普通だと思うわよ」


エンヴァは背もたれに身を預け、退屈そうに指先を弄ぶ。


悠久の時を生きる魔女にとって、この国の歴史など、砂時計の砂が一粒落ちる程度の重みしかない。




かつて、行き倒れていた自分を砂漠で拾い、育ててくれたキャラバンの長、アデル。


彼が文字通り砂を積み上げて築いたこの小国。




そして、エンヴァと兄弟のように育ち、その跡を継いだイブン。


彼らの手によって育まれたこの国の礎は、エンヴァにとってはつい昨日の出来事のように鮮明だ。




特に、今座っているこのこじんまりとした部屋は思い出深い。




かつての彼女も、この部屋に籠っては王国が所有する数少ない書物を読み耽っていた。


当時の紙の匂い、風の吹き抜け方、それらは何一つ変わっていない。


ただ一つ、決定的に変わってしまったのは——。




「かつての私の『子供』たちが、王座に座って私を客として迎えている……。滑稽な話だわ」


独り言のように漏らした言葉。




セトは、主の横顔に宿った一瞬の影を、ただ静かに見つめていた。








帝国の洗練された静謐な晩餐会とは対照的に、レオ王国の夜は熱気に満ちていた。


建国の功臣たちが商売仲間であったという出自を象徴するように、席順は上下を分かつ長机ではなく、焚き火を囲むように車座となる伝統的な形式。




中央で踊る踊り子たちの躍動と、大地を鳴らす音楽が、祝祭の夜を赤く染め上げていく。




「殿下、この国の酒は少しばかり度数が強いのですが……お口に合いますでしょうか?」


上座に座るエンヴァの隣で、穏やかな微笑みを向けているのは、レオ王国の第一王子、イブン。




前王の名を継いだ彼は、その名に恥じぬ聡明さと、砂漠の民特有の野性味を感じさせない洗練された所作を併せ持っていた。


エンヴァと同世代の少年である彼は、スマートな会話術で、時に笑いを交えながら皇女をもてなしている。




(……私の、孫なのよね)




エンヴァは、酒精を抑えた果実酒に唇を湿らせながら、冷静に隣の王子を観察していた。


彼は今回の政略結婚、すなわち自分への求婚に最も意欲的な立場だ。




そして何より厄介なのは、彼が「計算ずくの悪党」ではなく、心の底からこの縁談を喜び、帝国の皇女を敬愛しようとしている「本物の善人」に見えることだった。




そんな二人の様子を、エンヴァの背後で影のように控えるセトは、心中穏やかではない心地で見つめていた。




(何だ、あの男……気に食わない)




背筋を伸ばし、護衛としての職責を果たそうと努めてはいるが、握り締めた拳には無意識に力がこもる。




もし相手が昨夜のような「敵」であれば、迷わずその首を撥ねる覚悟はある。


だが、目の前の王子は非の打ち所がないほどスマートで、しかもエンヴァに対して献身的な「良い奴」として振舞っている。




主の隣に座り、楽しげに語らう権利を持つ王子と、その背後でただ沈黙を守るしかない自分。


セトの胸を焼くのは嫉妬の炎だった。




「セト様も、もしよろしければ何か召し上がりませんか? 殿下をお守りするお姿、実に感銘を受けました」


不意に、イブン王子が振り返り、セトにまで「善意」の言葉を投げかける。


その屈託のない親愛の情が、セトの心をさらに激しく、深くざわつかせた。








宴の熱気が最高潮に達した頃、イブン王子の瞳には、踊り子たちの演舞よりも、隣に座る小さな皇女の横顔が鮮明に映り込んでいた。




「……殿下。今宵は月がことのほか美しく輝いています。騒がしい車座を離れ、少しばかりバルコニーで涼まれませんか?」




イブン王子の誘いは、あまりにもスマートで、淀みがなかった。


その眼差しに宿るのは、政略的な打算を超えた、一人の少年としての純粋な憧憬。


エンヴァはふっと口元を緩め、扇でその笑みを隠した。




「ええ、構いませんわ。少し喉が乾きましたもの」


「では、こちらへ」


王子がエスコートのために手を差し出す。




その光景を、背後で石像のように凝視していたセトが、弾かれたように一歩前へ出た。


「……護衛として、同行いたします」


短く、切迫した声。セトの右手は無意識に剣の柄に置かれている。




昨夜、エンヴァに抱きしめられ、その頬の熱を分け与えられた自分こそが、彼女を守る唯一の盾であるはずだ。




だが、エンヴァの黄金の瞳が、冷徹な光を帯びてセトを射抜いた。


「いいえ。あなたはここで待っていなさい」


「……っ、ですが、エンヴァ様……!」


「聞こえなかったかしら? あなたがそこに居ては、お話が聞こえなくてよ」




その声は、昨夜の慈愛に満ちた囁きとは正反対の、鋭利な刃だった。


セトの思考が真っ白に染まる。


主の言葉は絶対だ。




だが、今の自分から「彼女を守る」という役割を奪われることは、自分の存在意義そのものを否定されるに等しかった。


二人の背中が、賑やかな広間からテラスへと消えていく。




セトは絶望に叩き落とされながらも、本能的に動いていた。




広間を抜け出し、建物の外壁を伝って、バルコニーの真下にある植え込みの影へと潜り込む。


(……僕は、影だ。影として、あの方を守る)


そう自分に言い聞かせるセトの耳に、夜風に乗ってイブン王子の真剣な声が届いた。




「エンヴァ殿下……。私は、この縁談を単なる帝国の利害関係とは考えていません。


初めてお会いした時から、貴女の瞳に魂を奪われた。どうか、我がレオ王国の妃として……私の妻として、共に歩んではいただけませんか」




真っ直ぐな、本気のプロポーズ。




隠れているセトの心臓が、嫌な音を立てて波打つ。


当然、エンヴァ様は鼻で笑って切り捨てるはずだ。




だが、上から聞こえてきたのは、予想だにしない柔らかな沈黙の後の声だった。


「……考えておくわ」




奈落に突き落とされたような衝撃が、セトを襲った。


「考えておく」——それは、彼女が時折見せる、相手を弄ぶための保留ではない。


少なくとも、今のセトの耳には、彼女が新しい「王」を選ぼうとしている合図のように聞こえた。




月光に照らされたバルコニーの下。


血塗られた手で、誰にも気づかれぬよう影に潜む少年は、ただ一人、声にならない悲鳴を上げていた。








宴の喧騒を遠くに聞きながら、月明かりの射す回廊を離宮へと進む一行。周囲を固める兵たちの鎧が鳴らす冷たい金属音だけが、セトの耳には酷く大きく響いていた。




「…………」


セトの歩みは、どこか覚束なかった。




バルコニーから漏れ聞こえてきた、イブン王子の真剣な求婚。


そして、それを受け流すことなく「考えておくわ」と応じた主の正体の知れない声。




胸の奥をどろりとした不安が満たしていく。


自分は、彼女にとっての「唯一」ではなかったのか。


昨夜、血まみれの自分を抱きしめてくれたあの温もりは、ただの気まぐれだったのか。




そんな彼の動揺を、隣を歩くエンヴァは横目で見透かしていた。


バルコニーの下で息を潜めていた小犬のような気配。嫉妬と絶望に焼かれ、今にも壊れてしまいそうな少年の心。それらすべてを手のひらの上で転がすように優しく唇を開いた。




「……セト」


「は、はいッ!」


弾かれたように直立不動になるセト。


その必死な様子に、エンヴァの口元に微かな、愉悦に似た笑みが浮かぶ。




「……理由あってのことよ。思い悩まないで」


エンヴァはいつも多くを語らない。


「理由……、でございますか?」


「ええ。……今はそれだけで十分でしょう?」




その言葉は、セトにとって救いであると同時に、さらなる迷宮への入り口だった。


「理由」とは何か。


帝国と王国の外交上の策略なのか。


それとも、彼が知らない「女としての本音」が隠されているのか。


答えの出ない問いに、セトの夜は昨夜の惨劇よりも深く、暗いものへと沈んでいった。








砂漠の照り返しを浴びるレオ王国の市街地は、建国の活気に満ち溢れていた。




中央を歩くのは、レオ王とリナ王妃。そして、昨夜の情熱をそのままに、エンヴァに付き従って熱心に街の魅力を説くイブン王子。




「殿下、あちらに見えるのは我が国自慢の大市場です! 砂漠を越えてやってくる珍しい香辛料や、希少な宝石まで……。もしよろしければ、何かお好みのものを探してみませんか?」




王子は爽やかに笑い、退屈そうなエンヴァを盛り上げようと心を砕く。




だが、その熱意とは裏腹に、エンヴァの黄金の瞳はどこまでも冷めていた。


彼女にとって、この街は新しくも何ともない。




石畳の一枚一枚、路地裏の匂い、風の吹き抜け方。


それらはかつて自分が築き上げた「我が家」の残骸に過ぎないからだ。




「ええ、素敵な街ね。……イブン王子」


心のない称賛を口にしながら、エンヴァの視線は王子の背後——




常に一定の距離を保ち、鋭い眼光で王子を睨みつけるセトになだめるように向けられていた。




昼間の賑やかな市街地の熱気が嘘のように、夜の王宮は静まり返っていた。




だが、その静寂は穏やかなものではない。


重厚な扉の向こう側で行われているのは、表向きの晩餐会よりも遥かに濃密で、執着が渦巻く「家族」だけの対話であった。




「…………」


セトは、閉ざされた扉の前に一人、彫像のように立ち尽くしていた。




扉の向こうには、うた主であるエンヴァと、レオ王、リナ王妃がいる。


血の繋がった「親子」だけの時間。どれほど功績を立てようと、どれほど彼女に魂を売ろうと、元奴隷であり護衛でしかない自分には、決して踏み入ることはできない。




(……理由あってのことよ、思い悩まないで)




昨夜の彼女の言葉を反芻するが、扉から漏れ聞こえてくる微かな笑い声や、食器が触れ合う音が、セトの心を容赦なく削り取っていく。




ガチャリ、と。


唐突に扉が開いた。




現れたのは、イブン王子だった。




セトは即座に居住まいを正し、深く頭を下げる。


だが、その頭の下で、王子を射抜くような鋭い視線までは隠しきれていなかった。




「……そんなに怖い目で見ないでくれないかな? 僕は何もしないよ」


イブン王子は困ったように笑い、柔らかくセトに話しかけてきた。


その声には、昨夜バルコニーで聞いたような情熱はなく、どこかひび割れたような自嘲の色が混じっている。




「……いえ。滅相もございません」


「無理をしなくていい。君が彼女をどう思っているかは、その目を見ればわかるからね」


王子はセトの隣まで歩み寄ると、閉ざされた扉を一度振り返り、吐き捨てるように言った。




「どうやら、父上と母上の方が、僕よりもずっとエンヴァ様と話したいことがあるようだ」


「王と、王妃様が……?」


「ああ。どうやら、僕の婚約話はその『ダシ』に使われているらしい。……滑稽だろう? 息子を餌にして、あの幼い皇女と何の話をしたいのやら」




ニコリと、王子はもう一度笑った。




だがその笑顔は、昨夜セトが嫉妬した「完璧な良い奴」のものではなかった。


親に利用され、舞台装置として置かれた者の諦観。


「…………」



セトはその言葉を半信半疑で聞きながら、扉の向こう側の沈黙に耳を澄ませた。


婚約話がただの口実。




だとしたら、レオ王たちはこの幼い皇女の中に、一体何を見ているのか。

部屋ではリナ王妃が今まさに、核心に迫らんとしていた。

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